植村隆久 小品展 * 北子さん(仮名)との法隆寺デート♥ | タクヤNote

タクヤNote

元mixi『東大寺』『南都七大寺』コミュニティ管理人で、
現在は古都奈良の歴史文化の紹介、
アメーバピグや、配信アプリ『RIALITY』で知り合った人の
アバターの絵を描くなどの自作イラスト紹介をしています。

前のブログ記事で告知しましたが、当ブログの読者でコメントもよくいただいている ちえちゃんさんのご主人である画家・植村隆久 氏の小品展が開催されていると聞き、1月15日にご夫婦で在廊されておられるという話だったのでおじゃまさせていただきました。

 

 

場所 cafe & dining marina(大阪市福島区)

日時 1月15(水) ~ 27日(7:00~18:00(最終日・16:00迄)


1月15日は初日で、お昼くらいに在廊されていると聞きおじゃましました。cafe & dining marina は画廊ではなく喫茶で、作品は営業中の店内の壁の展示となっていました。

 

 

ちえちゃんさんの話では、100号くらいの大作を描かれることもありますが、今回は小品展ということで選んだそうです。油絵もありましたが、キャンソン紙にパステルという簡単な画材で描かれた作品が多かったです。しかし、どの作品も驚異的なデッサン力に圧倒されます。喫茶の小さな展覧会にはもったいないほどの見事な絵ばかりです。

 

 

 

当初の話では植村先生とその奥さんの ちえちゃん さんのお二人で在廊されていると聞いていたのですが、ご主人はおられなくて、ちえちゃん さんがお一人で在廊されていました。喫茶ということで小生はコーヒーを注文して、ちえちゃんさんと二人でしばらくお話をさせていただきました。二人で並んで写真も撮ったのですが、ブログで顔出ししない方がいいと思うので、写真を元に描いたイメージ絵をアップします。

 

 

ちえちゃん さんのお話はすべてご主人のことでした。ご主人の植村隆久氏は同郷である奈良の野沢 寛氏に師事され、1993年 東光展初入選、2006年 日展(日本美術展覧会)初入選、日展会友であり、東光会の審査員をされておられるそうです。

しかし、植村氏は末期の緑内障となり、現在は左目の視野の半分を失われて闘病中ということです。この日に植村氏が来られなかったのも目の状態の悪化が理由だそうで、ちえちゃんさんからは大変な闘病の話をうかがいました。ちえちゃんさんからうかがった大変な苦労話と、小品展に展示された感嘆の声しか出ない素晴らしい作品とが、とてもドラマチックに心に残ったのです。

小生もずいぶん昔に経験をしておりますが、ちえちゃんさんはネットで知り合った相手と実際に会うのは初めてだそうで、非常に不思議な感じがされたと言われてました。小生もちえちゃんさんのブログでしか観たことのなかった植村隆久氏の生の絵を観て、そのリアルの筆致にあらためて同氏の画力の素晴らしさを目の当たりにしました。

 

同氏の展覧会はまた、今後もこのブログで紹介したいと思います。ちえちゃんさんも「皆に画家・植村隆久を知って欲しい」という想いからブログを始められたと言われてましたし、その名を世の人に知ってもらうのは縁のあった小生の務めかもと思っています。

 

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

 

さて、話変わりまして、1月14日に斑鳩の法隆寺へ行きました。東大寺修正会に始めて行った時のことを1月10日のブログ記事に書きましたが、これを機会に先日もう一つ別の大寺の修正会に行きました。それが法隆寺で営まれる修正会です。

7日間にわたって行われる法隆寺 修正会。小生はその結願となる、最終日の1日14日に法隆寺に行きました。(以下、キャプションの無い写真は2020年1月14日 小生撮影)

修正会の行法は午前6時から、午前11時半から、午後6時からの一日3回 西院金堂で行われるのですが、小生が法隆寺に着いたのは午後1時前でした。法隆寺が発表していなかったこともあり、小生も時間も場所も把握していなかったのです。最初東院夢殿の方に最初行ったり、時間も1時間以上も遅くになったりして、金堂に到着したのはちょうど午後1時。二度目の行法を見ることが出来ませんでした。

 

 

