中江兆民「一年有半」抜粋2~第2 | ejiratsu-blog

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人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

(つづき)

 

 

●第2(1901/明治34年7月18日)

 

○権略は悪字面にあらず

・権略、これ決して悪字面(あくじめん)にあらず。聖賢といえどもいやしくも事を成さんと欲せば、権略必ず廃すべからず。権略とは手段なり、方便なり。但(ただ)権略これを事に施すべし、これを人に施すべからず、正邪の別、ただこの一着に存す。権略を事に施すとは、例えば大石良雄(よしお)が始(はじめ)に城を背にして一(いつ)を借(か)らんと唱(とな)え、中に殉死を唱えて、終(つい)に乃(すなわ)ち始めてその真意を打明けて復讐を唱えたるこれなり。権略を人に施すとは、例えば戦国の時、詐(いつわ)りて敵と和し、敵将を誘い伏(ふく)を設けてこれを掩殺(えんさつ)せしが如き、織田信長、明智光秀の属、動(やや)もすればこの術を用いたり、これ固(もと)より憎厭(ぞうえん)すべし。権略事に施すが如きは、多々ますます善(よ)し、事を成す正(まさ)に此(ここ)にあり、これほとんど方法順序といわんが如き者。

 

《権略、これは、けっして悪い感じでない。聖人・賢人といっても、もしも、事を成就したいとすれば、権略は、必ず廃止すべきでない。権略とは、手段なのだ、方便なのだ。ただ権略は、これを事に施すべきだ、これを人に施すべきでない。正邪の分別は、ただ一点に存在する。権略を事に施すとは、例えば、大石内蔵助(くらのすけ、赤穂事件47士の中心的指導者)が、最初には、城を背にして一戦を交えようと唱え、途中には、殉死を唱え、最後には、つまり、はじめて、その真意を打ち明けて復讐を唱えたのが、これなのだ。権略を人に施すとは、例えば、戦国時代に、いつわって敵と和睦し、敵の大将を誘い出し、伏兵を設置して、これを暗殺させるようなもので、織田信長・明智光秀の同属が、ともすれば、この術を使用した。これは、元々、憎み嫌うべきだ。権略が事に施すようなものは、多ければ、多いほど、ますます、よい。事を成就することは、まさに、ここにある。これは、ほとんど方法・順序というようなものだ。》

 

 

○大政事家の為す所

・大政事家の為(な)す所は、一定の方向あり、動(うごか)すべからざる順序あり、光明俊緯(しゅんい)の観あり。その言う所は即ちその行う所にして、今や彼己氏(ひきし)が徒(いたず)らに準備多く触(ふれ)込み多くして、幽霊の足の如く輒(すなわ)ち消滅し去るが如くならず。而(しか)して聞く、彼己氏は則ち窃(ひそか)にビスマークを気取りカヴールを気取れりと。他日この二人に地下に逢わば、それ何の顔(かんばせ)かこれに対せん、呵々(かか)。

 

《大政治家のすることは、一定の方向があり、動かすことができない順序があり、光り輝く俊才・偉大な光景がある。それが発言することは、つまり、それが行動することで、今やあの人(伊藤博文)が、無駄に、準備が多く、触れ込みが多くて、幽霊の足のように、つまり消滅・消去するようにならない。そうして、聞く、「あの人は、つまり、ひそかにビスマルク(ドイツの政治家)を気取り、カヴール(イタリアの政治家)を気取っている」と。いつか、この2人に地下で会えば、それがどんな顔で、これに対面するのか。ワハハ。》

 

 

○大政事家は真面目なり

・大政事家は皆恐懼(きょうく)惕若(てきじゃく)の状あり、小心縝密(しんみつ)の態あり、その衷情(ちゅうじょう)真面目なるが故なり。彼己氏(ひきし)が公々然姫姜(ききょう)に戯(たわむ)れ醇酒(じゅんしゅ)に酗(く)し、浮薄(ふはく)なる幕賓(ばくひん)を集めて大言壮語(たいげんそうご)し、而(しか)してわずかに一、二敵抗する者あるに遇(あ)えば、意気輒(すなわ)ち沮喪(そそう)して、ただ逃るることの早からざるを恐るるが如くならず、呵々(かか)。

 

《大政治家は皆、畏怖・恐れ慎む状態があり、小心・慎重な状態がある。その本当の心情は、真面目であるからなのだ。あの人(伊藤博文)が、公然と美女とたわむれ、美酒に酔っ払い、浅はかな幕僚を集めて、実力不相応に威勢よくいい、そうして、わずかに1・2人の敵対する者がいるのに会えば、意気が、つまり、なくなって、ただ逃れることが早くないのを、恐れるようなものにはならない。ワハハ。》

