ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

主婦にして家事はおざなり、興味あることだけ、猪突猛進の悪妻愚母のドイツ生活

金曜日の夜はダンスの先生、コロンビア人のパトリシアがホームパーティ―を開き、私も招待されてお家まで行ってきた。

フレンドリーでダンスの大好きな彼女は、ダンス教室のメンバーみんなを誘ってくれた。一人一品料理を持ち寄って、踊ったり食べたりして夏の夜を楽しみましょうという素敵な企画だ。

 

招待された18時半ごろお家に着くと、ダンス教室の顔なじみガビーが一足先に来ていた。紫のシャツに花柄のロングスカートなど履いて、いつもよりくだけた感じ。

私は彼女のこと、悪い人じゃないけど、典型的なドイツ人というか、笑わないし、とっつきにくいし、と、どちらかと言うと苦手意識を抱いていたのだが、他の人がまだ来ないので仕方なく隣に腰を下ろして待つことにした。

何もしゃべらないわけにもいかないので、適当に世間話を始めたのだが、意外と話が弾んで、彼女も3人のお子さんがいること、一番下の子はダウン症で成人しても彼女のサポートが必要で、他の人が見えない彼女の恐れ、悩みは母親の自分しかわからないとなど、深い話も出来、教室で知っていた彼女は本当に表面的なところしか見えてなかったんだなと実感。おまけにちょっとだけ面白い所もあって、二人で笑ってしまったし。

 

続いて明らかに外国人と思われる女性が笑顔で入ってきた。ドイツ語があんまり得意じゃないので、と英語交じりで話し始めたのだが、初対面なのに笑顔を絶やさず優しく明るく、同じヨーロッパ人でもこんなに違うんだとまじまじ顔を見てしまう。笑いながら話す人ってそれだけで衝撃的なんですわ、私にとって。さっそく聞いてみると、コロンビア出身とのこと。なるほどねぇ~。

 

そうこうするうちに、段々と他のゲストも到着したのだが、これがまたすごいインターナショナルな顔ぶれで。

総勢14人の女性+パトリシアの旦那さんとコロンビアから遊びに来ているお父さんなのだが、国籍の内訳を見てみると・・・。

ドイツ、コロンビア、イタリア、フランス、フィンランド、日本、インドネシア、マレーシア、カザフスタン、何と9か国!

お庭に用意されたテーブルには各国の料理が並び、テントには国旗が貼られている。

ガーデンパーティーというくだけた雰囲気のせいか、パトリシアの親しみやすい人柄のせいか、和やかな雰囲気で、そこここで小さな輪ができ、話が弾む。パーティーらしくみんな花柄のワンピースや大きなアクセサリーなどオシャレしているのもレギンス姿しか知らない教室とは違うところ。

 

コロンビア人のお友達アニータにも思いがけず再会できた。そもそもパトリシアと知り合ったのも彼女を通してだった。みんな彼女繋がりなので、最近こちらで知り合うスペイン語圏の人はすべてコロンビア人である。

今日のアニータは、黒いワイドパンツの上にこれ以上は派手にはなりませんというぐらいビビッドなショッキングピンクのブラウスを着て、同じ色の羽根のピアスを垂らしているのだが、このはっきりした色がアニータの褐色の肌に物凄く似合っている。私などがこれを着た日にゃ悪目立ちして完全に服に負けてしまうが、アニータだと色に引き立てられ、さらにパワーアップして見える。さすが。

 

 

私はドイツ人マダムのヴェロニカの隣の席に座っていたのだが、こちらから「そう言えば、7月の初めにマジョルカにバカンスに行っていたのよね。よかった?」と話しかけ、そこから色々話が広がって、彼女が元ルフトハンザのスチュワーデスだったこと、現役時代は何度も東京に行ったことがある、という事を聞き出し、またまた話が弾む。

しみじみ実感したのだが、ドイツではこっちから積極的に行かなくては誰も振り向いてくれないけど、興味を持って話しかけてみるとむこうも色々話してくれて広がっていく。もっとも、この外国人に臆さず外国語で色々話しかけてみる、という境地に至るまでに、勇気の面からも語学力の面から言っても相当長くかかったわけだけど。

