世間の「知」には、
知っていることを、知っている = 既知なこと、要するに得た経験や知識
知らないことを、知っている = 専門外のことは知らない、知識が足りない、ということを自分は知っていること
そして、
知らないことすら、知らない という3つがあるとのこと。
これは、最近の現代社会において重要な着目点でもあると思っています。
世の中知らないことがたくさん。
情報化社会だから知る機会が多くあるはず…と思いきや、
情報が氾濫しすぎて、必要以上に多すぎて、何が正しいか否かが比較検討しきれない状況である今は、間違っているかもということすら疑問を持つ前に、次の情報が自分の元に舞い込んできてしまう。
結果、検討しているヒマがない。
ヒマがないうちに情報に支配されていくかのように、それが本当のことかのように錯覚してしまう。
錯覚し続けたら疑うことすら忘れちゃって、それがまさに真実かのように自己の基準となって、その基準から振る舞いや考察が始まり、
一体なにがなんだか!分からない。
・・・「ということ」にすら、気づけない。
仕事やスポーツにおいても、同じことが言えますね。
技術や能力向上のためには、まず自分を知らなければならない。
自分の技術や能力、立ち位置を知るためには、自分が何を知ってて何が出来て、何が出来ないかということに気づかなければならない。
すなわち、知らないことを知らない、というがある、そしてそのことについて知ろうとする努力をしなければいけない。
患者様も同じ。
リハビリによってADLが向上してきたとしても、
自分はどの部分が安全に行えて、どの部分ではまだ二次障害リスクがあるか。
そしてどういった可能性があるか。
ADLレベルが低くても、それを自分で知っている方は比較的安全に生活出来ますが、
病棟内での自立度がどれだけ高かったとしても、その辺を掴めない方は、おそらく再転倒や二次的障害でまた入院…という形になるでしょう。
知らないこと は、知らないものだ。と結論付けてしまう前に、
知ろうとすること。
それが可能性を無限大に引き出すということ。
命は続く限り、答えはないんだから。
可能性の答えは、命尽きるその瞬間まで変わり続けるもの。
Masa