学校教育を科学する

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学校教育を科学するブログです。
独自の受験攻略法、キーワードメソッド公開中!


ここでは難関大学も含めた受験数学を攻略するために私が考案したキーワード法を簡単に紹介します。
全く新しい方法になりますが、これまで一般にされている勉強方法の先にあたる発展的なものです。そのためまずはこれまでの勉強方法がどういうものなのかを知ってもらおうと思います。
これまでにされてきた難関大学に受かるための受験数学の勉強方法は、大きく分けると2種類しかありません。


①天才的な受験生の勉強方法



教科書の内容がしっかりできたら、あとは入試の過去問題を解くだけで難関大学に合格するという勉強方法です(勉強と言えるんでしょうか・・・)。天才的な勘(センス)で1を知れば10を知ってしまうような人です。私のような普通の凡人にはとても真似できない大ジャンプです。
天才的な人ならジャンプして渡ってしまう崖のことを、私はセンスの崖と呼んでいます。この崖こそが受験数学の難しさと言えます。


②一般的な受験生の勉強方法



現在、多くの進学校と進学塾で採用されている勉強方法です。入試問題に出てくるたくさんの解法(問題を解く方法)を暗記して、受験に挑もうというものです。暗記数学とも言われます。面白みに欠けますが天才的なセンスによるジャンプは不要です。解法暗記という橋がかかっているので、やる気さえあれば誰でもセンター試験や中堅私立の所まで到達します。
ただし、難関大学の前にあるセンスの崖までは渡れません。難関大学の問題は複数の解法が組み合わされるため、解法暗記だけでは解けないのです。橋のない崖を渡るには勘(センス)でジャンプするしかありません。天才的な勘がなければ、職人的な勘を身に付けるという手があります。しかし受験数学の職人になるためにはとてもたくさんの修行=勉強が必要です。現実には難関大学の入試科目は多く、数学だけに多くの時間は割けません。やる気のある多くの受験生もセンスの崖を前に涙をのんできました。

これを解決するのが、次の新しい方法です。


③キーワード法による新しい勉強方法



難関大学の前に横たわるセンスの崖を渡るために私が考えたのが、キーワード法です。(当然、難関大学を志望しないなら不要です)
キーワード法は複数の解法で作られた問題から解法の鍵となるキーワードを探し、キーワードに対応する解法を組み合わせて解くという考え方です。キーワード法を使うならばある意味で機械的に解くので一切の勘(センス)は不要で、正しく勉強し続ければ安全かつ確実に難関大学に到達します。やみくもに修行=勉強を続けて、いつ身に付くか分からない職人的な勘(センス)を待つ必要はないのです。


キーワード法の役割を理解してもらえた所で、いよいよキーワード法のやり方を説明します。


たったこれだけです!

ここを読んでくれる人の多くは、まだ解法暗記が終わっていないでしょうからピンと来ない部分はあるでしょうが、なんとなくの流れは分かると思います。このようにキーワード法自体はとても簡単なものです。





これでキーワード法の大ざっぱな説明は終わりです。

もちろんキーワード法を入試本番で使うためには、ここには説明していない多くの勉強が必要です。すべての詳しい説明と資料を下のページで無料配布しています。ぜひ使ってみてください。
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2020年度からセンター試験に替わって実施される新テストに向けての、試行調査(プレテスト)が2018年11月に実施された。

あまりこのことは話題になっていない。専門の数学だけを確認したが、本番前の最終プレテストにしてはかなり完成度の低い問題だらけの内容であると認識した。

大学入試は、学歴社会日本の根幹システムの1つであり、生徒の進路に直接的な影響を与えることを鑑みれば、粗雑な内容が許されるものではない。大学入試センターも課題があることを認めているが、少しでも周知されるべき内容と思い、簡単にまとめることにした。

○難易度が高い

正答率5割を目標にしたにも関わらず、数学ⅠAが34.5%、数学ⅡBが44.9%である。しかし、現場の人間の目から試験を見ると、大体予想通りだ。思考力・判断力・表現力を身に着けさせたいという願望は分かる。しかし、基本的な知識・技能が不足しているから、思考力などを養成する授業など現実にはやれないのだ。問題を作ったエリート方と、現場で苦労している教員、どちらの方が生徒を正確に把握しているのか、その答えはこの正答率が示している。問題なのは、新テストを作っている人たちは生徒の実力が分からずに理想を追いかけているということだ。

 

○問題の意図が分からない(忖度しろってこと?)

