荻生徂徠「弁名」下・読解12~学(1)-(3) | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

○学:9則

 

(1)

・学者、謂学先王之道也。先王之道、在詩書礼楽。故学之方、亦学詩書礼楽而已矣。是謂之四教、亦謂之四術。詩書者義之府也。礼楽者徳之則也。徳者所以立己也。義者所以従政也。故詩書礼楽、足以造士。然其教之法、詩曰誦、書曰読、礼楽曰習。春秋教以礼楽、冬夏教以詩書。仮以歳月、随陰陽之宜以長養之、使学者優柔厭飫于其中、蔵焉脩焉息焉游焉、自然徳立而知明焉。要在習而熟之、久与之化也。是古之教法為爾。論語所謂博文約礼者是也。

 

[学なる者は、先王の道を学ぶをいうなり。先王の道は、詩書礼楽に在(あ)り。ゆえに学ぶの方も、また詩書礼楽を学ぶのみ。これこれを四教といい、またこれを四術という。詩書なる者は義の府なり。礼楽なる者は徳の則(のり)なり。徳なる者は己(おのれ)を立つる所以(ゆえん)なり。義なる者は政に従う所以なり。ゆえに詩書礼楽は、もって士を造るに足る。しかれども、その教うるの法は、詩には誦(じゅ)と曰(い)い、書には読と曰い、礼楽には習と曰う。春秋に教うるに礼楽をもってし、冬夏に教うるに詩書をもってす。仮りに、歳月をもってし、陰陽の宜(よろ)しきに随(したが)いて、もってこれを長養し、学者をして、その中に優柔厭飫(えんよ)し、これを蔵し、これを脩(おさ)め、ここに息(いこ)い、ここに游(あそ)ばしめば、自然に徳、立ちて知、明らかなり。要は習いて、これに熟し、久しゅうして、これと化するに在るなり。これ古(いにしえ)の教法、しかりと為(な)す。論語にいわゆる「博文約礼」なる者、これなり。]

 

《学なるものは、先王の道を学ぶことをいうのだ。先王の道は、詩・書・礼・楽にある。よって、学ぶ方法も、また、詩・書・礼・楽を学ぶのだ。これ(先王の道)は、これ(詩・書・礼・楽)を4教といい、また、これ(詩・書・礼・楽)を4術という。詩・書なるものは、義の倉庫なのだ。礼・楽なるものは、徳の法則なのだ。徳なるものは、自己を確立する理由なのだ。義なるものは、政治にしたがう理由なのだ。よって、詩・書・礼・楽は、それで士(大夫/たいふの下位)を建造するのに充分だ。しかし、その(先王の道の)教える方法は、詩では、唱えるといい、書では、読むといい(読誦)、礼・楽では、習う(習慣)という。春・秋(農繁期)で教えるのには、礼・楽によってし、冬・夏(農閑期)で教えるのには、詩・書によってする。仮りに、年月によってし、陰陽がよいのにしたがって、それでこれ(士)を生長・養育し、学ぶ者を、その中で優柔・満足させ、これ(学)を内蔵し、これ(学)を修得し、これ(学)を休息し、これ(学)を遊戯させれば、自然に徳が確立して、知が明白になる。要するに、習って、これ(学)に熟練し、長くて、これ(士)に変化することにあるのだ。これは、昔の教えの方法で、そのようだとする。『論語』のいわゆる「博文約礼(文を博し、礼を約する)」(9-215)なるものは、これなのだ。》

 

・雖然、先王之道所以安民也。故学先王之道、而不知其所以然、則学不可得而成矣。故孔門之教、必依於仁。苟其心常依先王安民之徳、造次於是、顛沛於是、終食之間、不敢与之離、則徳之成也速、而可以達先王之心也。雖然、先王安民之徳大矣。故孔門之教、又必依中庸。所謂孝弟忠信是也。辟如登高必自卑、行遠必自邇。由此以進、庶乎足以馴致高明広大之域。其説具於論語中庸。学者所当竭力也。是孔門之教、非故求勝於先王之教。蓋世衰賢者不用、退而独善其身者、不為鮮矣。則或忘斯道為先王安民之道者、勢之所至也。故孔門之教、以依於仁為成徳之要焉。世衰民不興行。中庸之徳乃鮮矣。基之不立、何以能学。故孔門之教、又以孝悌忠信為進德之本焉。是以雖千万世之後、学聖人之道者、必以詩書礼楽為本業、以依仁与中庸求成其徳、則亦為不畔於先王孔子之教已。

