午前中で5か国 | ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

主婦にして家事はおざなり、興味あることだけ、猪突猛進の悪妻愚母のドイツ生活

 週が明けて初めの月曜日。子ども達も学校に行き、家はシーンとしている。

 

 何となく手持無沙汰な私。おまけにまたまた連日のどんより曇り空続きで、ややもすると気持ちが沈んでいきそう。

 こういう時はコミュニケーションだ、コミュニケーション。

 まずは日本の母親と電話で話して日本語の給油。それから日本とドイツに住む日本人の友達にもSMSを送り、「お暇だったらおしゃべりしたいな」と言ってみた。

 

 続いて、タイ人のご近所さんアンポーンのお家に足を伸ばす。

 去年タイに遊びに行った友達がお土産にくれたタイのお茶を少し御裾分けした。

  相変わらず体調のすぐれないアンポーンだけど、オンラインで家政婦のコースを受けることにしたとかで、少し目標ができたみたい。いつものように笑顔を絶やさない親切で心の暖かい彼女だった。

 

 

 家に帰って庭に出てみると、お隣の親切な老婦人マダムNが庭仕事をしていらした。

 「アクサイさん、今ちょうどあなたのことを考えていたら、あなたが出てきたのよ。なんていう偶然でしょう」

 親切で話好きだが、決してうるさい感じの人ではない。

 私が新たにハマっているサルサの事や、マダムが若い頃熱中していたツイストやロックンロールの思い出話に花が咲く。背が高く、すらりとしているマダムのことだから、さぞかし優雅に踊ったことだろう。

 こんな風に、親切でしかも適度な距離を保てるお隣さんというのは本当に貴重なものである。

 

 

 その後森を散歩していたら、同じ町に住む中国人のリンちゃんからSMSの返信が来た。

 「実は去年の年末に体を壊して、今は仕事を休んでずっと家で療養しています」

 そうだったのか。知らなかった。

 日本にも10年滞在し、日本語ペラペラのリンちゃんは頑張り屋さんで、ドイツに来てから地元の職業学校に通い、卒業して今は働いているのだが、その仕事先がシフト勤務で、月に何回か徹夜の勤務を何年も続けていた。そのツケが今出てきたのではないか。

 私も昔、ほんの数か月だが老人介護のバイトをしていて、夜勤のシフトに入ったことがあるが、翌日は必ずお腹を壊し、肌にもニキビがたくさんできてしまった。体のリズムに逆境するからなあ。リンちゃんも私と同い年ぐらいだし、無理しないでほしい。

 

 お昼近くなり、家の前のパン屋さんに買い物に行こうとしたところ、フランス人マダムのカミーユとばったり遭遇。

 一緒に歩いていた女性を「私のお友達、フランスから来たの」と紹介してくれた後、茶目っ気を出して、「こちら、アクサイ。彼女ちょっとフランス語ができるの」ととんでもない大ウソを。

 「ノン、ノン、私はフランス語ができません!」となぜかその一文だけはフランス語で暗記している私。興味だけはあるんですけどね。とカミーユに訳してもらおうとしたら、隣のマダムもペラペラドイツ語で話し始めて、なんだドイツに住むフランス人だったんだと大笑い。

 

 と言うわけで、こんな田舎の隅の谷なのに、今日気がついたら午前中だけで、日本も入れてドイツ、中国、タイ、フランスと5か国の人と"国際交流"していた。

 

 私は初めて外国に出た19歳の頃、外国に興味があって、外国人にもあり余るほど好奇心を抱いていながら、外国語が一つもしゃべれず、旅行中は外国人恐怖症のようだったことを思い出した。

 

 それから約30年後、ドイツに住み、一日に何か国もの人と外国語で交流しているなんて。当時の私が見たら目を疑うだろうな。

 あの頃の私にタイムマシンで戻って教えてあげたい。あなたの夢は叶いましたよ。外国語が話せるようになって、いろんな国の人と交流が出来るようになるという夢が。もっとも好奇心はとどまることを知らず、さらに新しい言葉を、さらに多くの国の人と、とふくらんでいるのだけど。