荻生徂徠「弁道」読解4~(9)-(14) | ejiratsu-blog

ejiratsu-blog

人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

(つづき)

 

 

(9)

・仁者養之道也。故治国家之道、挙直錯諸枉、能使枉者直矣。修身之道、亦養其善而悪自消矣。先王之道之術也。後世儒者不識先王之道、逎逞其私智、以謂為善而去悪、拡天理而遏人欲也。此見一立、世非唐虞、人非聖人、必悪多而善少、則殺気塞天地矣。故通鑑之於治国、性理之於修身、人与我皆不勝其苛刻焉。遂使世人謂儒者喜攻人。豈不悲哉。大氐商鞅之後、不啻朝廷、雖庠序亦用其法。宜其不及三代矣。

 

[仁なる者は、養いの道なり。ゆえに国家を治むるの道は、直(なお)きを挙げて、これを枉(まが)れるに錯(お)けば、よく枉れる者をして直からしむ。身を修むるの道も、またその善を養いて悪自ずから消ゆ。先王の道の術なり。後世の儒者は、先王の道を識(し)らず、すなわちその私智を逞(たくま)しくし、おもえらく、善を為(な)して悪を去り、天理を拡(ひろ)めて人欲を遏(とど)むと。この見(けん)一たび立つや、世は唐・虞(ぐ)にあらず、人は聖人にあらず、必ず悪多くして善少なければ、すなわち殺気、天地に塞(ふさ)がる。ゆえに通鑑(つがん)の治国における、性理の修身における、人と我と皆、その苛刻(かこく)に勝(た)えず。遂に世人をして儒者は喜びて人を攻むといわしむ。あに悲しからずや。大氐(たいてい)、商鞅(しょうおう)の後、啻(ただ)に朝廷のみならず、庠序(しょうじょ)といえども、またその法を用う。宜(むべ)なり、その三代に及ばざること。]

 

《仁なるものは、養いの道なのだ。よって、国家を治める道は、真っ直ぐな者を推挙して、これ(彼)を曲がった者の上位に据え置けば、充分に曲がった者を真っ直ぐにさせられる(『論語』12-300)。修身の道も、また、その善を養えば、悪が自然に消失する。先王の道の術なのだ。後世の儒学者は、先王の道を知らず、つまりその個人の智恵をほしいままにするが、思うに、善をして悪を取り去り、天の理を広めて人の欲をとどめる。この見方が一度確立すると、世の中は尭(ぎょう)・舜(しゅん、古代中国の伝説上の帝王)でなく、人は、聖人でなく、必ず悪が多くて善が少なければ、つまり殺気が天地に閉塞する。よって、(朱子が司馬光の史書『資治(しじ)通鑑』を簡略化した)『資治通鑑綱目(こうもく)』の国家統治における、(朱子学の注釈書の)『性理大全』の修身における、人と私は、すべて、その過酷さに耐え切れない。結局、世の中の人に、儒学者は、喜んで人を攻めるといわせた。どうして悲しくないのか(いや、悲しい)。たいてい、商鞅(中国・戦国時代の秦の政治家、法家)以後、ただ朝廷だけでなく、学校といっても、また、その法を用いた。その3代(夏王朝・殷王朝・周王朝)に及ばないのは、なるほどだ。》

 

※徳治=誘導:先王の道、尭・舜、聖人、3代(夏・殷・周)

 ・仁=養いの道

 ・治国家の道:真っ直ぐな者を曲がった者の上位に配置(曲がった者を養って真っ直ぐにする)

 ・修身の道=先王の道の術(方法):善を養って悪を消す

※法治=強制:人の私智(個人の知恵)を喜んで攻める

 ・後世の儒者:善で悪を(取り)去る、天理を拡(広)めて人欲を遏(留)める

 

 

(10)

・先王之道、安天下之道也。後世言経済者、莫不祖述焉。然後世更封建而郡県、而先王之道、為世贅旒。故世之称先王者、逎所謂以経術縁飾吏治是已。大氐封建之道、其於民猶且有家人父子意。至於郡県、則唯法是仗、截然太公、無復恩愛。加之隋唐後、科挙法興、士習大変、所務紙列、詳備明鬯、是其至者已。士生於其世、法家之習、淪於骨髄。故其談道解経、亦従其中来。是烏知所謂道術者乎。宋儒所貴、綱目悉挙、巨細曲尽、豈足以為先王之道也。

