荻生徂徠「弁名」下・読解2~天・命・帝・鬼・神(1)-(4) | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

○天・命・帝・鬼・神:17則

 

(1)

・天不待解。人所皆知也。望之蒼蒼然、冥冥乎不可得而測之。日月星辰繋焉、風雨寒暑行焉。万物所受命、而百神之宗者也。至尊無比、莫能踰而上之者。故自古聖帝明王、皆法天而治天下、奉天道以行其政教。是以聖人之道、六経所載、皆莫不帰乎敬天者焉。是聖門第一義也。学者先識斯義、而後聖人之道可得而言已。後世学者、逞私智而喜自用、其心敖然自高、不遵先王孔子之教、任其臆以言之、遂有天即理也之説。其学以理為第一義。其意謂聖人之道、唯理足以尽之矣。以此其所見、而曰天即理也、則宜若可以為其尊天之至焉。然理取諸其臆、則亦曰天我知之。豈非不敬之甚乎。故究其説、必至於天道無知而極矣。程子曰、天地無心而有化。豈不然乎。易曰、復其見天地之心乎。天之有心、豈不彰彰著明乎哉。故書曰、惟天無親、克敬惟親。又曰、天道福善禍淫。易曰、天道虧盈而益謙。孔子曰、獲罪於天、無所祷也。豈非以天心言之乎。

 

[天は解を待たず。人の皆、知る所なり。これを望めば蒼蒼(そうそう)然、冥冥乎(こ)として得て、これを測るべからず。日月星辰ここに繋(かか)り、風雨寒暑ここに行わる。万物の命を受くる所にして、百神の宗なる者なり。至尊にして比なく、よく踰(こ)えて、これを上(しの)ぐ者なし。ゆえに古(いにしえ)より聖帝・明王、皆、天に法(のっと)りて天下を治め、天道を奉じて、もってその政教を行う。ここをもって聖人の道、六経の載する所は皆、天を敬するに帰せざる者なし。これ聖門の第一義なり。学者、先(ま)ずこの義を識(し)りて、しかる後、聖人の道、得ていうべきのみ。後世の学者は、私智を逞(たくま)しくし自(みずか)ら用うるを喜び、その心、敖然(ごうぜん)として自ら高しとし、先王・孔子の教えに遵(したが)わず、その臆に任せて、もってこれをいい、遂に「天は、すなわち理なり」の説あり。その学は理をもって第一義と為(な)す。その意に謂(おも)えらく、聖人の道は、ただ理のみ、もってこれを尽くすに足れりと。このその見る所をもってして、「天は、すなわち理なり」と曰(い)うときは、すなわち宜(よろ)しく、もってその天を尊ぶの至りと為すべきがごとし。しかれども理は、これをその臆に取れば、すなわち、また「天は我これを知る」と曰う。あに不敬の甚(はなは)だしきにあらずや。ゆえにその説を究むれば、必ず、「天道は知ることなし」に至りて極(きわま)る。程子いわく、「天地は心なくして化あり」と。あに、しからざらんや。易にいわく、「復は、それ天地の心を見るか」と。天の心あるは、あに彰彰(しょうしょう)として著明ならずや。ゆえに書にいわく、「惟(これ)天は親しむことなし、克(よ)く敬するに、惟、親しむ」と。またいわく、「天道は善に福し淫に禍す」と。易にいわく、「天道は盈(み)てるを虧(か)きて謙なるに益す」と。孔子いわく、「罪を天に獲(え)ば、祷(いの)る所なきなり」と。あに天の心をもって、これをいうにあらずや。]

 