それで「残念だった」って気持ちで行法の終わった金堂で内陣の仏像群を眺め、「夜の行法は午後6時からだから、それまでどうしよう」と思い悩んだりしていました。ところがそこから予期しなかった展開となったのです。

 

金堂内陣 画像引用:『法隆寺』(小学館編 法隆寺刊)

 

その時居られた堂守さんが修正会のことをいろいろと参拝者に解説をされておられ、このようなブログをずっと書いている小生もそこそこ法隆寺のことに詳しくなっていたので、だんだんと二人で話するみたいな感じで盛り上がったら、どうもそのやりとりがその時にいた参拝者にとってガイドのようになったようで、聞き入られる方もいたのです。そしてその中の一人で来られていた女性が加わり、金堂の中でちょっと結構盛り上がってしまいました。

その女性というのが北子さん(仮名・命名理由は後述)でありまして、我々の話と、修正会という特別な時期に拝観をしたということでとても感慨深くなられていたようで、何度か「ここから動けないです」と言われてました。

確かに、その日の金堂は特別でした。法隆寺金堂は仏像が安置されている須弥壇を中心に僧侶が行法をする外陣、そしてさらにその外側に裳階(もこし)という廻廊があり、一般参拝者はその裳階の廻廊・南側正面から金堂仏像を拝観します。

 

 

その裳階と金堂の内部との間には、実は普段は金網が張られており、拝観は決して観良いとは言えません。しかし、その金網がその日は無かったのです。これは金網が修正会の七日間だけ外されるためで、この期間に法隆寺に来ると、金堂の仏像群や復元壁画を体を乗り出し覗き込んで観ることが出来、飛鳥時代の三本尊を本当に間近に観れるのです。北子さんはこの特別な時期に来られたことに感激をされ、ちょっと興奮気味なご様子でした。

小生たちはかなり長く金堂で話をし、堂守さんから小生も知らなかった金堂の色んな知識を教えていただきました。しかし、北子さんは他も見なくてはということで、本当に名残惜しそうに金堂を後にされることになりました。その時にただ見るよりも、同じように話しながら見て回った方がいいのではと思い、また、小生も夕方から始まる修正会の結願までどう時間を過ごすかのこともあったので、思い切って「よければご一緒に法隆寺を見て廻りませんか」と提案をすると、北子さんも喜んで快諾。思わぬ法隆寺デートをすることになりました。

 

法隆寺廻りをする北子さんに、そのガイド役を承った小生の法隆寺デート。その模様をこの記事を読まれている人にも北子さん体験を少しでも感じていただこうと、読者を北子さんのつもりで、その時のガイド気分を思い出しながら以下の記事を書いてみます。まず、二人で行ったのは西院金堂のすぐ隣の五重塔。金堂と並び世界最古の木造建造物として世界遺産認定の大きな要素となっている建物です。

 

 

五重塔の初層(最下階層)は拝観時間中は東西南北四方向の扉が開けられられ、中を覗き見ることが出来ます。五重塔の初層には心柱を囲んで土を焼成せずに造像した塑像群が置かれているのです。この時には小生は北子さんに「飛鳥時代の像です」と言ってしまったのですが、帰ってから調べてみると東大寺に伝わる「資材帳」という文書に和同4(711)年に造像されたと記録されているそうです。飛鳥時代ではありませんが、奈良時代最初期と、ほぼ飛鳥時代と言ってもいいほどの古い像であります。

 

画像参照:北面 東面 
西面・南面 『もっと知りたい 法隆寺の仏たち』(金子啓明 著・東京美術 刊)

 

東面から反時計回りで…

 

《東面》維摩詰像土(維摩経に書かれている、維摩居士と文殊菩薩との問答)

《北面》涅槃像土(釈迦が息を引き取る、その場面 多くの羅漢が号泣する表情が印象的)

《西面》分舎利像土(釈迦の葬儀の場面 舎利(釈迦の遺骨)は、弟子たちによって八か国に分配される)

《南面》弥勒仏像土(多くの経典に書かれている、56億7千万年後に出現する未来仏。釈迦が入滅した後の世界を現わしている)

 

