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EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
いきなりのアメンバー申請はお断りしています。

 最近いきなりアメンバー申請される方


数名おられました。


 プロフィールにも書いてありますが、


いきなりのアメンバー申請はお断りし


す。


 ブログを通じてお付き合いがある方


のみにさせて頂いていますので、ご了


承ください。


 よろしくお願いします。<m(__)m>

 読者の皆さん、いつもありがとうございます。 <m(__)m>


南房総に2泊して、のんびり温泉につかりながらゆっくりしてき


ました。


一泊目は、安房自然村といって、自然に湧き出している薬師


温泉でした。


 温泉は洞窟の中で源泉かけ流しで、露天風呂もありました。


夕食は新鮮な海の幸はもちろん、山の幸もありました。


私たちが泊まった夜は旬のタケノコ料理が数品出てきました。


 2日目には千倉にあるホテルに泊まりました。


そこでチェックインして驚きました。何とホテルの都合でホテル


一番グレードの高い部屋が用意されていたのです。


 何と二部屋が一つになっていて、キングサイズのベットが3


つもありました。
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部屋には海が見える露天風呂が付いてます。
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部屋からも海がよく見えました。
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7回には展望風呂があって、お風呂に入りながら海が見えて


いつまでも入っていたい気分でした。


夕食にレストランに行くと、二人分のお刺身が船森で出てき


てびっくりしました。


新鮮な海の幸を堪能できて、とてもよかったです。


朝食はバイキングでいろんな物が食べられて良かったです。


最終日は爆弾低気圧の影響を心配していたけど、何とか


雨が降る前に家に着いてよかったです。


また機会があったら旅行に行ってみたいと思いました。

   検事への伝言 ②


 検察は醜態を重ねた。調書を却下された二週間後の論告求刑で、池田に対し禁固10ヶ月という異例の重刑を求め、さらに「本件は氷山の一角だ」と言い放ったのである。裁判長の田中は「氷山の一角」の根拠を問い、公判担当の検事は「根拠はない」「推測にすぎない」と認めた。

 十二月十六日、最終陳述。池田は主権在民の日本で、宗教者の政治参加がなぜこれほど非難されるのか、そして何人もの学会員が拷問に等しい取調べを受けたことについて「弱いものいじめ」は納得できない、と訴えた。さらに「大阪の検事達が学会を憎んでいるとしか思えず、検事の使命を達成していない」「検事に謀略があったことをご賢察下さい」と痛烈に糾弾した。


 閉廷後、公判担当の検事が、池田のそばに寄ってきた。そして”論告求刑で「氷山の一角」と言ったが悪意はなかった、誤解しないでほしい”と釈明してきた。

 池田は、最終陳述で検察を批判したのは「(公判を担当した)あなたに言ったのではない」「(取調べを担当した)鈴木検事に対してだ。断じて許せない」と告げた。そして「民主主義の続くかぎり、選挙をやって、絶対に勝ってみせますから、(鈴木検事に)そう言っておいてもらいたい」と伝言を託した。

 それは、池田にとって何よりも許しがたい「弱いものいじめ」を繰り返す権力に対し、傲(おご)るなかれ!」と戒める諫暁(かんぎょう)の一言だった。


  検事への伝言 ①


 池田にとって、青年時代の総決算である十万結集と法廷闘争は、決して切り離すことのできない、負けられない闘いだった。白木義一郎ら関西の最高幹部に、何度か次のような心境を伝えている。

「(戸田先生の遺言である)十万結集ができなければ、そして裁判の勝利がなければ、世界の広宣流布はない」。

 

 その場にいた一人は「池田先生は『十万結集』と、ご自身の『裁判の勝利』を、学会を動かす二つのジェット気流のように、車の両輪のように考えておられた。ご自身の闘いとして、両方勝って初めて、国境を超えた弘教の広がりを生むことができると定めておられた」と振り返る。


 学会の海外向け広報を担当していた黒柳明(東京、豊島区、総区主事)は「十万結集以降、外国メディアの取材が一気に増えた」と語る。

 四年半の法廷闘争を経て、池田の一念が身を結ぼうとしていた。

  調書却下と十万結集 ④


 「夫はよく酒に飲まれてしまい、気性も荒く、信心を始める前は別居したこともありました」。妻の恭子(福岡、飯塚市、支部副婦人部長)が語る。

「鉄工所の同僚に折伏されてから、夫の人柄は徐々によくなりました。十万結集の前にも大阪の会合で先生に間近で会ったそうです。今から思えば裁判闘争の最中です」。帰ってきた夫は『なんでかわからんでど、涙がボロボロ出た』と言っていました」。

 一ノ瀬は夜間中学に二年間通えず、入会当初、読み書きができなかった。

「恥も外聞も関係なく、誰彼問わず字を習い、御書を読めるようになった。うれしくて何度も読み返した」と語り残している。福岡に引越し、指物大工として働いた。

「夫は字が読めるようになると、目の見えない学会員のために音読してあげるようになりました。亡くなるまで、体のどこを切っても学会、という一生でしたよ」。そう言って恭子は笑った。


 南風原(はえばら)光(沖縄、分県総合長)は石垣島から参加した。往復の旅費だけでも月給五ヶ月分を超える。

「当時、沖縄は日本ではないから、パスポートをとって参加しました。場内の役員に『沖縄からです』と伝えると、池田先生の席の後ろに案内され、びっくりしました」。小林晃(東京・荒川区、区主事)は会長周辺の整理役員だった。

「総会が終わり、場内を一周するためグラウンドに降りられたのですが、その直前、先生は”これで私の青年部の室長としての闘いは終わった”ということを言われた。強烈に印象に残りました」。