《天は、解釈を待たない。人が、すべて、知ることなのだ。これ(天)を展望すれば、青々とし、うっすらとして、得て、これ(天)を測ることができない。日・月・星々は、ここ(天)にかかり、風雨・寒暑は、ここ(天)に行われる。万物の生命を受けることで、万神の宗主なるものなのだ。至極の尊崇で比類なく、充分に乗り越えて、これ(天)をしのぐものはない。よって、昔から神聖な帝・聡明な王は、皆、天にのっとって、天下を統治し、天道を信奉して、それでその(天下の)政治・教化を行った。こういうわけで、聖人の道が、6経(詩・書・礼・楽・易・春秋)の記載することは、すべて、天を敬するのに帰着しないものはない。これ(天を敬すること)は、聖人の教えの第一の意義なのだ。学者は、まず、この(第一の)意義を知って、はじめて、聖人の道は、得て、いうことができるのだ。後世の学者は、私的な智恵を強力にし、自分で用いることを喜び、その(私的な智恵の)心は、誇り高くて、自分で高いとし、先王・孔子の教えにしたがわず、その憶測に任せて、それでこれ(天)をいい、結局、「天は、つまり理なのだ」の説がある。その学問は、理を第一の意義とする。その意味は、思うに、聖人の道は、ただ理だけで、それでこれ(天)をいい尽くすのに充分だ。これは、それ(後世の学者)が見ることによって、「天は、つまり理なのだ」というならば、つまり都合よく、それでそれ(理)が天を尊崇する至極とすることができるようなものだ。しかし、理は、これ(天)をその憶測で受け取れば、つまり、また「天、私は、これを知る」という。どうして不敬がひどくないのか(いや、ひどい)。よって、その(天理の)説を究極すれば、必ず、「天道は、知ることがない」が至極になる。程子(程顥/ていこう+程頤/ていい兄弟)がいう、「天地は、心がなくて、造化がある」と。どうして、そのようでないのか(いや、そのようだ)。(ところが、)『易経』によると、「復(の卦、復帰)は、それが天地の心を見ることか」。天が心ありなのは、どうして明白でないのか(いや、明白だ)。よって、『書経』によると、「これで天は、親しむことがなく、よく敬して、これで親しむ」。また、いう、「天道は、善には幸福で、悪には災禍だ」と。『易経』によると、「天道は、満たせば欠き(虧盈/きえい)、謙遜すると受益する」。孔子がいう、「罪を天から獲得すれば、祈祷することはないのだ」(『論語』3-53)と。どうして天の心によって、これ(心あり)をいうのではないのか(いや、心ありをいうのだ)。》

 

・仁斎先生駁宋儒者至矣。然其学猶之後世之学也。其言曰、以有心視之、則流于災異。若漢儒是也。以無心視之、則陥于虚無。若宋儒是也。可謂善為調停者也已。果其説之是乎、則天也者有心無心之間者也。可謂妄已。夫天之不与人同倫也、猶人之不与禽獣同倫焉。故以人視禽獣之心、豈可得乎。然謂禽獣無心不可也。嗚呼天、豈若人之心哉。蓋天也者、不可得而測焉者也。故曰、天命靡常、惟命不于常。古之聖人、欽崇敬畏之弗遑、若是其至焉者、以其不可得而測故也。

 

[仁斎先生の宋儒を駁(ばく)する者(こと)至れり。しかれども、その学は、これを猶(ひと)しくするに後世の学なり。その言にいわく、「有心をもって、これを視れば、すなわち災異に流る。漢儒のごとき、これなり。無心をもって、これを視れば、すなわち虚無に陥(おちい)る。宋儒のごとき、これなり」と。善く調停を為(な)す者というべきのみ。果たして、その説の是(ぜ)ならんか、すなわち天なる者は、有心・無心の間なる者なり。妄というべきのみ。夫(そ)れ天の人と倫(たぐい)を同じくせざるや、なお人の禽獣(きんじゅう)と倫を同じくせざるがごとし。ゆえに人をもって禽獣の心を視れば、あに得べけんや。しかれども禽獣に心なしというは不可なり。ああ、天は、あに人の心のごとくならんや。けだし天なる者は、得て測るべからざる者なり。ゆえにいわく、「天命、常なし」、「惟(これ)命、常においてせず」と。古(いにしえ)の聖人、欽崇敬畏(きんすうけいい)に、これ遑(いとま)あらざりしこと、かくのごとく、それ至れる者は、その得て測るべからざるをもってのゆえなり。]