 

みんなセレブでもなんでもない庶民で、年のころは40の終わりから60代頃で、体型も肌の色も違うが、人柄がよく、ダンスが好きということは共通している。

 

私は人に興味がありすぎるので、すぐにあなたはどこから来たの、趣味や苦手なことは?なぜドイツに?と矢継ぎ早に知りたく、早く深いところにたどり着きたいと勇み足になってしまう。そして表面的な世間話が続くと、勝手に失望して、ああ、上っ面の関係しかできないとなってしまうのだが、普通はもう少し時間をかけてゆっくりとお互いを知っていくものだとわかった。

 

普通ならこのまま座って飲み食い、おしゃべりに興じて終わってしまうのかもしれないが、なんせコロンビア人が5人もいて音楽と踊りがないわけがなく、食事が一段落すると、さっそくダンスパートになるのだった。(続き)

みんな核心に迫ってきたという手応えでそわそわしている。

「でも、電車に乗り込んだ時は見えていたわけですよね」

「ヤー」

「男は自分がトンネルに入っているという事実を知らなかったんですか」

「そう、知らなかったの」

「男は・・・トンネルの中で視力を失ったんですか」

「おしい!そうではないんだけど、視力を失った、と思ったのよ」

「てことは・・・、トンネルにさしかかる前まで彼がしあわせだったのは…見えていたから」

「そうよー」

先生はニヤニヤしている。

 

ちょっと待って。今までの謎解きプロセスをまとめてみると・・・。

男は電車の旅が始まった時は幸せだったのに、電車がトンネルの中に入った時、何も見えなくて絶望した。そして自殺した。

 

もう一息、もう一息だ。ゼィゼィ、ハァハァ。みんな猫が鼠に飛びかかる前のような顔つきをしている。

 

「じゃあちょっとヒントを上げるわ。彼はね、目の手術を終えて故郷に帰る途中だったの。それで喜んでいたの」

 

「手術は成功したんですか!?」

「ヤー」

「先生!という事は、彼は手術をするまでは盲目だったのですか?」

「ヤー!」

 

ということは・・・。そろそろと私のいつもはあまり回転が速くない頭が動き始める。

「男は物が見えるようになって嬉しかった。ところが電車がトンネルの中を通過し始めた時、再び彼の世界は真っ暗になった。・・・そして彼は絶望した。つまり・・・つまり、彼はトンネルを知らずに自分が再び盲目になったと思い込んだ。それで絶望して死んだ!」

「当りー!!!」

 ワーとクラス中が盛り上がった。ふう、そういう事だったのね!

何十回と質問を重ね、ようやく答えにたどり着いたという安堵でみんなスポーツをした後のようにすっきりした顔をしている。今思い返してみても、これだけゲーム感覚で盛り上がったドイツ語の授業は他にはなかったかも。

 

今回ネットで調べてみたところ、この話には続きがあって、もし男が喫煙者用の車両に乗っていたなら死を図ることはなかっただろう。なぜならシガレットの小さな火が見えただろうから。というご丁寧な一文がついている。なるほど、うまいなあ。

娘も感心し、翌日学校でお友達に披露したという。

 

ネットではこの手のブラックストーリーは20種類ぐらいみつかった。必ず登場人物が死んでいるという所がポイント。息子も上の娘も学校でやったことあるというので、ドイツではポピュラーなのだろう。こういうブラックジョークが小噺のネタになるのがドイツ語っぽいところ。

日本ではあまりないタイプの謎々かもしれないけど、話のきっかけになるかもしれないし、知っていると面白いかも。

 

それにしても、あの頃国際色豊かなクラスメートと謎解きに興じていたのは昨日のことのようなのに、気がついたら自分の娘と同じトピックで盛り上がっているなんて。そりゃ21年も前の話なのだ。自分も齢を取るはずだわこりゃ。

夏至が過ぎたとは言え、ドイツの夏は日が暮れるのが遅い。

午後9時過ぎでもまだ明るく、最近は時々下の娘と散歩に出かける。

散歩の途中で娘が、「ねえねえ、ママ、今週はドイツ語と生物の授業の時、先生がブラックストーリーをしてくれて楽しかったんだよぉ」

と言う。

「ブラックストーリーたぁ、何だね」

とたずねたところ、以下のように説明してくれた。

 

