荻生徂徠「弁道」読解5~(15)-(19) | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

(15)

・思孟以後之弊、在説之詳而欲使聴者易喩焉。是訟者之道也。欲速粥其説者也。権在彼者矣。教人之道則不然。権在我者矣。何則、君師之道也。故善教人者、必置諸吾術中、優游之久、易其耳目、換其心思。故不待吾言、而彼自然有以知之矣。猶或不喩也、一言以啓之、渙然氷釈、不待言之畢焉。故教者不労、而学者深喩焉。何則、吾不言之前、思既過半故也。先王孔子以之。故先王之教、礼楽不言、挙行事以示之。孔子不憤不啓、不悱不発。豈不然乎。至於孟子、則強弁以聒之、而欲以是服人。夫以言服人者、未能服人者矣。蓋教者施於信我者焉。先王之民、信先王者也。孔子門人、信孔子者也。故其教得入焉。孟子則欲使不信我之人由我言而信我也。是戦国游説之事、非教人之道矣。予故曰、思孟者与外人争者也。後儒輒欲以其与外人争者言施諸学者。可謂不知類已。

 

[思・孟以後の弊は、説くことの詳しくして、聴く者をして喩(さと)りやすからしめんと欲するに在(あ)り。これ訟者の道なり。速やかにその説を粥(う)らんと欲する者なり。権の彼に在る者なり。人を教うるの道は、すなわち、しからず。権の我に在る者なり。何となれば、すなわち君・師の道なればなり。ゆえに善(よ)く人を教うる者は、必ずこれを吾(わ)が術中に置き、優游(ゆうゆう)の久しき、その耳・目を易(か)え、その心思を換(か)う。ゆえに吾が言(げん)を待たずして、彼、自然にもってこれを知ることあり。なおあるいは喩らざるや、一言して、もってこれを啓(ひら)けば、渙然(かんぜん)として氷釈(ひょうしゃく)し、言の畢(おわ)るを待たず。ゆえに教うる者は労せず、しかして学ぶ者は深く喩る。何となれば、すなわち吾言わざるの前、思いすでに半ば過ぐるがゆえなり。先王・孔子は、これをもってす。ゆえに先王の教えは、礼楽は言(ものい)わざれば、行事を挙げて、もってこれを示す。孔子は、憤(ふん)せずんば啓せず、悱(ひ)せずんば発せず。あに、しからざらんや。孟子に至りては、すなわち強弁して、もってこれを聒(かまびす)しくして、これをもって人を服せんと欲す。それ言をもって人を服する者は、いまだ人を服すること能(あた)わざる者なり。けだし教えなる者は、我を信ずる者に施す。先王の民は、先王を信ずる者なり。孔子の門人は、孔子を信ずる者なり。ゆえにその教えは、入ることを得(う)。孟子は、すなわち我を信ぜざるの人をして、我が言に由(よ)りて、我を信ぜしめんと欲するなり。これ戦国游説(ゆうぜい)の事にして、人を教うるの道にあらず。予(よ)ゆえにいわく、思・孟なる者は外人と争う者なりと。後儒は、すなわちその外人と争う者の言をもって、これを学者に施さんと欲す。類を知らずいうべきのみ。]

 

《子思・孟子以後の弊害は、(自)説を詳しくして、聴く者を教え諭しやすくさせたいことにある。これは、訴えるものの道なのだ。速やかに、その説を軟らかくしたいものなのだ。実権が相手にあるものなのだ。人を教える道は、つまり、そのようではない。実権が私にあるものなのだ。なぜならば、つまり君主・導師の道だからなのだ。よって、正しく人を教えるものは、必ずこれ(道)を私の術の中に置き、ゆったりと長く、その聞こえ方・見え方を変え、その思考を換える(換易)。よって、私の言葉を待たないで、相手が自然に、それでこれ(道)を知ることがある。なお、教え諭さずに、一言して、それでこれ(道)を啓蒙すれば、氷が解けるように、迷いがなくなり(渙然氷釈)、言葉が終わるのを待たなかったりする。よって、教えるものは、苦労せず、そうして学ぶものは、深く教え諭る。なぜならば、つまり私がいわない前に、思いが、すでに半ばを過ぎたからなのだ。先王・孔子は、これによってする。よって、先王の教えは、礼楽で物いわなければ、行事を取り上げて、それでこれ(道)を示す。孔子は、発奮しなければ、啓示せず、言い悩まなければ、発言せず(『論語』7-155)(といった)(憤悱・啓発)。どうして、そのようでないのか(いや、そのようだ)。孟子に至っては、つまり無理に主張して、それでこれ(道)をやかましくし、こういうわけで、人を屈服させたいとする。その言葉によって人を屈服するものは、まだ人を屈服させることができないものなのだ(学んでも教えられない)。思うに、教えるものは、私を信じるものに施す。先王の民は、先王の信じるものなのだ。孔子の門徒は、孔子を信じるものなのだ。よって、その(孔子の)教えは、(相手に)入ることができる(学べば教えられる)。孟子は、つまり私を信じない人に、私の言葉によって、私を信じさせたいとするのだ。これは、戦国時代の遊説(各地を説いて回ること)の事で、人を教える道でない。私は、よって、いう、子思・孟子なるものは、他学派の者と争うものなのだ。後世の儒学者は、つまりその他学派と争うものの言葉によって、これ(自説)を学ぶ者に施したいとする。同類(子思・孟子)を知らないということができるのだ。》

