えらっきーの日記

えらっきーの日記

日常の出来事を日記のように書いていきます。

仕事で話をしていて、この人、わかっていないで話しているなって思うことがある。

それっぽいことを言っているだけで、中身がない、根拠がない、具体的な内容がない。

たとえば、指標としてAというものを使っていたとして、

「Aには問題があるから、Aだけで見るのではなく、ほかにも見ておくべきだ」

という話をしていると、それっぽいけど、

Aの問題は何?

ほかって何?

というのが示されていない。
 
たぶん、Aには問題があるのでしょう。
問題のない指標というものはなく、通常は、その指標の利点と欠点を把握して、欠点を知ったうえで利点が大きく上回っているから、その指標を見ている。
 
また、一つの指標だけで見てよいわけでもなく、通常は、複数の指標を組み合わせて考えるもの。
一つの指標で見ている場合、それは、他にある指標に比べて利点が大きく、わかりやすかったり、扱いやすかったりしていることが多い。
ほかにいい指標が見つからない場合もある。
ほかにも見ておくべき、というのであれば、他の指標を提示されるべきで、それをわかっていないから、具体的なことが示されない。
 

 

わかっていない人が聞いたら、それっぽく聞こえるので「この人凄い」と思ってしまうようで、碌にわかっていないのにわかっている人のように思われ、出世してしまうというのが残念。

こういう人の下にいると、わかっている部下は本当に地獄。

話をしても上司は理解できないし、上からの仕事は理解できないから下に丸投げ。

SNSとかネットの記事とかを見ると、時々、知らない表現が出てきて、調べてみると、正しくない表現だということがあります。

似たような音の表現を誤って覚えているのでしょう。

 

国語の試験などで出てくるような表現は、そこで誤りに気づくと思うのだけど、気づけなかったのかしら?

〇×しか興味がない試験の受け方をしていたら、気づく可能性はゼロですが。

 

時々、文科省が調査していますが、表現を正しく覚えていない、言葉の意味を正しく理解していない、というのはコミュニケーションにおいて、マイナスでしかない。

 

と言いながら、自分も100%正しいという自信はないが。

留萌線の廃線のニュースに対するコメントを見ていると、そこに住んでいるのが悪いかのようなことを言っている人を見かけるが、地方は要らないと思っているのかと思ってしまう。

都会の生活を支えているのは地方なのだが、その認識がないように思う。

簡単な例でいうと、もし全員が都市に住んでしまったら、食べ物がなくなってしまう。

地方にある十分な土地を生かして野菜を作ったり家畜を育てたりして、それを都会に運んでくるからこんな狭い土地で多くの人が住む都市が存続できている。

 

地方に住む方が悪い、と地方の利便性を落としていったら、そこに住む人がいなくなり、農家も畜産も漁業もなくなる。

輸入するにも、今の社会情勢や経済環境を見てわかるように、そんな容易なものではなく、もし地方を切り捨てるようなことをすれば、他国に足元を見られ、より一層厳しい状況になる。

 

JRが民営企業だからというのはわかるし、その代替としてのバスも民営だからというのはわかるが、だからそこに住む人が不便な思いをしなければならないというのは違うと思う。

民営でカバーできないところをカバーしていくのが国の役割だと思うが、それが見えないのが悲しい。

金融機関に限らず、何かやったら検証するのが当たり前だと思っていた。

自分で検証したり、他の人(上司だったり、チームメンバーだったり)が検証したり。

重要な仕事なら、入力データから検証するし、結果も複数の検証プロセスを設ける。

 

人が作業をしている以上、エラーはつきもの。

自動化していても、イレギュラーなデータがあったりしてエラーが起きることもある。

 

だから、必ず検証する。

 

でも、全然検証しない人が多い。

 

金融機関の場合は結果が数字のことが多いが、計算しっぱなし。

数字がそれっぽいからOK。

 

それっぽいって、何を根拠に言っている?