 

[先王の道は、天下を安んずるの道なり。後世、経済をいう者、祖述せざるはなし。しかれども後世、封建を更(あらた)めて郡県とし、しかして先王の道は、世の贅旒(ぜいりゅう)となる。ゆえに世の先王を称する者は、すなわちいわゆる「経術をもって吏治を縁飾する」ことこれのみ。大氐(たいてい)、封建の道は、その民におけるは、なおかつ家人父子の意あり。郡県に至りては、すなわちただ法にのみこれ仗(よ)り、截然(せつぜん)として太公、また恩愛なし。これに加うるに隋・唐の後、科挙の法興(おこ)り、士習大いに変じ、務むる所は紙列にして、詳備(しょうび)明鬯(めいちょう)なること、これその至れる者のみ。士、その世に生まれ、法家の習い、骨髄に淪(しず)む。ゆえにその道を談じ経を解するも、またその中より来(きた)る。これいずくんぞ、いわゆる道術なる者を知らんや。宋儒の貴ぶ所は、綱目ことごとく挙げ、巨細(こさい)曲(つぶさ)に尽くすことにして、あにもって先王の道と為(な)すに足らんや。]

 

《先王の道は、天下を安寧にする道だ。後世に、経世在民(世の中を治め、民を救うこと)をいうものは、先人を継承して補い述べることはない。しかし、後世に、封建制(天子が諸侯に領地を分与し、世襲で統治すること)を改めて、郡県制(中央が地方へ役人を派遣して統治すること)とし、そうして、先王の道は、世の中の無駄な装飾となった。よって、世の中の先王を称するものは、つまりいわゆる「経書の術によって、官吏の統治を飾り立てる」こと、これなのだ。たいてい、封建の道は、その(領地の)民においてと、そのうえさらに、一般家庭の父子の意思がある。郡県制に至っては、つまりただ法だけに依拠し、明らかでとても公平で、また情愛がない。これに付け加えると、隋・唐以後、科挙(官吏登用試験)の法がおこり、士の学習が大きく変わり、務めることは、紙面の文章で、詳細な具備は、論旨・筋道が明瞭なこと、これ(士)は、それが至極のものなのだ。士は、その世界に生まれ、法家の習慣が、骨髄まで浸み込んでいる。よって、その道を談義し、経書を解釈するが、また、その中から出て来る。これで、どうして、いわゆる道教の術なるものを知っているのか(いや、知らない)。宋代の儒学者が尊貴することは、大綱・細目をすべて列挙し、大も小も漏れなく尽くすこと(曲尽)で、どうして、それで先王の道とするのに充分なのか(いや、充分でない)。》

 

※封建制=徳治

 ・先王の道=名実一体:天下を安らかにする道、経世在民、祖述(先人を継承して補い述べる)

 ・民(領民)=封建の道:家人(一般家庭)父子の意(意思)あり

※郡県制=法治:法に仗る(依拠)、截然(明らか)、太公(公平)、恩愛(情愛)なし

 ・先王の道=有名無実:世の贅旒(世の中の無駄な装飾)

 ・士=科挙の法:務め(職務)=紙列(紙面の文章)、詳備(細かな備え)=明鬯(論旨・筋道が明瞭)

 ・朱子学=世界を理論で網羅:大綱・細目すべて挙げ(列挙)、巨細(大小)曲に(漏れなく)尽くす

 

 

(11)