 

[しかりといえども、先王の道は、民を安んずる所以(ゆえん)なり。ゆえに先王の道を学べども、そのしかる所以を知らずんば、すなわち学は得て成すべからず。ゆえに孔門の教えは、必ず仁に依(よ)る。いやしくも、その心、常に先王の民を安んずるの徳に依りて、造次もこれにおいてし、顛沛(てんぱい)もこれにおいてし、終食の間も、敢(あ)えて、これと離れずんば、すなわち徳の成るや速(すみや)かにして、もって先王の心に達すべきなり。しかりといえども先王の民を安んずるの徳は大なり。ゆえに孔門の教えは、また必ず中庸に依る。いわゆる孝弟忠信、これなり。辟(たと)えば高きに登るに必ず卑(ひく)きよりし、遠きに行くに必ず邇(ちか)きよりするがごとし。これに由(よ)りて、もって進まば、もって高明広大の域に馴致するに足るに庶(ちか)し。その説は論語・中庸に具(そなわ)る。学者の当(まさ)に力を竭(つ)くすべき所なり。これ孔門の教えは、故(ことさら)に先王の教えに勝たんことを求むるにあらず。けだし世、衰え賢者、用いられず、退きて独り、その身を善くする者、鮮(すくな)しと為(な)さず。すなわち或いは斯道(しどう)の先王の民を安んずるの道為(た)ることを忘るる者は、勢いの至る所なり。ゆえに孔門の教えは、仁に依るをもって徳を成すの要と為す。世、衰えて民は興(おこ)り行わず。中庸の徳は、乃(すなわ)ち鮮し。基の立たざる、何をもってか、よく学ばん。ゆえに孔門の教えは、また孝悌忠信をもって徳を進むるの本と為す。ここをもって千万世の後といえども、聖人の道を学ぶ者、必ず詩書礼楽をもって本業と為し、仁と中庸とに依るをもって、その徳を成さんことを求むるときは、すなわち、また先王・孔子の教えに畔(そむ)かずと為すのみ。]

 

《そうはいっても、先王の道は、民を安寧する理由なのだ。よって、先王の道を学んでも、それ(士)が、そのような理由を知らなければ、つまり学は、得て、成就することができない。よって、孔子の門徒の教えは、必ず仁に依拠する。もしも、その(仁の)心が、常に先王の民を安寧する徳に依拠して、わずかな間も、これ(仁)においてし、とっさの場合も、これ(仁)においてし、食事の間も、あえて、これ(仁)を離れ去らなければ、つまり徳が成就するの(成徳)は、速やかで、それで先王の心に到達することができるのだ。そうはいっても、先王が民を安寧する徳は、偉大なのだ。よって、孔子の門徒の教えは、また、必ず『中庸』に依拠する。いわゆる孝・悌・忠・信は、これ(孔子の門徒の教え)なのだ。例えば、高い所に登るのに、必ず低い所からし、遠い所に行くのに、必ず近い所からするようなものだ。これ(先王の道)によって、それで進めば、それで高明・広大の領域に、しだいに到達するのに充分近づく。その説は、『論語』・『中庸』に具備する。学ぶ者が当然、力を尽くすべきことなのだ。これは、孔子の門徒の教えが、故意に先王の教えに勝ることを探し求めるのでない。思うに、世の中が衰退し、賢者が不用で、退いて、一人その(自分の)身をよくするものが、少ないとはならない。つまり孔子の道が、先王の民を安寧する道であることを忘れたりするものは、勢いが至ることなのだ。よって、孔子の門徒の教えは、仁に依拠することによって、徳を成就するのを、主要とする。世の中が衰退し、民は、盛んに行わない。『中庸』の徳は、つまり少ない。基本が確立しないで、何によって、充分に学ぶのか。よって、孔子の門徒の教えは、また、孝・悌・忠・信によって、徳を進めることを根本とする。こういうわけで、全時代の後といっても、聖人の道を学ぶものは、必ず詩・書・礼・楽を本業とし、仁と『中庸』に依拠することによって、その徳を成就することを探し求めれば、つまり、また、先王・孔子の教えに背かないとするのだ。》

 

 

(2)