 

※先王・孔子=君(君主)・師の道:善(正し)く人を教える道 → 自然な啓蒙

 ・実権=私:わが術(方法)を中に置く、優游(ゆったり)久し(長い)、

        耳(聞こえ方)・目(見え方)・心思(思考)を変える

 ・先王:礼楽の行事で説を示す

 ・孔子:学ぶ者が憤(発奮)・悱(言い悩む)して、教える者が啓(啓示)・発(発言)する

 ・対象:私を信じる者に教えを施す → 教える者=労(苦労)せず、学ぶ者=深く喩る(教え諭る)

 ・普及:教えが相手に入る(学べば教えられる)

※子思・孟子以降(後世の儒者も)=訟(訴える)者の道:遊説の事(行為) → 強引な啓蒙

 ・実権=相手:強弁(無理に主張)、聒(やかま)しい、人を服す(屈服させる)、

         弊害:説が詳しい・喩りやすい・速やかに粥(軟らかくす)る

 ・対象:孟子=私を信じない人に信じさせる

 ・普及:言葉で人を服しても人を服することができない(学んでも教えられない)

 ・外人(他学派)と争う

 

 

(16)

・後儒之説、天理人欲、致知力行、存養省察、粲然明備矣。以我観於孔門諸子、蓋有未嘗知其説者焉。是何其儱侗也。孔子之教、蓋亦有未嘗及其詳者焉。是何其鹵莽也。然先王孔子、以彼而不以此者、教之道本、不可若是也。後世逎信思孟程朱、過於先王孟子、何哉。

 

[後儒の説は、天理・人欲、致知・力行、存養・省察、粲然(さんぜん)として明らかに備えり。我をもって孔門の諸子を観るに、けだし、いまだかつて、その説を知らざる者あり。これ何ぞその儱侗(ろうどう)たるや。孔子の教えも、けだしまた、いまだかつて、その詳(つまび)らかなるに及ばざる者あり。これ何ぞその鹵莽(ろもう)なるや。しかるに先王・孔子、彼をもってして、此をもってせざりし者は、教えの道はもと、かくのごとく、なるべからざればなり。後世すなわち思・孟・程・朱を信ずること、先王・孔子に過(す)ぐるは、何ぞや。]

 

《後世の儒学者の説は、天の理・人の欲、致知(知識を極めて道理に通じること)・力行(力を尽くして行うこと)、存心養性(心を存し性を養うこと)・内省的修養法が、光り輝いて、明白に具備している。私によって孔子の門徒の学者達を観察すると、思うに、今まで一度もその説を知らなかったものがある。これは、なぜ、それが未熟なのか。孔子の教えも、思うに、また、今まで一度もその詳しさに及ばなかったものがある。これは、なぜ、それが軽率なのか。それなのに、先王・孔子は、あちら(礼楽刑政・天下を安らかに治める道)をして(説いて)、こちら(天理・人欲、致知・力行、存養・省察)をしなかった(説かなかった)のは、教えの道が元々、このように、すべきでなかったのだ。後世に、つまり子思・孟子・程子・朱子を信じることが、先王・孔子を超えたのは、どうしてか。》

 

