中江兆民「一年有半」抜粋3~第3 | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

●第3(1901/明治34年8月3日)

 

○議員政事家という啖人鬼

・井上君もまた余と同一の妄想を懐(いだ)きし人なり。即ち貴官大職にあるの人、及び代議士政党員の如きは、身家(しんか)の利益のほか少しは国家とか人民とかの意象(いしょう)を脳中に蓄(たくわ)うると信ぜし人なり。而(しか)して今如何(いかん)、これ純然たる妄想たりしなり、而してこれ洵(まこと)に彼輩の智にして、吾人(ごにん)の愚なるなり。何となれば国家なる者はともかくも大物(たいぶつ)なり。その衰亡するまでには幾多個人の犠牲に供(きょう)して余りあり、しかれば則ち国家を犠牲にして自(みずか)ら益するにおいて復(ま)た何ぞ憚(はばか)るを用いん。人民とは何ぞや、無智なる農夫最も多きに居る、これ天まさに優勝劣負の大理に因(よ)て、他の智者の利益に供せらるべき物体にあらざる乎(か)。ああ今の貴官大職、代議士政党員は直(ただち)にこれ啖人鬼(たんじんき)というべきなるのみ。わが日本帝国の如きは、かくの如き智者の啗食(たんしょく)に供して、果していくばく年所(ねんしょ)を延(のぶ)るを得(う)べき乎。

 

《井上(甚/じん太郎)君も、また、私と同一の妄想を抱いた人なのだ。つまり高官で重職にある人・代議士・政党員のようなものは、自身・家族の利益の他、少しは、国家・人民の観念を脳内に蓄えていると信じられる人なのだ。そうして、今はどうか。これは、純粋な妄想だったのだ。そうして、これは、本当に、彼らが智で、私が愚であるのだ。なぜならば、国家なるものは、とにかく、偉大な物なのだ。それが衰退・滅亡するまでには、多数の個人の犠牲を提供しても、あまりある。それならば、つまり国家を犠牲にして、自分で利益することにおいて、また、どうして遠慮することを利用するのか。人民とは何か。無智な農夫が、最も多くいる。これは、天が、まさに、優勝劣敗の偉大な理によって、他の智者の利益に提供させられることができる物体ではないのか。ああ、今の高官で重職の人・代議士・政党員、すぐに、これを食人鬼というべきなのだ。わが日本帝国のようなものは、このような智者の食事に提供させられて、本当に、どれほどの年数を生き延びることができるのか。》

 

 

○国家はともかくも大物なり

・しかりといえども、国家はともかくも大物(だいぶつ)なり、かくの如き智者のみの窟宅(くったく)にはあらずして、また余のいわゆる否(い)な彼れ智者のいわゆる妄想家もその間に生存せり。是(ここ)において乎(か)、正義、公平、慈仁(じじん)、愛国心、敵愾(てきがい)心の各種の妄念もまた相当の代表者を映出(えいしゅつ)し来(きた)らずんばあらず、わが日本帝国の如きも、彼れ啖人鬼(たんじんき)に啖(くら)い尽(つく)さざる前、これら妄想家の来り溷(こん)するありて、社会は漸々(ぜんぜん)真面目になり了(おわ)るもいまだ知るべからず、今日早已(すで)にこれが象徴を示せり。

 

《そうはいっても、国家は、とにかく、偉大な物なのだ。このような智者だけの巣窟(そうくつ)ではなくて、また、私のいわゆる、いや、彼らの智者のいわゆる妄想家も、その間に生存している。こういうわけで、正義・公平・慈仁(情け深さ)・愛国心・敵対心の各種の妄想も、また、相当の代表者を映し出し、来ないことはない。わが日本帝国のようなものも、あの食人鬼に食らい尽くされる前に、これらの妄想家が来て、混じることがあって、社会は、徐々に真面目になって終わるが、まだ知ることができない。今日、すでに、これが兆候を示している。》

 

 