 

 

○邦人は二様の生活を為す

・余かつて或る新聞紙上に論載(ろんさい)せしことあり。曰(いわ)くわが邦人は既に自国を生活し、また欧米を生活す、一身にして二様の生活を為(な)す、他邦人に比して一倍の生産力なかるべからず。何の謂(いい)ぞや、曰く吾人(ごじん)既に羽織袴(はかま)を着し、またフロツクコートを着す。既に煙管(キセル)を銜(ふく)み、またパイプを持す。書院付き茶席付きの家屋の一隅カーフエル付きの洋室を設(もう)く。その他かくの如き類(たぐい)枚挙に遑(いとま)あらず、この事小なるに似て実は然(しか)らず、一国の経済に関する極めて大なるものあり。五等爵位の大経世家、それ何ぞ此(ここ)に慮及(りょきゅう)せざるや。

 

《私は、かつて、ある新聞紙上に論考を掲載したことがある。(そこで)いう、わが国の人は、すでに自国を生活し、また、欧米を生活する。1つの身体で、2つの様式の生活をする。他国の人と比較して、2倍の生産力がないといけない。何をいうのか。(そこで)いう、私は、すでにハオリ・ハカマを着用し、また、フロックコートを着用する。すでにキセルを含み、また、パイプを持つ。書院付・茶席付の家屋の一角に、暖炉付の洋室を設置する。その他、このような同類は、数え上げられる暇がなく、この事は、小なるようだが、実際には、そのようでなく、一国の経済に関する極めて大なるものがある。5等制(公・侯・伯・子・男)の爵位の大政治家は、それがどうして、ここに考え及ばないのか。》

 

 

○繁文の弊生ずる所以

・わが邦官吏甚(はなはだ)尊(たっと)きが如くにして、その実は然(しか)らず、これ繁文(はんぶん)の弊の生ずる所以(ゆえん)なり。何を以てこれを言う、曰(いわ)くかつ農商務の一省について言わん。既に山林、鉱山、商工等の局を設け各々これが長を置けり、しかも山林局長は独りその局の責(せ)めに任ずるにあらずして、他の高等官もまた必ずその文書に捺印(なついん)して以てその責を分(わか)つ。これわが制たる各局長を猜(うたご)うて独りその責に任ぜしめず、即ち繁文の弊を生ずるも権を各長官に委(まか)せず、而(しか)して事務ために渋滞し日月ために曠過(こうか)し、これが害を被(こう)むる者は人民なり。故に曰くわが邦官吏尊きが如くにして実は然らずと。此(これ)もまた行政刷新中の重(おも)なるものなり。

 

《わが国の官吏は、とても尊重するようなものだが、その実際は、そのようでない。これは、面倒な文飾の弊害が発生する理由なのだ。何によって、これをいうのか。(そこで)いう、そのうえ、農商務省についていおう。すでに山林・鉱山・商工等の局を設置し、各々これに長官を設置している、しかも、山林局長は、一人がその局の責任でなくて、他の高等官も、また、必ずその文書に捺印して、それで、その責任を分担している。これは、わが制度である、各局長を疑って、一人がその責任にさせない。つまり面倒な文飾の弊害を発生させるが、権限を各長官に委任せず、そうして、事務のために渋滞し、月日のために、むなしく過ぎ去り、この被害者は、人民なのだ。よって、いう、「わが国の官吏は、尊重するようなものだが、実際は、そのようでない」と。これも、また、行政刷新中の重要なものなのだ。》

 

・この故におよそ事各局に係るものはその当該局長独り責(せめ)に任じ、他の局長は関知せず、乃(すなわ)ち山林の事、商工の事これが局長たる者意見出し、次官大臣これを採用せば、直ちに命令を発して可なり。かくの如くするときは今日三月(みつき)を費(ついや)す事項も、四、五日乃至(ないし)十日を以てこれを弁ずべし。而(しか)して局長たる者、ますます奮励して事に従うや必せり、これその人を尊(たっと)ぶ所以(ゆえん)なり。

 

《これだから、だいたい事が、各局に関係するものは、その当該局長一人の責任にし、他の局長は、関知せず、つまり山林の事・商工の事は、この局長である者が意見を提出し、次官・大臣が、これを採用すれば、すぐに命令を発動して、可な(よい)のだ。このようにするときには、今日、3ヶ月を費やす事項も、4・5日か10日で、これを弁別できる。そうして、局長である者は、ますます奮起・努め励んで、事にしたがうのが必ずなる。これは、その人を尊重する理由なのだ。》