本来は釈迦八相と呼ばれる釈迦の生涯の代表的な八つの場面、もしくは出家して仏陀となってからの代表的な四つの場面をジオラマ風に造られるのですが、法隆寺初層の塑像群には、維摩経に基づく場面や弥勒菩薩を主体にした場面など、釈迦以外の仏教教義に基づく場面もあります。

ただ、像についての説明などは無く、また金網越しで見にくいということもあったので、現地では見ても十分に理解し難いのです。しかし、二人での参拝見学では「涅槃の釈迦の足元に阿修羅像がいる」とか、「維摩詰は左が維摩居士で右が文殊菩薩」などと指をさして像の話をしまして、拝観をしながら初層塑像群のことをより楽しく深く知ることとなりました。

そして、回廊を歩いて講堂の方へ。その回廊の所で回廊の柱を前に、「北子さん、この二本の柱の違い解りますか?」とちょっとクイズめいた質問をなげかけてみました。

 

 

写真の左の柱は紡錘形と言って上下が細く、中央部は太く丸みを帯びた形をしているのに対して、右の柱はまっすぐなのです。この違いが何を意味しているのかと言うと、二本の柱が立てられた年代が違うということです。左の柱は飛鳥時代のもので、右の柱は平安時代に立てられたもの。

なぜ年代の違う柱が並んでいるかと言うと、この写真を撮った辺りの回廊は凸の字のように折れ曲がっている場所なのです。このような変則的な形の回廊をしているのは、飛鳥時代の回廊は現在折れ曲がっているあたりで真っ直ぐに伸び、大講堂を外側にして金堂と五重塔を囲っていたからなのです。

 

 

それが平安時代の延長3(925)年の大講堂の失火の時に北側回廊も焼けてしまい、正暦元(990)年に今のような形に造り直されたために、ちょうど折れ曲がった所で年代の違う二本の柱が混在するようになったのです。

見過ごしがちな柱の違いも立ち止まって見ると、千年を超える法隆寺の歴史の跡をうかがい知ることが出来るのです。

 

そして、私たちは回廊を歩いて、平安時代再建の大講堂でにお参りです。本尊は薬師三尊で四隅を守る四天王像と共に、大講堂が再建された平安時代の正暦元年と同じ時に造像された仏像群です。

 

撮影:2014年12月9日

 

大講堂の諸仏も千年を超える歴史を持つとても古い像なのですが、北子さんにとっては白鳳仏の宝庫である法隆寺においては平安仏は新しすぎて今まであまり興味を持てず、これまではちょっとスルー気味にしていたと話されていました。本尊の薬師如来は像高2.4mで小生が「金堂の仏像に比べるとずいぶん大きいでしょう」と言うと、北子さんは「どれくらいの高さでしょうか」と聞かれ、それに対して小生が答えた回答は「おそらく丈六」。

 

大講堂 薬師三尊像 画像参照:法隆寺HP 

 

丈六とは古来の長さの単位で1丈6尺=16尺を指します。唐尺では1尺=およそ30㎝なので、丈六の高さとは4.8mということになりますが、坐像は立像の半分の高さとするので2.4mとなります。北子さんは小生がサラっと「丈六」という言葉を言ったのに驚かれたようで、丈六という言葉は聞いたことはあっても今まで使うことは無くて、仏像が好きな北子さんは丈六という言葉を覚えてちょっと仏像通になったようなご様子でした。

 

西院伽藍を一通り見て廻った小生と北子さんは、回廊南東の出口から回廊の外へ。ちょうどそこには金堂でおしゃべりをした堂守の方がおられて、小生と北子さんは二人で感謝の言葉を交わしました。

 

回廊の外に出ると、西院伽藍の正面入口である中門に回りました。中門は金堂・五重塔に比べると拝観料無しでで見れることもあり注目されない拝観者がほとんどですが、実は金堂・五重塔と同じ飛鳥時代の世界最古の木造建築物。そしてその門に立つ二体の金剛力士像(仁王像)が西院伽藍を守護しています。五重塔の初層塑像群と同じ、資材帳に和同4年に造像されたと記録されている塑像(土を焼成せずに固めて造像)、日本最古の仁王様です。

 

 

撮影:2020年2月5日

 

