岡倉天心「茶の本」考察 | ejiratsu-blog

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岡倉天心「茶の本」英文と和訳の抜粋1~5

「茶の本」の中の「老子」・「荘子」

日本の特徴1~6

外面/内面と個体/全体

内容(内面)のない・みえない外形(外面)は、独り歩きする

内容(内面)を外形(外面)の一部とみて、内外一体とする

「老子」読解1~4

「老子」の中の字義1~4

~・~・~

 

 『茶の本』(原題はThe Book of Tea、1906年)は、米国ボストン美術館の中国・日本美術部に当時勤務していた、岡倉天心(本名は覚三、1863~1913年)が、茶道や日本文化の解説書を英語で出版し、没後(1929年)に、天心の弟の英語学者の岡倉由三郎の弟子が、和訳したものです。

 日清戦争が1894~1895年、新渡戸稲造の『武士道』(原文は英語)が1899年で(和訳は1908年)、天心の『東洋の理想』が1903年、日露戦争が1904~1905年、天心の『日本の目覚め』が1904年、『茶の本』が1906年と、海外で日本への関心が高まったので、日本紹介のために、これらが書かれました。

 余談ですが、先に『武士道』が、「死の術」として、出版していたので、天心は、後に『茶の本』を、「生の術」として、並立させています(p.23)。

 

 天心は、福井藩士の次男として横浜に誕生し、11歳で、官立・東京外国語学校(現・東京外国語大学)に入学、13歳で、東京開成学校(のちの東京大学)に入学し、16歳で、すでに結婚、18歳で、東京大学文学部を卒業すると、文部省に勤務しました。

 19歳から、米国の東洋美術史家(お雇い外国人教師)のアーネスト・フェノロサと、日本美術を調査しており、20歳で、専修学校(現・専修大学)の教官になりました。

 23歳から、東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)の設立に尽力し、28歳で、その初代校長となり(副校長がフェノロサ)、横山大観らを輩出しましたが、36歳で、その学校から排斥・辞職すると、美術家団体の「日本美術院」を設立し、これ以降は、在野で活動しています。

 41歳で、ボストン美術館の中国・日本美術部に招聘され、日本とボストンを往復する生活になり、その同年に、『東洋(東邦)の理想』、42歳で、『日本の目覚め』、44歳で、『茶の本』を、英語で出版、48歳で、ボストン美術館の中国・日本美術部長に就任し、51歳で、死去しました。

 

 本書は、1日程度で読めるほど、短いので、要約せずに、考察のみとしましたが、注目すべきは、茶の歴史、茶道(芸術文化)での、内実の空虚性、外形の不完全性、芸術鑑賞・作品収集の仕方の、4つなので、ここでは、それらを取り上げることにします(ページ数の表記は、岩波文庫版です)。

 

 

●茶の歴史

 

 茶には、薬の効能があるとされていたので、大いに重んじられ、道教徒は、不死の霊薬の重要な成分があるとし、仏教徒は、長時間の黙想中の睡魔予防剤としたので、服用しました。

 茶の進化は、おおむね、煎茶(せんちゃ、団茶を煮る)・抹茶(ひきちゃ、粉茶を掻き回す)・淹茶(だしちゃ、葉茶を浸す)の3大時期に区分でき、それぞれ唐風で古典主義的(象徴的)・宋風でロマン主義的(写実的)・明風で自然主義的と、性格づけすることで、茶の諸流としています。

 このうち、まず、唐代の団茶では、茶の聖典『茶経』を著作した、唐代・8世紀中葉の詩人の陸羽(りくう)を、茶道の鼻祖(始祖)とし、この時代に、人は、特殊の物の中に万有の反映を見るようになり、陸羽は、茶の湯に、万有を支配しているものと同一の調和と秩序を認めたとしています(p.33)。

 つぎに、宋代の粉茶では、興味が、完成の行為(組織立て)から、完成する過程(永遠の変化)へと移り、仏教徒の間で、僧等が菩提達磨像の前に集まり、1個の碗から茶を飲む、禅の儀式が執り行われ、それが発達したのが、日本の15世紀の茶の湯で、風流な遊びでなく、聖餐な勤めに変容しました(p.36)。