 

《伊藤仁斎先生が、宋代の儒学者を批判することに至った。しかし、その(仁斎の)学問は、これと似ているのが、後世の学問なのだ。その(仁斎の)言葉によると、「心ありによって、これ(天)を見れば、つまり天災地異に流浪する。漢代の儒学者のようなものは、これ(天災地異)なのだ。心なしによって、これ(天)を見れば、つまり虚無に陥落する。宋代の儒学者のようなものは、これ(虚無)なのだ」(『語孟字義』天道6条)。(心ありと、心なしが、)よく調停をするものということができるのだ。本当に、その(仁斎の調停の)説が是な(正しい)のか、つまり天なるものは、心ありと、心なしの、間なるものなのだ。妄想ということができるのだ。そもそも天が、人と仲間を同じくしないのは、ちょうど人が鳥獣と仲間を同じにしないようなものだ。よって、人に鳥獣の心を見れば、どうして得ることができるのか(いや、できない)。しかし、鳥獣に心なしというのは、不可(誤り)なのだ。ああ、天は、どうして人の心のようなのか(いや、そうでない)。思うに、天なるものは、得て、測ることができないものなのだ。よって、いう、「天命は、いつもない」(『詩経』)・「これで命は、いつもしない」(『書経』)と。昔の聖人は、崇敬・畏れ慎み、これが暇でないことは、このようで、それ(命)に至るものは、それ(天)が得て、測ることができないのによってだからなのだ。》

 

・漢儒災異之説、猶之古之遺矣。然其謂日食若何、地震若何者、是以私智測天者也。宋儒曰天即理也者、亦以私智測天者也。仁斎先生所謂当求之於冥冥之中。自有陰隲之理者亦然。夫陰隲者天心也。豈可以理言之乎。故其説終帰於以有心無心之間命之。非哉。

 

[漢儒の災異の説は、これを猶(ひと)しゅうするに古(いにしえ)の遺(い)なり。しかれども、その日食は若何(いかん)、地震は若何という者は、これ私智をもって天を測る者なり。宋儒の「天は、すなわち理なり」と曰(い)う者も、また私智をもって天を測る者なり。仁斎先生のいわゆる「当(まさ)にこれを冥冥の中に求むべし。自(おの)ずから陰隲(いんしつ)の理あり」という者もまたしかり。夫(そ)れ陰隲なる者は天の心なり。あに理をもって、これをいうべけんや。ゆえにその説、終(つい)に有心・無心の間をもって、これに命(なづ)くるに帰す。悲しいかな。]

 

《漢代の儒学者の天災地異の説は、これと似ているのが、昔の遺物なのだ。しかし、その日食は、何か、地震は、何かというものは、これが私的な智恵によって、天を測るものなのだ。宋代の儒学者の、「天は、つまり理なのだ」というものも、また、私的な智恵によって、天を測るものなのだ。伊藤仁斎先生の、いわゆる「当然これをうっすらとした中に探し求めるべきだ。自然に、天が無言のうちに民を安定させる理がある」というものも、また、そのようだ。そもそも天が無言のうちに民を安定させるものは、天の心なのだ。どうして理によって、これ(天)をいうことができるのか(いや、できない)。よって、その(仁斎の調停の)説は、結局、心ありと、心なしの、間によって、これ(天)を命名するのに帰着する。悲しいな。》

 

 

(2)

・詩曰、維天之命、於穆不已。本言天之所以降大命於周者、雖深遠不可見、亦滾滾無所底止已。子思以至誠無息論天。是其所特発、古書所無、故借引此詩以為証。豈詩之本旨哉。宋儒弗之察、遂以為天道之本体、亦其所見為爾。夫誠者天之一徳、豈足以尽天哉。

 

