日本住居集合論7~吉阪隆正の自邸と人工土地 | ejiratsu-blog

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人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

(つづき)

 

 

●吉阪隆正の自邸と人工土地

 

 人工土地の概念は、広範で、土木による水平的な、海の埋立での陸化や、杭打での人工地盤と、建築による垂直的な、土地の立体的な高度利用に、大別できますが、ここでは、建築を取り上げることにします。

 近代建築では、ル・コルビュジェがドミノ・システム(1914年)を提唱して以降、人工土地の概念に発展し、ドミノ・システムとは、建築の積層には、鉄筋コンクリート造の床版(スラブ)、それを支持する柱、各階にアクセスする昇降装置の、3者のみが、主要な構成要素としたことです。

 ここから、近代建築の5原則(1926年)のうち、ピロティ・自由な平面・自由な立面・水平横長の窓が導き出され、最上階の陸屋根を屋上庭園にすれば、建築で喪失した地面の自然を、移し替えたことになります。

 日本では、高度経済成長期から、人工土地の概念が登場しましたが、次のように、当初から、スケルトンとインフィルの概念にも、踏み込んでいます。

 

○吉阪隆正の自邸(1955年):22.5坪

 吉阪は、早稲田大学理工学部建築学科で、今和次郎の指導により、民家とその生活を調査し、大学院を修了後、そこの助手になり、その7年後に、教員(助教授)を休職してフランスに留学し、コルビュジェの設計事務所員を経験、帰国後には、大学に復職して研究と実作を両立しました。

 その直後には、戦後の住宅・宅地不足を解消するため、画一化された公営住宅(51C型が発明)の代替案として、人工公営土地(1953年)を提案しました。

 そこでは、上下水道・電気・ガス等のインフラが整備された、鉄筋コンクリート(RC)造の立体的な人工土地を、行政が提供し、そこに個人の趣味・嗜好で自由・安価に、庭付の住戸を建設すべきとしています。

 これは、スケルトンとインフィルの分離の先駆ともいえ、スケルトンは、コルビュジェのドミノ・システムの高層化で、インフィルは、専門家の科学技術が突出せず、生活者の創意工夫で工作すべきとし、それは、今和次郎の民家・生活調査から、人と物の調和をみたからで、2人の影響が合体した提案です。

 吉阪の自邸建設は、住宅金融公庫の融資に当選したのがきっかけで、彼は、渡仏前から敷地内のバラック小屋に住んでいましたが、RC造の躯体(人工土地)ができた段階で、資金を使い果たしたため、そこから自力で徐々に作っていきました。

 自邸は、2年で完成し、安価にできたので、行政が人工土地を提供してくれれば、住人の数年の収入でマイホームが取得でき、住宅不足が解消すると主張しています。

 ピロティは、地面を、建築から解放させるのが理念で、子供の遊び場に開放しても、住人の人工土地での生活は、邪魔されないうえ、2階テラスと、3階陸屋根の屋上で、敷地以上に庭が増えることになります。

 ちなみに、菊竹のスカイハウス(1958年)は、吉阪の浦邸(1956年)と、正方形平面の四辺の中間に配置した4本の壁柱で、ピロティを支持するのが、類似していますが、自邸、浦邸、ヴィラ・クゥクゥ(1957年)と、吉阪の初期のRC造の住宅は、1方の開放が中心なので、洞窟的です。

 それとは対照的に、スカイハウスは、4方のほぼ均等な開放なので、寝殿的といえ、構造は、類似していても、表現は、真逆ではないでしょうか。

 

○大高正人の坂出人工土地(坂出市営京町団地、1968~1986年)

 :9坪・11坪・12坪、1~4階建、142戸

 メタボリズムとは、新陳代謝のことで、1960年の世界デザイン会議の日本開催のために、日本の若手建築家・都市計画家等がグループを結成し、生命が有機的に更新・増殖するように、建築・都市も、そうすべきだと、様々な将来像のアイデアを提案しました。

 このコンセプトは、大阪万博(1970年)・沖縄海洋博覧会(1975年)等に受け継がれましたが、ほとんどが集合住宅の大量供給の提案だったので、住宅が量から質の時代へ移行すると(1973年以降)、その必要がなくなり、しだいに活動も終息しました。

 メタボリズムのメンバーの建築家のうち、菊竹清訓(スカイハウス)・黒川紀章(中銀カプセルタワービル/1972年)は、天空派で、大高(広島市営基町・広島県営長寿園高層アパート/1972~1978年)・槙文彦(代官山ヒルサイドテラス/1969~1998年)は、大地派と、よばれたりします。

 坂出人工土地は、メタボリズムのメンバーの都市計画家の浅田孝と大高が中心となって計画し、道路から歩車共存のスロープでアプローチできる、鉄筋コンクリート造の人工土地の、下部には、市民ホール・商店街・駐車場を、上部には、集合住宅・公園を、整備することで、立体的に有効利用しています。

 人工土地は、9.18m四方で柱を立てて梁を架け、表通り沿い2面(2・4期)は、地面からの高さが9.0mで、1~3階が地権者の店舗・住宅、その他(1・3期)は、高さが5.3mで、駐車場・路地裏店舗となっており、住宅は、市民ホール上が平屋の斜面型(3期)、その他が1~4階建の階段室型です。

 敷地は、市が、表通り沿いの商店街の土地を買収せず(2・4期)、裏側の地価の安い、残りの土地だけを買収したので(1・3期)、地権者と市の権利関係が複雑になり、老朽化した現在、維持管理の負担で難航することが予想できます。

