『八重の桜』第2回「やむにやまれぬ心」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

初回を見て、大河ドラマというより、ヒストラマと呼びたくなった『八重の桜』です。

しかし、第二回は、日米和親条約や幕末の志士の動きなど歴史教養番組的な内容はあまりありませんでした。
佐久間象山と吉田松陰の国元蟄居、それに西郷隆盛と新島襄が顔見世されたくらいです。

今回は、主に主人公八重(11)の鉄砲や砲術に対する熱い思いを伝えることに費やされたという印象です。
まだ、このドラマの良し悪しを論ずる段階ではないと思います。

というわけで、次回も見ます。
あまり期待しないで。ふわふわと。

※黒船(くろふね)は、大型の西洋式航洋船のことで、語としては江戸時代の前から近世の日本で用いられた。しかし、今日ではより狭く幕末に来航した船、特に1853年7月8日に浦賀沖に来航したアメリカ合衆国のマシュー・ペリー率いるアメリカ海軍東インド艦隊の事を指すことが多い。日本では主に、この黒船来航から明治維新までを「幕末」と呼んでいる。日本に蒸気船が来航したのはこのときが初めてであったため、しばしば黒船は蒸気船のことだと考えられるが、帆船も黒船である。当初久里浜に来航したが、砂浜で黒船が停泊できなかったことから、幕府は江戸湾浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)に誘導した。1853年に浦賀沖に来航した艦隊は四隻、1854年に横浜沖に再来航した艦隊は九隻だった。江戸幕府とアメリカ合衆国は1854年3月31日(嘉永7年3月3日)に日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)を締結した。日本側全権は林復斎(大学頭)、アメリカ側全権は東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリーである。この条約によって日本は下田と箱館(現在の函館)を開港し、鎖国体制は終焉を迎えた。条約の正式名は日本國米利堅合衆國和親條約(にほんこくめりけんがっしゅうこくわしんじょうやく)である。同年6月17日(5月22日)には和親条約の細則を定めた下田条約(全13箇条)を締結した。なお、ペリー艦隊は、琉球王国とも通商条約を締結している(琉米修好条約)。さらに、1857年6月17日(安政4年5月26日)、アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスと下田奉行の井上信濃守清直、中村出羽守時万の間で日米和親条約を修補する全9箇条の下田協約(下田条約)が締結された。安政5年6月19日(1858年7月29日)には、日本とアメリカ合衆国の間で日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)が結ばれた。徳川幕府が日本を代表する政府として調印した条約であり、条約批准書原本には「源家茂」の署名がなされている。アメリカ側に領事裁判権を認め、日本に関税自主権がなかったことなどから、一般に不平等条約といわれる。本条約の不平等的な性格は日本の主権を侵害し、経済的にも国内産業の保護育成の大きな障害となった。裏返せば、自由貿易により外国の物品を安く購入することが可能となり、明治の近代化に寄与したとも考えられる。明治維新後、新政府は条約改正を外交上の最優先課題として外国との交渉を進めるいっぽう、国内法制の整備、秩序の安定化、軍備の強化等に取り組んだ。1872年(明治5年)7月4日には条約を改正できる旨の第13条の条項が設けられていたが、ときの明治政府はまだ何ら組織が整っていなかったため、3年延期してもらうよう申し出た。結局、この不平等条約が解消したのは日本が日清戦争において清国に勝利した後のことであり、1899年(明治32年)7月17日に日米通商航海条約が発効したことにより失効した。(Wikipediaより)