※先王・孔子

 ・礼楽刑政

 ・天下を安らかに治める道

※後世の儒者(子思・孟子・程子・朱子):先王・孔子に超越しない

 ・天理・人欲(人の欲望)

 ・致知(知識を極めて道理に通じること)・力行(力を尽くして行うこと)

 ・存心養性(心を存し性を養うこと)・省察(内省的修養法)

 

・蓋先王之教、以物不以理。教以物者、必有事事焉。教以理者、言語詳焉。物者衆理所聚也。而必従事焉者久之、乃心実知之。何仮言也。言所尽者、僅僅乎理之一端耳。且身不従事焉、而能瞭然於立談、豈能深知之哉。釈氏猶謂如飲水冷煖自知。曽謂先王不及釈氏乎。故不先之以事而能有成焉者、天下鮮矣。不啻不先王之道、凡百技芸皆爾。

 

[けだし先王の教えは、物をもってして、理をもってせず。教うるに、物をもってする者は、必ず事を事とすることあり。教うるに理をもってする者は、言語詳(つまび)らかなり。物なる者は衆理の聚(あつ)まる所なり。しかして必ず事に従う者(こと)、これを久しゅうして、すなわち心、実にこれを知る。何ぞ言(げん)を仮(か)らんや。言の尽くす所の者は、僅僅(きんきん)乎(こ)として理の一端のみ。かつ身、事に従わずして、よく立談に瞭然たるは、あに、よく深くこれを知らんや。釈氏すらなお「水を飲んで冷・煖、自ずから知らるるがごとし」という。すなわち先王を釈氏にも及ばずと謂(おも)えるか。ゆえにこれに先んずるに事をもってせずして、よく成すことある者は、天下に鮮(すくな)し。啻(ただ)に先王の道のみならず、凡百の技芸、皆しかり。]

 

《思うに、先王の教えは、物(礼楽刑政)によってして、理によってしない。教えるのに、物によってするものは、必ず事を事とすることがある。教えるのに、理によってするものは、言葉が詳細だ。物なるものは、様々な理が集合することなのだ。そうして、必ず事にしたがうこと、これが長くなって、つまり心、実にこれを知る。なぜ言葉を借りるのか。言葉でいい尽くすものは、わずかで理のひとつの端緒だけだ。そのうえ、(わが)身が、事にしたがわないで、充分に立ち話で詳しく、いい尽くさないのが明らかなのは、どうして充分に深くこれを知るのか(いや、知らない)。仏教徒は、ちょうど「水を飲めば、冷たさ・暖かさを感じ、自然に知られるようなものだ」という。つまり、先王を仏教徒にも及ばないといえるのか。よって、これに先んじて、事によってしないで、充分になすことがあるものは、天下に少ない。ただ先王の道だけでなく、様々な技芸は、すべて、そのようだ。》

 

※先王の道・凡百の(様々な)技芸:行為が主

 ・物で教える→事を事とする ~ 天下=事で成す(成就)

 ・言葉を仮(借)りる:言葉でいい尽くすのは僅(わず)か、理の一端(一方面)

 ・物(礼楽刑政)に衆(多くの)理が聚(集)まる→事にしたがうのが久し(長い)→心を知る

 ・仏教徒:水を飲む(物)→冷(冷たさ)・煖(暖かさ)を感じる(事)→知る

 ・わが身が事に従わず+立談瞭然(立ち話で詳しくでいい尽くさないのが明らか)→深く知らない

※宋学(性理学):言葉が主

 ・理で教える→言語(言葉)が詳らか(詳細)

 

 

(17)

・古者道謂之文。礼楽之謂也。物相雑曰文。豈一言所能尽哉。古謂儒者之道博而寡要。道之本体為然。後世貴簡貴要。夫直情径行者、戎狄之道也。先王之道不然。孔子曰、文王既没、文不在茲乎。後儒謂謙辞。夫文者文王之文也。仮使孔子自謙、而謙文王哉。是自理学者流二精粗之見耳。

 

[古者(いにしえ)は道これを文という。礼楽のいいなり。物、相雑(まじ)るを文という。あに一言のよく尽くす所ならんや。古(いにしえ)は「儒者の道は、博(ひろ)くして要、寡(すくな)し」という。道の本体はしかりと為(な)す。後世は簡を貴び、要を貴ぶ。それ直情径行する者は、戎狄(じゅうてき)の道なり。先王の道はしからず。孔子いわく、「文王すでに没し、文ここに在(あ)らずや」と。後儒は謙辞という。夫(そ)れ文なる者は文王の文なり。たとい孔子、自(みずか)ら謙(へりくだ)るとも、文王を謙らしめんや。これ自ずから理学者流の精・粗を二つにするの見のみ。]