・先王之道、立其大者、而小者自至焉。故子夏曰、大徳不踰閑、小徳出入可也。蓋不若是、不可以進道也。子貢曰、賢者識其大者、不賢者識其小者。故識大者為賢、識小者為不賢。後人之不賢、唯小是見。銖銖而称之、至石必差、寸寸而度之、至丈必過。其論務欲窮精微之極、析蚕糸、剖牛毛、而不知其大者已先失之也。是何能養人才安国家哉。其論聖人、亦謂渾然天理、無一毫人欲之私矣。是亦以一己之見窺聖人者也。伝曰、一張一弛、文武之道也。孔子曰、可以無大過矣。子思曰、雖聖人有所不知不能焉。不爾、尭之用鯀而舜殛之、舜征三苗而禹班師、周公殺菅蔡、孔子堕三都而不能克、吾不知其以何解嘲也。孔子不撤薑、以其嗜之也。伝所載、文王嗜昌歜、庸何傷乎。朱子引通神明、豈不傅会之甚乎。大氐聖人之徳、与天地相似焉。聖人之道、含容広大、要在養而成之。先立其大者、而小者自至焉。後人迫切之見、皆其所識小故也。

 

[先王の道は、その大なる者を立つれば、小なる者、自(おの)ずから至る。ゆえに子夏(しか)いわく、「大徳は閑(のり)を踰(こ)えず、小徳は出入するも可なり」と。けだし、かくのごとくならずんば、もって道に進むべからざるなり。子貢(しこう)いわく、「賢者は、その大なる者を識(し)り、不賢者は、その小なる者を識る」と。ゆえに大を識る者を賢となし、小を識る者を不賢となす。後人の不賢なるは、ただ小をのみこれを見る。銖銖(しゅしゅ)にしてこれを称(はか)れば、石(せき)に至りては必ず差(たが)い、寸寸にしてこれを度(はか)れば、丈(じょう)に至りては必ず過(あやま)つ。その論、務めて精微の極を窮(きわ)めんと欲し、蚕糸を析(さ)き、牛毛を剖(さ)けども、その大なる者すでにまずこれを失えることを知らざるなり。これ何ぞよく人才を養い国家を安んぜんや。その聖人を論ずるも、また渾然たる天理にして、一毫(ごう)の人欲の私なしという。これまた一己の見をもって聖人を窺(うかが)う者なり。伝にいわく、「一張一弛は、文・武の道なり」と。孔子いわく、「もって大過なかるべし」と。子思いわく、「聖人といえども、知らずよくせざる所あり」と。しからずんば、尭(ぎょう)の鯀(こん)を用いて舜(しゅん)のこれを殛(きょく)したる、舜の三苗(さんびょう)を征(せい)して禹(う)の師を班(かえ)したる、周公の菅(かん)・蔡(さい)を殺したる、孔子の三都を堕(こぼ)ちて克(か)つ能(あた)わざりしこと、吾その何をもって嘲(あざけ)りを解くかを知らざるなり。孔子の薑(きょう)を撤せざりしは、そのこれを嗜(この)みしをもってなり。伝の載(さい)する所にては、文王は昌歜(しょうさん)を嗜みしも、庸何(なん)ぞ傷(やぶ)らんや。朱子、「神明を通ずる」を引くは、あに傅会(ふかい)の甚(はなは)だしきならずや。大氐(たいてい)、聖人の徳は、天地と相似たり。聖人の道は、含容広大にして、要は養いてこれを成すに在(あ)り。まずその大なる者を立つれば、小なる者、自ずから至る。後人の迫切の見は、皆その識(し)る所の小なるがゆえなり。]

 