「 一人の男が死体となって地面に倒れていました。側にはひもで縛られたままの箱が置いてありました」

さて、何が起こったのでしょう。という謎々。

 

答えは、男はスカイダイビング中、パラシュートが開かずに地面に落ちて死亡、側には開かなかったパラシュートの装置が入った箱が落ちていましたとさ、というもの。

 

 後ろから答えだけを聞くと、あっそう、であっさり終わりという感じなのだが、このブラックストーリーの面白いところは謎解きのプロセス。こちらは色々な質問をするのだが、出題者はイエスかノーしか答えられない。そしていつも登場人物が死んでいるというのがミソで、こちらはそのミステリーに引き込まれ、一つしかないヒントから謎を解き明かそうと、ついつい躍起になって矢継ぎ早に質問をくり返すのだ。

 

 あ、これ、何かやったことがある・・・。娘の話を聞いているうちに何やら記憶のかなたから呼び覚まされるものがあった。

「ね、タミちゃん、ママもそれやったことがあるよ!20年も前、語学学校でドイツ語を習っていた時、当時の先生が教えてくれた」

思い出して膝を打つ私。もう二昔も前になるが、トルコ人、スペイン人、ウクライナ人、インド人そして日本人と国際色豊かなクラスだった。

 文法の合間に先生が出してきた頭休めの遊びが、今思い出してみるとこのブラックストーリーだった。

 

みんな段々膝を乗り出し、前のめりになって、先を争って質問したのをおぼえている。ブラックストーリーはいくつもあったのだが、ただ一つを除いて皆忘れてしまった。私が覚えているのはこの一つだけ。理由は唯一私が正解を当てたからというのと、思わずニヤリとしてしまうぐらいひねりの利いたブラックジョークだったから。

 

タイトル:トンネルでの死亡

「男は幸せな気持ちで故郷へと帰る電車に座っていました。しかし電車がトンネルを過ぎた後、男は突然死んでいました。さて何が起こったでしょう」

 

さっそくみんな先を争って質問を始める。

「男は事故にあったのですか」

「ナイン(ノー)」

「電車には他の人はいたのですか」

「ナインー」

「男は自分で自分を殺したのですか」

「ヤー(イエス)」

!!!

「てことは、男は最初幸せだったのに、突然絶望して死んだってことですか」

「ヤー」

「トンネルの前は幸せだったのに、トンネルの中で何かひどい出来事があったってこと?」

「まあそうね、ヤー」

 

「最初男はなぜ幸せだったのですか」

「それは言えないわ。ヤーかナインしか言えないのよ」

うーーーー もどかしい

「トンネルの中で暴力があったのですか」

「ナイン」

「男はどうやって自分を殺したのですか」

「それは謎解きとは関係ないの」

ますますわからなくなってくるー

「トンネルの中で何か事故があったのですか」

「ナイン。でもいい質問ねー。そこをもうちょっと掘り下げてみて」

 

先生はたっぷり楽しそう。そりゃあそうだろう。自分一人が答えを知っていて、生徒たちは焦れじれしながら、ああでもない、こうでもないと身をよじっている。

 

「トンネルの中で男は何か見たんですか」

「いいえ、何も見えなかったのよ。いい、な・に・も見えなかったの。それで男は絶望したの」

 

 この一文がみんなの中にカチッと音を立てた気がする。

 さてミステリーの続きやいかに。

 続きは次回。

 一昨日の金曜日は16歳の長男のレアルシューレの卒業式だった。

 

 その前に、そもそも我が不詳の息子は卒業試験の結果が悪く、留年ほぼ決定と前のブログに書いたばかり。あれはどうなったんだとツッコミが入りそうだが、何と奇跡的にパスしていたんです!予想を裏切られてこちらもびっくりしたが、もちろん文句を言う筋合いもなく、おとなしく卒業してくれてホッとした。

 以下は日本とはだいぶ違うドイツの卒業式の模様。

 