 

 

○官とは何ぞ

・かつ官とは何ぞや、本(もと)これ人民のために設(もう)くるものにあらずや、今や乃(すなわ)ち官吏のために設くるものの如し、謬(あやま)れるの甚(はなはだ)しというべし。人民出願し及び請求することあるに方(あた)り、これを却下する時はあたかも過挙(かきょ)あるものを懲(こら)すが如く、これを許可する時はあたかも恩恵を与うるものの如し、何ぞそれ理に悖(もと)るの甚しきや。彼ら元来誰(た)れに頼(よ)りて衣食する乎(や)、人民より出る租税に頼るにあらず乎、乃(すなわち)人民の豢養(かんよう)を受けて、以て生活を為(な)しつつあるにあらず乎。およそ官の物金銭に論勿(な)く、一毫(いちごう)といえども天より落つるにあらず地より出(いず)るにあらず、皆人民の嚢中(のうちゅう)より生ぜしにあらざる莫(な)し。即ちこれ人民は官吏たる者の第一の主人なり、敬せざるを得(う)べけんや。

 

《そのうえ、官とは、何か。元々、これは、人民のために設置したものでないのか。今や、つまり官吏のために設置したもののようだ。誤りが、ひどいというべきだ。人民が出願・請求することがあるのにあたって、これを却下する時は、あたかも過失があるものを、こらしめるようで、これを許可する時は、あたかも恩恵を与えるもののようで、どうして、そのように、理に背(そむ)くのが、ひどいのか。かれらは、本来、誰に頼って衣食しているのか。人民から出る租税に頼っていないのか。つまり人民の養育を受けて、それで生活をしつつあるのでないのか。だいたい官の物は、金銭には無論、わずかといっても、天から落ちたものでもない、地から出たものでもない。すべて、人民の財布の中から生み出されていないものはない。つまり、このように、人民は、官吏である者の第1の主人なのだ。尊敬せざるをえないのだ。》

 

 

○民権自由は欧米の専有にあらず

・民権これ至理なり、自由平等これ大義なり。これら理義に反する者は竟(つい)にこれが罰を受けざる能(あた)わず、百の帝国主義ありといえどもこの理義を滅没することは終(つい)に得(う)べからず。帝王尊(たっと)しといえども、この理義を敬重(けいちょう)してここに以てその尊を保つを得べし。この理や漢土にありても孟軻(もうか)、柳宗元(りゅうそうげん)早くこれを覰破(しょは)せり、欧米の専有にあらざるなり。

 

《民権、これは、至極の理なのだ。自由・平等、これは、偉大な義なのだ。これらの理・義に反するものは、結局、これが罰を受けないことはできない。100の帝国主義があるといっても、この理・義を消滅することは、結局、できない。帝王は、尊貴だといっても、この理・義を尊重して、こういうわけで、その尊貴を保つことができる。この理は、中国にあっても、孟子・柳宗元(唐代中期の学者)が早く、これを見破り、欧米の専有でないのだ。》

 

 

○未之有也

・王公将相なくして民ある者これあり、民なくして王公将相ある者いまだこれあらざるなり、この理けだし深くこれを考うべし。

 

《王候・公族・将軍・宰相になくて、民にあるものは、これがある。民になくて、王候・公族・将軍・宰相にあるものは、まだこれがないのだ。この理は、思うに、深く、これを考えるべきだ。》

 

 

○考えることの嫌いな国民

・わが邦人(ほうじん)は利害に明(あきらか)にして理義に暗(く)らし。事に従うことを好みて考えることを好まず。それただ考うることを好まず、故に天下の最明白なる道理にして、これを放過してかつて怪(あやし)まず。永年(ながねん)封建制度を甘受し士人(しじん)の跋扈(ばっこ)に任じて、いわゆる切棄(ひりすて)御免の暴に遭うもかつて抗争することを為(な)さざりし所以(ゆえん)の者、正(まさ)にその考うることなきに坐するのみ。それただ考うることを好まず、故におよそその為す所浅薄(せんぱく)にして、十二分の処所(しょしょ)に透徹すること能(あた)わず。今後に要する所は、豪傑的偉人よりも哲学的偉人を得(う)るにあり。

 