・朱子論語集註曰、学之為言效也。後覚者必效先覚之所為。仁斎先生曰、学者效也覚也。有所效法而覚悟也。学字之訓、兼此二義、而後其義得尽矣。所謂效者、猶学書者、初只得臨摹法帖、效其筆意点画也。而所謂覚者、猶学書既久、而後自覚悟於古人用筆之妙也。是二先生、皆不務学聖人之道、而務学聖人者耳。故欲效法聖賢所言所行以悟聖賢之心。辟諸大匠授人規矩、而其人不遵其規矩以学之、乃欲效法大匠之所為、以悟其用斤之妙。則其不傷手創鼻者幾希矣。豈不謬乎。且学之為言効也。本言効之音転為学之音已。然効学一分、豈可即以学為効乎。徒以字義為解。苟使無先王教法猶之可也。今舎先王教法、而欲従其所好、乃旁授字義為之解。適足以見其不学之過已。

 

[朱子の論語集註にいわく、「学の言為(た)る效(こう)なり。後覚者は必ず先覚の為(な)す所に效(なら)う」と。仁斎先生いわく、「学なる者は效なり、覚なり。法を效する所ありて覚悟するなり。学の字の訓は、この二義を兼ねて、しかる後その義は尽くすことを得たり。いわゆる效なる者は、なお書を学ぶ者、初めはただ法帖を臨摹(りんも)して、その筆意、点画に効うことを得るがごときなり。しこうして、いわゆる覚なる者は、なお書を学ぶこと、すでに久しく、しかる後、自(みずか)ら古人用筆(ようひつ)の妙を覚悟するがごときなり」と。これ二先生、皆、聖人の道を学ぶことを務めずして、聖人を学ぶことを務むる者のみ。ゆえに聖賢のいう所、行う所に法を效して、もって聖賢の心を悟らんと欲す。これを大匠、人に規矩を授(う)くれども、その人その規矩に遵(したが)いて、もってこれを学ばずして、乃(すなわ)ち大匠の為す所の法を效して、もってその斤の用うるの妙を悟らんと欲するに辟(たと)う。すなわち、その手を傷つけ鼻を創(きず)つけざる者は幾希(すくな)し。あに謬(あやま)らずや。かつ「学の言為(た)る効なり」とは、もと効の音、転じて学の音と為るをいうのみ。しかれども効は学の一分(いちぶん)にして、あに即(ただち)に学をもって効と為すべけんや。徒(いたず)らに字義をもって解と為す。いやしくも先王の教法なからしめば、なお可なり。今、先王の教法を舎(す)てて、その好む所に従わんと欲し、乃ち旁(かたわ)ら字義を援(ひ)きて、これが解を為す。適(まさ)に、もってその不学の過ちを見るに足るのみ。]

 

《朱子の『論語集註』によると、「学の言葉であるのは、真似なのだ。後に覚る者は、必ず先に覚りをなしたことに習う」。伊藤仁斎先生がいう、「学なるものは、真似なのだ。覚りなのだ。方法を真似することがあって、覚り悟るのだ。学の字の注釈(訓注)は、この(效と覚の)2つの意義を兼ね備えて、はじめて、その(学の)意義は、尽くすことを得られる。いわゆる效なるものは、ちょうど書を学ぶ者が、最初は、ただ手本を、見ながら書いたり、写して書いて、その筆の意思が、(手本の)点・画(かく)に真似ることを得るようなものなのだ。そうして、いわゆる覚なるものは、ちょうど書を学ぶことが、すでに長くて、はじめて、自分で昔の人が使用した筆の巧妙さを覚り悟るようなものなのだ」(『語孟字義』学1章)と。これは、2人の先生が、両者とも、聖人の道を学ぶことを務めないで、聖人を学ぶことを務めたものなのだ。よって、聖人・賢者のいうこと・行うことに、方法を真似して、それで聖人・賢者の心を悟りたいとする。これを立派な職人は、人にコンパス・定規を授かったが、その人は、そのコンパス・定規にしたがって、それでこれを学ばないで、つまり立派な職人がする方法を真似て、それでその斧の使用する巧妙さを悟りたいとするのに、例えられる。つまり、その手を傷つけて、鼻を傷つけないものは(創傷)、少ない。どうして誤りでないのか(いや、誤りだ)。そのうえ、「学の言葉であるのは、真似なのだ」とは、元々、効の音が転化して、学の音になったことをいうのだ。しかし、効は、学の一部分で、どうして、すぐに学を効とすることができるのか(いや、できない)。無駄に、字の意義を解釈とする。もしも、先王の教えでないとさせるならば、なおも可な(よい)のだ。今、先王の教えを捨てて、それ(朱子)が好むことにしたがいたいとし、つまり派生した字の意義を援用して、これが解釈とする。まさに、それでその(朱子の)不学の過失を見るのに充分なのだ。》

