「宝」を育てる手紙 ④
「あの歌と定時制の時代があったからこそ今の自分があります」。都立荒川商業高校の定時制に通っていた大曽根富子(荒川区、婦人部本部長)は、記念撮影会の場にいた一人である。日本橋の貴金属会社で働いていた。
「それまでは暗誦するものだった『友よ強く』に、メロディーがついたことがうれしかった。あの詩は夜学で苦労した人にしかつくれないものだと感じます」。
大曽根の地区には四人の定時制高校生がいた。
「地区部長さんは『君たちが学会の宝なんだよ』といつも励ましてくれました。四人全員、卒業できました。
「勉強したくて夜学の中央商科短大を選んだ」という竹内繁(埼玉・久喜市、副本部長)。結核で休学し、五年かけて卒業した。当時は荒川に住んでおり、この記念撮影にも参加した。
「『友よ強く』の詩はいつもカバンに入れていて、知らないうちに覚えていました」と語る。
「昭和四十五年に吹き荒れた言論問題の嵐の前後、先生は体調を崩され大変な時期もあったと聞いています。まさに命を削るような思いで、数えきれない同志に会い続けてくださったのだと思います」
多くの友の胸に迫った「友よ強く」。その原詩は、二十二歳の池田が訪れた一軒の家庭指導の場で生まれた。