《先王の道は、その偉大なものを確立すれば、卑小なものは、自然に至る(『孟子』11-155)。よって、子夏(孔子の弟子)がいう、「偉大な徳は、決まりを越えないが、卑小な徳は、(その決まりが)出入するのも可な(よい)のだ」(『論語』19-482)と。思うに、このようにならなければ、それで道に進むことができないのだ。子貢(孔子の弟子)がいう、「賢者は、その偉大なものを知り、不賢者は、その卑小なものを知る」(『論語』19-493)と。よって、偉大を知るものを賢とし、卑小を知るものを不賢とする。後者の不賢は、ただ卑小だけ、これを見ている。銖の重さの単位で、これを測れば、石に至っては必ず違い(1石=4万6080銖)、寸の長さの単位で、これを測れば、丈に至っては必ず誤る(1丈=100寸)。その論は、務めて精緻の極限を探究しようとし、絹糸を割き、ウシの毛を割いても、その偉大なものは、すでにまず、これを失うことを知らないのだ。これで、どうして充分に人の才能を養い、国家を安寧にするのか(いや、そうできない)。それで聖人を論じるのも、また、すべてが融合した天の理で、わずかな人の欲の私がないという。これは、また、自分だけの見方によって、聖人をうかがうものなのだ。伝によると、「緊張したり弛緩したりは、(周の)文王・武王(父子)の道なのだ」(『礼記(らいき)』)。孔子がいう、「(『易経』を学べば、)それで大きな過ちがなしにできるのだ」(『論語』7-163)と。子思がいう、「聖人といっても、知らずに充分にできないことがある」(『中庸』)と。そうでなければ、尭が(洪水神の)鯀を用い(て治水し)た一方、尭がこれ(鯀)を追放したこと、舜が(異民族の)三苗地域を征服した一方、禹が軍隊を引き返したこと、(摂政の)周公旦が(反乱した兄弟の)菅叔鮮(しゅくせん)・蔡叔度(しゅくど)を殺害したこと、孔子が(魯の)3公族(季孫氏・叔孫氏・孟孫氏)を低落させようとして克服できなかったことがあったが、私は、その何によって笑われたのを解説するのかを知らないのだ。孔子が(食事で)ショウガを取り除かないのは、彼がこれ(ショウガ)を好んだことによってだ。伝承の掲載することによると、(周の)文王は、ショウブの根を好んだが、どうして損なうのか(いや、損なわない)。朱子が、「神秘さに共通する」を引用するのは、どうして、こじつけがひどいとならないのか(いや、なる)。たいてい、聖人の徳は、天地と互いに似ている。聖人の道は、包容が広大で、要するに、養って、これ(道)をなすこと(養成)にある。まず、その偉大なものを確立すれば、卑小なものは、自然に至る。後世の人の切迫した見方は、すべて、その知ることが卑小だからなのだ。》

 

※大事を知る:賢者

 ・先王の道:大事を確立すれば、小事は自ずから至る

 ・聖人の徳≒天地

 ・聖人の道:含容(包容)が広大、養って成就、人才(才能)を養い国家を安らかにする

※小事を知る:不賢者=務めて精微(精緻)の極(極限)を窮める(探究) → 大事を失う

 ・一己の見(一自己の見方):聖人=渾然(すべて融合した)天理、一毫の(わずかな)人欲の私なし

 ・後人の迫切の見(後世の人の切迫した見方)

 ・朱子学:神明(神秘さ)に通じる=こじつけ

 

 

(12)

・修徳有術。立其大者、而小者自至焉。此孔門所以用力於仁也。去悪有術。如童牛之牿、如豶豕之牙。今人則欲一日而衆善傅諸身也、襲而取之、矜以持之。譬諸揠苗。豈知油然以生之道乎。又欲一日而衆慝如澡也、抉而剔之、吹毛求疵。譬諸庸医治疾。豈知標本之道乎。何況化之道乎。

 

[徳を修むるに術あり。その大なる者を立つれば、小なる者、自ずから至る。これ孔門の力を仁に用いし所以(ゆえん)なり。悪を去るに術あり。童牛の牿(こく)のごとく、豶豕(ふんし)の牙(きば)のごとし。今人(きんじん)は、すなわち一日にして衆善、これを身に傅(つ)けんことを欲するや、襲いて、これを取り、矜(ほこ)りて、もってこれを持す。これを苗を揠(ひ)くに譬(たと)う。あに油然(ゆうぜん)として、もって生ずるの道を知らんや。また一日にして衆慝(しゅうとく)澡(あら)うがごとからんことを欲するや、抉(えぐ)りて、これを剔(のぞ)き、毛を吹きて疵(きず)を求む。これを庸医(ようい)の疾(やまい)を治むるに譬う。あに標・本の道を知らんや。何ぞいわんや化の道をや。]

 