 

・且孔子之所伝、非六経乎。当其時、亦安知有所謂論語孟子者哉。蓋宋儒以論語孟子合諸大学中庸、命曰四書、加以小学近思録之類、以立一家之学。其意既已弁髦六経。尚且有所忌憚、而未敢明言之。今観世之伝其学者、可以見已。

 

[かつ孔子の伝うる所は、六経にあらずや。その時に当(あた)りて、また安(いずく)んぞ、いわゆる論語・孟子なる者あるを知らんや。けだし宋儒は論語・孟子をもって、これを大学・中庸に合(あわ)せ、命(なづ)けて四書と曰(い)い、加うるに小学・近思録の類をもってし、もって一家の学を立つ。その意、すでに六経を弁髦(べんぼう)とす。なおかつ忌憚(きたん)する所ありて、未だ敢(あ)えて、これを明言せず。今、世のその学を伝うる者を観るに、もって見るべきのみ。]

 

《そのうえ、孔子が伝えたことは、6経でないのだ。その(孔子の)時代にあたって、また、どうして、いわゆる『論語』・『孟子』なるものがあることを知るのか(いや、知らない)。思うに、宋代の儒学者は、『論語』・『孟子』によって、これを『大学』・『中庸』に合わせ、命名して4書といい、加えて、『小学』・『近思録』の同類によってし、それで一学派の学問を確立させた。その(宋代の儒学者の)意思は、すでに6経を無用とする。それでもやはり、遠慮することがあって、まだあえて、これ(6経の無用)を明言していない。今、世の中で、その(宋代の儒学者の)学問を伝えるものを観察すると、それで見ることができるのだ。》

 

・至於仁斎先生、乃公然抗言而曰、三代之時、教法未立。学問未闢。直至孔子、始斬新開闢、猶日月之麗于天、而万古不墜。故三代以前之書、当以三代以前之説求之。孔孟之書、当以孔孟之旨解之。果其説之是乎。孔子所苦心訪求者、乃為無用之長物、而門人孟子之功、反大於孔子。豈不妄説之甚夫。故不本諸先王教法、而別立学問之方者、皆非孔子之旨。学者其思諸。

 

[仁斎先生に至りては、乃(すなわ)ち公然と抗言していわく、「三代の時、教法、未だ立たず、学問、未だ闢(ひら)けず。直ちに孔子に至りて、始めて斬新開闢(かいへき)し、なお日月の天に麗(かか)りて、万古に墜(お)ちざるがごとし。ゆえに三代以前の書は、当(まさ)に三代以前の説をもって、これを求むべし。孔・孟の書は、当に孔・孟の旨をもって、これを解すべし」と。果(はた)して、その説の是(ぜ)ならんか、孔子の心を苦しめて訪(と)い求めし所の者は、すなわち無用の長物と為(な)り、しこうして門人孟子の功は、反(かえ)って孔子より大なり。あに妄説の甚(はなは)だしきならずや。ゆえにこれを先王の教法に本づけずして、別に学問の方を立つる者は皆、孔子の旨にあらず。学者それこれを思え。]

 

《伊藤仁斎先生に至っては、つまり公然と、反抗の言葉でいう、「3代(夏王朝・殷王朝・周王朝)の時代に、教えは、まだ確立しておらず、学問は、まだ切り開かれていない。直後の孔子に至って、はじめて、新しく切り開かれ、ちょうど日・月が天にかかって、太古から落ちないようなものだ。よって、3代以前の書物は、当然、3代以前の説によって、これ(6経)を探し求めるべきだ。孔子・孟子の書物は、当然、孔子・孟子の主旨によって、これ(『論語』・『孟子』)を解釈すべきだ」(『語孟字義』鬼神3条)と。本当に、その説が是な(正しい)のか、孔子の心を苦しめて、問いかけて探し求めたものは、つまり無用の長物となり、そうして、(孔子の)門徒の孟子の功績は、反対に、孔子よりも偉大なのだ。どうして妄説がひどくないのか(いや、ひどい)。よって、これ(6経)を先王の教えに基づけないで、別に学問の方法を確立するものは、すべて、孔子の主旨でない。学者は、それでこれ(学)を思慮せよ。》

 

 

(3)

