EIKOの気まぐれ闘病日記 -184ページ目

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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 1988年(昭和63年)4月。花の都・パリ。フォーシーズンホテル・ジョルジュサンクは熱気に包まれていた。美術関係者が集うレセプション、イブニングドレスで着飾ったパリジェンヌも詰めかけ、立錐の余地もない。

 華やかな美術界も、根本は信用が物を言う。ルーブル、ベルサイユ、ポールゲッティ・・・・・。世界に名だたる美術館は、それにふさわしい重厚な社会的信用を勝ち得ている。

 東京富士美術館は、まだまだ無名の存在である。

 ところが、このレセプション会場で、フランス美術界の大立て者が、目をむいた。

 東京富士美術館の創立者は宗教団体のリーダーだという。その人物は、大学から幼稚園までの教育機関をはじめ、音楽団体、はたまた政党まで創立している。極東の島国の人間にしては異例のスケールではないか。

 さらに東京富士美術館の関係者から話を聞いて顔色を変えた、

「えっ!あのバロワン会長と親しい人物なのですか。そんな日本人がいたとは・・・・・」


 ミシェル・バロワンが、小説『人間革命』を手にしたのは、1970年代の後半だった。

 人間の内面の変革が社会を変え、一国を変え、やがて人類の運命をも転換してゆく。壮大なテーマに魅かれて興味深く読んだ。著者に一目会いたい。折からフランス訪問中の池田会長をパリ会館まで訪ねもしたが、すれ違いに終わった。

 その後も密かに出会いの機会を求めていた。それだけに、東京富士美術館の担当者が訪ねてきた時は、驚いた。あの池田会長が創立者というではないか。


 直接の面識も、交流もない。それでいて会長との邂逅の時を人知れず待っている人。そしてまた「ぜひ池田会長を、この人と会わせたい。会わせてみたい」と念願している人。

 池田会長の欧州での足跡を辿ると、そんな人物の多いことに気づかされる。

パリ。大手保険会社の会長室で折衝が始まった。
ミシェル・バロワンは、いすに深く腰掛け、たばこをくゆらせている。テーブルをはさみ、前かがみに身を乗り出したのは、東京富士美術館の渉外担当者である。
1987年(昭和62年)10月に同美術館で「フランス革命とロマン主義展」が開幕する。開催の意義、目的、趣旨を説きはじめた。フランス本国公認行事のお墨付きが取れるかどうか。展示会の"格付け"が決まる。

バロワンは、フランスの国家的プロジェクトである「革命200周年委員会」の会長。フランスの政財界に強大な影響力をもつ男である。後に日本の人気劇画「ゴルゴ13」にも、劇中の主要人物として登場したほどである。 実力者バロワンには日々、同様の案件が大量に寄せられる。甘く裁可したら、フランス共和国の格が下がる。

渉外担当者にとって、事情は百も承知である。手強い相手だ。しかし美術館の創立者の名前を告げた瞬間である。はっとバロワンの表情が動いた。
「ウィ(分かった)」
たばこを灰皿でねじ消し、別室に消えた。小さな金属音が聞こえる。旧式のタイプライターで書類を作成しているようだ。「これでいいでしょう」
バロワンの手から、署名入りの2枚のレターヘッドを受け取った。

急転直下。担当者は半信半疑である。公認証書であることは間違いない。バロワンの直筆サインが入っている。しかし、どれほどの価値を有するものなのか。慌てて知人の在仏外交官に"鑑定"してもらった。

外交官は、まずヘッダーの「レピュブリキ・フランセーズ(フランス共和国)」の文字を見た。おもむろに天井のライトに紙を透かす。
けげんそうに目を向けてきた。
「あなたは、どうやってこれを手に入れたんですか?」
気色ばんだ表情にも見える。
「ご覧なさい、これを」
ライトにかざすと、女性の肖像が透かして見える。まぎれもない。フランス共和国の正式な国家用箋。
「わかりますか。私たち外交官が、これを得るためにどれほど苦労しているか」
東京富士美術館での展示会に「フランス革命・人権宣言200年記念公式行事第1号」とタイトルがついた。

 「いや、これは・・・・」「なんと美しい」「まったく、まったく」

 眼下にライン河が流れている、日本からの視察団が、ドイツきっての美観に見ほれていた。文化財保護の在り方を学ぶ視察団である。ドイツ古城協会の本部へ向かった。

「ほほう、本部も本物の古城ですか」

 丘に建つマルクスブルグ城、見上げるばかりの巨大な尖塔と見張り台が聳えている。ライン河畔で往時のまま現存する唯一の古城。今にも中世の騎士団の鬨の声が聞こえてきそうではないか。

 すらりとした長身の紳士が現れた。

 同協会の会長。公爵アレクサンダー・フュルスト・ツゥ・ザイン・ヴィトゲンシュタイン・ザイン。

 舌をかみそうな発音だなあ。そう思っていると、公爵の口から思いがけない人物の名前が出た。

「日本の池田大作SGI会長のおかげです」

おや?池田大作さん、とは・・・・・。

「ライン河のほとり、ゲーテやユゴーの愛した地に古い館がありました。それらを創建当時のままに復元・改修し、市民に開放してくれたのです」

 公爵ヴィトゲンシュタインは、柔和な笑みを浮かべた。

「池田会長の尽力に心から感謝したい」

 これは驚いた。ドイツまで文化財保護を勉強に来て「その模範が創価学会だ」と聞かされるとは。


 公爵が紹介した館は、ドイツSGIの拠点でもあるヴィラ・ザクセン総合文化センター。

 のみならず、SGIを信頼する理由がある。イギリスでは、かつての貴族の迎賓館をタプロー・コート総合文化センターとしてよみがえらせている。

 パリ郊外。シャルトレットのフランス総合文化センターには、国王アンリ四世が滞在した城がある。

 オーストリア文化センターも、ハプスブルグ家の王妃エリザベートゆかりの館である。「歴史に生命を宿してくれた」(ヴィトゲンシュタイン公爵)という評価も、うなずける。

 日本だけじゃない。学会は、ここまで活動を広げているのか。視察団には衝撃だった。



本日、民主音楽協会を創立の連載が終了しました。

皆さん、最後まで読んでくださりありがとうございました。
m(_ _)m


次回からは、出会いのヨーロッパを連載しますので、どうぞ宜しくお願いします。m(_ _)m

 原田は2005年(平成17年)、日本歌手協会の理事長に就任した。池田会長が作詞した「母」を歌うたびに感じる。

「表現者である自分が表現しきれないほどの詩心がある」

 この「母」に深い思いを寄せる一人が、前述の西郷輝彦である。

「いやあ僕は弱いですね。この歌に。もう、たまらないんです。正直、歌う自信がありません。僕の母が亡くなってからというもの、グッときちゃって・・・・・・。母は大きかった。本当に偉大でした」

 歌手を目指して鹿児島を飛び出した。「やめなさい。馬鹿なことを言うんじゃない」。大反対しながらも見守ってくれた。

 家族を守ることに必死だった面影が、ピアノで「母」を弾き語るたびによみがえる。

 池田会長と直接の面識はない。

 だが私信を送り、邂逅の日を待ち望んで久しいと語る。

 言葉は熱を帯びた。

「民音の貢献は、もう地球規模ですよね。そこまで成功した背景には、世界の文化を大事にする心が、民音を支える方々のなかにある。それはまた、池田先生の心だと思います」





                               「 民主音楽協会を創立」連載終了