 さらに、明代の葉茶では、元朝が宋文化を破壊したうえ、明朝が内紛にも苦悩したので、昔日の面影がなくなり、風俗・習慣が変化し、現今の湯に浸して飲む喫茶法になり、それが明朝末期に西洋諸国へ伝播しており(p.37)、ここでは、イギリスの紅茶文化の起源につなげています。

 他方、日本へ、唐代の団茶は、聖武天皇に持ち込まれ(729年)、最澄が持ち帰り、比叡山に植え付け(801年)、宋代の粉茶は、栄西が持ち帰り(1191年)、京都・宇治等の3ヶ所に植え付けられたそうです(p.38)。

 そうして、日本の茶の湯は、次のように、まとめられています。

 

 日本の茶の湯においてこそ始めて茶の理想の極点を見ることができるのである。一二八一年蒙古(もうこ)襲来に当たってわが国は首尾よくこれを撃退したために、シナ本国においては蛮族侵入のため不幸に断たれた宋の文化運動をわれわれは続行することができた。茶はわれわれにあっては飲む形式の理想化より以上のものとなった、今や茶は生の術に関する宗教である。茶は純粋と都雅[とが]を崇拝すること、すなわち主客協力して、このおりにこの浮世の姿から無上の幸福を作り出す神聖な儀式を行なう口実となった。茶室は寂寞(せきばく)たる人世の荒野における沃地(よくち)であった。疲れた旅人はここに会して芸術鑑賞という共同の泉から渇(かわき)をいやすことができた。茶の湯は、茶、花卉(かき)、絵画等を主題に仕組まれた即興劇であった。茶室の調子を破る一点の色もなく、物のリズムをそこなうそよとの音もなく、調和を乱す一指の動きもなく、四囲の統一を破る一言も発せず、すべての行動を単純に自然に行なう――こういうのがすなわち茶の湯の目的であった。そしていかにも不思議なことには、それがしばしば成功したのであった。そのすべての背後には微妙な哲理が潜んでいた。茶道は道教の仮りの姿であった。(2章、p.39)

 

 最後で唐突に、茶道の根本を道教としましたが、道教は、不老不死の仙人を理想とする、神仙思想と、老子の無為自然・荘子の万物斉同等による、老荘思想に、大別できます。

 このうち、茶を薬として服用するのは、神仙思想の影響で、喫茶を茶道として芸術化したのは、老荘思想(特に老子の道家)の影響とみているようです。

 

 

●茶道(芸術文化)での内実の空虚性

 

 前述のように、茶の湯は、仏教の禅の儀式(回し飲み)から発達しましたが、天心は、茶道(日本文化)の美を、禅道とともに、道教(特に老子の道家)と結び付けています。

 本書では、「道教がアジア人の生活に対してなしたおもな貢献は美学の領域であった」や、「道教は浮世をこんなものだとあきらめて、儒教徒や仏教徒とは異なって、この憂き世の中にも美を見いだそうと努めている」(3章、p.45)とあります。

 

 そして、まず、老子の道家では、相対的なのが絶対なので(p.41,42)、被支配者(庶民)が自治「する」ために、支配者(為政者)が干渉「しない」、無為自然が主張され、老子の思想の本質は、自分が「しない」ことにより、他人が「する」ように誘発させることです。

 それを日本文化に当て嵌めると、作者が美を隠せば、読者が美を見ようとすることになり、「茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、現わすことをはばかるようなものをほのめかす術である。」(1章、p.29)とあります。

 また、「容易に説明のできるところになんの大教理が存しよう。古(いにしえ)の聖人は決してその教えに系統をたてなかった。彼らは逆説をもってこれを述べた、というのは半面の真理を伝えんことを恐れたからである。」(3章、p.40)とあり、体系化せず、説明困難なことが、大切だとしています。