 

数字を間違えても人が死ぬわけではないし、よほどおかしな数字じゃない限りバレることもないから、検証しないんでしょうね。

 

金融庁検査を再開して、緊張感を持たせないと、緩い金融機関はどんどん緩くなっていくと思う。

マンガを読んでて地学の話が出てきた。

地学で受験する人は少ないし、地学を教える学校も少ないという話。

 

私は高校は理数科だったので、理科の4科目すべてをやっていたから、地学ももちろんやっていた。

受験は物理と化学だったけど、地学も得意だった。

 

地学を教えられない学校があるとは思わなかった。

たぶん、授業で習う機会があれば、地学で受験という人は増えるのではないかと思う。

会話をしていて、話が通じないことがある。

多くはその会話についての知識が相手に欠けていること。

会話をするには、それなりの知識が必要になる。

お互いに共通の知識があるからその会話が成り立つ。

 

仕事における会話はより一層この傾向が強くなる。

専門知識の上に成り立つ会話は、その専門知識がない人には雑音のようなものになってしまう。

 

逆に、自分がその会話についていけていないときは、自分がその知識が足りていないと自覚しないといけない。

でも、相手が訳の分からないことを言っていると思って、自分の問題と考えない人が多くいる。

 

だから、知識がある人が苦労する。

話が通じない上に、相手は自身の問題を自覚していないわけだから。

将来、これが改善するという可能性はない。

 

ちなみに、会話に限らず、仕事のレポートやネットでのやりとりなどもそう。

仕事のレポートでは、相手が勉強しなかったために伝わらないは、どうしようもない。

仕事のレポートなのだから、当然、専門的な内容であるべきなので、それを勉強していない人向けに作るなんてナンセンス。

 

こんな状態にならないために勉強が必要。

勉強をする目的はいろいろあるのだろうけど、周りの会話についていくのはその目的の一つだと思う。

留萌線が明日廃線ですね。

今日が最終日ということで、YouTubeでニュースを見てました。

 

私の故郷の深川から増毛まで運行していた電車が徐々に短くなり、廃線。

乗ったことはないけど、踏切は実家と駅の間にあって、電車は駅や道路から見ていたので、寂しいです。

深名線も30年くらい前に廃線になったし、深川から出る電車がなくなりました。

函館本線はまだ通っているから、駅がなくなることはないけど、使われないホームがあること自体、寂しい。

 

車社会と言っても、高齢者が多い地域なので、免許返上しているでしょうし、バスがあるといっても、本数は少ない。

不便になれば、人が減る。

人が減れば、さらに不便になる。

という悪循環に陥るのが容易に想像ができる。

 

人がいなければ、その地域の安全はだれが守るのか?

地域保全のためにも、住民は必要で、そのためには利便性の確保は必要。

その絵が、今の政治から見えない。

 

これから深川がどうなるのかも心配。

人口もどんどん減っているし、街を歩いていても人がいないし。

長寿番組が終わりを迎えると、寂しく感じます。

別に毎回見ていたわけではないけど、アッコにおまかせが終わって、最後、寂しくなりました。

 

これまでもいくつかの長寿番組が終わりを迎えていたが、どれもが長寿番組は常に見ないといけない、というプレッシャーを感じさせるものではなく、見たいときに見て楽しめる、というのが多くてよかった。

おそらく多くの人がそう思って見てくれるから長続きしているのでしょう。

今日は昼過ぎに猿江恩賜公園に行ってきました。

こちらも桜がきれいな公園。

近隣の人は知っているけど、そうでないと意外と知られていない穴場なのではないかと思います。

で、桜を見てきたのですが、やはりまだですね。

パッと見たときは、ピンクに見えるのですが、よく見るとまだ花が咲いていない。

次の週末が見ごろかなと思うけど、今週、天気悪いんですよね。

今年は桜を楽しむことができるのでしょうか?

 

木場公園の桜を見てきましたが、まだ見ごろまで時間が必要かな。

 

開花は早かったけど、そこから天気が良くなかったから。

今日は暖かいし天気も良いから、明日になるともっと桜が咲いているかも。

次の土日に見ごろになっていれば一番だけど。