○改革の兆朕既に発せり

・彼(かの)三四倶楽部(クラブ)中、帝国党中、貴族院中、いまだ社会の表面に現出せざる無名氏輩(しはい)中、衷心(ちゅうしん)より真に政友会の智者一輩の所為を憎疾(ぞうしつ)して、かの正義、公道、自由、平等、愛国等、都(すべ)て言語として極めて陳腐なる事実として極めて新奇なる意象(いしょう)を発揮する少数者を現出せんとするを見る、それ兆朕(ちょうちん)既に発せり、事実のこれに従うことけだし甚(はなは)だ遠からざるべし。世の真面目なる人物よ、さまでに非哀せず少しく自ら寛(ゆる)うせよ、皇天后土(こうてんこうど)必ずわが日本国を棄(す)てざるなり。

 

《あの3・4のクラブの中、帝国の政党の中、貴族院の中、まだ社会の表面に出現していない、無名の人達の中で、真心から本当に、政友会の智者一派の振る舞いを憎悪して、あの正義・公道・自由・平等・愛国等、すべて、言語として、とても陳腐だが、事実として、とても新奇な観念を発揮する、少数者が出現しようとするのを発見する。その兆候は、すでに発見した。事実が、これにしたがうことは、思うに、とても遠くはないだろう。世の中の真面目な人物よ、そんなにまで悲観せず、少しは、自分で寛容にせよ。天の神・地の神は、必ずわが日本国を捨てないのだ。》

 

 

○恐外病と侮外病

・近来新聞紙上しばしば恐露病という文字を見る、わが政府の過度に露を懼(おそ)るるの謂(いい)なるべし、而(しか)して定めてこの事実あるべし。しかれども余は更に言う、わが政府即ち薩長政府は久く恐外病に(かか)れり、欧米強国に論なく、支那朝鮮といえどもこれを憚(はばか)ること特に甚(はなはだ)し。その亡命の徒に処する、往々その当(とう)を得ざるを見て知るべし、もしそれ他の諸強国に至(いたり)ては、これを懼るること更に甚し。けだし彼れ強国、その物質の学の術に至ては、真(まこと)に人をして驚嘆せしむるに足る、しかれども一(ひと)たび理義の際を察するに及(およん)では、その畏(おそ)るべきもの果(はたし)て安(いず)くにあるや。外交と号する詐欺に逞(たくまし)くして、その相い排陥傾奪(はいかんけいだつ)するの状、あたかも餓狗(がく)の腐肉におけるが如し、我その賤(いや)しむべきを見る、その敬すべきを見ず。但(ただ)近日営(えい)を北清の野に連(つ)らね、聯鑣(れんひょう)して敵に当(あた)るに方(あた)り、彼らが大(おおい)いその弱失の処を見(あら)わして、蛮野(ばんや)の風を発せしを見て、わが邦軍人輩、皆始めて彼らのいわゆる文明の、往々形質の表に止(とど)まりて、理義に至ては我れと相下(くだ)らず、あるいは大に我れに劣るあるを知れり。今より以往(いおう)いわゆる恐外病それあるいは少(すこし)く痊(い)ゆるを得(う)べき耶(か)。けだし一(いつ)の極より他の極に走るは常人の情なり。わが邦人明治中興以前にありては、外人を軽蔑すること殊(こと)に甚しく、曰(いわ)く彼れ邪教を奉じて人の国を覘(うかが)う、曰く彼れ異臭あり醜穢(しゅうかい)極まれり、曰く斯々(かくかく)、曰く云々(しかじか)と。是(ここ)において諸藩少壮輩(しょうそうはい)勤王敵愾(てきがい)の心に富むと自称する者、いやしくも途上碧眼(へきがん)の人を見れば、直ちに刀を抜いてこれを斫(き)れり。武州生麦の事、泉州堺の事、その他枚挙(まいきょ)に遑(いとま)あらざる外人殺害の事、皆ただかくの如き意嚮(いこう)の然(しか)らしむる所たりし、これ正(まさ)に侮外病というべし。既にして開港互市(ごし)の令を行い百度則を彼れに取るに及び、漸次(ぜんじ)に乃(すなわ)ち柔懦(じゅうだ)に流れて、その末(すえ)や終(つい)に恐外病に陥(おちい)りて、いやしくも外人といえばこれを懼るること虎の如くなるものは、正に一の極より他の極に走りたるものにあらざる耶(や)。