 それに、「彼らは逆説をもってこれを述べた、というのは半面の真理を伝えんことを恐れたからである。彼らの始め語るや愚者のごとく終わりに聞く者をして賢ならしめた」(3章、岩p.40)とあり、中途半端な理解にならないよう、逆説を利用したり、作者を愚者にし、読者を賢者にしようとしました。

 それらを、次のように、言及しています。

 

 道教徒は主張した。もしだれもかれも皆が統一を保つようにするならば人生の喜劇はなおいっそうおもしろくすることができると。物のつりあいを保って、おのれの地歩[ちほ、役柄]を失わず他人に譲ることが浮世芝居の成功の秘訣(ひけつ)である。われわれはおのれの役を立派に勤めるためには、その芝居全体を知っていなければならぬ。個人を考えるために全体を考えることを忘れてはならない。この事を老子は「虚」という得意の隠喩(いんゆ)で説明している。物の真に肝要なところはただ虚にのみ存すると彼は主張した。たとえば室の本質は、屋根と壁に囲まれた空虚なところに見いだすことができるのであって、屋根や壁そのものにはない。水さしの役に立つところは水を注ぎ込むことのできる空所にあって、その形状や製品のいかんには存しない。虚はすべてのものを含有するから万能である。虚においてのみ運動が可能となる。おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、すべての立場を自由に行動することができるようになるであろう。全体は常に部分を支配することができるのである。

 道教徒のこういう考え方は、剣道相撲(すもう)の理論に至るまで、動作のあらゆる理論に非常な影響を及ぼした。日本の自衛術である柔術はその名を道徳経の中の一句に借りている。柔術では無抵抗すなわち虚によって敵の力を出し尽くそうと努め、一方おのれの力は最後の奮闘に勝利を得るために保存しておく。芸術においても同一原理の重要なことが暗示の価値によってわかる。何物かを表わさずにおくところに、見る者はその考えを完成する機会を与えられる。かようにして大傑作は人の心を強くひきつけてついには人が実際にその作品の一部分となるように思われる。虚は美的感情の極致までも入って満たせとばかりに人を待っている。(3章、p.45-46)。

 

 以上より、重要なのは、その物を充分に知り、全体の統一と、部分どうしの釣り合い(バランス、調和)を、保つとともに、自分の勤めは、他人に譲ることとし、自分が「虚」(空虚)にしておけば、「虚」(虚無)がすべてを含有して万能なので、他人が自由に運動できます。

 これを、茶道(芸術文化)において、自分が作者で、他人が読者とすれば、次のように、図式化できます。

 

※作者:茶道(芸術文化)

・外面の様相=「ある」(存在、形式):儀式の外形

・内面の作用=「する」(思想、行為):空虚の内実 → 読者:感情が入り込み、美を見い出す

 

 たとえば、茶道では、作者が、魅力のある外形の儀式のみとし、内実を空虚にしておけば、読者は、その空虚に感情が入り込み、美を見い出すことができます(美的感動)。

 逆に、外形の儀式を逐一説明すれば、理由・根拠・意味等が内実になるので、そこに感情の入り込む余地がなく、美的感動につながらず、よって、日本文化がわかりにくいのは、形(外面)だけで、実(内面)がないか、みせないからです(だから、説明する際には、隠喩や様相なので、わかりにくいのです)。

 老子の道家の本質は、自分が「しない」こと(無為)なので、自然な外形といえますが、孔子の儒家の本質は、自分が道徳を「する」こと(作為)なので、人工の内実といえ、法律(法家)の本質は、国が規定した「ある」ことなので、人工の外形といえます。

 儒家の道徳・法家の法律の「定義は常に制限」で、その「「一定」「不変」は単に成長停止を表わす言葉」である一方、道家は、「世とともに推移」するのを理想とし、「正邪善悪は単なる相対的の言葉」にすぎません(p.42-43)。

 それとともに、道家は、個人が社会の習慣や国の犠牲になりたくないので、「倫理学においては道教徒は社会の法律道徳を罵倒(ばとう)した」のです(3章、p.42-43)。