・朱子知行之説、本於博文約礼。然古所謂知行、与博文約礼、所指不同也。博学於文、文謂詩書礼楽。故其所学而知者、在知言在知礼。在言則謂知其文義已。在礼則謂知其節文度数已。不必求深知天地万物之理、性命道徳之奥、与礼楽之原也。約之以礼、謂践礼已。其所学而知者、在外而不在己。至於践礼以行之、而後其散而在外者、収斂以帰諸身。故曰約之。亦不必求諸心也。是博文約礼先後之序為爾。至於知行則不然。知者謂真知之也、行者謂力行之也。力行之久、習熟之至、而後真知之。故知不必先、行不必後。如曰非知艱、行之惟艱、行必力之、故曰艱。知不容力、貴黙而識之。故曰非艱。古之道為爾。

 

[朱子の知行の説は、「博文約礼」に本づく。しかれども古(いにしえ)のいわゆる知行は、博文約礼と指す所、同じからざるなり。「博(ひろ)く文を学ぶ」とは、文は詩書礼楽をいう。ゆえにその学びて知る所の者は、言を知るに在(あ)り、礼を知るに在り。言に在りては、すなわち、その文義を知るをいうのみ。礼に在りては、すなわち、その節文度数を知るをいうのみ。必ずしも深く天地万物の理、性命道徳の奥と礼楽の原(みなもと)とを知ることを求めざるなり。「これを約するに礼をもってす」とは、礼を践(ふ)むをいうのみ。その学びて知る所の者は、外に在りて己(おのれ)に在らず。礼を践みて、もってこれを行うに至りて、しかる後その散じて外に在る者、収斂(しゅうれん)して、もってこれを身に帰す。ゆえに「これを約す」と曰(い)う。また必ずしも、これを心に求めざるなり。これ「博文約礼」の先後の序しかりと為(な)す。知行に至りては、すなわち、しからず。知なる者は、真にこれを知るをいうなり。行なる者は、力(つと)めて、これを行うをいうなり。力行するの久しく、習熟するの至りて、しかる後、真にこれを知る。ゆえに知は必ずしも先ならず、行は必ずしも後ならず。「知るの艱(かた)きにあらず、これを行うこと、これ艱し」と曰うがごときは、行は必ず、これを力む、ゆえに「艱し」と曰う。知は力むるを容(い)れず、黙して、これを識(し)ることを貴(たっと)ぶ。ゆえに「艱きにあらず」と曰う。古(いにしえ)の道、しかりと為す。]

 

《朱子の知行の説は、「博文約礼(文を博し、礼を約する)」(『論語』9-215)に基づく(博文は知、約礼は行)。しかし、昔のいわゆる知行は、博文約礼と指すことが同じでないのだ。「広く文を学ぶ」とは、文が、詩・書・礼・楽をいう。よって、その(昔の)学んで知るものは、言葉を知ることにあり、礼を知ることにある。言葉にあっては、つまり、その(昔の)文章の意義を知ることをいうのだ。礼にあっては、つまり、その(昔の)節度・文章・数量を知ることをいうのだ。必ずしも深く、天地万物の理、生まれ持った本性・運命・道徳の奥、礼楽の始原を知ることを、探し求めていなかったのだ。「これを約するのに、礼によってする」とは、礼を実践することをいうのだ。その(昔の)学んで知るものは、外側にあって、自己にない。礼を実践して、それでこれ(礼)を行うのに至って、はじめて、その(礼の)離散して外側にあるものが、集約して、それでこれ(礼)を自身に帰着する。よって、「これを約す」という。また、必ずしもこれ(礼)を心に探し求めないのだ。(しかし、)これ(朱子)は、「博文約礼」の先と後の順序が、そのようにする(博文の知が先、約礼の行が後)。(昔の)知行に至っては、つまり、そのようでない。知なるものは、本当に、これを知ることをいうのだ。行なるものは、努力して、これを行うことをいうのだ。努力の行いをするのが長く、習熟するのに至って、はじめて、本当に、これを知る。よって、知は、必ずしも先でなく、行は、必ずしも後でない。「知りにくいのでない、これを行うこと、これが難儀だ」(『書経』)というようなものは、行が必ず、これを努力する、よって「難儀」という。知は、努力することを許容せず、沈黙して、これを認識することを尊貴する。よって、「難儀でない」という。昔の道は、そのようだとする。》

 

・朱子又拠大学格物致知誠意正心脩身、以立知先行後之説。殊不知、大学所謂格物者、亦謂習其事而熟之、自然有所得而後知生已。如孟子徳慧術知亦然。唯徳生慧、唯術生知。亦古言也。朱子以窮理解格物。殊不知、窮理者賛聖人作易之言也。豈学者之所能哉。天下之理、不可窮尽。故立一旦豁然之説以済之。夫小道小芸、亦皆有悟。然一事有一事之悟、一節有一節之悟。嚮者所不知、今者忽然知之、謂之悟。然豈有所謂大悟者哉。

