中江兆民「一年有半」抜粋4~第3(続) | ejiratsu-blog

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人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

(つづき)

 

 

○理化の応用

・科学を普通にすること、これ人々の皆認めて必要とする所なり。ただ各種材学の中、わが邦においていまだ容易に世に售(う)られざる者あり、即ち理化の二学の如きこれなり。けだし土木の如き、鉱山の如き、若(もし)くは医の如き、その大学を出(いず)るや直ちに售られて、官または会社または個人に聘(へい)せらる。理化の二科の如きはかくの如く直ちに售らるること能(あた)わず、これ他なし、事業家及び資本家の数絶対に寡(すくな)くして、理化の二科において需用いまだ蕃(しげ)からざるが故なり。この故に理学士たる者、往々玩具商のために傭(やと)われて、意匠を玩具に用いて、乃(すなわ)ち神仏の縁日奇利を博(はく)するの用を為(な)して、わずかに口を糊(のり)する者ありという、これ教育家また知らざるべからざる一事なり。而(しか)して資本主と学士連中との紐結(ちゅうけつ)を蕃くすること、尤(もっと)も肝要たり。

 

《科学を普及すること、これは、人々が皆、認めて、必要とすることなのだ。ただ各種の材料学の中で、わが国において、まだ容易に世の中に売られていないものがある。つまり物理学・化学の2学科のようなものは、これなのだ。思うに、土木のようなもの、鉱山のようなもの、医学のようなものは、その大学を出ると、すぐに売りものにされて、官庁・会社・個人に招聘される。物理学・化学の2学科のようなものは、そのように、すぐに売りものにされることができない。この他になく、事業家・資本家の数が、絶対的に少なくて、物理学・化学の2学科において、需要がまだ増えていないからなのだ。これだから、理学士である者は、しばしば、オモチャ屋のために雇われて、デザインをオモチャに用いて、つまり神仏の縁日の思いがけない利益を得るのに用いて、わずかに貧しく暮らす者があるという。これは、教育者が、また、知らないわけにはいかない、ひとつの事なのだ。そうして、資本家と学士の連中の結び付きを増やすことが、最も大切だ。》

 

 

○未来の大発明

・化学の如きも今日にありて応用いまだ蕃(しげ)からず、故に学士たる者、教師と為(な)るほか、これを事業に応用する道甚(はなは)だ乏(とぼ)し。しかれども余を以てこれを思うに、化学の如きその用極(きわめ)て博(ひろ)く、即ち医学の如き将来大発明を為さんと欲せば、化学に資(し)せざるべからずして、今の六十余元素なる者、増して七十または八十となるか、あるいは減じて五十または四十となるもいまだ知るべからず。思うに今日化学的総合の術に由(よ)りて物質を製するもの、即ち酸水(さんすい)の二素を引きて水を作るが如き、わずかにニ、三品に過ぎざるも、その学の更にますます進むに及びては、他の有機物を製し、竟(つい)に血を製し肉を製し、その窮極(きゅうきょく)する所、脳の作用たる智、感、断の三者の如きも、また化学的のものたるもいまだ知るべからず。

 

《化学のようなものも、今日にあって、応用が、まだ増えていない。よって、学士である者は、教師となる他に、これを事業に応用する道が、とても乏しい。しかし、私によって、これを思うと、化学のようなものは、その応用が極めて広く、つまり医学のように、将来に大発明をしたいとすれば、化学に投資しないわけにはいかずに、今の60余の元素なるものは、増えて70や80になるか、減って50や40にあるか、まだ知ることができない。思うに、今日、化学的総合の技術によって、物質を製造するものは、つまり酸素と水素の2元素を引き合わせて、水を作るようなもので、わずか2・3品にすぎないのも、その学問が、さらに、ますます進むのに及んでは、他の有機物を製造し、結局、血を製造し、肉を製造し、その究極することは、脳の作用である、智(知)・感(情)・断(意)の3者のようなものも、また化学的なものであるのか、まだ知ることができない。》

 

 

○巴里倫敦の愛国心

・科学を普通せしめ、盛(さかん)にこれを工業に当用し、以て精巧の物件を製すること、啻(ただ)に国を富ますにおいて、必要なるのみならず、また人民の愛国心を涵養(かんよう)するにおいて、極(きわめ)て必要なること前に論ずる所の如し。余かつて欧洲にありて観察するに、その巴里(パリ)においては二、三物件は英国廻りを尚(たっと)ぶも、その他は皆な自国の製造を上等とし、価(あたい)もまた貴(たか)し、曰(いわ)くこれ地製(じせい)と。その倫敦(ロンドン)にありてもまた同じく、二、三物件殊(こと)に化粧品の如きは仏国製を尚び、その他は地製として自国の品を尚ぶ。およそこれ皆隠然(いんぜん)の間に人民愛国心の表発(ひょうはつ)を認むべく、またこれを涵養する所以(ゆえん)を知るべきなり。