 

《近頃、新聞紙上に、しばしば、恐露病という文字を見る。わが政府が過度にロシアを恐れることをいうのであろう。そうして、定まって、この事実があるようだ。しかし、私は、さらにいう、わが政府、つまり薩長政府は、長く恐外病(外人恐怖病)にかかっている。欧米強国は、いうまでもなく、中国・朝鮮といっても、これを遠慮すること、特にひどい。その亡命者達に対処するのが、しばしば、それが妥当でないのを見て、知ることができる。さて、他の諸強国に至っては、これを恐れることが、さらにひどい。思うに、あの強国は、その物質の学術に至っては、本当に、人を驚嘆させるのに充分だ。しかし、一度、理・義の際を推察するのに及ぶと、その畏れるべきものが、本当に、どこにあるのか。外交という詐欺をほしいままにして、それが相互に排斥・陥落・傾覆・収奪する状態は、あたかも飢えたイヌが腐った肉を奪い合うようなものだ。私は、その卑賤すべきことを見て、その尊敬すべきことを見ない。ただ、近頃、兵営を中国北部の荒野に引き連ね、馬を並べて隊列を組み、敵に直面するのにあたって、彼らが大いにその弱点・失点の箇所を現わして、野蛮な気風を発現するのを見て、わが国の軍人達は皆、はじめて、彼らのいわゆる文明が、しばしば、形質の表面に留まって、理・義に至っては、我らより相対的に下等でなく、大いに我らより劣等があったりするのを知った。今以降に、いわゆる恐外病は、それで少し癒えたりすることができるのか。思うに、一方の極端から他方の極端へ走るのは、普通の人の情なのだ。わが国民が、明治の中興以前にあっては、外人を軽蔑することが、とりわけひどく、(こう)いった、「彼らは、邪教を信奉して、人の国をうかがう」と。(こう)いった、「彼らは、異臭があって、醜さ・穢(けが)れが極まっている」と。(こう)いった、「カクカク・シカジカ」と。こういうわけで、諸藩の若年者達の尊王・敵対心に富むと自称する者は、もしも、路上で欧米の人を見れば、すぐに刀を抜いて、彼らを切った。武蔵国の生麦事件(1862年)、和泉国の堺事件(1868年)、その他、数え上げる暇がなく、外人殺害の事件は、すべて、ただ、このような意向が、そうさせることになって、これは、まさに、侮外病(外人侮蔑病)というべきだ。すでに開港・貿易の令を行い、様々な制度・規則を彼らに取ったのに及ぶと、しだいに、つまり柔弱に流れて、その結末は、結局、恐外病に陥って、もしも、外人といえば、これに恐れることが、虎のようになるのは、まさに、一方の極端から他方の極端へ走ってしまうものではないのか。》

 

 

○日本人は虫持の小児

・この故に今日わが邦人が外国にありて、正義自(みずか)ら持して敢(あえ)て法度の外に逸(いつ)せざる者は、その自ら守る所ろあるというよりは、むしろ懼るる所あるがためなり。虫持(むしもち)の小児(しょうに)は自然に害悪を為(な)さず、その勇気に乏(とぼ)しきがためなり。わが邦人の外人に対して能(よ)く道を守るは、けだし虫持の小児に類するあるにあらざるを得る乎(や)。

 

《これだから、今日、わが国民が、外国にあって、正義を自分で持って、あえて法律の外に逸脱しないのは、それが自分で守ることがあるというよりも、むしろ、恐れることがあるためなのだ。怒りやすい性質を持った子供は、自然に害悪をしないのは、その勇気に乏しいからなのだ。わが国民が、外人に対して充分に道を守るのは、思うに、怒りやすい性質を持った子供と、類似するものがありはしないのか。》

 

 

