ルイス・カーンの「空間は用途を喚起する」「空間は必要を超越する」 | ejiratsu-blog

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ルイス・カーンの言葉1~15

建築の造形(外形)と機能(内容)1・2

ルイス・サリヴァンの「形態は機能にしたがう」1~3

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 アメリカの建築家のルイス・カーン(1901~1974年)は、「形態は機能を呼び起こす(Form evokes function.)」(コトバンク、ニュース雑誌『タイム』1960年6月6日)や、「空間は機能を啓示する」(菊竹清訓)という言葉で、まとめられていますが、本人が発言・執筆したのを、発見できませんでした。

 カーンのいう形態(フォーム)は、存在感(プレゼンス)がなく、心の中に存在しており、デザインに先駆し、デザインを触発(インスパイアー)し、デザインは、フォームを存在することへと転換することといっているので(『ルイス・カーン建築論集』7・8・10章)、フォームは、外形でないようです。

 また、カーンのいう機能(ファンクション)は、用途・必要等の具体的な、物的機能だけでなく、感覚・情緒等の抽象的な、心的機能も重要だとし、機能の内容把握は簡単でないといっており(同上、6章)、ファンクションは、その言葉を安直に使用していないようにみえます。

 

 ここでは、イヴォーク(喚起する・呼び起こす・啓示する)という言葉に注目し、カーンの2つの文面を取り上げてみると、次の2つを発言していることがわかりました。

 

・「空間は用途を喚起する(A space evokes its use.)」

・「空間は必要を超越する(It(=A space) transcends need.)

 

 

●Wanting to be… The Philadelphia School : Jan C.Rowan Progressive Architecture (April 1961)

《…でありたい(存在の願望) フィラデルフィア・スクール:ジャン・C・ローワン 進歩的な建築》

 

・Kahn definitely views architecture as an art whose main aim is the creating of spaces. He says:

 

《(ルイス・)カーンは、建築を、主要な目的が空間の創造である芸術として、明確にみている。彼は、いう。》

 

・"If I were to try to define architecture in a word, I would say that architecture is a thoughtful making of spaces. It is not filling prescriptions as clients want them filled. It is not fitting uses into dimensioned areas. It is nothing like that. It is a creating of spaces that evoke a feeling of use. Spaces which form themselves into a harmony good for the use to which the building is to be put.

 

《「もし私が、建築を一言で定義しようとしたならば、私は、建築とは、思慮深く空間を作ることだというでしょう。それ(建築)は、依頼人達が満足する要求の処方箋で充満していません。それは、寸法づけられた領域の中で、用途を適合していません。それは、そのようなものではありません。それは、用途の感覚を喚起する空間の創造です。その空間は、用途にとって、その建物が配置される場所に、よく調和する中で、それら自身で形づくります。》

 

・"I believe the architect's first act is to take the program that comes to him and change it. Not to satisfy it, but to put it into the realm of architecture, which is to put it into the realm of spaces.

 

《「私は、建築家の最初の行為が、彼に来たプログラムを受け取り、それを変えることだと信じています。それ(プログラム)に満足するのではなく、それを建築の領域に落とし込む、それを(建築のうちの)空間の領域に落とし込みます。》

 

・"An architectural space must reveal the evidence of its making by the space itself. It cannot be a space when carved out of a greater structure meant for a greater space, because the choice of a structure is synonymous with the light which gives image to that space. Artificial light is only a single, tiny, static moment in light and is the light of night and never can equal the nuances of mood created by the time of day and the wonder of the seasons.

 

《「建築の空間は、その空間それ自身によって、作られた根拠を明らかにしなければいけません。それは、ヨリ大きな空間のために、ヨリ大きな構造の意味から切り出された時、空間にできません。なぜなら、構造の選択は、あの空間にイメージを与える光と同義だからです。人工の光は、1つだけで、ちっぽけで、光の中で静的な一瞬で、夜の光で、1日の時間・季節の不思議によって作り出された気分の微妙な情緒と、けっして同等にはできません。》

 

・"A plan of a building should read like a harmony of spaces in light. Even a space intended to be dark should have just enough light from some mysterious opening to tell us how dark it really is. Each space must be defined by its structure and the character of its natural light. Of course, I am not speaking about minor spaces which serve the major spaces."

 

《「建物の計画は、光の中で、空間の調和のような感じで読むべきです。たとえ、暗くするつもりの空間でも、それがどんなに暗いのかを私達に告げるために、いくつかの神秘的な開口部から、ちょうど充分な光にすべきです。各々の空間は、その構造・その自然な光の特徴によって、定義しなければいけません。もちろん、私は、大空間に奉仕する小空間について、話しているのではありません。」》

 

 

●Conversations with Architects 6.Louis Kahn

《建築家達との会話 1973年》

 

・Heinrich Klotz : Doesn't the architect ever build just for need?