《わが国民は、利害に明らかで、理・義に暗い。事にしたがうことを好んで、考えることを好まない。そもそも、ただ考えることを好まない。よって、天下の最も明白な道理で、これを放置して、かつては、怪しまなかった。長年、封建制度を受け入れ、武士の勝手な振る舞いを、なすがままに委任して、いわゆる切り捨てても放免の暴挙に遭遇しても、かつては、抗争することをしなかった理由は、まさに、そのように、考えることがないことを座視したのだ。そもそも、ただ考えることを好まず、よって、だいたい、そのすることが浅はかで、充分すぎる落ち着く場所に、貫徹することができない。今後に必要とすることは、豪傑的偉人よりも、哲学的偉人を得ることにある。》

 

 

○首尾能く出来たり今日の腐敗社会

・新聞記者の口吻(こうふん)もて言えば、わが邦には口の人、手の人多くして脳の人寡(すくな)し。明治中興の初(はじめ)より口の人と手の人と相共に蠢動(しゅんどう)して、そのいわゆる進取の業を開張し来(きた)れることここに三十余年にして、首尾能(よ)く今日の腐敗堕落の一社会を建成(けんせい)せり、わが日本人民何の天に罪かある。

 

《新聞記者の言葉によっていえば、わが国には、口の人・手の人が多くて、脳の人が少ない。明治の中興の最初から、口の人と手の人が、相互で一緒に騒ぎ立てて、そのように、いわゆる進取の事業を開始・拡張し、やってきたことが、ここに30数年で、都合よく、今日の腐敗・堕落の一社会を建設・成立させた。わが日本人民は、天に何の罪があるのか。》

 

 

○工業四種に大別す

・余かつて意(おも)えらく、工業自(おのずか)ら四種に分(わか)つを得(う)べし。第一種は全然人民の創立に任じて少しも干渉を要せざる者、例せば一切粗製に係るもの、即ち紡績の如く、毛糸の如きもの、及び大橋梁(きょうりょう)、大隧道(トンネル)なき鉄道等の如きもの。第二種はいまだ着手せざる前大(おおい)に調査を要する者、惟(おも)うに調査のため若干歳月若干資本を要するにおいては、眼前の利を逐(お)う私人の能(よ)く堪(た)うる所にあらず、故に官これが調査と遂げ、これが結果を与えてその業を興(おこ)さしむる可なり。第三種は独り調査の結果与うるのみならず、なお益金(えききん)を補給することを要する者。第四種は官自(みずか)ら創設して経営し、若干利益を得(う)るを確(たしか)むるに及びて払下ぐべき者。これ皆農商務省の業なり。

 

《私は、かつて、思うに、工業を、自然に4種に分別することができるとした。第1種は、すべて、人民の創立に委任して、少しも干渉を必要としないもの。例えば、すべて粗雑な製品に関係するもの、つまり紡績のようなもの、毛糸のようなもの、大橋・トンネルのない鉄道等のようなもの。第2種は、まだ着手していない前で、大いに調査が必要なもの。思うに、調査のために、若干の年月・若干の資本を必要とすることにおいては、眼前の利益を追求する私人が、充分に耐え切れることでない。よって、官が、この調査を成し遂げ、この結果を与えて、それを興業させるのが、可な(よい)のだ。第3種は、ただ調査の結果を与えるだけでなく、さらに支援金を補給することを必要とするもの。第4種は、官が、自分で創設・経営し、若干の利益を得ると確かめられて、払い下げるべきもの。これは、すべて、農商務省の事業なのだ。》

 

 

○窮屈は大嫌い

・邦人特性和易(わい)にして放漫に流れやすく、坦率にして狎瀆(こうとく)に陥(おちい)りやすし、厳毅(げんき)と荘重(そうちょう)とはその短とする所なり。局に教育に当(あた)る者、当(まさ)に眼を着くる所あるべし。

 

《国民の特性は、穏やかで優しくて、気ままに流れやすく、率直で飾らず、軽蔑におちいりやすい。荘厳な毅然さと荘厳な重々しさは、その短所なのだ。局の教育担当者は、当然、着眼することがあるべきだ。》

 

・この故に看(み)よ、わが邦にあり位級高き人、若(もし)くば財に富む人、即ちやや荘重厳正なるべき人にして、荘重厳正ならずしてかえって物を待つこと和易(わい)にして、あるいは放漫事を事とせざるが如きあらば、衆人皆これを喜びこれを愛して輒(すなわ)ち曰(いわ)く、彼人(かのひと)にしてかくの如しと。その荘重厳正を喜ばざること知るべし、この癖(へき)や家国(かこく)天下において繋(かか)る所極(きわめ)て大なり、経世家大(おおい)に意を矯正に致さざるべからず。