[詩にいわく、「維(こ)れ天の命、ああ穆(ぼく)として已(や)まず」と。もと天の大命を周に降(くだ)す所以(ゆえん)の者、深遠にして見るべからずといえども、また滾滾(こんこん)として底止(ていし)する所なきをいうのみ。子思(しし)は「至誠、息(や)むことなし」をもって天を論ず。これその特に発する所にして、古書になき所、ゆえに借りて、この詩を引きて、もって証と為(な)す。あに詩の本旨ならんや。宋儒これを察せず、遂に、もって天道の本体と為すも、またその見る所しかりと為す。夫(そ)れ誠なる者は天の一徳にして、あに、もって天を尽くすに足らんや。]

 

《『詩経』によると、「これが天の命で、ああ、深くて止まない」。元々、天の偉大な命を周にくだす理由は、深遠で、見ることができないといっても、また、尽き果てずに、行き止まることがないのをいうのだ。子思(孔子の孫)は、「至極の誠は、止むことがない」(『中庸』14-25)によって、天を論考した。これ(至極の誠)は、それ(子思)が特に発言することで、古書にないことで、よって、仮借して、この『詩経』を引用して、それで証拠とする。どうして『詩経』の本旨になるのか(いや、ならない)。宋代の儒学者は、これを推察せず、結局、それで天道の本体としても、また、その見ることは、そのようだとする。そもそも誠なるものは、天のひとつの徳で、どうして、それで天をいい尽くすのに充分なのか(いや、充分でない)。》

 

 

(3)

・朱子曰、陰陽非道。所以陰陽者是道。仁斎先生曰、陰陽非道。一陰一陽往来不已者是道。説卦伝曰、立天之道。曰、陰与陽。是陰陽、豈非道邪。夫聖人立陰陽為道。而二先生乃欲勝聖人而上之。豈不妄乎。以余観之、其所謂所以陰陽者、亦陰陽耳。往来不已者、亦陰陽耳。二先生皆岐精粗而二之。故皆曰陰陽非道。夫道無精粗、無本末、一以貫之。故子思以誠論之。且大伝所謂一陰一陽之謂道者、本語易道也。故又曰、闔戸謂之坤。闢戸謂之乾。一闔一闢謂之変。往来不窮謂之通。豈非易道邪。且天道、豈可以一言尽乎。然古以福善禍淫論天道、而不及其他者、教之道為爾。諸老先生聖知自処、以知天自負。故喜言精微之理、古聖人所不言者。可謂戻道之甚者已。

 

[朱子いわく、「陰陽は道にあらず。陰陽する所以(ゆえん)の者、これ道」と。仁斎先生いわく、「陰陽は道にあらず。一陰一陽、往来して已(や)なざる者、これ道」と。説卦伝にいわく、「天の道を立つ。いわく、陰と陽と」と。これ陰陽は、あに道にあらざらんや。夫(そ)れ聖人は陰陽を立てて道と為(な)す。しかるに二先生、乃(すなわ)ち聖人に勝ちて、これを上(しの)がんと欲す。あに妄ならずや。余をもって、これを観るに、そのいわゆる「陰陽する所以(ゆえん)の者」も、また陰陽のみ。「往来して已(や)まざる者」も、また陰陽のみ。二先生、皆、精・粗を岐(わか)ちて、これを二つにす。ゆえに皆「陰陽は道にあらず」と曰(い)う。夫(そ)れ道は精粗となく、本末となく、一もってこれを貫く。ゆえに子思(しし)は誠をもって、これを論ず。かつ大伝にいわゆる「一陰一陽をこれ道という」とは、もと易道を語るなり。ゆえにまたいわく、「戸を闔(と)ずるは、これを坤(こん)という。戸を闢(ひら)くは、これを乾(けん)という。一闔(こう)一闢(ぺき)は、これを変という。往来して窮(きわま)らざるは、これを通という」と。あに易道にあらざらんや。かつ天道は、あに一言をもって尽くすべけんや。しかれば古(いにしえ)は善に福し淫に禍するをもって天道を論じて、その他に及ばざりし者は、教えの道しかりと為す。諸老先生、聖知をもって自(みずか)ら処(お)り、天を知るをもって自負す。ゆえに喜びて精微の理、古聖人のいわざる所の者をいう。道に戻るの甚(はなは)だしき者というべきのみ。]

