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ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

主婦にして家事はおざなり、興味あることだけ、猪突猛進の悪妻愚母のドイツ生活

夜、行きつけのフィットネスジムに行ったところ、受付にアジア人の女の人がいる。

このジムはほぼ高齢ドイツ人専門で、(私でもまだ若い方!)トレーナーも受け付けの人も外国人をほぼ見たことがない。彼女に対する好奇心がムクムク湧き上がってくる私。

 

にこやかな笑顔でロッカーのカギを渡された。アクセントがあるので、ここで育ったアジア人ではないようだけど、何人かしら。

日本人じゃないのは確かだ。中華圏の人に見えるけど、どうも中国人ではないような・・・。

 

例によって気になって仕方がない私は、トレーニングが終わったころを見計らって彼女に話しかけ、少しの間お話しさせてもらった。

どこから来たんですかと聞いたところ、「私、台湾出身よ」

やっぱり!そうじゃないかと思ったのだ。夏休みのスロベニア旅行でも台湾人の団体旅行客の人達に会ったのだが、ファッション、話し方、態度などが大陸の中国人とどうも違う。大声で話す人がいなくて、控えめな感じ。それでいてよく笑い、優しい印象の人が多かった。日本やドイツで出会った台湾人もとてもいい人達で、私はかなり親しみを持っているのだ。

 

「私の勘、当たったわー。何となく中国人には見えないと思ったんですよね」

と言うと彼女に、

「あなたもあまり日本人には見えないわね」

と言われた。

じゃどこの国の人に見えるんですかと聞いたところ、うーんと首をひねって考えあぐねている。だんだん国籍不明のアジア人になってきたのだろうか。(笑)

というのも、最近どこから来たのか聞かれる時に日本という選択肢が入っていないことが増えていて・・・。「あんたは中国、韓国、台湾、フィリピン、タイ、ベトナム、モンゴルのどこ出身かね」と聞かれるのになぜかその中に日本が入っていない。

 

私なりにいろいろ考えて見たところ、いくつか思い当たることがあった。

 

先日、ローテンブルクのレストランから出てきた日本人観光客を見た時、確かに何かが明らかに違うと思った。

まず日本から来た女性は色が白い。その上入念なメイクを施してあか抜けている。対して私は美白はとうの昔に放棄し、肌は茶色い上にほぼノーメイク。おまけに変わった服装というか、民族衣装を取り入れたファッションが好きなので、もはやどこの何人ともわわかりづらい?

 

そしてこれが決定的と自分では思ったのだが、顔つきがどうも違う。

向こうさんは旅行で気持ちが弾んでいるためもあるのだろうが、柔らかく善良そうな顔つきで笑顔がかわいらしい。私だって気持ちは弾んでいるのだが、どこか気が張っている感じが拭えない。よく言えば気合が入っている、悪く言えば猛々しい顔つきになってきた気がする。20数年のドイツ生活で、気の強いドイツ人に負けないように、あるいは理不尽な事を言われたらすぐに抗議できるように日々身構えているためだろうか。

 

私は長く住んだ外国はドイツだけだが、やはり日本に比べると外国は緊張感を強いられるのではないだろうか。

日本という国は基本的に安全で、物事がスムーズに進みアクシデントが少ない。おまけにお店に行っても礼儀正しく扱われ、何か聞いても丁寧に答えてくれる。

それに比べるとここは場所によっては治安が悪く、電車はしょっちゅう遅れ、お店に行けば、フレンドリーな店員さんがいればラッキーと思わなくてはならない。

やはりこのような環境では顔つきも変わっていくのではないだろうか。

 

 

ちなみに昔大陸横断バスで一緒に旅行した友人は、ご両親とも日本人なのだが、背が高くて色が白いせいか、現地の人によく勘違いされていた。あんたはカザフスタンから来たのかね、とか直近のタイ旅行では、カレン人に似ていると言われたり、様々な突拍子もない国籍を振り分けられ、私達を散々笑わせてくれた。

 

国外にとどまらない。彼女は美人なのにOL時代、隣の部署の課長が我慢しきれなくなった様子でやって来て「〇〇くん、キミ、マイケル・ジャクソンに似てるって言われたことないかね」と聞かれて大いに困惑したことがあるとか。爆笑

 