 禅では、精進静慮(じょうりょ、精神集中)で自性了解(じしょうりょうげ、本性の安定)の極致に到達できるとしていますが(p.47)、煩悩(ぼんのう、欲望・執着)を捨て去り、悟りを得るのが、仏教の本質なので、煩悩の内実(内心)を捨て去ると空虚・虚無で、外形のみになり、道家と共通します。

 大乗仏教では、万物・万事には、実体がなく(無自性)、諸要素の相互依存関係で成り立っているので(空/くう)、その万物・万事は、人が心にイメージした識(しき)にすぎませんが(唯識)、この外形のみというのは、実(内実、実体・実在)がなく、名ばかり・形だけという意味です。

 そのような唯識の心が、「われらみずからの精神の働きに関係しないものはいっさい実在ではない」(3章、p.48)や、「禅門の徒は事物の内面的精神と直接交通しようと志し、その外面的の付属物はただ真理に到達する阻害と見なした」(3章、p.49)といった中での精神です。

 そうなると、この内心(煩悩)→外形(空)→内心(唯識)の行き来を、「真理は反対なものを会得することによってのみ達せられる」(3章、p.48)といっているようにみえ、自分が「しない」ことにより、他人が「する」ことになる、道家と共通します。

 

 ちなみに、フランスの詩人・小説家のポール・ヴァレリー(1871~1945年)は、「芸術についての考察」(1935年発表、清水徹訳、『ヴァレリー全集5』)で、次のように、言及しており、これは、マルクスの『資本論』(1867年)から発想したようですが、天心の『茶の本』は、ヴァレリーの29年前です。

 

 要するに、芸術作品とは一個の対象物であり、ある個人たちにある種の働きかけを行なおうとしてつくられた、人間による制作物であります。個々の作品とは、あるいは言葉の物質的な意味における物体(オブジェ)であり、あるいは、舞踏や演劇のように行為の連鎖であり、あるいは――音楽がそうなのですが、――同じく行為によって産出される継起的印象の合計であります。こうした対象物を起点とする分析によって、私たちは、私たちの芸術概念を明確にしようと試みることができます。こうした対象物こそ、私たちの探究の確実な要素にほかならぬと見なしうるものなのです。こうした対象物を考察することによって、そしてまた、一方ではそれらの作者へと遡行し、他方ではそれらが感動作用を及ぼす人間への遡行することによって、私たちは、〈芸術〉という現象がふたつにそれぞれ完全に区別されて変形されうるということを見出すのです(それは経済学において生産と消費とのあいだに存在する関係と同じ関係であります)。

 きわめて重要なのは、これらふたつの変形作用――作者からはじまって製造された物体に終わる変形作用と、その物体つまり作品が消費者に変化をもたらすという意味での変形作用――が、相互に完全に独立しているということです。その結果として、このふたつの変形作用は、それぞれべつべつに考えられるべきである、ということになります。

 みなさま方は、作者、作品、観客あるいは聴き手という三つの項を登場させて命題をお立てになる。しかし、この三つの項を統合するような観察の機会は、けっしてみなさま方のまえにあらわれないだろうという意味で、そういう命題はすべて無意味な命題なのです。…(中略)…

 私の辿りつく点というのはこうです。――芸術という「価値」は(この言葉を使うのは、結局のところ私たちが価値の問題を研究しつつあるからですが)本質的に、いま申したふたつの領域(作者と作品、作品と観察者)の同一視不能、生産者と消費者のあいだに介在項を置かねばならぬというあの必然性に従属しているということです。重要なのは、生産者と消費者とのあいだに精神に還元できぬなにものかがあって、直接的交渉が存在しないということ、そして、作品というこの介在体は、作者の人柄や思想についてのある概念に還元できるようななにごとも、その作品に感動する人間にもたらさぬということなのです。…(中略)…

