今年は東大寺の年始行事である修正会(しゅしょうえ)に初めて行ったのをきっかけに、まだ行ったことの無いもうひとつの奈良のお寺の修正会に行くことにしました。斑鳩の法隆寺の修正会です。
修正会(しゅしょうえ)とは年の初めに国家安穏と万民豊楽を祈願する法会で、上代の多くの大寺で大々的に行われてましたが、今では東大寺でも1月7日のみ簡略化した形で行われるにとどまるなど、多くの古寺で廃止や縮小をしています。そんな現代の事情の中で法隆寺は1月8日から14日までの7日間という大きな規模で行われます。
前回1月19日の記事『植村隆久 小品展*北子さん(仮名)との法隆寺デート♥』でも書きましたが、この7日間にわたる行法の結願となる1月14日に、まだ見たことの無かった法隆寺修正会を見学するために法隆寺に行きました。実は見学には事前の申し込みが必要ということで、法隆寺に事前申し込みをし事前準備をしっかりとして、法隆寺から届いたはがきを持参しての参拝でした。
法隆寺の修正会は、奈良時代から始められたとても長い伝統を持つ行事です。お水取りこと東大寺二月堂修二会は奈良時代の天平勝宝4(752)年から一度も途切れることなく続けられてきたという世界有数の伝統ある行事で知られますが、法隆寺の修正会も同じ奈良時代の神護景雲2(768)年に始められ大きな中断も無く続けられおり、お水取りに引けを取らないほどの伝統を持っています。
修正会の法会は7日間、早朝、午前、午後(夕刻)と3回営まれます。早朝は朝6時、午前は午前11時半、そして午後は午後6時からです。このうち午前は拝観時間内となっているため、時間を合わせて行けば誰でも見学をすることが出来ます。小生が事前申し込みをしていたのは午後6時からの午後(夕刻)の法会だったのですが、午後1時に法隆寺に着いていました。
1月7日の東大寺大仏殿での修正会も雨降る日でしたが、この日も夜から雨の予報が出ているどんよりとした曇りの日で、この後夜を待たずに雨粒が落ちて来る生憎の天気となりました。本当に小生の雨男ぶりは健在です。
お昼から法隆寺に行ったのは、この拝観時間中の修正会の法会が見れるのではとの期待からでした。午前11時半に間に合わせれば見ることが出来たのですが、法隆寺が時間を告知されていなかったこともあり、到着した午後1時にはすでに午前中の法会は終わっていたのです。
前回1月19日のブログ記事の中でも触れましたが、金堂では一般拝観の通路である裳階の廻廊と外陣との間にいつもは仕切っている金網が、修正会の期間は取り外されるのです。そのために三本尊や復元壁画が手で触れられるかと思うくらい、間近によく見ることが出来ました。このことはこの日の大発見となりました。法隆寺金堂の拝観は1月7~14日の修正会の期間がぜひお勧めです。
申し込みをしていた午後の法要は午後6時から、法隆寺が指定をされた集合時間は午後4時半となっていたので、それまでの時間をどうしようかと思っていましたが、この時に金堂でご一緒になった北子さん(仮名)と法隆寺を見て廻ったので、修正会までの時間は楽しいものとなりました。ただ、北子さんは午前11時半からの法要を見てみたかったと大変に残念がられていて、小生が夕方から修正会の法会を見ることを伝えると「修正会のことはブログにアップするので、そこで見て下さいね」と話しました。
金網が外されていた他に、境内には本坊から金堂まで、灯籠が列のように並べられているのが、普段の法隆寺とは違っていました。夕刻にはここのろうそくの明かりが灯されるのです。
そうして、北子さんと別れたのは午後3時半ごろ。それから後に少し法隆寺から出て、集合時間に指定された午後4時半に再び法隆寺に帰って来ました。法隆寺の拝観時間は午後4時半までとなっているので、それに合わせての集合時間です。北子さんと境内を歩いていた時より夕闇が近づいていました。南大門を入ると正面が金堂や五重塔が建つ西院伽藍。左手が本坊で、本坊の門の前には警備員らしい方が立っておられました。
門をくぐると庭を通って本坊玄関に。修正会の別称である『吉祥悔過』を案内する張り紙があり、中に入ると受付があったので、そこではがきを出して受付を済ませました。その時にいただいた受付番号は『27』。聞く話によると一回の定員は30名で、小生の27は再末尾の受付番号でした。
