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EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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  「格子なき牢獄」 ④


 池田に「形式上」のの罪をかぶせ、お詫びに来させて済ませるか。それとも池田を逮捕するか。どちらにするかは、お前の供述次第だ──Nにとって「レールも敷かれ、汽車が止まり、私が乗っかるだけ」の状態を、検察は用意していた。

 悩み抜いたNは「(池田に)お侘びに来てもらうと、それだけで本当に済むんですね、決して引張ったりしないんですね」(第44回公判調書)と検事に念を押した。その検事は「俺が責任を持つ」(第45回公判調書)と言いきった。Nは結局、調書のでっち上げに協力させられた。

 検察の思惑どおりに事は進んだ。これらの調書の完成により、検察は池田の逮捕に向けて、本格的に動き出したのである。


 もう一つ、触れておかねばならないことがある。Nが釈放された日付は、7月3日だった。7月3日──北海道から羽田を経由して、池田が大阪府警に出頭した日である。

 池田に罪を被せるために、でっち上げの調書をとられたNと、これから取調べに臨む池田は、この日、入れ違いになった。つまり自由の身になったNが、池田に直接「証書のでっち上げ」を伝えることは不可能だった。

 検察は周到だった。釈放されたNは、事件の実像が大きく歪められたこと、その要がまさに自分だったことを知り、言葉にならない衝撃を受けた。自分を騙した検事に会いに行き、「約束が違うじゃありませんか・・・・わたしをもう一回拘置所に入れて今度は本当の調書を取ってもらいたい」(第44回公判調書)と懇願した。


 さらに「(拘置所を出た後のほうが)拘置所に入っている時よりも精神的には苦痛だ・・・・・まるで格子なき牢獄とはこういうことじゃないですか」(同)と必死に訴えた。

 しかし、その検事は「もう今となってはしょうがない」 「上司の命令でどうしようもなかったんだ」(同)とはぐらかすばかりだった。


 すべては後の祭りだった。この事件の被疑者の一人が、のちに池田の自宅に謝罪に訪れたことがある。応対した妻の香峰子に、彼は泣いて詫びた。香峰子の一言に、肺腑をえぐられたという。

「主人のことはともかく、戸田先生にご心配をおかけしたことは、本当に申し訳なく思っております」。


 長年にわたり関西婦人部長を努めた白木文は、「(事件は)耳を疑いましたが、事実でした・・・・・一人の功名心が、大勢の人を、そして池田先生にまで御迷惑をかける事になったのです。遂に7月3日、池田先生は、囚われの身となられました」と書き残している。

 



  「格子なき牢獄」 ③


 一緒に捕まった者の中には、母親が脳溢血で倒れていた者や、妻が妊娠中の者もいた。”あの母親がそのまま死んだら、お前はその家の者に恨まれるぞ””あいつは会社の資金繰りに困るだろうな。あいつの会社にもガサ入れしてやろうか”──検事の追及は容赦なかった。


 その一方で、決して池田を逮捕することはないと説得し続けた。

「(池田に)検察庁へきて貰ってお詫びをして貰って、それで終わりだから」(第45回公判調書)。

 またこれまで「戸別訪問の関係で一応(池田の逮捕は)やめておいた」(同)が、お前が認めなければ、やはり池田を逮捕する、とも脅した。


 さらに巧妙な言い回しも駆使した。この時すでに、理事長の小泉隆に責任をなすりつける調書が出来上がっていた。そのうえで検察は”このままだと、小泉理事長に責任比重がかかりすぎるから、バランスをとるために、池田からも指示されたと認めろ”と迫ったのだ。Nにとって小泉は、信心を教えてくれた先輩でもあった。


 いつもありがとうございます m(__)m


 数日前の読○新聞に恐ろしい記事が載っていましたドクロ


それは、ベンゾジアゼビン系(ベンゾ系)薬剤を長期間


服用し続けると、薬物依存に陥りやすいというものでした。


 ちなみに私はうつ病を発症してから14年経ち、数年


からは双極性障害(躁鬱病)と診断されています。


 ゼンゾジアゼビン系薬剤の名前を見てみると、以前


服用していたソラナックスや、デパス、眠剤のレキソタ


の名前があり、現在服用している薬の中でも、レキ


ソタンがあり、同じ系列の薬であるマイスリーが載っ


ていてとてもショックでしたガーンレキソタンに関しては、


最初は1日3錠服用していましたが、今は2錠服用し


ています。1錠に減らせないかと思い、やってみたら


パニック症状が出たので今は怖くて減らすことができ


ませんしょぼんベンゾ系薬剤の長期服用の副作用は、抑う


つ、注意力低下の他薬物依存に陥るケースが多いと


の事。そう言えば、最近の私は何度か買い物に出か


けて荷物を置き忘れることが多くなりました。注意力


見事に低下しています。


 現在の精神科や心療内科では、ほとんどが一つ症


状を言えば薬が1種類増えるのが現状です。服薬に


頼らない治療法が確立されることを望んでいます。



  「格子なき牢獄」 ②


 池田は出獄直後の日記に「(自分が)無実なることは、明瞭なり。下部の責任をとることも、已むを得ぬことだ。ただ、(東京の)K支部の、N君らの買収や、支部長らの無責任な態度には、怒りをおぼえる。先生の精神も、崇高なる学会の伝統も、忘れて。悔し」(『池田大作全集』第三十七巻)と記している。


 当然ながら、取調べの中で、池田の無実が明らかになり、この事件と池田は関係ないという調書もつくられた。やむなく検察は、さらにでっち上げた個別訪問の容疑で、池田を起訴していくのである。


 事件は、戸田や池田の指導性から見れば、まったく”ありえないもの”だった。ところが、その”ありえないもの”によって、池田が拘置所という密室に追い込まれた事実。池田が日記に記した「怒りをおぼえる」の一言。そこから検察の取調べの理不尽さが浮び上がってくる。なぜ「虚偽の調書」がつくられたのか──。


 事件を起こしたNは、ある地区の地区部長だった。検察の取調べを受け「虚偽の調書」を認めたのは6月下旬──池田が逮捕される直前である。

 6月21日の夜。Nは検事から”池田に指示されたと認めろ、ほんの形式上のことだから”と迫られた。Nは否定した。池田とは一度しか会ったことがなかった。それも大阪駅で偶然出会い、挨拶しただけである。しかし、その一度の挨拶という「点」を使って、検査はNを何重にも締め上げた。


自白させてから証拠を集める時代逆行の捜査


  「格子なき牢獄」 ①


 「大阪事件」で池田は何と戦ったのか。四年半に及ぶ裁判で、検察が「偏見予断に基づき池田を逮捕し自白をなさし、それから証拠を集めんとする時代逆行の捜査をなした」(第八二回公判、弁諭要旨)実態が、次々に明らかにされていった。

 その手法を解きほぐすと、「大阪事件」の本質が見えてくる。そもそも「逮捕に至る経緯」自体が、「ウソの自白」で固められたものだった。

 池田の勾留を認める書類には、二種類の容疑が記されていた。一つは「買収」の指示。もう一つが「戸別訪問」の指示である。

 それぞれ指示者たちは密室で脅され、怒鳴られ、検事の作文どおりに認めさせられた。


 特に池田の逮捕に直結したのは、参院補選の投票日直前に起きた事件である。タバコや百円札に候補者の名前が書かれていた──それが池田の指示だったという、まったく根も葉もない「虚偽の調書」がつくられたのだった。