《ハインリッヒ・クロッツ(建築史家):建築家は、必要のためだけに、今まで建てたことはないのですか。》

 

・Louis Kahn : No. Never build for needs! Remember what I said about bananas. As an art a space is made a touch of eternity. I think a space evokes its use. It transcends need.

 

《ルイス・カーン:はい。必要のため(だけ)に建てたことは一度もありません。私がバナナについていったことを思い出してください。芸術としての空間は、永遠の感触を作らせます。私は、空間がその用途を喚起すると思います。それは必要を超越します。》

 

・If it doesn't do that, then it has failed. One might say that architecture is directed by function more than painting is. A painting is made to be sensed for its motivation beyond seeing, just as space is made to inspire use. It's psychological. There is something about a building which is different from a painting: When a building is being built, there is an impatience to bring it into being. Not a blade of grass can grow near this activity. Look at the building after it is build. Each part that was built with so much anxiety and joy and willingness to proceed tries to say when you're using the building. “Let me tell you about how I was made.” Nobody is listening because the building is now satisfying need. The desire in its making is not evident. As time passes, when it is a ruin, the spirit of its making comes back. It welcomes the foliage that entwines and conceals. Everyone who passes can hear the story it wants to tell about its making. It is no longer in servitude: the spirit is back.

 

《もし、それ(空間)があれ(必要を超越するの)でないならば、その時、それは失敗しました。ある人は、建築が、絵画よりも、機能によって方向づけられるというかもしれません。絵画は、見ることを超えて、その動機を感じられるように作られ、同じように、空間は、使用を鼓舞するために、作られています。それは、心理的です。そこには、絵画とは違う、建物についての何かがあります。建物が建てられている時、そこには、それを存在に至らせる切望があります。この活動の付近に、草の葉は、成長できません。それが建てられた後に、その建物を見てください。続行するために、たくさんの不安・喜び・意欲とともに建てられた、各々の部分は、あなたがその建物を使った時に、いおうとしています。「私がどのように作られたのかについて、私があなたに告げさせてください」と。誰も聞いていません、なぜならば、その建物は今、満足のいく必要があるからです。その造作の欲望は、明白ではありません。時間の経過につれて、それが廃墟になる時、その造作の精神は、よみがえってきます。それは、絡み合い・覆い隠す葉を歓迎します。通り過ぎる人は皆、その造作について、告げたい物語を聞くことができます。それは、もはや苦役ではありません。精神は、よみがえってきたのです。》

 

 この最後の発言は、意味の理解が困難ですが、これと類似したものが、次のように、再三登場していたようです。

 

 

●『ルイス・カーン建築論集』(前田忠直・編訳、SD選書)

 

・沈黙と光について一言。建設中の建物は、いまだ苦役を知らない。存在への望みが非常に大きいので、その足元には1本の草も生えることができない。存在せんとするスピリットは、それほど高揚している。建物が完成して苦役の中にいる時、建物は、次のようにいおうとする。「さあ、私がどのようにつくられたかを、あなたに告げよう」と。誰もそれには耳を傾けない。部屋から部屋へと渡り歩くのに、誰もがみんな忙しいのだ。

・しかし、その建物が廃墟になって、苦役から解放される時、そのスピリットが現れ、建物がつくられた時の驚異について告げようとする。(4章、p.87)

 

・私は、次のように書き留める。建設されている時の建物は、苦役から自由で、存在の精神は、高揚する。そのワダチには、1本の草も育つことができない。建物が完成し、使用されている時、その建物は、自らの建設の冒険について語りたがっているように見える。しかし、建物のすべての要素は、いわば苦役の中に閉じ込められているために、その冒険を語る余裕などない。建物の用途が消費され、廃墟になる時、元初の驚異が再び甦る。廃墟は、絡み付くツル草を気持ちよく受け入れ、再び精神の高揚を取り戻し、苦役から解放される。(5章、p.91)

 

 この2つをまとめると、次のようになります。

 

※建物

・建設中:存在の精神(スピリット)が高揚、苦役から自由 ~ 外形の存在価値が優先

・使用中:苦役中、冒険を語る余裕なし ~ 内容の利用価値が優先

・廃墟:元初の驚異が再び甦る、再び精神の高揚を取り戻す、苦役から解放 ~ 外形の存在価値が優先

 

 建築には、次のように、空間・形態・造形等、「何であるか」の存在価値を基準とした、外形である芸術的な側面と、用途・必要・機能等、「何をするか」の利用価値を基準とした、内容である道具(施設)的な側面の、内外両面がある一方、絵画・彫刻等には、ほぼ芸術的な一面しかありません。

 

※建築

・外形=空間、形態、造形:「何であるか」の存在価値、芸術的側面

・内容=用途、必要、機能:「何をするか」の利用価値、道具(施設)的側面

 

 だから、建築の価値は、揺れ動き、使用中は、苦役中なので、利用価値が優先され、建設中や廃墟は、存在価値が優先されることになり、外形である空間が、驚異を告げず、冒険を語らなければ、内容である、用途を喚起せず、必要を超越しないので、廃棄や廃墟になるという意味です。