 

[朱子はまた大学の格物・致知・誠意・正心・脩身に拠(よ)りて、もって知先行後の説を立つ。殊(こと)に知らず、大学のいわゆる格物なる者は、またその事に習いて、これに熟し、自然に得る所ありて、しかる後、知の生ずるをいうのみ。孟子の「徳・慧(けい)・術・知」のごときもまた、しかり。ただ徳のみ慧を生じ、ただ術のみ知を生ず。また古言なり。朱子は窮理(きゅうり)をもって格物を解す。殊に知らず、窮理なる者は、聖人の易を作りしを賛するの言なることを。あに学者のよくする所ならんや。天下の理は、窮(きわ)め尽くすべからず。ゆえに一旦豁然(かつぜん)の説を立てて、もってこれを済(すく)う。夫(そ)れ小道小芸も、また皆、悟りあり。しかれども一事には一事の悟りあり、一節には一節の悟りあり。嚮者(さき)に知らざる所、今者(いま)、忽然(こつぜん)として、これを知る、これを悟りという。しかれども、あに、いわゆる大悟なる者あらんや。]

 

《朱子は、また、『大学』の格物・致知・誠意・正心・修身に依拠して、それで知先行後の説を確立した。意外にも、『大学』のいわゆる格物なるものは、また、その事を学習して、これに熟練し、自然に得ることがあって、はじめて、知が生じることをいうのを、知らないのだ。『孟子』の「徳・慧・術・知」(11-194)のようなものも、また、そのようだ。ただ徳だけが、慧(聡敏)を生じ、ただ術だけが、知を生じる(知慧/ちけい)。また、古い言葉なのだ。朱子は、窮理(理を探究すること)によって、格物を解釈する。意外にも、窮理なるものは、聖人が易を作ったことを称賛する言葉なのを、知らない。どうして学ぶ者が充分なのか(いや、充分でない)。天下の理は、探究し尽くすことができない。よって、一瞬で視野が大きく開く説を確立して、それでこれ(窮理)を救済した。そもそも卑小な道・芸も、また、すべて、悟りがある。しかし、ひとつの事には、ひとつの事の悟りがあり、ひとつの節には、ひとつの節の悟りがある。先に、知らないことが、今に、突然として、これを知る、これを悟りという。しかし、どうして、いわゆる偉大な悟りなるものがあるのか(いや、ない)。》

 

・浮屠以出離生死為学。而生死不可出離。故有大悟之説。今推以合諸聖人之道。豈有之乎。果其説之是乎。非行之艱、知之艱也。其於経文、豈不相反乎。致知誠意正心脩身、皆格物之功效、可見其不必分先後已。陽明先生知行合一之説、可謂聡敏之至矣。然亦不知遵先王之教。豈不惜乎。

 

[浮屠(ふと)は生死を出離するをもって学と為(な)す。しかれども生死は出離すべからず。ゆえに大悟の説あり。今、推して、もってこれを聖人の道に合す。あに、これあらんや。果(はた)して、その説の是(ぜ)ならんか、行うの艱(かた)きにあらずして、知るの艱きなり。その経の文におけるは、あに相反せずや。致知・誠意・正心・脩身は皆、格物の功效にして、その必ずしも先後を分(わか)たざることを見るべきのみ。陽明先生の知行合一の説は、聡敏(そうびん)の至りというべし。しかれども、また先王の教えに遵(したが)うことを知らず。あに惜(お)しからずや。]

 

《仏陀(ブッダ)は、生死を出て離れることを、学とする。しかし、生死は、出て離れることができない。よって、偉大な悟りの説がある。今、推察して、それでこれ(偉大な悟りの説)を、聖人の道に合一する。どうして、これがあるのか(いや、ない)。本当に、その(偉大な悟りの)説は、是な(正しい)のか、行いにくいのではなく、知りにくいのだ。それが経書の文章においては、どうして相互に背反しないのか(いや、相互に背反する)。致知・誠意・正心・修身は、すべて、格物の功績・効果で、それが必ずしも、先と後を分別しないことを見ることができるのだ。王陽明先生の知行合一の説は、聡明・鋭敏の至極ということができる。しかし、また、先王の教えにしたがうことを知らない。どうして惜しくないのか(いや、惜しい)。》

 

 

(つづく)