土を固めて造られた像なので雨風に弱く、奈良時代後期、平安時代、室町時代と何度も受けて、いささかフランケンシュタインのようなつぎはぎ感のある痛々しいお姿をしています。特に向かって左の吽形像は室町時代の修復で首から下、体の大部分が木彫像に造り替えられてしまいました。右の阿形造と比べて色が黒っぽくなっているのは材質の違いからです。

 

西院伽藍をすべて見終えて、次は耐火建築の宝物庫、大宝蔵院です。中に所蔵されているのは法隆寺の宝、日本の宝ばかりです。中庭を囲んで中央に観音菩薩像(百済観音)を本尊とする百済観音堂が、その左右に西宝蔵と東宝蔵が建てられ、それぞれの建物が連結し一回りで観ることが出来ます。

 

撮影:2014年12月9日

 

<

大宝蔵院の入口は向かって右の西宝蔵で、小生と北子さんは受付で共通拝観券を見せて入館します。入口を入るといきなり、大きな金堂壁画が出迎えます。この写真パネルは復元壁画ではなく、京都の美術工房・京都便利堂が戦前に撮影をしたガラス乾板写真からコロタイプ印刷した、火災の被害を受ける前に撮られた写真なのです。

 

法隆寺金堂壁画(第6号 阿弥陀浄土図)京都便利堂・コロタイプ印刷
画像引用:『もっと知りたい 法隆寺の仏たち』(金子啓明 著・東京美術 刊)

 

今までならただの写真パネルということで興味を持たれないところですが、小生が昨年12月11日の記事で書いた奈良国立博物館での『特別陳列 法隆寺金堂壁画 写真ガラス原板』を、北子さんも特別陳列の最終日であった1月13日に鑑賞されたそうです。また金堂で堂守さんから金堂の火災や京都便利堂の写真の話を聞いていて、このコロタイプ印刷された写真の価値を十分に解っておられたので、今までとは違った目で見られていました。

 

そして大宝蔵院の中は『夢違観音』『六観音』『伝橘夫人持念仏 阿弥陀三尊』と、いずれも国宝・重文の白鳳時代の仏像が、お腹いっぱいになるくらいにたくさん安置されていました。聞くと北子さんは仏像の中でも白鳳仏に特にシンパシーを感じられるそうで、大宝蔵院は彼女にとっての夢の世界のようだったのでしょう。

 

夢違観音〈飛鳥時代・国宝〉画像引用:『もっと知りたい 法隆寺の仏たち』(金子啓明 著・東京美術 刊)

 

左・伝 普賢観音像 右・伝 文殊観音〈六観音の内2躰・飛鳥時代・重文〉
画像引用:『もっと知りたい 法隆寺の仏たち』(金子啓明 著・東京美術 刊)

 

伝 橘夫人持念仏 阿弥陀三尊〈飛鳥時代・国宝〉画像引用:『もっと知りたい 法隆寺の仏たち』(金子啓明 著・東京美術 刊)

 

そして、大宝蔵院のハイライト、百済観音堂の本尊、木造観音菩薩、いわゆる百済観音です。ヒノキの一木造りの像は高さが210㎝、少し高さのある須弥壇の上に置かれていることもあり、本当にスラっとした長身さが際立っていました。

百済観音堂で北子さんが百済観音を見上げて出た言葉が「百済観音ってガラスケースに入れられてましたっけ?前に見た時にはガラスケースは無かったような気がしますが」

 

百済観音堂 画像参照:朝日新聞デジタル 

 

北子さんからそう言われて、自分も前に見た時にもガラスケースが無かったように記憶している気がして、この時は「そう言えば前は無かったような」と言いました。しかし帰って調べてみると、平成18(1998)年、今の百済観音堂が落慶した時から既にガラスケースはあったらしいです。

「この像と言い、中宮寺の半跏思惟像と言い、現代アートのような新しさを感じる」と小生が感想を言いますと、北子さんは「広隆寺の弥勒菩薩はそうですね」と、共感するような返事をされたのがちょっと嬉しかったりしました。

 

百済観音像〈飛鳥時代・国宝〉 画像参照:https://momomon.club/news/kudara-kannon/ 

 

