日本住居集合論8~前川国男・丹下健三の自邸と低層集合住宅 | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

●前川国男・丹下健三の自邸と低層集合住宅

 

 次回に、質の時代の、戸建的な低層集合住宅を取り上げる予定ですが、その前に今回は、量の時代の、最小限の低層集合住宅には、どのような先駆があったのか、みておいたほうがよいので、ここでは、前川国男・丹下健三の自邸とともに、2人の低層集合住宅を取り上げることにしました。

 

○前川国男の自邸(1942年):32.7坪

 前川は、東京帝国大学工学部建築学科卒業後、ル・コルビュジェの設計事務所員を経験し、その2年後に、帰国してアントニン・レーモンド(フランク・ロイド・ライトの助手で来日)の設計事務所員を経験しています。

 その5年後に、独立して設計事務所を開設し、その7年後に、自宅完成ですが(現在は、江戸東京たてもの園に移築されています)、完成の前年がアジア太平洋戦争の開戦(1941年)で、戦時中の建設でした。

 レーモンドは、日本の伝統・習慣を尊重し、単純性・自然性・経済性・直截性・誠実性を、建築の5原則としており、この自邸での、和モダン(伝統的と近代化の融合)は、レーモンドからの、骨太な表現は、コルビュジェからの、影響とみられます。

 この住宅は、東西両端の、南面以外がやや閉鎖的な、1層分の個室・キッチン・水廻り等と、中央の、南北に開放的な、2層分吹抜のリビングダイニング等を、対比させ、それらを5寸勾配の切妻の大屋根が、妻側を南面させて包み込み、必要なヴォリュームに外形を合致させた、単純な構成です。

 

○前川国男の公団阿佐ヶ谷団地テラスハウスTA・TB(1958年)

 :16坪、2階建、36棟、174戸

 大勢の建築家と同様、前川も、敗戦直後の住宅不足を解消しようと、木造パネル組立式のプレファブ量産型最小限住宅「プレモス」(1946~1951年、14坪)を提案・生産しましたが、販売体制がなかったので、資金力のある、炭鉱の労働者住宅に多用され、1000棟を売り切って終了しています。

 そののち、前川は、住宅公団晴海高層アパート(1958年)と、ほぼ同時期に取り組んだのが、住宅公団分譲の阿佐ヶ谷テラスハウスでしたが、これも前川の設計事務所員だった、大高正人の担当で、大高は、晴海が基町・長寿園高層アパートに、阿佐ヶ谷が坂出人工土地に、影響したとみられます。

 この阿佐ヶ谷住宅は、コンクリートブロック造で、同型が先に公団鷺宮団地(現存)・烏山第1団地(解体)で建設され、1階と2階南側に各室を振り分け、それを最小限の屋根で包み込めば、への字形の切妻屋根・平入になり、必要なヴォリュームに外形を合致させたのは、前川の自邸と同様です。

 屋内は、狭小でしたが、当時先端の風呂付だったうえ(公団設立の1955年当初から、風呂を設置していました)、屋外は、広く豊かな住環境なので、住人が建替に躊躇したのではないでしょうか(2013年に解体)。

 

○丹下健三の自邸(1953年):別述のために省略

 

○丹下健三の旧・高松一の宮住宅団地(1964年)

 :14坪(2階建)・12坪(平屋建)、450戸

 新・旧の一宮団地は、丹下唯一の集合住宅の実作のようで、旧団地は、量の時代に、新団地は、質の時代に、建設されています。

 旧団地は、専用庭付のシングルアクセス型で、水廻りがキッチンと便所しかなく(すぐ近所に、商店とともに、共同浴場を計画)、閉じる要素が少なかったので、南北に大きく開きやすかったと推測できます。

 丹下の自邸では、閉鎖的なキッチン・水廻りを北側中央に配置し、東・南・西の3方を開放的にしていますが、旧団地では、キッチン・便所や階段・収納等を界壁側に一直線に並べ、そこの天井を多少低くすることで、屋根に高低のリズムをつけています。

 20数年後という、短命での解体・建替なので、老朽化よりも、狭小・風呂なしによる、他団地との格差拡大が、原因だったのではないでしょうか。

 公団での内風呂は、1955年以降なので、丹下研究室も、物置を浴室に転用できるようにしておく等、様々な提案をしたようですが、あまり受け入れられなかったようです。

 当時は、予算がなく、丹下研の関与は、1期の計画での最初の1年だけで、それ以降は、香川県のみで実施したので、それに類似した住棟も建設され(屋根に高低がない)、2階建と同類の後継が、香川県営香川団地に残っているようですが、ほとんど使われていません。

 

○丹下健三の香川県営一宮団地(1986年)

 :20坪(1階)・23坪(2・3階)、3階建、431戸

 新団地は、1階がフラット(1層)、2・3階がメゾネット(2層)で、旧団地の特色だった、戸外の充実を幾分か受け継ぎ、フラットでは、地上テラスを、メゾネットでは、屋上テラスを、確保しています。

 アクセス道路と反対側がダイニングキッチンなので、ダイニングキッチン(それに隣接する和室をリビングに想定)は、北面する住戸もあり、空地をはさんで、南面する住戸と向かい合うこともあり、旧団地の南面偏重から解放されています。

 量の時代では、規模が小さかったので、正方形に近い平面だった一方、質の時代では、規模が増やせたので、縦長平面が多くなっていきましたが(フロンテージセーブ)、その変化は、この新旧団地で実感できます。

 

(つづく)