視覚障碍者が白杖を使って道を歩いていて、大変だな、と思うことがある。
でも、その隣で、歩きスマホで全く周りを見ずに歩いている人を見ても、何とも思わない。
むしろ、事故ってしまえばいいのに、と思うくらい。
彼らは将来視覚障害になる前提で、今からトレーニングをしているのだろうか?
視覚障害の人たちが歩きスマホをする彼らを見ることができたら、どう思うのだろう?
視覚障碍者が白杖を使って道を歩いていて、大変だな、と思うことがある。
でも、その隣で、歩きスマホで全く周りを見ずに歩いている人を見ても、何とも思わない。
むしろ、事故ってしまえばいいのに、と思うくらい。
彼らは将来視覚障害になる前提で、今からトレーニングをしているのだろうか?
視覚障害の人たちが歩きスマホをする彼らを見ることができたら、どう思うのだろう?
問題が起きて、解決の会議に参加していて、答えがすぐにわかることがある。
そもそも、スタート地点の考えが間違えている。
だから、ここからやり直さないと問題は解決しない。
でも、社内で、否定しない、という風潮になっていて、これを言うと否定になるから、仕方ないので放置。
みんな一生懸命、的外れな議論をして、中途半端な結論を出して終わり。
否定しない文化は、否定されないだけのことをやってくれないと成り立たないのでは?
まあ、自分に関係ない場合は、これからも放置するけど。
今日の株価上昇で、減少した分の半分を取り戻しました。
明日もこの調子で株価が上がってくれれば。。
投資を勧める人はいるし、私も投資をしているけど、やはりこういうリスクは無視できないよね。
投資を勧める人は、利回りを高く設定して、長期保有でこれだけ差が出る、というけど、確定した利回りじゃないので、そのリスクについて、取ろうと思う人と、避けようとする人がいる。
手持ちの資産がこの数日間で数百万円消滅しました。
多少の変化は気にしないのだけど、ここまで暴落するのは、ちょっと勘弁してほしい。
今は、投資するタイミングなのだろうか?
底にまだ達していないのだろうか?
金利が上がって、利息収入が10倍近く上がりました。
といっても、絶対額が小さすぎて、何のありがたみもないですが。
スポーツするうえで、力は重要だけど、力がなくても勝てるということはある。
さっきテニスをしていて、力強いストロークをボレーでうまく返して勝てて、これぞテニスの醍醐味って思いました。
もちろん、力強いショットで打ち勝つのも気持ちいいけどね。
世の中には、テレパシーがあると信じている人がいるようです。
頭の中で思うだけで相手に伝わり、必要なアウトプットが得られると思っているとしか思えない人をよく見かけます。
言葉や文字で伝えないと絶対伝わらないのに。
こういう人がうまく相手に伝わらずにイライラして、パワハラに及ぶのでしょう。
思った通りの結果が出てこない。
それは相手が悪いからだ。
悪い相手に厳しくして何が悪い。
大体こんな思考でしょう。
こういう人たちは指示を言語化する能力が低いという特徴もある。
言語化できないから、より伝わらない。
でも、言語化できないのであれば、テレパシーも使えないか。
頭の悪い人たちの働き方の一つは、数字さえ出てしまえば、それでよい、と思って数字を出して満足していること。
根拠のない数字はもちろん価値がないし、根拠があってもその考え方が誤っていれば、やはり価値がない。
タバコを吸って代表取り消し、というニュースで、タバコくらいで代表取り消しは厳しい、という意見が出ていますが、タバコを吸わなければよいだけなので、そんなことも守れなかった方が問題、という意見の方がまともでしょう。
話の大きさは違うけど、政治家の不祥事で、これくらいで騒ぐなんて、もっと大事なことがあるだろう、という意見も同様で、これくらいのことなら守れよ、というのがまともな意見。
ちょっとしたことで処罰を受ける状況を厳しいとみるか、ちょっとしたことも守れないことを咎められるか。
後者の立場が普通。
ちょっと考えればわかると思うのだが。