 招待状によると式は17時開始となっているが、最初の1時間はキリスト教の礼拝が行われるので、無宗教のうちの家族は18時前に学校に着いた。

 それにしても不思議なのは、この学校は公立なのに、入学式も卒業式もなぜかキリスト教の礼拝が行われるのである。そう言えば、小学校もそうだった。

 校長先生のスピーチにも、神が~、神様のご加護が~と神、神散りばめられ、あのう、ここ一応公立の学校ですよね。無宗教とか他の宗教を信じる人はどうなってんだろうとやや疑問。

 

 続いて、スクールバンドによる歌と演奏。先生を含め数人の極小バンドだ。

 こちらもある意味ドイツらしさ全開。歌はうまいんだけど、ちょっと感情表現が乏しいような。

 アメリカの感傷的なポップスなのだが、イェ~イ、イェ~イという個所も緩急のメリハリがなく、無表情で嬉しいのか悲しいのかよくわからない。こりゃお葬式のソングかなと思った私は失礼極まりない人間だと隣に座っていた娘に怒られる。はい、ひねくれていてすみません。でもなあ。

 

 このスクールバンド、一部、二部と何度も登場するのだが、なぜか歌う歌うたう歌すべてが英語。

 クイーンのwe will rock you やwe are the championをおとなしく熱唱するのだが、なんで全部が全部英語の歌なのだろう。   そりゃドイツ人は英語が上手だし、ドイツ語の固いサウンドはポップソングにはあまり向いていないというのはあるが、全部が全部英語というのもなあ・・・。ドイツの子が母国語の歌を一つも歌わないというのが残念な気がした。

 

 来賓のスピーチが始まり、長いドイツ語を聞いていると、すぐに内容が頭に入らなくなる私。ドイツ語の音の羅列をBGMに目の前の保護者のファッションチェックを始めた。

 おそらく大半がスーツの日本の卒業式と違って、スーツを着ている男性は、ステージに上がる先生数名と、来賓の地元の政治家だけ。保護者達はせいぜいYシャツにパンツやジーパンを合わせている。足元は、とチェックしたところ、ほとんどがスニーカーで革靴を履いている人なんていなかった。

 女性はと言うと、もう少し華やかで、花模様のワンピース姿が多く、足元はシックなサンダでハイヒールの人は数名。こちらもスーツの人は皆無。先生たちもシックな黒や紺のワンピースなどが多く、スーツは一人もいなかった。

 

 卒業生の方は、男の子たちは、スーツ姿の子はあまりなく、Yシャツやポロシャツにパンツ姿というカジュアル路線が多かったが、女の子はさすがに気合が入っている!

 こちらの子はなんせ発育がいいから、身長は成人並み、それでハイヒールを履いているのだから余計にスタイルがよく見える。 肩を出した長いドレス姿で、深く切り込まれた胸元から惜しげもなくデコルテをババーンと見せている。

 今日は彼女たちの晴れ舞台。バッチリ化粧し、みんなハリウッドのプレミア試写会に登場する女優かモデルみたい。上気した顔でみんなキラキラ輝いている。

 しかし、この大人っぽさで、みんな16とか17歳って嘘みたい。日本の基準で言ったらどう見ても24歳ぐらいなんですけど。  ま、これがドイツの子の美しさのピークで、あとは過ぎるだけと言うのもまた早すぎるんですが・・・。

 

 先生や来賓のスピーチの後、待ちに待った食事休憩。

 卒業生の保護者による持ち寄りビュッフェ形式で、ピザやマフィン、野菜やフルーツなどの軽食が並び、皆が空腹を満たす。

 

 最後にやっと卒業証書授与。

 担任の先生から一人ひとり名前を呼ばれ、出ていく。同時に舞台に設置されたスクリーンにはその子の赤ちゃんの時の写真が写しだされ、拍手と共に舞台の中央に出て行って、先生と握手、ないしはしっかり抱き合う。そして成績表とバラの花一本をもらい、舞台に設えた席に着くという具合だ。

