「これから裁判所にまいります」 ③
御幣島(みてじま)の田中電機前には二十数人が待っていた。池田は「一人一人にお見舞いをと考えましたが、食べ物は食べたらおしまい、物はいつか壊れてしまうので、会館を建ててはどうだろうか」と呼びかけ、歓声が上がった。この日、池田は西淀川の担当幹部に、会館用地を探すよう指示を出している。二年後、関西本部を除き、大阪市内で初めての会館が西淀川に誕生した。
八十八歳の岡久哲士(総区主事)。当時、西淀川の中心者の一人だった。
「池田先生が裁判で、これほど重要な局面を迎えていたことは、まったく知らなかった。そんな素振りは微塵も見せられませんでした」。