 

《科学を普及させ、盛んに、これを工業に当面使用し、それで精巧な物品を製造することは、ただ国を富ますことにおいて、必要なだけでなく、また、人民の愛国心を養い育てることにおいて、極めて必要なことは、前に論考したことのようだ。私は、かつてヨーロッパにいって観察すると、そのパリにおいて、2・3の物品は、イギリス周辺製を尊重しても、その他は、すべて、自国の製造を上等とし、値段も、また、高価だ。(こう)いう、「これは、地元製だ」と。そのロンドンにあっても、また、同じで、2・3の物品、とりわけ化粧品のようなものが、フランス製を尊重し、その他は、地元製として、自国の物品を尊重する。だいたい、これは、すべて、隠れて見えない間に、人民の愛国心の表現・発出を認めることができ、また、これを養い育てる理由を知ることができるのだ。》

 

 

○外尊内卑は邦家の大患

・もしこれに反し、自国の物件一々劣等にして、中産以上の民皆給を外品に仰(あお)ぐが如きに至りては、戦時は措(おい)て論ぜず、その平時にありては、自然に外国を尚(たっと)びて、自国を卑(いや)しむに至ること、けだし常人の情なり。それ外尊内卑、これ邦家(ほうか)の大患(たいかん)なり。啻(ただ)に男尊女卑のみにあらざるなり、啻に官尊民卑のみにあらざるなり。

 

《もし、これに反対し、自国の物品が、どれもこれも劣等で、中産階級以上の民が皆、供給を外来品に信仰するように至っては、戦時は、おいといて、論考せず、その平時にあっては、自然に外国を尊重して、自国を卑下するのに至ることが、思うに、普通の人の情なのだ。それは、外尊内卑で、これは、国家の大病なのだ。ただ男尊女卑だけではないのだ、ただ官尊民卑だけではないのだ。》

 

 

○洋妾と灰殻

・横浜商館の伴頭(ばんとう)洋妾(らしゃめん)、これ外尊内卑主義の主唱者なり。その次は灰殻(はいから)即ち広襟(ひろえり)連中なり。それより以往各階級の人物にして、隠然(いんぜん)この主義を把持(はじ)する者幾何(いくばく)人なるを知らず、けだし憎むべく卑しむべし。

 

《横浜商館の番頭・西洋人のメカケ、これは、外尊内卑主義の主張者なのだ。その次は、ハイカラ、つまり広襟の連中なのだ。それ以降、各階級の人物で、隠れて見えずに、この主義を保持するものは、どれほどの人がいるのかを知らない。思うに、憎むべきだ、卑しむべきだ。》

 

 

○今の外交官

・然而(しかりしか)して尤(もっと)も品能(よ)く尤も学術的の外尊内卑の主義を把持(はじ)して、正(まさ)に人をして少(すこし)も省覚(せいかく)せしめざるに巧(たくみ)なる者は今の外交官然(しか)りと為(な)す。これまた独り憎むべく卑しむべきのみならず、余はまさにいわんとす、この輩をして国際の務(つとめ)に膺(あた)らしむ、殆(あやう)い哉(かな)岌(きゅう)乎(こ)たり。

 

《そのようにして、最も品性が充分で、最も学術的な外尊内卑の主義を保持して、まさに、人を少しも省みて悟らせないで、巧みな者は、今の外交官が、そのようだとする。これは、また、ただ憎むべき・卑しむべきなだけではない。私は、まさに、いおうとしている、この人達を国際の任務に担当させるのは、危ないな、危ないのだ。》

 

 