○パークスと大久保公

・わが外交の振(ふる)わざる、けだしわが当局者知らず識(し)らずの間、幾分夫(か)の恐外病を持し、動(やや)もすれば、その虫持(むしもち)小児の為に類せんとするに因(よ)りて然(しか)るにはあらざる乎。けだし彼れ外人の我を軽んじ、わが邦人の彼れを畏懼(いく)する、その習い既已(すで)に久し。往年〈明治七年?、同八年?〉岩倉公大使として欧米を巡回するに方(あた)り、大久保利通(としみち)公倫敦(ロンドン)にありてパークスと同車して、或る場末の一街を過ぐるに及び、適(たまた)ま野狐(やこ)あり走りて車前に来(きた)る、パークスこれを見て急に柏手(かしわで)を打ちてこれを拝し、公を顧みて微笑せり。けだしわが邦人の稲荷(いなり)を祭るを以て、パークスこれを愚弄(ぐろう)して乃(すなわ)ち爾(しか)るなり。それパークス何人(なんびと)ぞ、その大久保公に比して主人と奴隷とのみならず、而(しか)してなおかくの如し。故にこの一点よりしていわば、往年日清の役(えき)並(ならび)に近日北清の役において、わが軍人が大(おおい)に勇を戦陣に奮(ふる)い国威を耀(かがや)かせしは、外人の軽侮(けいぶ)を除きわが恐外病を痊(いや)すにおいて大に功ありしが如きも、翻(かえ)りて政事経済等に関するに至りては、恐外病なお依然たる者あるは何ぞや。

 

《わが外交が振るわないのは、思うに、わが当局の者が、知らず知らずの間に、いくらか、あの恐外病を持ち、ともすれば、その怒りやすい性質を持った子供のために、類似しようとすることによって、そのようになるのではないのか。思うに、彼らは、外人の我らを軽視し、わが国民が、彼らを畏怖する。その習性は、すでに長い。昔〈1874か75/明治7か8年?〉、岩倉具視(ともみ)が大使として、欧米を巡回するのにあたり、大久保利通がロンドンにいて、パークスと車に同乗して、ある街の中心から離れた、ある街を通り過ぎたのに及ぶと、たまたま、野ギツネがいて、走って車の前に来た。パークスは、これを見て、急に柏手を打って、これを拝礼し、大久保公を顧みて微笑した。思うに、わが国民が稲荷を祭るのを、パークスは、これをバカにして、つまり、そのようにしたのだ。それは、パークスが何人なのか。それは、大久保公に比べて、主人と奴隷だけでない。そうして、やはり、そのようなものだ。よって、この1点からいえば、昔の日清戦争(1894-95年)・近頃の北清事変(1900年、義和団の乱)において、わが軍人が、大いに勇敢さを戦場で奮い立たせて、国威を光り輝かせれば、外人の軽蔑・侮辱を除き、わが恐外病を癒すことにおいて、大いに功績があるようなものも、振り返って、政治・経済等に関するのに至っては、恐外病が、やはり、依然とするものであるのは、なぜか。》

 

 

○灰殻者流容喙の権なし

・もし根本より恐外病を痊(いや)さんと欲せば、教化を盛にし、物質の美と理義の善との別を明(あきらか)にするに如(し)くは莫(な)し。それ学術如何(いかん)に邃(すい)なるも、権勢如何に盛なるも、名望如何に盛なるも、もし子として父を虐し、良人(おっと)として妻を窘(くる)しめ、朋友を欺(あざむ)き、及び諸々不善を行えば如何。わが国家如何に強きも、隣国如何に弱きも、我れ故なく兵を隣国に加えば如何。外物は竟(つい)に理義に勝つこと能(あた)わざるなり、本末の別あればなり。それこの言や今の灰殻(はいから)者流必ず言わん、陳腐聞くに堪(た)えずと。然(しか)りおよそ理義の言は皆陳腐なり。これを言うにおいて陳腐なるも、これを行うにおいて新奇なり。かつ公(こう)らの陳腐とする所は、国家において皆極めて必要とする所なり。男児にしてその面(かお)に粉し、丈夫にしてその髪に膏(こう)す、これ公らの新奇とする所にして、余は世人(せじん)と共にこれを臭穢(しゅうかい)とす、公らいまだ理義の言に容喙(ようかい)するを許さざるなり。

 

