『八重の桜』第26回「八重、決戦のとき」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

なんのかんの文句を言いながらも
敦賀城ならぬ鶴ヶ城の戦まで一回も欠かさずに見てしまった
今年の大河ドラマです。

今回の主演女優は素晴らしい迫力でした。
さすがは大河ドラマの主役です。

女主人公が鉄砲担いで戦に出る不自然さも、
この半年間で立派に説得力をもちました。

ただ

今回があまりに見事な演技だったため、
途中挟まれていた第一回の映像での
主人公の綺麗すぎる姿形や慣れない表情などが
物足りなく感じられてしまいました。

「ならぬことはならぬのです」という台詞も
どこか浮いたものになってしまいました。

編集の失敗だと思います。

また、

西郷家の女たち、白虎隊の士中二番隊、そして家老ズの
自刃三連発。

せっかくの見せ場なのですから
もっと時間をかけてもよかったと思いました。

※平安より鎌倉、戦国時代に至るまで、武士が戦場において相手側に武名をなさせないために、敵に討ち取られるよりは自害することをよしとする風潮があった。『平家物語』の登場人物の最後は自殺で終わる者が多い。これらには、自らが討ち取られその武名が誰かによって落とされること、ことに格下の兵に功名の手柄とされることを恥としたからである。また死罪を自ら行う切腹はよく知られている。鎌倉以来武士は江戸時代初期までは主君に切腹を命じられても、従容として死につくのではなく、ある程度の抵抗を示した後に主君側に討ち取られる以外に選択肢がなくなってから自害することが「武士の意気地」とされた。ところが、江戸時代も中期になると、従容として腹を切ることが「潔い」とされるようになる。これは家門の存続が個人の武名以上に重要な価値を持つようになったなってきたことが大きな要因となっているが、徳川の文治政治の進展と共に連座が緩和されたため、制裁が決まる前に単独で一命をもって責任を取れば、多くの場合において家門もしくは家族の存続は許されたからでもある。なお、女性の場合は切腹ではなく喉を短刀で突くのが武家における自害の作法とされた。(Wikipediaより)