私は何人に見えてもいいけど、年を取るほど内面が顔に出るというから、気をつけなくちゃ。きつい顔立ちもイヤだけど、卑しい顔立ちにだけはならないようにしようと思った。

ワタクシ、一介の悪妻。大好物は悪妻活動すなわち消費活動でありまする。

夏休み前に頼んでおいたラオスのスカート、シンがそろそろ出来ている頃だ。店主兼お針子さんでもあるラオス人Tさんのお店に伺った。

 

ドイツの住宅街に不意に現れるラオスファッションのショーウィンドー。

お店のドアを開けると、店主のラオス人Tさんが出てきた。

本日も相変わらずのスパッツ姿。上から下まで黒これ一色のいで立ちである。もったいない。私はラオスの布文化の大ファンなので、Tさん自身がシンを纏ってお店に立つよう謹んでお勧めさせていただいた。

 

さてテーブルの上には出来上がったシンがたたんでおいてある。

下がスカートになる前の布地。

美しい。布を見た時一目ぼれして、これだ!と目をつけていたが、こうして裏地もつきスカートの形に仕上がると、布の時とはまた違って整った姿を見せる。

赤銅色の生地にびっしりと手で刺しゅうを施された布はヴィンテージ。織物の名産地サムヌア産だという。

この赤、くすみをひとつかみ混ぜたような深みのある色はヨーロッパにはないアジアの赤だ。あかがね色というのか、ネバーエンディングストーリーの表紙を思い出した。

 

おまけにとても軽くて暖かいし、動きやすい。筒型スカートなので大股歩きで自転車にも乗れちゃう。私は日常生活に溶け込む民族衣装というスタイルをこよなく愛しているのだが、このシンはまさにうってつけである。

 

シンプルに黒のタートルネックとブーツでもいいし、Gジャンにも合わせられるし、黒のライダーズジャケットなんかも案外相性が良さそう。

Tさんに、はい、写真撮るわよーと言われ、途端にキュッとお腹を引っ込める私。悪あがき(笑)

 

夏だとチャイナ襟のコットンブラウスにカレン族のシルバーのネックレスを組み合わせてもいいのではないか。欲望は広がる一方。

お店にある麻の白いブラウスを合わせてみると「あら、素敵。ラオス人に見えるわよ」とTさんが喜んでくれた。

 

話を聞いてみると、彼女は首都ビエンチャンにお家を買ったのだが、生活はドイツだし、めったに住むことがないというので、現在は妹さんに貸しているという。

800㎡もあって、大きな庭にはマンゴーやパパイヤの木が植わっているのよ。スイミングプールまであるんだから。あー、なぜ私あそこに住めないのかしら~。と彼女はかなり残念そう。

 

そんな広いなら一部民宿にして観光客に貸し出してみればいいのでは、と言ってみると、2階はお客さんが泊まれるようになっているとのこと。

「え、じゃあ、じゃあ、将来私がラオスに行くことになったら、ちょっとお安く泊めていただけるかしら」さっそく踏み込む図々しい私。

「ええ、いいわよ」と笑顔。やったー。憧れの国ラオス、これにてお宿決定?

 

「ほら、タイとかベトナムだと誰でも知っているじゃない。だけどラオスなんてたいていの人がそれどこ?って感じよ」と彼女はちょっと残念そうに苦笑い。

そういえば、村上春樹の紀行文集のタイトルも『ラオスにいったい何があるというんですか?』だったもんな。

 

あなた、ラオスは本当に楽しいのよ。いつも暖かくて太陽が照っているし、家族や友達と集まってご飯を食べたり、遊んだり踊ったりしていつも笑っていたわ。

ドイツの寒さになかなか慣れないというTさんはちょっとため息をつく。

 

私もぜひ一度訪れてみたい。こんなに美しい布がある国 もうちょっと知られてほしいと思う。

それでは私がこのシンを着ていろんな所に出歩くね、それで誰かがこれをほめてくれたら、ラオスのスカートなんですって宣伝しとくわ、とラオス布文化の一ファンとして限りなくささやかではあるけど、サポートを表明。

一介の悪妻にできるのはこれくらいしかないが、美しいものを纏う幸せに浴すことが出来たのだもの。お返しに何かできないかなと考える今日この頃。

 

追記:今日お店に行ったところ、なんと11月に大きなメッセに招待されたとのこと。3日間お店を出してラオスの布文化をアピールするのだという。素晴らしいチャンスだ。

さらには、先日アポイントメントなしで地元の新聞記者がたずねて来て、お店を取材していったとのこと。しかもその人はお父さんがドイツ人、お母さんは日本人なのだとか!やっぱり日本人はラオスの織物が好きなのね。Tさんにも幸運の風が吹いてきたようだ。