《徳を修める術がある。その偉大なものを確立すれば、卑小なものは、自然に至る(『孟子』11-155)。これは、孔子の門徒が、力を仁に用いる理由なのだ。悪を取り去る術がある。幼少のウシの角先につける横木のようなもの、虚勢したイノシシの牙のようなもの(で、悪事の適度な予防策)だ。今の人は、つまり1日で様々な善、これを身につけようとし、(他人から)襲ってくると、これ(善)を(自分が)取り、(他人から)誇ってくると、それでこれ(善)を(自分が)持つ。これを、(生長の遅いのを助けようと、)苗を引っ張る(が、枯らしてしまう)ことに例える(『孟子』3-25)。どうして(自分から)湧き起こって、それで生み出す道を知らないのか(いや、知っている)。また、1日で、様々な悪が、洗い清めるようにしようとするのは、えぐり取って、これ(悪)を除き、無理に欠点を探し出す(吹毛求疵/すいもうきゅうし)。これをヤブ医者が病気を治療するのに例える。どうして本(根本)・末(末節)の道を知らないのか。ましてや、どうして変化の道は、なおさらだ(知らないのか)。》

 

※標・本(本・末)の道:根本(大事)重視・末節(小事)軽視、大事を知る

 ・修徳の術(方法):大事を確立すれば、小事は自ずから至る ← 力を仁に用いる

⇔小事を知る(前述11)

※化(変化)の道=自分から油然として(湧き起こって)生ずる(生み出す)道

 ・去悪の術:悪事の適度な予防

⇔善・悪の過剰な対応

 ・多くの善を身につける:他人から襲ってきた・誇ってきた善を自分が取る・持つ

 ・多くの悪を洗い清める:えぐり取って悪を除く、無理に欠点を探し出す

 

 

(13)

・言性自老荘始。聖人之道所無也。苟有志於道乎、聞性善則益勧、聞性悪則力矯。苟無志於道乎、聞性悪則棄不為、聞性善則恃不為。故孔子之貴習也。子思孟子蓋亦有屈老荘之言。故言性善以抗之爾。荀子則慮夫性善之説必至廃礼楽。故言性悪以反之爾。皆救時之論也。豈至理哉。欧陽子謂性非学者之所急。而聖人之所罕言也。可謂卓見。

 

[性をいうは老・荘より始まる。聖人の道のなき所なり。いやしくも道に志あらんか、性善を聞けば、すなわち、ますます勧(つと)め、性悪を聞けば、すなわち矯(た)めんことを力(つと)む。いやしくも道に志なからんか、性悪を聞けば、すなわち棄(す)てて為(な)さず、性善を聞けば、すなわち恃(たの)みて為さず。ゆえに孔子の習いを貴ぶなり。子思・孟子は、けだし、また老・荘の言(げん)に屈することあり。ゆえに性善をいいて、もってこれに抗するのみ。荀子(じゅんし)は、すなわち夫(か)の性善の説の必ず礼楽を廃するに至らんことを慮(おもんばか)る。ゆえに性悪をいいて、もってこれに反するのみ。皆、時を救うの論なり。あに至理ならんや。欧陽子、謂(おも)えらく、「性は学者の急とする所にあらず。しかして聖人の罕(まれ)にいう所なり」と。卓見というべし。]

 

《本性をいうのは、老子・荘子からはじまる。聖人の道のないところだ。もしも、道に意志があって、性善を聞けば、つまり、ますます務め、性悪を聞けば、つまり矯正に務む。もしも、道に意志がなくて、性悪を聞けば、つまり棄ててやらず、性善を聞けば、つまり頼ってやらない。よって、孔子が習を尊貴するのだ(性は互いに近いのだ。習で互いに遠くなるのだ。『論語』17-436)。子思・孟子は、思うに、また、老子・荘子の言葉に屈伏することがある。よって、性善をいって、それでこれ(老子・荘子の言葉)に反抗するのだ。荀子(中国・戦国時代の思想家、性悪説)は、つまり、あの性善説が、必ず礼楽を荒廃することに至ろうとするのを思慮する。よって、性悪をいって、それでこれ(老子・荘子の言葉)に反抗するのだ。すべて、時代を救済する論なのだ。どうして至極の理なのか(いや、そうでない)。欧陽修(おうようしゅう、中国・北宋の学者)は、思うに、「本性は、学ぶ者が急にすることでない。そうして、聖人が稀にいうことなのだ」。卓越した意見ということができる。》