 本来ならば、スケルトンとインフィルを分離すべきで、通常の構想では(吉阪も)、行政が地権者となってスケルトンを建造し、個人がインフィルを工作するのを想定していましたが、坂出人工土地の表通り沿い2面(2・4期)のために、各地権者と市で、区分所有するしかないのが、現状です。

 よって、スケルトンとインフィルが混交し、所有は、行政が、住宅インフィルのすべて+人工土地スケルトンの8割で、地権者の集団が、土地のすべて+人工土地スケルトンの2割と、行政も地権者達も相互介入しているので、双方とも思い通りになるのは、相当困難です。

 インフィルの市営住宅は、4期(1986年)になって、はじめて風呂・洗面が設置され、1~3期(1968,74,73年)には、キッチンと便所しかなかったので、バルコニーに自前でユニットバス等を増設する住戸もあります(シャワーもないので、銭湯に数年通えば、ユニットバスが買える代金になります)。

 狭小+風呂・洗面なし+老朽化した住戸ならば、坂出駅に近くて好立地でも、空室が多くなるのは、当然ですが、快適にしすぎても、市営住宅内で格差ができてしまい、行政のジレンマです。

 

○大阪ガスの未来型実験集合住宅NEXT21(1993年)

:地下1階・地上6階建、18戸

 集合住宅で、スケルトンとインフィルを分離するには、充分な階高を確保する必要がありますが、公共も民間も、ずっと経済合理性を追求してきたので、ほとんど普及せずに、住宅が量から質の時代へ移行したため、専門家の実験でしか、成り立たないのが現状のようです。

 この集合住宅は、大阪ガスの期間限定の社宅で、希望の社員家族が5年間居住し、間取りを作り変えて、また、別の社員家族が5年間居住を、繰り返すことで、生活・環境・エネルギーのデータを収集・研究する、実験住棟です。

 さすがに、5年サイクルの引越とリフォームは、人を名目上は契約終了・実質上は強制退去、物を浪費し、どちらも環境によくないので、4度目から7年に延長しています。

 従来の集合住宅では、外壁・界壁を耐力壁とするので、住戸は、柱・梁の間に固定化され、移動できませんが、ここでは、耐力壁なしの純ラーメン構造です。

 これにより、外壁・界壁も自由な間取りが実現でき、構造のみがスケルトンで、その他の内外装・設備がインフィルになります(ここでは、外装を、スケルトンとインフィルの間の、クラディングとしています)。

 躯体は、地下1階・地上1階では、柱間が9.0mか7.2mで、ほとんどの住戸がある3~6階では、7.2m角で柱を立てて梁を架け、その隙間や北面を3.6mとり、2階では、1階と3階の柱を斜めに結んでいます。

 階高は、1・2階を4.2m、3~6階を3.6mとし、床下24㎝で、スラブ上に給排水・ガス・給湯が配管(自然流下の勾配がとれなければ、機械排水)、天井裏60㎝で、スラブ下にダクトを配管でき、共用廊下は、逆スラブで配管・配線等を露出させず、スケルトンとインフィルは、完全分離されています。

 ですが、吉阪がいうように、インフィルを、生活者の創意工夫で工作しているわけでなく、専門家の科学技術が優越した表現といっていいでしょう。

 共用廊下・階段への出入口を、複数つくり、オートロックを設置せず、回遊できる共用廊下・階段にすることで、家と街をつなぐ立体街路として取り扱い、そこに住戸を開放することで、自然な監視で防犯しようとしています。

 地面の空地・共用廊下・屋上等、植栽が充実していますが、ここは、低予算の公共や、合意形成が必要な区分所有でなく、民間の賃貸と同様なので、大家が維持管理・必要経費等を主導できます。

 建築への直接緑化は、スケルトンの耐久性に影響することがあるため、店子が勝手にすべきでなく、プランター・植木鉢等も、適切な水やりが必要で、とても大変なので、植栽・緑化を、生活者の創意工夫で工作するのは、せいぜい玄関先までが限界でしょう。

 

 

●コーポラティブハウス

 

 こうしてみると、吉阪のいう、不変・不動で丈夫なスケルトンと、変化・変動する多様なインフィルの、両立が実現できたのは、住人達が専門家の協力のもと、協同組合を組織し、集合住宅を計画・建設・生活・管理する、コーポラティブハウスだったのではないでしょうか。

 コーポラティブハウスは、各自の区画内を、注文住宅並みに作れるうえ、住人の個性を外観に表出しやすく、都市では、ヘキサの都住創(都市住宅を自分達の手で創る会)シリーズが、郊外では、延藤安弘のUコート・もやいMポートが、有名です。

 

○ヘキサの都住創シリーズ(1977~2002年)

 :全20棟

 

○延藤安弘のUコート(1985年)

 :3~5階建、48戸

 

○延藤安弘のもやいMポート(1992年)

 :5階建、16戸

 

 以上より、人工土地という概念は、ほとんど普及しておらず、専門家が作為した、普及につながる好例は、まったくなかったと、いってよいのではないでしょうか。

 むしろ、これから大量の空家が溢れ出てくる中で、立地がよくなければ、売れ残り、貸し出すしかなく、そうなれば、構造補強したうえで、スケルトンをいじらなければ、インフィルを自由に改修してよいとし、現状復帰も不要という物件が、自然に多発してくるのではないでしょうか。

 たとえば、公団は、最寄駅が遠くて、借り手のいない、古臭い間取りの団地住戸を、現状回復免除で、スケルトンに影響しなければ、インフィルをDIYしてよい物件として、賃貸することをはじめており、空家のままだと、劣化が急速に進行するので、この方法は、今後ますます拡大するでしょう。

 

(つづく)