西院伽藍、大宝蔵院と見て回り、残す拝観は八角形の夢殿を擁する東院伽藍を残すこととなりました。しかし、最初に書いたように小生はすでに東院伽藍の夢殿をもう拝観し終えていたのです。

北子さんとの法隆寺廻りは楽しかったので、もう一回東院伽藍の拝観券を買おうかとも思いましたが、そこまでしたら返って北子さんを気遣わせるかも知れないとも思い、ここで小生は北子さんにすでに東院伽藍の拝観を終えていることを話し、二人での法隆寺廻りはここまでと告げました。

そうすると北子さんは、残りの時間を小生とお話をしたいと望まれ、また小生が担いでいる重いリュックとカメラバッグを気にされて「座れる場所に行き、少し休憩しましょう」と言われました。普通のデートならここで喫茶店とかに行くところなのでしょうが、そこは法隆寺デートですから行動範囲は法隆寺限定ということに。幸いに大宝蔵院の出口前に無料休憩所があったので、二人でそこに入りました。

 

大宝蔵院前休憩所 撮影:2020年2月5日

 

休憩所に入ると、そこにあった長椅子に小生は座りました。北子さんは休憩所に備え付けられた給茶機へ向かい、「こんなものでごめんなさいね」と言いながら湯呑のお茶を持って来られました。小生たち二人は長椅子の上に置かれたお茶を囲み、最後の時間を奈良のお寺トークで終わらせました。

 

話を聞くと、北子さんは北海道の方で古い仏像が好きで、年に2~3回奈良に来られているという熱烈なファンなのだそうです。法隆寺に来たのは、前日の13日に奈良国立博物館で『特別陳列 法隆寺金堂壁画 写真ガラス原板』を見て思い付きでこられたそうで、修正会の期間であることは知ってはいましたが、金堂の金網が外されることなどは全く知らず、むしろ金堂の拝観が出来ないのではと心配をされていたそうです。それが小生や堂守さんから話がいっぱい聞けて、とてもラッキーだったと話されていました。

小生が東大寺二月堂でお水取りの行法を二月堂で見学したことがあることを話しますと、彼女も一度局で見たことがあったそうで、あまりにも寒すぎて途中で抜け出たことがあったそうです。「北海道にいるのに変でしょ」と言われたのが印象的でした。

 

場所が法隆寺の無料休憩所ではありましたが、奈良のお寺トークで盛り上がること30分、時間は午後3時半になっていました。東院伽藍にも行く北子さんに配慮し、小生はここでお開きにしましょうと告げました。午後1時から約2時間半のとても楽しかった法隆寺デート。でも、連絡先交換どころかお互い名前も聞くことはありませんでした。北子さんという仮名も、彼女が北海道出身というところからこのブログを書くために小生が思い付きで付けたもので、彼女の本当の名前はわかりません。

 

名前は連絡先を聞かなかったのは北子さんが女性だったので気を使ったというのももちろんありますが、小生が現実とネットをはっきりと分けているというのも理由です。小生がブログ記事を書くために奈良に来ている時は現実では無くネットモードに入っているので、現実である本名を名乗らないことが多いのです。

北子さんには名前も連絡先も伝えませんでしたが、「奈良のお寺のことブログに書いています」と言い、北子さんが持っていた法隆寺のリーフレットに「アメーバブログ タクヤNote」とメモ書きをしました、このワードから小生のブログを検索して欲しいとお願いをしました。せっかくの縁をこれからはこのブログを通して繋いで行けたらというのが小生の希望であります。

 

今回の法隆寺デートで、本当に古いお寺に魅せられて奈良を訪れる人を目の当たりにしました。このブログは本来そういう人のために、ネットの向こうにいる大勢の北子さんに奈良のお寺の魅力を直接行かなくても感じていただけるために開設しているというのが、本来のタクヤNoteの意義だったことを改めて認識しました。

先日の記事ではこのブログのアクセス数が下がっていることを悩んでいると書きました。でもアクセス数に関係なくこのブログには意義があると、これからもネットを閲覧するたくさんの北子さんに向けて、魅力ある記事を上げて行かなくては決意を感じました。

 

今回書けなかった法隆寺修正会について、次回に書きます。ご期待ください。

 

アクセスカウンター
コーヒーメーカー通販ホームベーカリー通販デジタルブック