EIKOの気まぐれ闘病日記 -89ページ目

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
いきなりのアメンバー申請はお断りしています。

 「これから裁判所へまいります」 ②


 大和田小向かいの田之頭勝巳宅。泥だらけの家屋を片づけていた夫妻と子どもたちは、車のクラクションを聞いて慌てて外に飛び出した。田之頭は「まさか、まだぬかるんでいた大和田には来られないだろうと思っていて・・・・・先生の気迫に圧倒されて返事するのが精一杯でした」と振り返る。池田は「ともかく誰よりも先に立ち上がるんだ」と励ました。


 大和田小を左手に見つつ、佃五丁目で薬局を営む松村文雄宅へ。その場に集った樋口明。家業が酒屋だったが、麻雀にのめり込み、朝帰りで昼まで寝る。仕事は親と妻に任せきり。そうした日々が10年続き、借金もかさんでいった。

「正直、自殺を考えたこともありました。でもその日、初めて先生と間近に出会って、夫は変わりました。きっぱり賭け事をやめ、少しずつ働き始めました。『先生は温かい人だ、心の深い人だ』とよく話していました」(妻の洋子、婦人部副本部長)。


 出会いを機に家業は好転。樋口は副本部長などを歴任し、八五年の人生をまっとうするまで真面目一徹の人生を歩んだ。

 この松村宅で池田は「これから裁判所にまいりますので、これで失礼させていただきます」と挨拶している。

「車の中から身をのり出して、私達年寄りに『信心第一にいつまでも長生きして頑張ってくださいよ』と励ましてくれました」(古谷志づの手記)。

 「これから裁判所にまいります」 ①


 短時間の訪問だったが、「会長がこんなところに来るはずはない」と高をくくっていた信心猛反対の壮年が、池田の姿を目の当たりにしてその場で入会を決心したというエピソードも飛び出した。

 池田は少なくとも区内の五ヶ所を回り、100人を超える学会員に声をかけている。国道四三号、福町交差点の近くに立つ「渚自転車」には十数人の学会員が集まっていた。救援拠点の栗原宅では朗々と題目三唱した後、外で待ち構える30人以上の同志の輪に飛び込んだ。「大変でしたね」「信心根本に立ち上がって」「必ず変毒為薬」してください」。次々に声をかけ、握手を続けた。


 出発する車に中山糸子(大阪・八尾市、地区副婦人部長)が駆け寄った。両手に子どもを引き、背中には娘の多恵をおぶっていた。池田は窓越しに多恵の手を握り、糸子に語りかけた。

「病気だね。大丈夫だよ。しっかりお題目を唱えて頑張るんだよ」。

 多恵は小児マヒだった。車が走り出す直前まで、池田は窓越しに多恵の小さな手を握り続けた。

「6歳までしか生きられない、と言われた娘です。今年、還暦を迎えました。あの時の話をすると、娘ははっきりわかるんですよ」。中山は目頭を濡らし、一瞬の出会いを振り返った。

  出廷の直前にも台風の被災地へ ④


 池田は二十日、二十一日と出廷し、検事への証人尋問に臨んだ。翌二十二


日。台風の被災地から六日経ったが、まだ水は引ききっていなかった。関西


本部を出発した池田は、淀川にかかる伝法大橋を車で渡り、此花区から西淀


川区に入った。午前十一時ごろだった。