「友よ忘るな 微笑(ほほえみ)を」 ①
「1950年(昭和25年)ごろであったと記憶している。横浜・鶴見の会員宅を訪問した折、その家の婦人が一通の手紙を見せてくれた」(『池田大作全集』第一二三九巻)
鶴見は、戦後の創価学会が再出発を果たしていく要の地域だった。当時を知る草創の幹部の一人は「葉山のはずれ漁村のかたすみから逗子、横須賀、そして横浜周辺の町々のすみずみに、池田先生をかこみ数かぎりない集いがありました」と書き残している。
池田が目にした手紙は、その家の十代半ばの息子から届いたものだった。家計を助けるため、他県に出て、住み込みで働いている。一部屋に数人の共同生活で、夜になるとタオルと石けんを持って「風呂に行く」と言っては裏山にのぼり、勤行を続けているという。
「手紙を読み終えると、私は即座にペンをとった」(同)
友よ強く 雄々しく立てよ
僕が信ずる 君が心を
苦しき仕事 深夜の勉強
これも修行ぞ 苦は楽し
君が信念 情熱を
仏は じっとみているぞ
友よ負けるな 希望を高く
僕が信ずる 君が心を
努力 努力 また努力
あの日の誓い 忘れるな
君の意気と 若さとで
断じて進め あくまでも
友よ忘るな 微笑を
僕が信ずる 君が心を
清らかに 夢みつつ
進みゆく 君が心の美しさ
ああ わが友よ強く
君が友よ
「後日、彼が奮起してくれたことを知り、本当に嬉しかった」(同)という池田自身、このころ一人暮らしを始めたばかりだった。働きながら学ぶ最も苦しい日々だった。やがて夜学も断念せぜるを得なくなっていく。日記には「学びたい」という心の叫びが滲んでいる。