 芸術家と他者(読者)このふたりの内部でそれぞれになにが起こったか、それを厳密に比較するための方法など、絶対にいつになっても存在しないでありましょう。そればかりではありません。もし、一方の内部で起こったことが他方に直接的に伝達されるのだとすれば、芸術全体が崩壊するでありましょう、芸術のもつ力のすべてが消失するでありましょう。他者の存在に働きかける新しい不滲透性の要素の介在がぜひとも必要なのです。

 

 ここでは、芸術において、生産段階での作者-作品の関係と、消費段階での読者-作品の関係は、完全に分断され、不透過的だと指摘されています。

 よって、個人は、2つの関係のズレで、感動したり、つまらなかったりし、私的な評価(価値)となり、人類は、それだけでなく、他作品との相互関係性の中で、自作品の公的な価値が生み出されます。

 それで、その作品に価値があるということは、そこに宿った力(魅力)が働いたとみることができますが、いくらその理由・根拠・意味等を説明しようとしても、後付にすぎず、作者の制作意図と(そもそも作者自身も説明しきれない)、読者の感想が、完全に一致することは、けっしてありません。

 一方、作者が読者に、作品の制作意図等を詳細に説明しすぎると、透過的な作者-作品-読者の関係へと接近してしまうので、作品をいくらか理解しやすくなる反面、作品に感動しない状況になり、「その作品は、科学には近かろうけれども、人情を離れること遠い」(5章、p.67)とあります。

 ここまでみると、茶道での内実の空虚性は、すべての芸術文化にも当て嵌まる、普遍的な出来事なのがわかります。

 

 

●茶道(芸術文化)での外形の不完全性

 

 前述した空虚は、不完全にもつながりそうで、本書では、「茶道の要義は、「不完全なもの」を崇拝するにある」(1章、p.21)や、「たぶん今日においてもこの「不完全」を真摯に静観してこそ、東西相会して互いに慰めることができるであろう」(1章、p.29)とあります。

 そのうえ、「それ(茶室)は「不完全崇拝」にささげられ、故意に何かを仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させるからには「数奇家」である」(4章、p.51)や、「茶室はただ暫時美的感情を満足さすためにおかれている物を除いては、全く空虚である」(4章、p.59)とあります。

 そののち、不完全(完全)は、次のように、言及されています。

 

…わが国の古典的屋内装飾はその配合が全く均斉を保っていた。しかしながら道教や禅の「完全」という概念は別のものであった。彼らの哲学の動的な性質は完全そのものよりも、完全を求むる手続きに重きをおいた。真の美はただ「不完全」を心の中に完成する人によってのみ見いだされる。人生と芸術の力強いところはその発達の可能性に存した。茶室においては、自己に関連して心の中に全効果を完成することが客各自に任されている。禅の考え方が世間一般の思考形式となって以来、極東の美術は均斉ということは完成を表わすのみならず重複を表わすものとしてことさらに避けていた。意匠の均等は想像の清新を全く破壊するものと考えられていた。このゆえに人物よりも山水花鳥を画題として好んで用いるようになった。人物は見る人みずからの姿として現われているのであるから。実際われわれは往々あまりに自己をあらわし過ぎて困る、そしてわれわれは虚栄心があるにもかかわらず自愛さえも単調になりがちである。茶室においては重複の恐れが絶えずある。室の装飾に用いる種々な物は色彩意匠の重複しないように選ばなければならぬ。…(4章、p.60-61)

 

 まず、前提として、前述で、《宋代の粉茶では、興味が、完成の行為(組織立て)から、完成する過程(永遠の変化)へと移った》としましたが、ここでも、《完全そのものよりも、完全を求むる手続きに重きをおいた》(上記文中)としています。

 これは、作者(自己)の作品が、外形のみで、その内実に、読者(客各自)の感情が入り込んで、はじめて完全・完成するとしており、この美的感動は、万国通有です。

 それに加味し、古典的な美は(日本も万国も)、意匠(外形)を均斉(均整、対称形)・均等にする一方、茶道は、均斉や重複を避け、不完全な外形を選んでおり、これは、日本特有です。

