私の日本語の生徒、小児科医のマリ男くんは、ドイツに長く住んでいながらドイツ語を使わない外国人を見ると嫌な気になるという。
「ぼくね、あれ本当に腹が立つんだ。もう何年もドイツに住んでいるのにいっこうにドイツ語で話そうと努力しない人。
この間も病院にインド人の父親が息子を連れてきて、開口一番「イングリッシュ プリーズ」だよ。それももう何年もここに住んでいて子育てもしていてこうだよ。
前のインド人の彼女と別れたのも、それが理由の一つでもあるんだ。彼女はドイツ語が話せるのに、英語でしゃべってばかり。
『もうちょっとドイツ語で話したら』って言ったら『あら、ドイツ人も英語でしゃべればいいじゃない』だよ。
ドイツ語を話さず、自分の国の人とばかり固まっていたらどうやってドイツに溶け込めるっていうんだろう。
仮に僕が日本に住んだとして、頑張って何年か勉強すればさすがに日本語が話せるようになると思うんだ。日本に10年も住んでいて、いまだに英語だけで済ましている外国人ってのは良くないと思うよ」
若いマリ男くんの意見はもっともなことで、彼の熱心さにも頭が下がる。
私も若い頃はそう思っていたかなあ。
例えば、日本に長く住んでいるのに、英語だけで済ませている外国人は日本に対する尊敬が欠けているのではないか、とか。自分が語学学習(だけは)熱心だったから、どこか他の国に3か月以上滞在するなら絶対その国の言葉を習うと想像していた。
しかし、それなりに齢を重ねてわかって来たのは、勿論それが理想ではあるけど、なかなかセオリー通りうまく行かないケースも沢山あるという事。
私の日本の友達でも、頭がよく、英語が堪能だが、ドイツ語には大苦戦で、ついに諦め、英語ですましている人もいる。頑張ってドイツ語で話すとすごく疲れてしまったり、ドキドキして精神衛生に悪いからそれなら無理に話さないとか。
ドイツやドイツ語が好きではないけど、パートナーや子どもとの関係でやむにやまれずドイツに住んでいる人もいる。
語学オタクの私だって長年ドイツに住んでいると、母国語が恋しくなってきて、日本語に触れていないと、"魂の危機"さえ感じてしまったり、毎日イヤというほど日本語に囲まれてみたいなあとこの年になって思ったり。
ある意味、マリ男くんの会ったインド人のお父さんのこともわかる気がする。異国で自分の国のグループとつきあうのはやはりホッとすることもあるだろう。
英語と違ってドイツ語は大人になって習い始める人がほとんどで、30や40になった人が、複雑な文法や3つも性別がある冠詞を前に音を上げたくなるのも理解できる。
あるいは英語が流暢で問題なく用を足せる人は、ドイツ語をわざわざがんばる気にならないのかもしれない。
ドイツ人は英語を話せる人が多いし、自分のドイツ語ではちゃんとした大人の会話ができないから、それだったら別に英語でいいじゃない、みたいな。
地元のシリアの難民の受け入れ施設でも、もう若くない女の人達が1年でそれなりにしゃべれるようになっている一方で、旦那さんたちの方は、さっぱりということもあった。中年男性の沽券というやつかしら、などと私はひそかに推察。
そういうわけで、今の私が思うのは、長く住むのならその国の言葉ができた方が絶対にいいし、現地に溶け込む努力もすべきだが、これも他のことと同様、ケースバイケースかなあ。
外国に住むのはそうでなくてもいろんなストレスがあるし、自分の精神衛生上、出来るだけ快適な環境にすればいいと思う。
それに私の経験として、言葉さえが出来ればドイツ社会に溶け込めるかというとちょっと疑問である。それほど人懐っこいドイツ人はあまり見かけたことがない。
ちなみに若い時は、日本語のクラスに来る人に対しても要求が高く、真面目に熱心に勉強する人だけがいい生徒だと思っていたが、今は何でもいい。
日本人のお姉ちゃんと知り合いたいから、教室での出会いを求めて、アニメオタク、暇だったから、とにかく何でもいい。
悪妻センセイの授業が好きだからというのも大歓迎だが、そんな奇特な人はいるかしらん。ってその前に新しい生徒を獲得しなきゃな、私。