NHKブラタモリ 奈良・正倉院 ─ 2024年3月2日 ─ | タクヤNote

タクヤNote

元mixi『東大寺』『南都七大寺』コミュニティ管理人で、
現在は古都奈良の歴史文化の紹介、
アメーバピグや、配信アプリ『RIALITY』で知り合った人の
アバターの絵を描くなどの自作イラスト紹介をしています。

このブログで過去に数回取り上げている、NHK紀行・バラエティ番組『ブラタモリ』、3月2日の放送で『奈良・正倉院〜なぜ1,300年もお宝を守れた?〜』が放送されたので、このブログで紹介をします。

 

 

この回のテーマ「なぜ1,300年もお宝を守れた?」からもわかる通り、この回のブラタモリは正倉院を紹介する内容。奈良ファンとしては必見と期待をし、TVの前で正座する感じで鑑賞させてもらいました。

 

 

番組のスタートは正倉院正倉の前から、タモさんは「午前8時半、この時間には誰もいない」という掴みで笑いを取ってましたが、小生から言えば「正倉院外構の一般公開時間は午前10時から。誰もいないのは当たり前」とテレビの前で突っ込んでおりました。

 

 

小生は正倉院正倉を何回か写真に撮っていますが、正倉は東向きで朝で無いと正面から陽が当たらずいい感じの写真が撮れないんです。この時間に正倉院を間近から見るのは小生にとっては熱望することの一つ。これだけでも貴重な映像であります。

司会のタモリさんとアシスタントの野口葵衣アナで進行されるこの番組、オープニングから正倉院寺務所所長 飯田剛彦氏のガイド役として入ります。

 

 

正倉院正倉は、数少ない奈良時代に建てられた古代の遺構建築です。中に納められた有名な宝物と共に1,300年の歴史を持つ建物で、宝物は『皇室用財産』の扱いになっているため文化財指定はされていないのですが、正倉の建物は平成10(1998)年に『古都奈良の文化財』がユネスコ世界遺産に登録される折りに、ユネスコの登録条件から1997年に文化財保護法の国宝に指定をされています。

正倉院と言えば宝物ですが、いきなり代表的な宝物である『螺鈿紫檀五弦琵琶〈北倉〉』の模造品を手渡され、本物かと思ったタモリさんのビビる顔にウケました。実物3kgの重さも鉄板を入れて再現というブラタモリ・スタッフの芸の細かさに相変わらず関心させられてしまいます。

 

 

番組では『螺鈿紫檀五弦琵琶』の他に『平螺鈿背八角鏡〈北倉〉』『紅牙撥鏤尺〈北倉〉』『衲御礼履〈南倉〉』といった代表的な宝物を紹介。また聖武天皇の葬儀の後に、天平勝宝8歳(756年)、光明皇后が大行天皇の遺愛の品を大仏に奉納した正倉院宝物のはじまりについて解説し、正倉院の歴史と魅力をダイジェスト的に説明をされてました。

 

 

 

オープニングの正倉前は一般公開の時は誰でも入ることが出来るのですが、その内側、建物の側へは一般見学者は行くことは出来ません。番組では特別に正倉に近づいてのロケも行われました。

 

 

高さ2.7mの高床の下でのロケはなかなか見応えがありました。

番組では“校倉造り”の構造などをCG映像なども用いて紹介。柱が通し柱(上まで抜けている長い柱)では無く間柱(床の長さまでの短い柱)ということを重点にしていましたが、小生としてはそんなことより、自分たちが決して見ることの出来ないロケハンが高床の床下に入っての映像に圧倒されました。

 

 

そして、ここから番組のハイライトシーン、カメラが正倉院正倉の中に入ります。本当なのか演出なのか、飯田所長の「今度は正倉院の中に入っていただいて」という振りに、タモリさんも野口アナも「えっ!」とキョトンとしたこわばった表情に

近年まで正倉院正倉には実際に宝物が保管されていて、天皇の勅命が無いと開封が出来ないという伝統が守られていました。しかし耐火鉄筋コンクリートの東宝庫(昭和28(1953)年築)、西宝庫(昭和37(1962)年築)が建てられると宝物が移され、正倉院正倉は勅命が無くとも入れるようになったのです。