 

《朱子がいう、「陰陽は、道でない。陰陽する理由は、これが道だ」と。伊藤仁斎先生がいう、「陰陽は、道でない。一陰一陽は、往来して止まないもの、これが道だ」(『語孟字義』天道1条)と。(『易経』の)説卦伝によると、「天の道を確立する。陰・陽という」。これは、陰陽が、どうして道でないのか(いや、道だ)。そもそも聖人は、陰陽を確立して道とする。それなのに、2人(朱子・伊藤仁斎)の先生は、つまり聖人に勝って、これ(聖人)をしのごうとした。どうして妄想でないのか(いや、妄想だ)。私によって、これ(陰陽)を観察すると、その(朱子の)、いわゆる「陰陽する理由」も、また、陰陽なのだ。「往来して止まないもの」も、また、陰陽なのだ。2人の先生は、両者とも、精緻と粗雑を分岐して、これを2つにした。よって、両者とも、「陰陽は、道でない」という。そもそも道は、精緻も粗雑もなく、根本も末端もなく、ひとつでこれ(道)を貫く。よって、子思(孔子の孫)は、誠によって、これ(道)を論考する。そのうえ、(『易経』の)繋辞伝の、いわゆる「一陰一陽、これを道という」とは、元々、易道を語るのだ。よって、また、いう、「戸を閉じるのは、これを坤という。戸を開くのは、これを乾という。一閉一開は、これを変という。往来して行き詰まらないのは、これを通という(変通)」と。どうして易道でないのか(いや、易道だ)。そのうえ、天道は、どうして一言でいい尽くすことができるのか(いや、できない)。だから、昔は、善には幸福、悪には災禍によって、天道を論考して、その他に及ばないものは、教えの道が、そのようだとする。様々な老人先生は、聖智によって、自分で対処し、天を知ることによって、自負する。よって、喜んで、精緻の理は、昔の聖人がいわなかったものをいう。道に戻るのは、ひどいものということができるのだ。》

 

 

(4)

・宋儒曰、静止聚散、理為之主宰。是以知天自負者也。仁斎先生曰、天地之道、有生而無死、有聚而無散。死便生之終、散弁聚之尽。天地之道一於生故也。是亦以知天自負者也。夫有聚有散者、其説必至於十二元会而極矣。一於生者、其説必至於今日天地即万古天地而極矣。是皆喜推己所見、以言己所不見、而求人之信己者也。夫孰信之哉。是皆自聖者也。不信古聖人者也。不敬天者也。

 

[宋儒いわく、「生死聚散(しゅうさん)は、理これが主宰と為(な)る」と。これ天を知るをもって自負する者なり。仁斎先生いわく、「天地の道は、生ありて死なく、聚ありて散なし。死は、便(すなわ)ち生の終り、散は、便ち聚の尽くるなり。天地の道は生に一なるがゆえなり」と。これまた天を知るをもって自負する者なり。夫(そ)れ「聚あり散あり」という者は、その説、必ず十二元会に至りて極(きわま)る。「生に一なり」という者は、その説、必ず「今日の天地は、すなわち万古の天地なり」に至りて極る。これ皆、喜びて己(おのれ)が見る所を推して、もって己が見ざる所をいいて、人の己を信ぜんことを求むる者なり。夫れ孰(たれ)かこれを信ぜんや。これ皆、自(みずか)ら聖とする者なり。古聖人を信ぜざる者なり。天を敬せざる者なり。]

 

《宋代の儒学者がいう、「生死・集散は、理で、これが主宰となる」と。これは、天を知ることによって、自負するものなのだ。伊藤仁斎先生がいう、「天地の道は、生があって、死がなく、集があって、散がない。死は、つまり生の終わることで、散は、つまり集の尽きることなのだ(終尽)。天地の道は、生に統一であるからなのだ」(『語孟字義』天道4条)と。これは、また、天を知ることによって、自負するものなのだ。そもそも「集があり、散がある」というものは、その説が必ず、12進法的に至極する。「生に統一なのだ」というものは、その説が必ず、「今日の天地は、つまり大昔の天地なのだ」に至極する。これは、すべて、喜んで、自己が見ることを推察して、それで自己が見ないことをいって、人が自己を信じることを探し求めるものなのだ。そもそも誰がこれ(自己)を信じるのか。これは、すべて、自分で聖とするものなのだ。昔の聖人を信じないものなのだ。天を敬わないものなのだ。》