 

《これだから見よ。わが国にあって、地位・階級が高い人・財に富む人は、つまり、やや荘厳な重々しさ・厳正になるべき人で、荘厳な重々しさ・厳正がなく、反対に、物を待つことが、穏やかで優しくて、気ままで、事を事としないようなものがあったりするのは、大勢の人々が皆、これを喜び、これを愛して、つまり、いう、「あの人でも、そのようだ」と。その荘厳な重々しさ・厳正に、喜ばないことを知るべきだ。この習性は、家・国・天下において、関係することが、とても大きい。政治家は、大いに(この)意向を矯正しないわけにはいかない。》

 

 

○晏子御者の集会

・邦人また局量褊狭(へんきょう)にして、小成(しょうせい)に安んずるの傾(かたむき)あり。ただそれ小成に安んず、故に少(すこし)く得意の地を獲(う)るときは、輒(すなわ)ち晏御(あんぎょ)揚々(ようよう)の態を露呈(ろてい)し、甚(はなはだ)しきは直に傲慢(ごうまん)を成し、人を待つ動(やや)もすれば無礼に失するに至る。即ち官衙(かんが)にあり門衛及び受附(うけつけ)の属、及び鉄道会社等にあり切符売(うり)の徒、往々客に傲(おご)り礼を失するが如きは、他の縉紳(しんしん)にありてもあるいは免(まぬが)れず、これその自(みずか)ら安んずるに因(よ)らずんばあらず。ただそれ小成に安んず、……

 

《国民は、また、度量が狭小で、小事の成就に安心する傾向がある。ただ、そのように、小事の成就に安心すると、よって、少し得意な境地を得られたときには、つまり晏子(あんし、晏嬰/あんえい、中国・春秋時代の斉の名宰相)の御者(ぎょしゃ、馬車の運転手)が、誇らしげな態度を露呈し、ひどいのは、すぐ傲慢になり、人を待遇するのも、ともすれば、無礼に過失するのに至る。つまり官庁にあっては、門の守衛・受付の同属や、鉄道会社等にあっては、切符売場の人達が、しばしば、客におごり、礼を失うようなものは、他の紳士にもあって、免れたりしない。これは、それが自分で安心するのに、よらないことはない。ただ、そのように、小事の成就に安心する。……》

 

 

○これ亡国の基

・それ国人各階級、各職業、皆小成(しょうせい)に安んじやすくして、而(しか)して大(おおい)に改むることなきときは、その国家にありて実に寒心(かんしん)すべし。欧米諸国のかくの如く盛大なる者、他なしその民皆孜々(しし)としてその事に勤め、死に之(ゆ)くまで他靡(な)きに由(よ)らずんばあらず。緬甸(ビルマ)、土耳其(トルコ)、埃及(エジプト)、朝鮮等の萎靡(いび)振(ふる)わざる今日の如くなる所以(ゆえん)の者、その民小成に安じて肯(あえ)て勤めざるが故なり。

 

《そもそも国民の各階級・各職業は、すべて、小事の成就に安心しやすく、そうして、大改革することがないときは、その国家にとって、実際に、不安な心になるべきだ。欧米諸国が、そのように盛大なのは、他でもない、その民が皆、熱心に努力して、その事に勤め、死に逝くまで、他になく、(それに)よらないことはない。ミャンマー・トルコ・エジプト・朝鮮等が、衰えて振るわない、今日のようになる理由は、その民が小事の成就に安心して、あえて勤めないからなのだ。》

 

 

○洋々大国の嵐

・大国民と小国民との別は、彊土(きょうど)の大小に因(よ)るにあらず、その気質胸宇(きょうう)の大小にこれ因る。今や英国本土はかくの如くそれ狭小なり、而(しか)して五洲到る処(ところ)英領なきは莫(な)し。而しておよそその作為する所、皆洋々大国の風を呈露(ていろ)せざる莫き者は、その胸宇の大なるに起因せずんばあらず、猗与(ああ)盛(さかん)なりというべし。

 

《大国の民と小国の民の分別は、国土の大小に起因するのではない。その気質・心中の大小に、これは、起因する。今やイギリス本土は、このように、それが狭小なのだが、そうして、5大陸の到る所に、イギリス領がないことがない。そうして、だいたい、その作為した場所が、すべて、満ち溢れて、大国の気風を露呈しないものがないのは、その心中が大きいのに起因しないことはない。ああ、盛んなのだというべきだ。》

 

 

(つづく)