ロケハンが入るのは聖武天皇・光明皇后ゆかりの品が主に収蔵されていた北倉(向かって右側の倉)、天皇による勅封では無くなったものの現在も古式の鍵が掛けられて、封印の綱が結ばれています。そして今回宮内庁職員によってその鍵が外されます。

 

 

扉が開けられる時に、「キィーーー」という甲高いきしみ音が響いたのですが、タモリさんはその音を即興で実に上手く声帯模写を。「正倉院の扉の音」という持ちネタが出来たとご満悦なご様子でした。

そしてタモリさんらとカメラは正倉北倉内部へ。タモリさんと野口アナが緊張している様子はテレビ画面を通しても伝わるところでしたが、見ている小生も緊張で手に汗をかいてしまうシーンでありました。

 

 

正倉内部は二層構造、高さ11m(高床柱を除く)の正倉の建物内は一面まるで工事現場の足場のような床が支柱のような柱に支えられており、二階に上がる階段も見られます。この二層の床がいつ作られたのかは紹介はありませんでしたが、床を支えている支柱が真新しそうな角柱であるところを見るとそんなに古いものではなさそうです。

 

 

そして中を埋め尽くすように沢山の透明ガラスが嵌められた木製ケースが並べられていたのです。もちろん宝物を保存・展示するのが目的です。ガラスケースの中に宝物を保管していた櫃(長持箱)が入っているのも見えました

 

 

 

このガラスケース、実はかなり古く、明治12(1879)年にあの伊藤博文の建議(提案)によって置かれたもの。当時の最新技術で製造された透明の板ガラスをふんだんに使われています。番組内では「時代に政府が海外の賓客に見せる目的」という説明がされていましたが、小生は以前に「正倉院展は当初正倉院正倉そのものを会場にして開催されるプランがあった。ガラスケースはそのために設置された」という話も聞いていて、おそらく多目的なプランが明治時代にはあったのかなと思います。

下の映像は『蘭奢待』が納められていたガラスケース。貴重な宝物を納めていた100年以上前のガラスケースは、すでに文化財の風格を持っていました。

 

 

番組は中世の頃の、正倉院の歴史にも触れていました。名香の蘭奢待を欲した織田信長が朝廷にまで手を伸ばして天皇の勅使を東大寺に出させたというエピソードや、徳川家康が宝物を管理保管するための櫃を東大寺に寄付していたエピソードなど、名だたる天下人が正倉院をめぐって関わっていたことを語られていました。

 

 

ここで飯田所長に加えて、保存課長の中村力也氏が登場。家康が寄付した櫃は杉製で、杉が調湿性能の高さを取り上げ、厚さ30センチ近くもある建物の壁と、杉の櫃によって二重で宝物をベストのコンディションで保存されて来たと、番組では科学的な検証も行っていました。

 

他にも壁の一部が、黒く炭化している場所も紹介。建長6(1254)年、落雷によって正倉に火災が発生、決死で宝物を運び出したことが記録にあり、その記録が確かなものであることが、こうやって痕跡として現代でも見ることが出来ることが出来ると解説がされていました。

 

 

火災のことを取り上げた流れで、現代の防火対策について番組では紹介します。正倉の周囲には消火用の放水銃が複数設置されています。見たところちょっと年代物っぽく、かなり古くから防火には力を入れていたことがうかがえます。

この放水銃の水は高所の貯水池から給水するというシステムで、停電でポンプが使用できなくなることも想定しての万全の対策と解説がされていました。

 

 

番組では実際に放水栓を開いて、放水する映像も流されました。貴重なサービスショットの多い今回のブラタモリの見どころの一つであります。

 

 

さらに実際に消火活動をされる“正倉院特設消防団”のみなさんが登場。自営業をされている一般の人によって結成された消防団。シロウトいじりの天才のタモリさんがここで真骨頂を見せ、番組を盛り上げてくれました。

 

 

正倉院正倉の建物の紹介はここまでで、ロケハンは正倉院寺務所に移動します。ここでは宝物の修理・研究が行われていて、番組はその修理の様子の取材となります。

 