全般に問題が分かりづらく、解くのが苦痛であった。文章は推敲されたと思えず読み辛い。話の流れが突拍子もない。数学的なレベルとしても程度が低く、現在のセンター試験の方が高度であると思ってもらって構わない。現実に数学を応用できるようにという意図は分かるが、それを全国の受験生相手の筆記試験でやるのは無理という当たり前のことなのではないか。

この問題を解くのは、思考力・判断力・表現力あるいは知識・技能といったものよりも、問題作成者の意図が何か、空気を読む力すなわち”忖度力”ではないか。つまりこの問題は、官僚試験として良いと思う。しかし、大学入学共通テストの意図とは正反対の恐ろしいものが出来上がっている。

また、解答も不明確な部分が多々あり、一々上げない。大阪大学と京都大学での出題・採点ミスがニュースになったが、それとは比較にならない質と量の出題ミスになるだろう。新テストでは精度を上げるだろうが、そもそもこのような形式で厳密性を保つことが可能なのだろうか?ここでも”忖度しろ”という心の声が聞こえてくるようだ。

 

○現行教育との断絶

2018年度センター試験では、新テストの思想が取り入れられるとうわさになっていた。しかし、蓋を開けると従来通りのセンター試験であった。確かに、今年度受験生はそれで良いだろう。では来年度受験生はどうするのか。可哀想だから従来通りにするのか。では再来年度新テストの受験生は、突然このような酷い(としか私には思えない)試験で進学先を選抜されなければならないのか。センター試験は教科書の内容で構成されており、努力に応じて得点することができた。しかし、新テストはいくら教科書を理解しても容易に点数が上がると思えない。だからと言って何を勉強すれば良いか分からない。教員にそれを指導するのが仕事だと丸投げするのは止めて欲しい。”忖度”できるような人を育成するのことが教育ではない!と言い返したい気分だ。

当該受験生に理想を押し付ける事態は、憲法に謳われる「人権の尊重」「職業選択の自由」を侵害しないと言い切れるのだろうか。

 

 

大学入学共通テスト(新テスト)等について

意見締切 7月25日

 

学校教育における学習指導は、事実上教科書を基本とする。教科書は検定という審査を経て、公に認定される。その審査過程の規則についてなので、非常に重要であると考えて良い。

改正の概要は以下の通り。

(1)次期学習指導要領の実施に対応した教科書の改善方策について
→「何 を学ぶか」という学習内容の見直しにとどまらず,「どのように学ぶか」「何ができる ようになるか」までを見据えて学習指導要領等を改善することを求めるとともに,育成 を目指す資質・能力を①生きて働く「知識・技能」の習得,②未知の状況にも対応でき る「思考力・判断力・表現力等」の育成,③学びを人生や社会に生かそうとする「学び に向かう力・人間性等」の涵養,の三つの柱に整理している。

 

(2)デジタル教科書の導入の検討に関連した教科書の改善方策について

→①紙の教科書とデジタル教科書の学習内容(コンテンツ)は同一であることが必要,
②デジタル教科書については,改めて検定を経る必要はないとすることが適当,
③動画や音声等は,学習効果が期待されるものの,検定を行うことが困難,かつ,必ず
しも適当ではないことから,基本的には検定を経ることを要しない教材として位置付
けることが適当,
と整理されている。


(3)教科書検定手続きの改善方策について

→現在,検定済図書の1年間の訂正件数は,箇所数で約5万件にも上っている39。しか し,これらについては,本来的には教科書発行者の責任において,申請前,供給前に十 分慎重に検討した上で排除しておくべき誤記,誤植,脱字など内容の同一性を失わない ような欠陥の修正も多く,このような単純な誤記等の減少について教科書発行者の自覚 を促すとともに,訂正申請手続の効率化を図る必要がある。

 

公募HP

 

私見

冒頭に述べた通り重要な改正である。

今回ばかりは、この意見公募をできるだけ多くの方に知って欲しいと思う。心ある方は、このHPのリンクをつぶやいていただけるとありがたいし、違う形であっても広く知らせて頂けると幸いである。

教育の根幹に関わることなので、国民全体で前向きな議論が起きて欲しいし、一般の方が学校教育を直接に改善するまたとない絶好の機会であると思う。

意見締切 6月25日
 

教職課程コアカリキュラムは、教育職員免許法及び同施行規則に基づき全国すべての大学の教職課程で共通的に修得すべき資質能力を示すものである。
各大学においては、教職課程コアカリキュラムの定める内容を学生に修得させたうえで、これに加えて、地域や学校現場のニーズに対応した教育内容や、大学の自主性や独自性を発揮した教育内容を修得させることが当然である。したがって、教職課程コアカリキュラムは地域や学校現場のニーズや大学の自主性や独自性が教職課程に反映されることを阻害するものではなく、むしろ、それらを尊重した上で、各大学が責任をもって教員養成に取り組み教師を育成する仕組みを構築することで教職課程全体の質保証を目指すものである。


公募HP
 
私見

コアカリキュラムとは、核coreとなる課程とそれに関連する周辺課程が同心円的に編成されたカリキュラムの全体,ないし中心課程のこと。アメリカのカリキュラム改造運動における経験主義教育理論に基づいた教育課程の統合理論として生まれ、日本にも導入された。

この方法論が徹底されれば良いが、中途半端な形で導入されても評価基準などで余計な混乱を招くだけであろう。単純化した例を挙げると、計算力より考える力をコアとしたとする。しかし、マスコミを旗頭に世論が計算力低下を理由に学校教育批判が始まったらどう対応するのだろうか。文部科学省は極力弁明するだろうが、世間の信頼は薄い。日本政府は世論に迎合する可能性が高い。つまり、一般社会からコアカリキュラムの重要性とその内容に対する理解と協力が必要なはずだ。しかしながら日本文化の特性から言って、このようなコアを他のことに優先させるような西欧的思想は理解を得るのが根本的に難しいだろう。そういった根本的な問題への解決努力がなされているようには見えない。