 

・夫天也者不可知者也。且聖人畏天。故止曰知命、曰知我者其天乎、而未嘗言知天、敬之至也。至於子思孟子、始有知天之言。然僅言人之性命於天、故以誠為性之徳、是已。孟子亦僅言知天之与善、是已。然二子知天之言一出、而後諸老先生囂然以言天。豈先王孔子敬天之意乎。亦二子好弁之流弊也。易伝有統天御天之文。皆称帝云爾。先天而天弗違、後天而奉天時。皆賛聖人之徳云爾。大氐後世君子、既已傲然求為聖人、亦復不知古文辞。不能読古書、皆遷就以従己故爾。学者思諸。

 

[夫(そ)れ天なる者は、知るべからざる者なり。かつ聖人は天を畏(おそ)る。ゆえに止(ただ)「命を知る」と曰(い)い、「我を知る者は、それ天か」と曰いて、未だ嘗(かつ)て天を知ることをいわざるは、敬の至りなり。子思(しし)・孟子に至りて、始めて「天を知る」の言あり。しかれども僅(わず)かに、人の性の天に命ぜらるることをいい、ゆえに誠をもって性の徳と為(な)す、これのみ。孟子もまた、僅かに天の善に与(くみ)することを知るをいう、これのみ。しかれども二子の天を知るの事、一たび出(い)でて、しかる後、諸老先生、囂然(ごうぜん)として、もって天をいう。あに先王・孔子の天を敬するの意ならんや。また二子の弁を好むの流弊なり。易の伝に「天を統(す)ぶ」「天を御(ぎょ)す」の文あり。皆、帝を称して、しかいう。「天に先んじて天、違(たが)わず、天に後(おく)れて天の時を奉ず」と。皆、聖人の徳を賛するのみ。大氐(たいてい)、後世の君子、すでに傲然(ごうぜん)として聖人為(た)らんことを求むに、また復(ま)た古文辞を知らず。古書を読むこと能(あた)わず、皆、遷就(せんしゅう)して、もって己(おのれ)に従うがゆえのみ。学者これを思え。]

 

《そもそも天なるものは、知ることができないものなのだ。そのうえ、聖人は、天を畏れる。よって、ただ「命を知る」(『論語』20-499)といい、「私を知るものは、それが天か」(『論語』14-369)といって、今まで一度も天を知ることをいわなかったのは、敬の至極なのだ。子思(孔子の孫)・孟子(子思の孫弟子)に至って、はじめて「天を知る」(『中庸』7-15,16-29、『孟子』13-177)の言葉がある。しかし、わずかに、人の本性が天に命令されることをいい、よって、誠を本性の徳とし、これのみだ。孟子も、また、わずかに、天の善に関与することを知るのをいい、これのみだ。しかし、2人(子思・孟子)の天を知る事が、一度出ると、はじめて、様々な老人の先生は、やかましく、それで天をいう。どうして先王・孔子が天を敬する意味なのか(いや、そうでない)。また、2人の弁別を好む悪習なのだ。『易経』の(乾卦象)伝に、「天を統一する」・「天を制御する」(統御)の文章がある。すべて、帝を称して、そのようにいう。「天に先行して、天は、食い違わず、天に後付して、天の時を奉戴する」と。すべて、聖人の徳を称賛するのだ。たいてい、後世の君子(立派な人)は、すでに誇り高くて、聖人であることを探し求めるのに、また、再び古文辞を知らない。古書を読むことができず、すべて、こじつけて、それで自己にしたがうからなのだ。学者は、これを思慮せよ。》

 

 

(つづく)