玄関で受付を済ませると本坊奥の20畳以上もある大広間に案内されました。畳の上に長机が並べられ、参拝者はそこで修正会について詳しく書かれたB4サイズ一枚の資料をいただき、法隆寺僧から修正会の説明を受けます。この時いただいた説明の内容については、この後に書きます修正会について紹介する中で書きます。
資料の左上は受付番号を書いた札、そして心遣いを感じる使い捨てカイロまでいただいたのです。
さらには「堂内は大変寒いです。これを食べて暖まって行ってください」と、きつね昆布うどんまで出していただきました。案内では午後8時20分終了予定で、それから晩ご飯をどこかで食べないとと思っていたのですが、思わぬご馳走で一食浮いた形になりました。
そして「ここを出るとトイレはございません。事前に済ませて下さい」と何度も注意を受け、小生も本坊内のトイレへ。そうして、午後5時半となり、見学者は本坊前の参道へ案内されました。午後4時半にはまだ本降りにでは無かった雨も、この時間にはかなり強い降りになり、見学者も傘を手放せなくなっていました。
足元を照らす灯籠のろうそくにの火も灯されていて、いよいよ修正会・午後(夕刻)の法会が行われる金堂へ我々は向かいます。
我々は受付番号順に列を作り、ゆっくりと金堂までお練りのように歩きます。中門へ向かう正面参道から、普段は出口となっている東口から西院伽藍内に入り、東回廊を歩いて行きました。お寺の人の先導で歩き、金堂に到着するまでの道順はすべて灯籠が並べられ、まるで自分たちもその儀式に参加しているような厳かさを感じました。
受付番号が再末尾だった小生はこの列の一番後ろで、行列の様子を写真に撮ります。普段は見ることの出来ない夜闇が迫った法隆寺境内を歩いて、金堂へは東口から入堂です。
非常に暗い境内で、しかも先導されて歩きながらの撮影だったので、この時の撮影はISO(ASA)2500という超高感度撮影だったにもかかわらず手ブレ気味となり、オートフォーカスは使えずマニュアルフォーカスも困難を極めました。雨という悪条件もあり、多くの写真はピントがかなりぼけてしまいました。
金堂に到着すると、南側の裳階の廻廊に通されました。須弥壇正面は普段は飛鳥時代の三本尊を見る拝観者の場所なのですが、この時はその廻廊に参拝時間中には置かれていなかった前後二列でパイプ椅子が並べられていました。我々修正会の見学者は、このパイプ椅子に座って約2時間にわたる法要を見学します。
昼間には僅かに連子窓から差し込む陽光と、近年になって設置された白色LED照明でほの明るく照らされている金堂須弥壇ですが、この時は照明も消され揺らめく橙色の燭光のみの光で浮かび上がる飛鳥仏群は幽玄の情景となっていました。
本坊での説明の時にいただいた資料によると、吉祥天と多聞天の二天を本尊として、国家の安穏、万民豊楽、寺門の興隆を祈願し罪過を懺悔する法会とあります。本尊のひとつは多聞天と書かれていましたが、多聞天とは毘沙門天の四天王としての一つになった時の別称で、金堂の像は一般的には毘沙門天と呼ばれ、吉祥天と一対となっています。
奈良時代に修正会が行われていた時代には、大講堂で吉祥天と毘沙門天の図画を立てかけて本尊として行われたと記録されています。それが平安時代に大講堂が焼失したのがきっかけでしょうか、金堂に木造彩色の吉祥天・毘沙門天立像[平安時代・国宝]が造像され安置されると、以後吉祥悔過の異名を持つ修正会は大講堂から金堂で勤行されるようになりました。
金堂中央の釈迦三尊を挟み、向かって左が吉祥天、右が毘沙門天となっています。
裳階の廻廊には何の明かりも無く、見学者は足元の見えない中を手探りでパイプ椅子に座ります。時々小さな懐中電灯で足元を照らす人もいましたが、元が暗かったのでわずかな懐中電灯の光も極端に明るく感じてドキッとしてしまいます。自分の感覚で言えば足元を照らすのなら、懐中電灯よりもスマートフォンのバックライトくらいの明るさがちょうどくらいに思いました。(行法中はもちろんマナーモードにしておきましたが…)
そうして、受付番号再末尾の小生がいすに座ると見学者の準備は完了し、勤行が始まる午後6時を待ちます。
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