 すなわち、日本文化は、万国通有の、内実の空虚性と、日本特有の、外形の不完全性を、併せ持っているのが、特徴といえます。

 

 

●芸術鑑賞・作品収集の仕方

 

 ところで、天心は、芸術文化の作者側というよりも、読者側といえるので、芸術作品の鑑賞・収集の仕方にも、言及しています。

 本書には、まず、「おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである」(1章、p.23)とあります。

 したがって、「無言のものに耳を傾け、見えないものを凝視する」ことで、芸術作品の外形(内実の空虚)に、読者の内心が入り込めば、「心は心と語る」(5章、p.64)ことや、「われわれは傑作によって存するごとく、傑作はわれわれによって存する」(5章、p.65)ように、なるとみています。

 そうなれば、「名匠はわれわれの知らぬ調べを呼び起こす。長く忘れていた追憶はすべて新しい意味をもってかえって来る。恐怖におさえられていた希望や、認める勇気のなかった憧憬(どうけい)が、栄(は)えばえと現われて来る」(5章、p.64)とされています。

 つまり、「美術鑑賞に必要な同情ある心の交通は、互譲の精神によらなければならない。美術家は通信を伝える道を心得ていなければならないように、観覧者は通信を受けるに適当な態度を養わなければならない」(5章、p.65)とあり、作者の伝達の仕方と同様、読者の感受の仕方にも、修養が必要です。

 ただし、次のように、読者(鑑賞者)がどんなに同情・共感しようとしても、自分の審美的個性には限界があるとしています。

 

 しかしながら、美術の価値はただそれがわれわれに語る程度によるものであることを忘れてはならない。その言葉は、もしわれわれの同情が普遍的であったならば、普遍的なものであるかもしれない。が、われわれの限定せられた性質、代々相伝の本性はもちろんのこと、慣例、因襲の力は美術鑑賞力の範囲を制限するものである。われらの個性さえも、ある意味においてわれわれの理解力に制限を設けるものである。そして、われらの審美的個性は、過去の創作品の中に自己の類縁を求める。もっとも、修養によって美術鑑賞力は増大するものであって、われわれはこれまでは認められなかった多くの美の表現を味わうことができるようになるものである。が、畢竟(ひっきょう)するところ、われわれは万有の中に自分の姿を見るに過ぎないのである。すなわちわれら特有の性質がわれらの理解方式を定めるのである。茶人たちは全く各人個々の鑑賞力の及ぶ範囲内の物のみを収集した。(5章、p.68-69)

 

 民本主義(民主主義)の時代の現今美術では、世間一般が評価する物を収集しようとしがちで、「高雅なものではなくて、高価なものを欲し、美しいものではなくて、流行品を欲する」(5章、p.69)し、「作品の良否よりも美術家の名が重要である」(5章、p.70)とする傾向にあります。

 ですが、《われらの審美的個性は、過去の創作品の中に自己の類縁を求める》(上記文中)ので、もし、その芸術において、類縁の精神が合一すれば、それは、神聖な傑作といえます(p.67)。

 その神聖な傑作と出会えば、芸術愛好者は、自己を超越し、存在すると同時に存在しないことになり、彼の精神は、物質の束縛を脱して、物のリズムによって動き、芸術は、宗教に接近し、人間を気高くするとみています(p.67)。

 なお、作品収集では、個人的・審美的眼識からの美術的なアプローチと、人類的・歴史的科学からの考古学的なアプローチを、混同しがちで、前者の美しさを楽しむことを軽視し、後者の博物学的な分類を重視すると、過去からも未来からも、現在の美術が貧弱だといわれかねないとしています(p.70-71)。

 以上から、芸術鑑賞の仕方は、収集目的になるにしたがって、人類的な見方の中で、いかに個人的な見方を確保するかが、重大になってくると主張しているのではないでしょうか。

 これが、科学という内実(用)や人類を重視する、博物館と、芸術という外形(美)や個人を重視する、美術館の、相違点といっているようにもみえます。