ローテンブルクの名物というのか、街をぐるっと囲む城壁歩きに挑戦。

街には何か所も登り口がある。けっこう急で狭い。

先が見えないほどほとんど一周旧市街を囲っている。

左手には、城壁の保存に寄付をした個人や団体名のプレートがずらり。

地元ドイツは言うに及ばず、アメリカの団体もかなり多い。その次に目につくのがなんと日本人。

個人、団体名の名前入りプレートを沢山見かけ、その度に一々娘に報告する私。自分は1ユーロも寄付していないのに何だか胸を張りたい気分。ちなみに寄付は現在でも受け付けられていて、一口1500ユーロだとか。う~ん・・・。

最後は中世犯罪博物館。またの名を「拷問博物館」というのだとか。中世の処罰や拷問の器具が展示されている。なぜこんなものが人気があるのかと思うが、娘は嬉々としている。

驚いたことに、入場門からしてドイツ語英語の下に日本語が表記されている。館内のほとんどの説明文も独英日文になっており、またもや胸が弾む私。昔から日本人に人気の場所だったのだろうか。過去の栄光にひたるというか、あまり日本人旅行客も見なくなってきた昨今、私の小さなパトリオット根性がむくむくと頭をもたげる。

受付を出た途端さっそく日本語を見つけ、またもや娘に「ほら、あんた見てみ、あそこに魔女、盗賊って日本語で書いてある!」とうるさくアピール。なんだかローテンブルクのほぼ半分が日本発見の旅みたいになってきた。(笑)

 

 

最近のインスタグラムでは、ローテンブルクと言えばここ!といわんばかりのフォトスポットとなっている有名な角。

確かに可愛らしく絵になるけど、ローテンブルクは他にもたっくさん絵になる場所がありましたよ。

どこを切り取っても絵になるし、私の大好きな石畳の路地裏もばっちり。今はもう寒いからだめだけど、夏なら日の落ちた後、ライトアップされた旧市街はそれはそれは趣があるだろうと思わされた。

 

最近のドイツの新築住宅は四角四面で冷たい感じがするのだが、ここはほとんどが昔の姿で残っているためか、歩いていてもホッとする。

 

久しぶりのローテンブルク、訪れる人は様変わりしていたけど、やはり人を惹きつける町だった。絶対また来よう。そしてここに根を張って頑張っている日本人の皆さんにはいつまでもご活躍をお祈りしたい。

と殊勝なことを書いておいて思い出した。最初に来た20数年前は、日本人が多すぎてちょっと興ざめと感じていたわ確か。自分も時代も本当に変わったなあ。色んな意味で哀愁・・・。チュー笑い泣きぼけー

先週金曜日はドイツ統一の日で祝日。気持ちのいい秋晴れで自然と出かけたい気分になる。

そこで行き先に選んだのがローテンブルク。最後に行ったのはもう10年前ぐらいになるだろうか。

子ども達も誘ってみたが、息子と上の娘にはあっさり断られ、かろうじて、下の娘が中世犯罪博物館につられて一緒に行くことに同意。すんでのところでシニア夫婦のお達者クラブ旅行にならずにすんだ。(笑)

 

初めて訪れたのは20数年前。あの頃はアジア人の観光客と言えばほとんどが日本人で、ローテンブルクには日本人のためのお土産屋さんまであったな。

一足踏み入れてみると、街中が中世の面影を残していてまるでメルヘンの世界。石畳の通りに木組み細工の古い家、窓辺には鮮やかな色の花々が美しく飾ってある。こりゃあいかにも日本人が好きそうな雰囲気だと納得。

もちろん私も大好きになり、その後家族や友達と共に何度も足を運んだ。

 

それが今やアジア人と言えば中国人か韓国人。

この日はかなり観光客が多く、英語やスペイン語ロシア語など様々な言語が飛びかっている。

20年も経てば時勢も変わるわなと心の中で寂しくつぶやきながら歩を進める。

しかしさすがに有名観光地とあって、ネットでおすすめされていたレストランでは日本人の姿を何人か見かけて嬉しくなった。

 