 

修理作業と言うから工場のような雑多な雰囲気を想像していたのですが、番組に映し出された修理の現場は驚くほど広くてきれい。「太陽の光は文化財に悪いのでは」と心配になるような大きな外窓が印象的でした。

 

 

修理作業をされている職員に近づくタモリさんと野口アナ、机の上に広げられたそれはおそらく想像していた宝物とはまったく違っていて、戸惑われたのではと思います。

 

 

それはどう見ても宝物と言うより汚いチリ・クズの何物でも無いゴミ。これらは正倉院に納められた櫃の中にあったもので、その多くは奈良時代の布片や木切れ。もとは形のある布や木製品だったものが経年でボロボロになったものです。

正倉院寺務所ではこのチリ・クズを“塵芥”(じんかい)と呼び、1,300年前の宝物として大切に保存管理しているのです。

 

 

正倉院で修復とはこの塵芥=ゴミ・クズを種類別に分類整理する作業なのです。この分類によって同じ種類の塵芥を集めることで元がどのような宝物だったかが推測します。時には欠損した宝物の欠片が見つかったり、重要な宝物の一部であることが解明するなど、重大な発見につながることもあるそうです。

とにかく塵芥の量は数え切れないほど夥しく、それをピンセットで一片ずつ拾っては分類するという気が遠くなるような作業。番組では「この作業自体はもう100年以上続けていることでございます」と解説され、正倉院宝物の修理・調査とは並外れた根気と努力によって支えられていることが語られます。

 

 

「たとえ、ゴミ・クズであっても、正倉院に伝えられた物は宝物」番組ではそのスピリッツが見ることが出来る、ちょっと風変わりな宝物が紹介されました。

『虹龍』(こうりゅう・中倉)は動物のミイラで、平成20(2008)年 第60回正倉院展でも出陳された立派な宝物。室町将軍・足利義教の時代に“龍の日干”と記録され、この品を倉から出すと雨が降るという伝承がある珍品として知られています。

 

 

この『虹龍』ですが、実は動物のテンのミイラ。それも外から正倉の中に潜り込んだ野生のテンが倉の中で死んでしまい、それがミイラになったと考えられているのです。それが宝物、しかも珍品として珍重される。

ただの野生の小動物が、死んだ場所がたまたま正倉院正倉というだけで、その遺骸が宝物として珍重され未来永劫に保存される。ただの野生動物からゴミ・クズまで、中にあった物は全て宝物として未来へ受け継ぐ。その意思が1,300年ずっと受け継がれて来たのが正倉院なのです。その意思こそが一番の宝物が守られた理由だと、番組は結論づけているのです。

 

ここまで正倉院の建物とちょっと変わった宝物ばかりを番組では取り上げて来ましたが、最後の最後にちゃんとした正倉院が誇る天平の至宝が登場しました。『漆金薄絵盤(香印座)』(うるしきぱくえのばん・南倉)です。

 

 

かつてこのブログの記事でも取り上げた、平成25(2013)年 第65回正倉院展の目玉としてポスターの図案にもなった、極彩色の豪華絢爛な細工の工芸品。迦陵頻伽や花喰鳥などの絵柄は奈良時代の仏教芸術の粋を集めた、正に正倉院を代表する宝物の一つです。

勅封が開けられていないタイミングでのロケで、ほとんどの宝物は倉の中でしたが、たまたまこの名宝が倉から出されていたことで、番組での撮影が叶いました。

 

 

ブラタモリというと紀行バラエティということで、街をぶらぶら歩き回る番組ですが、今回は全ロケ・正倉院寺務所の敷地内だけという、自分としては「全然ブラしてないじゃないか」という内容でした。さしずめ『徹底潜入・正倉院』って感じの番組構成でありましたが、でも普段見ることが出来ない映像のオンパレードで、奈良ファンとしては感慨深く見終えることが出来ました。

 

これまでも何度かこのブログでもお世話になったブラタモリですが、この3月でレギュラー放送が終了となってしまいました。自分としては好きな番組だったので大変に残念、タモリさんには「お世話になりました。ありがとうございます」とお礼を言いたいです。

 

 

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