9年ぶりの日本!① | ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

主婦にして家事はおざなり、興味あることだけ、猪突猛進の悪妻愚母のドイツ生活

 ご無沙汰しておりました。

 昨日、日本から帰ってきたばかりで、まだ時差ボケでボーとしています。

 2週間の滞在中は、人に会ったり外出したりであっという間に過ぎ、パソコンに向かう時間が少しもありませんでした。

 今も頭がぼんやりしていて、たいして回転が良くありませんが、忘れないうちに、濃密だった日本での印象を書き残しておきたいと思います。

 

 

 5月の中旬、子ども達の学校の休みを利用して2週間、家族5人で久しぶりに日本へ里帰りをしてきた。

 久しぶりも久しぶり、私と長男は9年ぶり、家族全員でとなると、なんと10年ぶりの一時帰国である。

 なぜこんなに間が空いてしまったのかというと、色々理由はあるのだが、一番大きいのは、私のパニック障害が理由である。

 

 私は約10年前、日本語の授業の最中に突然パニックに陥り、それ以来気分が安定しない日が続いた。

 その翌年、くさくさした気分を抱えつつ、思い切って日本へ里帰りしてみたら良くなるかもと思い、小2だった息子を連れ旅立った。ところが飛行機の中で段々気分が悪くなり、我慢に我慢を重ねたあげく、日本に着いた時は疲労困憊。とても日本を味わうどころではなく、2週間の里帰りの内、最初の1週間はほぼ寝たきりだった。

 その記憶がトラウマとなってこびり付いていたため、今回やっと重い腰を上げて再びチャレンジしてみようという気になるまで、実に9年の年月を費やしてしまった。

 

 9年と言えば、私の周りの日本人でもぶっちぎりの長さである。

 周りに言うとたいてい「え~、長いですね!」と驚かれる。

 コロナ禍で帰国をあきらめた人で、2,3年、ご年配のお友達で今年久しぶりに一時帰国という方が6年ぶりというから、私は文句なしの勝者、金メダルである。(?)

 しかし、こんなことで一番になってもちっとも嬉しくないわ!というのが当然本音で、この数年間本当につらかった。

 

 最初の数年は、飛行機はこりごり、日本もこりごりという感じで過ぎていったのだが、また段々と故郷が恋しくなってくる。

 しかし、前回の旅のトラウマは一向に解消されていないし、家族全員で行くとなると莫大なお金がかかる。

 一度思い切って一人でチケットを取ったものの、日が近づくにつれ、不安が高まり不眠に陥り、1週間前にキャンセルしたこともあった。

 コロナでも一度フライトそのものがキャンセルとなり、飛ぶことに自信がなかった私はあまりガッカリしなかった気がする。それにこの時期は私だけでなく、周りのドイツ在住の日本人ほぼみんなが飛べなかったわけだし、それも慰めになっていた。

 

 つらかったのは、コロナ禍が明け、日本帰国が解禁となり、皆が待ちかねたように里帰りしていくのに、自分はそれが出来なかったことである。

 久しぶりの日本、本当によかったよー、日本食、本当においしかった、名所の〇〇を訪れて、友達に再会して、ショッピングを楽しんでさー。

 みんなのSNSでの発信を目にする度、心にチクッと針が刺される感じで、あわててスルー。でも消えてはいかない。行ける人達が羨ましくて仕方がなかった。

 

 さらに傷ついたのが、友人知人からの

 「アクサイさんは今度いつ日本に帰られるんですか」

という何気ない質問。

 向こうは一切悪気があるわけではなく、単なるあいさつ代わりのように聞いてくるのだが、それが重なるとこれまた落ち込んじゃって・・・。

 最初は当り障りのない返事をしていたが、途中からはつらくなって、正直に

 「実はこれこれの事情で、いつ飛べるようになるかわからないの。私にとってその質問はすごくつらいので、聞かないでくれる?行けるようになった日にはすぐにご報告するから」

と打ち明けると、相手もすぐ了解してくれた。が、向こうも忙しいのか、また日を置いて会うと、再びあいさつ代わりに「アクサイさんは今度いつ日本に行かれるのですか」のケースが数名。

 だ~か~ら~!!!向こうに悪気はないものの、つくづく腹が立ったものである。

 
 しかし、家族やいろいろな人たちのサポート、2年前に始めたヨガ、及びヨガの先生との個人セッションを通じて、この1年は目に見えて体調が上向きになった。そしてこの9年間、夢見ることさえできなかった日本行きを現実の計画としてものとして考慮できるまでになってきたのである。 (続く)