《もし、根本から恐外病を癒したいとすれば、教化を盛んにし、物質の美と理・義の善の分別を明らかにすることに、及ぶものはない。それは、学術しだいで奥深くなるのも、権勢しだいで盛んになるのも、名声・人望しだいで盛んになるのも、もし、子として父を虐待し、夫として妻を苦しめ、友人をあざむき、様々な不善を行えば、どうなるか。わが国家しだいで強くも、隣国しだいで弱くも、我らが理由なく兵士を隣国に加勢すれば、どうなるか。外物は、結局、理・義に勝つことができないのだ。根本と末端の分別があるからなのだ。それは、この言葉が今のハイカラ(西洋風)の流派が、必ずいうだろう、「陳腐で聞くに耐えない」と。それで、だいたい理・義の言葉は、すべて、陳腐なのだ。これを発言することにおいて、陳腐なのも、これを行動することにおいて、新奇なのだ。そのうえ、貴公らが、陳腐とすることは、国家において、すべて、とても必要とすることなのだ。男児であって、その顔に白粉(おしろい)し、丈夫であって、その髪に潤いを与える。これは、貴公らの新奇とすることで、我らは、世の中の人とともに、これを臭くて汚いとする。貴公らは、まだ理・義の言葉に口出しすることを許さないのだ。》

 

 

○物質の美と愛国心

・しかりといえども、単に物質と理義との別を明(あきらか)にするのみにてはいまだ足らず、即ち物質の美も、また大(おおい)に愛国心を催起(さいき)するにおいて力あり、而(しか)して愛国心の盛なる自然に恐外病を癒(い)やすに足る。是(ここ)を以て邦人(ほうじん)の朝鮮支那に行く者、自(おのずか)らこれを憫恤(びんじゅつ)するの念あり、而して朝鮮支那人のわが邦に来(きた)る者、自ら我を尊尚(そんしょう)するの心あり。他(た)なし凡百事物の備具せる、彼(か)れ大に我に及ばざればなり。即ち欧米諸国の如き、その我れに相勝(あいま)さること我れの朝鮮支那におけるが如きのみにあらずして、およそ物件彼れより輸入する者、わが内地において同一の物あるもその良否相い比すべきにあらず、故にわが賈人(かじん)必ず言う、これ上等舶来なりと。それ凡百事物一々彼れ我れに勝さる、我れ自ら卑屈を成す、これ常人の免(まぬか)れざる所なり。故に中人(ちゅうじん)以下の如きは、独り理義物質の別を明かにするのみならず、直ちに物質の美を進めてこれを示(し)めし、以てその愛国心を発せしめざるべからず〈戦争の時の如き自ら別なり〉。故に教化を盛にすると、科学を昌(さかんに)すると、二つながら欠くべからず。

 

《そうはいっても、単に、物質と理・義の分別を明らかにするだけでは、まだ不足だ。つまり物質の美も、また、大いに愛国心をうながすことにおいて、力がある。そうして、愛国心が盛んなのは、自然に恐外病を癒すのに充分だ。こういうわけで、国民が、朝鮮・中国に行くのは、自然に、これを同情して恵む思いがある。そうして、朝鮮・中国人が、わが国に来るのは、自然に、我らを尊重する心がある。他でもない、様々な事物が具備して、彼らは、大いに我らに及ばないからなのだ。つまり欧米諸国のように、それが我らに相対的に勝っていることは、我らが朝鮮・中国におけるようなものだけでなく、だいたい物品が彼ら(欧米諸国)から輸入するのは、わが内地において同一の物があっても、その良否は、相対的に比べることができず、よって、わが商人が必ずいう、「これは、上等・舶来品だ」と。それは、様々な事物が、一々、彼らが我らに勝り、我らは、自然に卑屈になる。これは、普通の人の免れないことなのだ。よって、普通の人以下のようなものは、自分で理・義と物質の分別を明らかにするだけでなく、すぐに物質の美を進めて、これを示し、それでその愛国心を発出させないわけにはいかない〈戦争の時のように、自然な分別なのだ〉。よって、教化を盛んにすることと、科学を盛んにすることは、2つとも、欠かすことができない。》

 

 

(つづく)