 

※救時の(時代を救済する)論:至理(至極の理=朱子学)でない

 ・老子・孟子(聖人の道なし):性をいう

 ・孔子:性は互いに近く、習で互いに遠くなる → 習を貴ぶ(重視)

 ・子思・孟子:老・荘の言(言葉)に屈することあり(性にしたがう) → 性善で抗(反抗)する

 ・荀子:性善説が礼楽を廃れ至ると思慮 → 性悪で反(反抗)する

 ・欧陽子:学ぶ者=性を急にしない、聖人=性を稀にいう

※志と性の関係

 ・道に志あり

  ‐性善を聞く→ますます勧(務)む

  ‐性悪を聞く→矯め(矯正し)て力(務)む

 ・道に志なし

  ‐性善を聞く→恃(頼)んでやらない

  ‐性悪を聞く→棄ててやらない

 

 

(14)

・変化気質、宋儒所造、淵源乎中庸。先王孔子之道所無也。伝所謂変者、謂変其習也。夫先王孔子之道、安天下之道也。安天下、非一人所能為矣。必得衆力以成之矣。辟諸春夏秋冬備、而後歳功可成焉、椎鑿刀鋸備、而後匠事可為焉、寒熱補瀉備、而後医術可施焉。錐欲其鋭、椎欲其鈍、石膏大寒、附子大熱。不爾、先王治天下、莫有所用其材也。雖然、石膏煆附子煨。是則在礼楽哉。石膏雖煆、不損其大寒之性。附子雖煨、不減其大熱之性。故知変化気質之説非矣。且気質者天之性也。欲以人力勝天而反之、必不能焉。強人以人之所不能、其究必至於怨天尤其父母矣。聖人之道必不爾矣。孔門之教弟子、各因其材以成之、可以見已。祇如君子不器、仁人之謂也。君相之器也。比諸匠者与医焉。或謂可舟可車者、万万無此理矣。拠於徳、依於仁、各随其性所近、以成其徳。苟能得其大者、皆足以為仁人焉。不器之謂也。

 

[「気質を変化す」は、宋儒の造る所にして、中庸に淵源(えんげん)す。先王・孔子の道のなき所なり。伝にいわゆる「変」なる者は、その習いを変ずるをいうなり。夫(そ)れ先王・孔子の道は、天下を安んずるの道なり。天下を安んずるは、一人のよくなす所にあらず。必ず衆力を得て、もってこれを成す。これを春夏秋冬、備わりて、しかる後に歳功(さいこう)成すべく、椎鑿刀鋸(ついさくとうきょ)備わりて、しかる後に匠事なすべく、寒熱補瀉(ほしゃ)備わりて、しかる後に医術施すべきに辟(たと)う。錐(きり)はその鋭(えい)ならんことを欲し、椎(つち)はその鈍(どん)ならんことを欲し、石膏(せっこう)は大寒、附子(ぶし)は大熱なり。しからずんば、先王、天下を治むるに、その材を用うる所あることなきなり。しかりといえども、石膏は煆(や)き附子は煨(や)く。これすなわち礼楽に在(あ)るかな。石膏は煆くといえども、その大寒の性を損せず。附子は煨くといえども、その大熱の性を減せず。ゆえに気質を変化するの説の非なることを知る。かつ、気質なる者は、天の性なり。人力をもって天に勝ちてこれに反せんと欲するも、必ず能(あた)わず。人に強(し)うるに人のよくせざる所をもってせば、その究(きわみ)は、必ず天を怨み、その父母を尤(とが)むるに至る。聖人の道は必ずしからず。孔門の弟子に教うるは、各おのその材に因(よ)りて、もってこれを成せしこと、もって見るべきのみ。祇(ただ)「君子は器ならず」のごときは、仁人のいいなり。君・相の器なり。これを匠者・医とに比す。あるいは「舟なるべく、車なるべし」という者は、万万(ばんばん)この理なし。徳に拠り、仁に依り、各おのその性の近き所に随いて、もってその徳を成す。いやしくも、よくその大なる者を得ば、皆もって仁人となるに足る。「器ならず」のいいなり。]

