エルフィア人のSS(セキュリティ・サポート:エージェントとコンタクティーの安全を確保する助さん角さんのような警護役)も、武道を心得ています。
さて、お題にあるように、文明レベルでいうカテゴリー2の精神は武道に通じるところがあるのでしょうか?
超高文明に武道なんて必要なの?
武道って、結局暴力でしょ?
みなさんは、どう思われていますか?
さて、まずは武道というものを考えてみましょうか・・・。
まず第一に、武道は肉体と精神を鍛え、自分の身を守るためのものです。
実戦で役に立たないものではどうしようもないですよね。
直接打撃制で有名な、かの極真会館の創始者の故大山倍達(おおやまますたつ)氏の言葉に、「力なき正義は無力なり。正義なき力は暴力なり」というものがあります。
氏が言っているのは、「武道は自分だけで修行し満足するものではなく、社会的な責任を負っている」、というわけです。
しかし、氏のカラテに先制攻撃は基本許されません。
自分と愛する人の人間としての名誉と命を守る場合に限って、正当防衛として許されているのです。
「力は正しく使え」ということなんでしょうが、これはとても難しいですよぉ・・・。
心が成長してないと、あっと言う間に暴力が勝って、カテゴリー1の弱肉強食世界になってしまいます。
香港のカンフー映画や、アニメでもよくあるパターンじゃないでしょうか。
ですから、武道を志す人は、精神的にとっても成長しなければならないわけです。
エルフィア人の言葉に置き換えると、武道ではカテゴリー2以上の精神を要求されるわけです。
カテゴリー2とは弱肉強食の精神から一歩進んだ、相手を思いやる精神です。
確かに、武道の達人は独特の優しさの中に静けさと強さがあって、ある種のオーラが感じられるとよく言われますよね。
「わたしにもあるわよ!」
なぁーーーんて、アンニフィルドが言いそうです。
あは。
もちろん、精神的にもカテゴリー4のエルフィア人SSたちは、滅多なことでは相手に傷を負わせることはありません。
SSたちは、相手を傷つけることなく、相手を戦闘不能にし降参させるわけです。
これには日本の合気道に似たところがあります。
合気道は、基本は相手の力や勢いを利用する受け技です。
打撃や蹴りの攻撃技はありません。
避けれる戦いはまず避けることを最優先します。
エルフィアのSSたちはそういう合気道の精神に通じるところを持っているわけです。
戦わずして勝つ!
これがSSたちの心です。
武道はだれよりも強くなって、だれかれ構わず戦いを挑み、徹底的に叩き潰す。
そういう道場破りの精神とは相反するものなのです。
日本では、どんな武道でも「有段者」、つまり「黒帯」は武器を携帯しているのと同じ扱いをされます。
もし、あらぬケンカで人にケガを負わせて障害ともなれば、即、前科がつくというわけです。
そうなると、当然、本人は道場を破門されますし、所属の道場主も指導力を問われ、社会的責任を負わされます。
ですから、道場の師範は、ただ強いからという理由では絶対に道場生に黒帯を渡しません。
カテゴリー2的、精神的な成長が見られてこその黒帯なのです。
通常はどんなに早くても2年はかかります。
日々稽古しても、精神の成長にそのくらいはかかるというわけですね。
というわけですが、カテゴリー2へのエルフィアの文明支援プログラムの中に武道が加えられていることには注目に値するということなんですね。
武道を代表するカラテの稽古には、組手と言う重要なものがあります。
相手と組になって技を出したり受けたりして、お互いを切磋琢磨し合うものです。
「ハイヤ!」
「シィ!」
ばしっ!
ばしっ!
でも、これを熱くなってエキサイトすると、指導員が厳しく注意します。
もちろん、ケガを未然に防ぐということはありますが、エキサイトする精神が未熟だと指摘されているわけです。
この組手は、相手と技を出し合えることでより実践的な稽古になるわけですが、組手を開始する前と後に指導員は必ずこう言います。
「互いに礼!」
これはどういうことでしょうか・・・?
相手がいるからこそ、こういう組手もできるんですよぉ・・・。
ということは・・・?
はい、そのとおりです!
稽古をつけてくれる相手を互いに敬い、感謝するということです。
この両者の感謝の気持ちこそ、武道がスポーツと決定的に違うところです。
1000本蹴りや1000本突きの稽古を終えた後、指導者はこうもい言います。
「一人でこういう稽古はとてもじゃないですけどできません。みなさんがいるから、1000本蹴れて、1000本突けるんです。みなさんに感謝してください。倒れずやり終えた自分にも感謝してください」
わたしもスポーツは大好きで、テレビでよく観戦もします。
しかし、最近のプロスポーツは、スポンサーやマスコミがつき多大な賞金が懸けられ、勝った方はガッツポーズで勝利を鼓舞し、負けた方はすごすご引き上げていく・・・。
優勝にだけ意味があって、2位も3位もみんな敗者でしかない・・・。
そこに対戦相手同士、心から感謝し合うというシーンはほとんどありません。
あくまで儀礼的なものだけです。
そんなシーン、なにかを連想しませんか?
そう、ローマ時代の剣闘士、グラジエーター、スパルタカスの世界です。
生か死か、勝つか負けるかしかない、カテゴリー1の過酷な世界です。
スポーツはそうじゃないという方もたくさんおられると思います。
わたしもそう期待します。
けれど、選手の態度を見るたびに、違った方向、カテゴリー1に突っ走っているような気もします。
「ほれ、みんなも武道をやってみる?」
アンニフィルドは笑顔で言うでしょう。
武道はカテゴリー2への具体的な教育プログラムになりえるのです。
これからも、それと一線を画して欲しいものです。
※ノリックの『失われし銀河の天使 ~ エルフィア ~』 本編は『小説家になろう』に連載中です!