調書却下と十万結集 ③
調書却下の四日後、学会の歴史に残る会合が開かれた。東京の国立競技場で男子部総会が行われ、全国からじつに十万人が集ったのである(十一月五日)。一週間後には女子部が横浜で八万五〇〇〇人の総会を開いた。
戸田城聖が青年部に遺した指針に、「青年よ、一人立て!二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう。かくして、国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」という一文がある(「青年よ国士たれ」)。この「十万の結集」という気宇壮大な遺言を、池田は青年の目標として掲げた。
法廷闘争の山場となった一九六一年(昭和三十六年)、青年部は九州、中部、関西、北海道、中国、東北と立て続けに総会を開いた。その集大成が国立競技場の総会だったのである。
大阪から参加した一ノ瀬正康。五ヶ月ほど前に信心を始めたばかりだった。十万の青年の波のなか、国立協議場に響きわたった戸田の遺訓の朗読が一ノ瀬の人生を変えた。
”青年は親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えよ。それが人間革命の戦いである”