 

《「気質を変化する」は、宋代の儒学者が建造したことで、『中庸』に根源がある。先王・孔子の道のないところなのだ。伝のいわゆる「変」なるものは、その(道の)習で変化することをいうのだ。そもそも先王・孔子の道は、天下を安寧にする道だ。天下を安寧にするのは、一人が充分にすることではない。必ず様々な力を得て、それでこれ(道)をなす。これは、春・夏・秋・冬が具備して、はじめて、1年の功利を成し遂げることができ、槌(ツチ)・ノミ・刃物・ノコギリが具備して、はじめて、大工等の仕事ができ、冷やす・暖める・補う・下すことが具備して、はじめて、医術を施すことができると、例えられる。キリは、それを鋭くしようとし、槌は、それを鈍くしようとし、石膏は、(服用で)大幅に冷やし、トリカブトの子根は、(服用で)大幅に暖めるのだ。そうでなければ、先王は、天下を治めるのに、その人材を用いることがないのだ。そうではあるが、石膏は焼き、トリカブトの子根は煮込む。これは、つまり礼楽にあるかな。石膏は、焼くといっても、その大幅に冷やす性質を損なわない。トリカブトの子根は、煮込むといっても、その大幅に暖める性質を減らさない。よって、気質を変化する説が非(誤り)であることを知る。そのうえ、気質なるものは、天の本性なのだ。人力を天に勝って、これに反抗しようとしても、必ずできない。人に強制するのに、人が充分でないことによってすれば、その究極は、必ず天を怨み、その父母を非難するのに至る。聖人の道は、必ずそのようでない。孔子の門徒の弟子に教えるのは、各々その人材によって、それでこれを成し遂げようとすること、それを見ることができるのだ。ただ「君子は器でない」(『論語』2-28)のようなものは、仁の人をいうのだ。君主・宰相の器なのだ。これ(君子)を大工等や医者と比較する。「(水は)舟で行くべき、(陸は)車で行くべき」といったりするものは、ヤマヤマだが、この理がない。徳に依拠し、仁に依拠し(『論語』7-153)、各々その性の近いことにしたがって、それで徳をなす(成徳)。もしも、充分にその偉大なものを得れば、すべて、それで仁の人となるのに充分だ。「器でない」ことをいうのだ。》

 

※徂徠学:先王・孔子の道=天下を安らかに治める ← 衆(多くの)力を得て成す(成就):材を用いる

 ・材を用いる→成す

  ‐歳(1年):春・夏・秋・冬が備わる→功(功利)を成す

  ‐匠(大工等):椎(ツチ)・鑿(ノミ)・刀(刃物)・鋸(ノコギリ)が備わる→事(仕事)をする

  ‐医者:寒(冷やす)・熱(暖める)・補(補う)・瀉(下す)を備わる→医術を施す

 ・材の性能向上:性(性質)は損せず・減せず(不変) ~ 孔門(孔子門下)の弟子に教える、礼楽

  ‐錐(キリ)=鋭さ

  ‐槌(ツチ)=鈍さ

  ‐石膏=大寒(服用で大幅に冷やす) ← 煆(焼)く

  ‐附子(トリカブトの根)=大熱(服用で大幅に暖める) ← 煨く(煮込む)

 ・材の器=容量面(器量、『論語』3-62・13-327)+機能面(利器、『論語』5-95・15-388)

  ‐仁人:徳に拠り仁に依り、近い性にしたがって徳を成す → 君主・宰相の器=器量(利器でない)

  ‐君子の不器(器でない)=利器でない(器量)

  ‐小人(匠者・医者)の器=利器 ~ 水は舟・陸は車の理

※宋学:気質を変化する説(先王・孔子の道なし) → 非(誤り)を知る(徂徠が批判)

 ・気質=天の性 → 人力=天に反抗しても勝てない、人に強い(強制し)てもできない

  → 究極=人が天を怨む・父母を尤む(非難する)

 

 

(つづき)