 息子の名前が呼ばれた時、思わずひと際大きく一生懸命拍手を送った。

 よく頑張ったね。勉強にはあまり身が入らず、いつもスポーツだけが最高点の成績表。クラスメートも家が離れた子ばかりで友達との行き来もあまりなかった。彼にとってはこの学校での日々はどんなものだったのだろう。男子ばかりのクラスで周りの大きな子に囲まれた小柄な息子を見ると、それでもよくここまで来たね、と少ぅししんみりするのだった。9月からは都会の学校で、是非充実した生活を送ってほしい。

 

 しかし、午後の5時から始まり、終わったのは9時。さすがに長かった。

 帰り道、娘たちが

「私は、シンプルな形のワンピースにする」

「私は、上から下まで真っ黒のスーツ姿よ」

と、将来の卒業式に向け、それぞれが着用する服のプランを語る。

 そう、我が家はあと2回これが続くのだ。まずは2年後、長女の番だな。

 2週間の日本一時帰国からドイツに戻って約1か月が過ぎた。

 最初の1週間は時差ボケが抜けず、2週間目もまだ神経がヒリヒリしていて、やっと最近になってバランスが取れてきたという感じ。

 

 それで落ち着いてくると、行く前とは逆にドイツのいい所も見えてきた。

 この9年間、日本に帰りたくて帰れなくて、ドイツがいたたまれなくなる程イヤだと思う事が増えていた。ドイツのいいところが目に入らず、逆にちょっとした違和感も耐えられなくなる程不満が溜まっていた。

 自分がここに属しているという感覚がどうしても得られず、どこへ行ってもどんな人と会っても常に孤独感を感じていた。

 

 でも帰ってくると、逆にドイツのいい所もスッと頭に入ってきて、また自分が思っていたよりずっとものの見方、考え方など ドイツ人化していたことにも気づいた。これがわかっただけでも日本に行った甲斐があった。行かなきゃわからなかった。

 
 それでドイツのどんなところがいいと思ったかというと・・・。

 

 まず、人が少ない。これは私の住んでいるところが田舎というせいもあるけど、日本はどこへ行っても人が多い!実家は中心からは離れている小さな町なのだが、それでも人が多い。

 フランスに住む知り合いが「なんかさ、日本は人が多いよね。で、ヨーロッパは人が少ないよね」

 

 人が多いと自然とがやがやして騒音も多くなる。帰ってくると、緑の多さに心が洗われる気がした。いつものあぜ道を散歩してホッとする。散歩道には赤いポピーや青い矢車草が咲き、静かで人がいない。この静けさ、この青さ。今の私にはどうしたってこの静寂が必要だ。

 日本の友達が「いやー、アクサイちゃん、そんな文豪ゲーテが散策したような森を散歩できるなんて羨ましいわ」

 ゲーテがうちのド田舎を通ったかどうかは別として、確かに美しい。

散歩中に摘んだ野の花のブーケ。ただでこんな美しいものが出来てしまうなんて得した気分。

 そして私にとって大きいのが、ここに住んでいると、ドイツ人だけでなく、他のヨーロッパ各国から来た人達、アジア、イスラム、南米圏など居ながらにして、世界各国の毛色の違う人と出会えること。それはやはり日本ではなかなか味わえないことで、高校生の頃からどこかでそういう環境に憧れていた気がする。

 私はどうも一つだけの人種グループ、考え方、言語などに囲まれているとソワソワして息苦しくなってしまう。ちょっと外に出れば、スペイン語圏や中国語圏、タイやマレーシアの人に会える今の環境は私に合っているかな。そういう意味でも今いるところが自分にとってはベストなのかなと思う。

 

 それに何よりもここには家族がいる。

 ドイツで居場所がない、と悲しい顔をする度に夫が「ここがキミのホームだよ」とくり返していたけど、日本へ行く前はそれが聞こえてこなかった。それが日本へ行ったことで沁み込んできた。今の日本には私の居場所はない。ここが私のホームなのだ。夫と子ども達がいて22年住んできたここが私のいる場所なのだ。

 将来はまた変わるかもしれないけど、取りあえず今はここなのだろう。

 

 かと言って、ドイツどっぷりではやはり沈滞してしまう。日本人やその他の国の友達と交流を深めつつ、自分の心地よい場所を築いていけたらいいな。そうすれば何とかやっていけるかな。そうあってほしい、と散々居場所探しを続けてもう疲れた私は思う。