○国民堕落の歴史

・余前にこの書において、邦人相(あ)い率(ひきい)て腐壊堕落の境に淪胥(りんしょ)し去り嘆(たん)ずべきを言えり。惟(おも)うにわが邦(くに)久しく封建の制行われ、人々各階級各族類に錮(こ)せられて振抜(しんばつ)するに道なく、絶(たえ)て競争を容(い)れず、即ち農工商の中(うち)にありても穀を商(あきな)う者は幾世(いくせい)を経るも穀を商い、酒を商う者は幾世を経るも酒を商い、変換すること極めて罕(まれ)なりき。一国民を挙(あ)げてほとんど化石したるが如くに相似て、絶て変動することなかりき、絶て活動することなかりき。乃(すなわ)ち衣食住の如きに至りても、各階級各習俗ありて、それより侈(し)なることを許さず、またそれより倹なるを許さず、一社会を挙げて魚介の形殻(けいかく)を変ぜざるが如くに相似て、これを要するに中産以下は質朴(しつぼく)風を成し、否(い)な質朴以上にして、即ち人間以下の生活を為(な)し、以て常と為せり。既にして明治中興の政布(し)かれ、欧米の諸国と交際往復し、これら諸国貨物とその制度、文物、習尚(しゅうしょう)、謡俗、被服とを併(あわ)せて輸入し来(きた)るに及び、わが旧物とみに消散し、一国を挙(あ)げて新天地の中(うち)に突入して、官民上下の階級は存するも、生活の様は混同して一(いつ)を成し、資力(しりょく)あれば游竜(ゆうりょう)に鞭(むちう)つ可なり、五層楼に倚(よ)る可なり、班階の別あることなし。是(ここ)において生活の度俄然(がぜん)昇騰(しょうとう)し、人々皆その資力以上の娯楽を希望して、百方(ひゃっぽう)これを得んと欲す。是において乎(か)官吏にありては苞苴(ほうしょ)賂遺(ろい)以て身を肥やし、工商にありては夤縁(いんえん)依附(いふ)結托(けったく)して奇利を覘(うかが)い、しかのみならず維新改革の際に当り、数百年来刻急(こっきゅう)束薪の如き法度に窘(くるし)められたる西国武士ら、一旦朝政に参じ貴官を得るに及び、驕奢(きょうしゃ)淫逸(いんいつ)に流るること奔矢(ほんし)の如く、大(おおい)に都会淫靡(いんび)の風を構煽(こうせん)し、以て天下游冶(ゆうや)の模範を垂(た)れしより、縉商(しんしょう)豪賈(ごうか)より、他中産以下に至るまで、相胥(つ)いで淪溺(りんでき)し、以て自(みずか)ら夸(ほこり)と為(な)すに至る、これ今日わが日本帝国官民上下貴賤貧富一般奢侈淫逸の習(ならい)を成せし所以(ゆえん)の歴史なり。教育家、経世家、政治家、皆口を開けば、堕落腐敗を論ぜざるなし、洵(まこと)に善(よ)し。しかれども一たび活眼を開(ひらい)て大観すれば、一張一弛(し)は人道の常にして、その今日の風を成せしはけだし勢(いきおい)なり、自然の道駅なり、やむをえざる順序なり。ただ問題とする所は、能(よ)くこの地獄外に一線の活路を切開き得るや否やにあり、能く大道に出(い)でて長安に達するや否やにあり。而(しか)して余は前にいえり早已(すで)に好箇(こうこ)の兆朕(ちょうちん)を発見せりと、東天いささかの明光を洩(も)らせりと。

 