中央広場は人がぎっしり。こげなローテンブルクは初めてじゃと人の間を縫うようにくぐり抜け、ブルク公園へ。

扉を開けたらそこは別世界。

広場の喧騒が嘘のように穏やかな緑あふれる世界。

高台にあるので見晴らしが素晴らしい。遠くに見える赤い屋根の家々も昔の趣で、ここだけ時が止まっているかのよう。

日光が溢れ、淡い水色の空にふわふわした白い雲が浮かび、人々がゆったりと歩いている。なんだかこの世のものとも思えない光景。これは現実だろうかとしばし首をひねりたくなる。死んで天国に行ったらこういう光景が待っているのではないかとぼーっと考えてしまった。

 

再び広場に戻って訪れたのは、ローテンブルクに来たらここは外せないケーテ・ウォルファルト。クリスマス用品の専門店。

初めてここに来たのは、外はカンカンと日が照り付ける真夏の8月、それが一歩足を踏み入れると、巨大なクリスマスツリーが輝き、お店全体にクリスマスのデコレーションが飾ってある。一瞬でおとぎの国にさ迷い込んだような不思議な錯覚にワクワクしたのをおぼえている。

今日も各国からのお客さんで大賑わい。その中でケーテの制服を着たかわいい若いアジア人の店員さんを発見。柔らかい物腰から日本人かと目をつけたら果たしてその通り。久しぶりに日本人に会えてうれしく、少しお話させてもらった。

 

別館のお店にも日本人の店員さんがいて、こちらの方も丁寧な接客態度にホッとする。日本人の旅行客が減っているのに店員さんが二人もいるのは経営者の奥様が日本人女性のせいだろうか。

先の店員さんの話によると、ローテンブルクには20人ほど日本人が住んでいるという。

20人って、私の住んでいる町よりよっぽど多いやんか。(というか私の町はゼロ)人口7千人の割に多いのはやっぱりこの町の雰囲気が限りなく日本人を引き付けるのだろう。(続く)

 

新学期が始まって、先週からまたコロンビア人のパトリシアが主催するダンスクラスが始まった。

 

引っ越してから電車で通うようになったのだが、悪名高いドイツ鉄道はいつも通り(?)きっちり遅れ、教室に着いたのはクラスが始まって15分も経ってから。

 

あたふた入っていくと、みんなが振り向いて、わーと何人かが駆け寄ってきてくれた。

フランス人、マレーシア人、中国人、イラン人、そしてコロンビア人のダンス仲間が「アクサイ、久しぶりぃ。よかったわね、来られて。夏休みはどうだった」と次々にハグして声をかけてくれるではないか。

ま、私って人徳があったのかしら。なんかすごく人気者になったみたいと錯覚しそうになったが、よく考えたら、夏休みに入る前に「引越ししたので遠くなって通うのが大変」とさんざんアピールしていたので、みんな私が止めるかもしれないと思っていたのだろう。

 

この女性だけのダンスクラスに通うようになって早3年目。飽きっぽい私には上出来である。それというのも先生のパトリシアをはじめ、参加者の女性たちが気持ちのいい人達で親しみやすい雰囲気があるおかげだ。しかもかなり国際色豊かなクラスで、最初のうちは外国人の参加者がドイツ人を上回るという珍しい構成だった。今回もわかっているだけでも9か国の出身者がいる。

共通語はドイツ語なのだが、やはり何か纏っている雰囲気が違うというか、お互い外国人という立場で通じやすいのか、とにかくホッとできるのだ。

 

ウォーミングアップを挟んで、マンボ、サルサ、フォークダンス、久しぶりのダンスで息が上がりそう。でも汗をかいて楽しい。周りを見るとそれぞれ自分のペースで踊っているが、やはりパトリシアが一番楽しそう。嬉しくてたまらないと言わんばかりに笑みがこぼれている。やっぱりダンスの先生はこうでなくちゃ。

ダンスの先生は笑うのが普通だろうという常識はドイツでは通じず。目が笑っていない先生、口を真一文字に結んだまま踊る先生等々いろんな先生を通過してきただけに、パトリシアを見ていると、自分の心もほぐれて楽しさが伝染していく。本当に彼女に出会えてよかった。このクラスは私のドイツ生活におけるオアシスと言ってもいい。引っ越しして通うのは時間がかかるけど、これからも続けていきたい。

 

だから、ドイツ鉄道さん!頼むから時間通りに来てくださいよ。まったく時刻表通りに来るのは半数で時間通りに来たらラッキー、欧州内でも特筆すべきレベルでラテン系諸国にも負けていると書かれるなんてまったく恥ずかしい話ではないか。