《私は、前に、この書物において、国民が引き合って、腐敗・堕落の境地に連れ立って滅び去るのを、なげくべきだといった。思うに、わが国は、長く封建制度が行われ、人々は、各階級・各親族に閉じ込められ、奮起するのに道がなく、絶ち切って競争を許容せず、つまり農工商業の中にあっても、穀物をあきなう者は、何世代を経ても、穀物をあきない、酒をあきなう者は、何世代を経ても、酒をあきない、変更・転換することは、とても、まれだった。一国民をあげて、ほとんど化石になったようなものと相似で、絶ち切って変化することがなかった、絶ち切って活動することがなかった。つまり衣食住のようなものに至っても、各階級・各習俗があって、それよりも贅沢なことを許容させず、また、それよりも倹約なことも許容させなかった。一社会をあげて、魚介類の外形・外殻を変化させないようなものと相似で、これを、要するに、中産階級以下は、質素・素朴風をなし、いや、質素・素朴以上で、つまり人間以下の生活をなし、それで常とした。すでに明治の中興の政治が発布され、欧米諸国と交際・往復し、これら諸国の財貨・物品とその制度、文物・慣習・風俗・衣服を合わせて輸入されるのに及んで、わが旧来の物は、急速に消え去り、一国をあげて、新天地の中に突入して、官民・上下の階級は、存続しても、生活様式は、混合・同一を形成し、原動力があれば、速く走る馬にムチを打つのが、可な(よい)のだ、楼閣にもたれるのが、可な(よい)のだ。地位・階級の分別はなくなった。こういうわけで、生活の度合が急激に上昇・高騰し、人々は皆、その原動力以上の娯楽を希望して、様々な方法で、これを得たいとした。こういうわけで、官吏にあっては、贈物・賄賂によって自身を肥やし、商工業者にあっては、縁故に依存・結託して、思いがけない利益をうかがった。そのようなものだけでなく、明治維新の改革の際にあたって、数100年来、過酷に取り立てられたように、法規に苦難した西国武士等は、いったん国政に参画し、高官を得るのに及んで、思い上がって贅沢になり、遊興にふけるのに流れたことは、飛ぶ矢のようで、大いに都会の乱れた気風を構えてあおり、それで天下の遊び・飾りの手本を示して以来、一流の商人・富豪の商人から、その他、中産階級以下に至るまで、相互におぼれて落ちぶれ、それで自分で誇りとするのに至る。これは、今日、わが日本帝国で、官民・上下・貴賤・貧富が、一様に贅沢・遊興にふける習性となった理由の歴史なのだ。教育家・社会評論家・政治家は皆、口を開けば、堕落・腐敗を論考しないものはいない。誠によい。しかし、一度、活きた眼識を開いて、広大に観察すれば、緊張と緩和(弛緩)は、人の常道で、それが今日の気風を成立させたのは、思うに、勢いなのだ、自然の道筋・宿駅なのだ、やむをえない順序なのだ。ただ問題とすることは、充分にこの地獄以外に、一筋の活路を切り開くことができるか否かにあり、充分に大道に出て、長安に達するか否かにある。そうして、私は、前にいった、「すでに、ちょうどよいことの兆候を発見した」と。「東の天に、わずかな明るい光を漏れている」と。》

 

 

○このほか別に名策なし

・今日より各階級の人皆少(すこし)く自(みずか)ら修明して、理義の正に適合するを求むるに至るべし。かつ利益の点より考えて、爾(し)か為(な)すに如かざることを省視(せいし)するに至るべし。かつこの五、六年来金融逼迫(ひっぱく)、工商不振の相継ぎて間断(かんだん)なきより、揮霍(きかく)は貯蓄に如かず、而(しか)して貯蓄は節倹に因(よ)る、このほか別に名策(めいさく)なきを知り、自然に侈靡(しび)の風を減じて、即ち不義の富を要すること、前の如く太甚(はなはだ)しからざるを得るに至るべし。

 

《今日から、各階級の人は皆、いささか自分で修養して立派になり、理・義が、まさに、適合することを求めるのに至るべきだ。そのうえ、利益の点から考えて、そのようにするのには及ばないことを、省みるのに至るべきだ。そのうえ、この5・6年来、金融が逼迫し、商工業の不振が相継いで、途切れないので、浪費は、貯蓄に及ばない。そうして、貯蓄は、倹約に起因する。この他、別に名案がないことを知り、自然に贅沢・派手な気風を減少すれば、つまり不義の富を必要とすることが、前のように、ひどくならないことを得るのに至るだろう。》

 

 

○万朝報の理想団

・万朝報(よろずちょうほう)社の理想団の唱(しょう)は、正(まさ)にこの時機を窺破(きは)するありて爾(しか)る耶(か)。

 

《万朝報社の理想団の提唱は、まさに、この時機を見破ることがあって、そのようにしたのか。》

 

 

○石碑の後より諸君を祝せん

・理想団の本旨とする所は、余いまだその詳を得ずといえども、しかも人々自(みずか)ら修明し、相共に名節を砥礪(しれい)し、会合約束の微といえども寸時(すんじ)も違(たが)うことなく、一言すれば君子と為(な)ることを求めて怠(おこた)らざらんとするにあるべし、これ善志なり。それ政党既に彼(か)れの如くなる時は、いわゆる宣言といい政綱(せいこう)といい、皆ただ空言を臚列(ろれつ)するに過ぎずして、人民たる者己(おの)れ自ら恃(たの)むにあらざれば、復(ま)た政事家に恃む所なし、理想団の必要たる所以(ゆえん)なる那(や)、既に理想という、たといその勢(いきおい)今日に行うべからざる者、即ち純然たる理義の正の如きも、これを口にしてこれを筆にし、他年他日必ずこれを実行に見ることを期するなるべし。即ち自由、平等、博愛その他万国と隔離する所の境界を撤去し、干戈(かんか)を弭(や)め、貨幣を一(いつ)にし、万国共通の衙門(がもん)を設け、土地所有者及び財産世襲権を廃する等の如きも、その講求の中にあるべし、これ大志なり。それあるいは縲紲(るいせつ)の苦といえども辞せざるを期するなるべし、あるいは理義を解せざる狂漢の匕首(あいくち)をも避けざるべし。かの某(それ)党員某が区々たる一椅子を喪(うしな)うて、気沮(はば)み、心眩(げん)し、遽々(きょきょ)然志を翻(ひるが)えし、十数年の交友を棄(すて)去りて敵党に款帰(かんき)したる如く、世俗の虚栄を慕(した)う無義無残の徒の集合にあらざるべし。果(はた)してしからば団員諸君請う加餐(かさん)せよ、余もまた石碑の後(しりえ)より、他日手を昂(あ)げてこれを祝するあらん。

 

《(万朝報/よろずちょうほう社の)理想団の本旨とすることは、私が、まだ、その詳細を得られないといっても、しかも、人々は、自分で修養して立派になり、相互で一緒に、名誉・節操を研ぎ澄まし、会合の約束が微少といっても、わずかな時間も食い違うことなく、一言にすれば、君子になることを求めて、怠らないとすることにあったのだろう。これは、善良な意志なのだ。そもそも政党がすでに、彼らのようになる時は、つまり宣言といい、政治大綱といい、すべて、ただ空虚な言葉を羅列したにすぎず、人民であるものは、自己に頼むのでなければ、また、政治家に頼むことはない。理想団が必要である理由なのだ。すでに理想という、たとえ、その勢いが、今日に行うべきでないものは、つまり純粋な理・義の正しさのようなものも、これを言葉にして、これを文書にし、いつの年か・いつの日か、必ずこれを実行に見ることを、決心するようになるだろう。つまり自由・平等・博愛、その他、万国と隔離する境界を撤去し、戦争をやめ、貨幣を統一し、万国共通の官庁を設置し、土地所有権・財産世襲権を廃止する等のようなものも、その講釈・探求の中にあるだろう。これは、偉大な意志なのだ。そもそも投獄の苦難といっても、やめないことを、決心するようになったりするだろう。理・義を解明しない狂人の短刀をも、避けなかったりするだろう。あの何々党員の何々が、つまらない一議席を失って、気が邪魔し、心が眩惑し、突然に意志を引っくり返し、10数年の交友を捨て去って、敵対する政党に歓待されて帰属したような、世俗の虚栄に思いを寄せる、義がない・恥がない人達の集合ではないだろう。本当に、そうであれば、(万朝報社の理想団の)団員諸君に請い願う、体を大切にせよ。私も、また、石碑の背後から、いつの日か、手をあげて、これを祝福することがあるだろう。》

 

 

○生ける藁人形の放逐

 

・団員諸君、諸君の志を伸べんと要せば、政治を措(おい)てこれを哲学に求めよ、けだし哲学を以て、政治を打破するこれなり。道徳を以て、法律を圧倒するこれなり。良心の褒賞(ほうしょう)を以て、世俗の爵位勲章を払拭(ふっしょく)するこれなり。紫(し)を曳(ひ)き朱(しゅ)を紆(まと)うて層楼(そうろう)の上に翺翔(こうしょう)する、縉紳(しんしん)と号する、貴顕と号する、生きたる藁(わら)人形等は、宜(よろし)くこれを千里の外(ほか)に距(ふせ)ぐべし、ただ独り無爵無位の真人(しんじん)これに任ずるに足るのみ、団員請う加餐(かさん)せよ。

 

《(万朝報/よろずちょうほう社の理想団の)団員諸君、諸君の意志を述べるのを必要とすれば、政治を据え置いて、これを哲学に求めよ、思うに、哲学によって、政治を打破するのは、これなのだ。道徳によって、法律を圧倒するのは、これなのだ。良心の褒美によって、世俗の爵位・勲章を一掃するのは、これなのだ。紫色の組紐(くみひも)をひいたり、朱色の衣冠をまとったりして、楼閣の上で意気揚々と振る舞う、貴族という、高貴有名という、生きたワラ人形等は、都合よく、これをはるか遠くに拒絶すべきだ。ただ一人、無爵・無位の最高の人を、これに任命するので充分なのだ。団員に請い願う、体を大切にせよ。》

 

 

(おわり)