 

《昔は、道、これを文といった。礼楽をいうのだ。物が混じり合うことを文という。どうして一言で充分いい尽くすことになるのか(いや、ならない)。昔は、「儒学者の道は、広くて要点が少なかった」という。道の本体は、そのようだとする。後世は、簡素を貴び、要点を貴ぶ。それで感情のまま思い通りに行動するものは、野蛮の道なのだ。先王の道は、そのようでない。孔子がいう、「文王(殷末期の周の君主、周王朝の創始者・武王や周公旦の父)が、すでに死没し、文は、ここにないのか」(『論語』9-210)と。後世の儒学者は、へりくだった言葉という。そもそも文なるものは、文王の文なのだ。たとえ、孔子が自分で、へりくだっても、文王をへりくだらせないのだ。これは、自分で理学者の流派の、精(道)・粗(文)の2つにする見方なのだ。》

 

※先王の道=精粗(道=文)一体の見方

 ・昔の文=道、礼楽、物が相雑る(互いに混じる)

 ・昔の道:博(広)くして要(要点)が寡(少)ない

※理学者流(流派)の道=精(道)・粗(文)分離の見方

 ・後世の文=謙辞(謙った言葉)→臣下の謙り(君主は謙らず)

 ・後世の道:簡(簡素)・要を貴ぶ

※戎狄(野蛮)の道=直情(感情のまま)径行(思い通りに行動)

 

・又有文質之説。文者道也、礼楽也。質者学者之質也。貴忠信者、謂受教之質耳。忠信而無文、不免為郷人矣。故孔子十室之邑、不貴忠信、而貴好学也。後儒僅能言精粗本末一以貫之、而察其意所郷往、則亦唯重内軽外、貴精賤粗、貴簡貴要、貴明白貴斉整。由此以往、先王之道、藉以衰颯枯槁、粛殺之気、塞於宇宙。其究必馴致於戎狄之道、而後已焉。蓋坐不知古之時道謂之文、而其教在養以成徳故也。

 

[また文質の説あり。文なる者は道なり。礼楽なり。質なる者は学ぶ者の質なり。忠・信を貴ぶ者は、教えを受くるの質をいうのみ。忠・信にして文なくんば、郷人為(た)るを免れず。ゆえに孔子は、十室の邑にも、忠・信を貴ばずして、学を好むを貴びしなり。後儒は僅(わず)かによく精粗・本末、一(いつ)もってこれを貫くことをいえども、その意の郷(むか)い往く所を察すれば、すなわちまたただ内を重んじ外を軽んじ、精を貴び粗を賤(いや)しみ、簡を貴び要を貴び、明白を貴び斉整(せいせい)を貴ぶのみ。これより以往、先王の道、藉(よ)りてもって衰颯(すいさつ)・枯槁(ここう)し、粛殺の気、宇宙に塞(ふさ)がる。その究(きわみ)は必ず戎狄(じゅうてき)の道に馴致(じゅんち)して、しかる後に已(や)む。けだし古(いにしえ)の時、道これを文といい、しかしてその教えは養いて、もって徳を成すに在(あ)りしことを知らざるに坐するがゆえなり。]

 

《また、文質の説がある。文なるものは、道なのだ、礼楽なのだ。質なるものは、学ぶ者の質なのだ。忠・信を尊貴するものは、教えを受ける質をいうのだ。忠・信であって、文がなければ、村人なのを免除されない。よって、孔子は、10戸の村で、忠・信を貴くしないで、学を好むのを貴くしたのだ(『論語』5-119)。後世の儒学者は、わずかに、充分に精粗・本末が、統一によって、これを貫くことをいっても、その(2つの)意味の向かい・行くことを推察すれば、つまり、また、ただ内面を重視、外面を軽視し、精を貴く・粗を賤しくし、簡素を貴び、要点を貴び、明白を貴び、整頓を貴ぶのだ。これ以降、先王の道は、よって、それで衰微・枯れ果てて、冷え枯れの気が、世界を閉塞させる。その究極は、必ず野蛮な道へと徐々に到達し、はじめて、停止する。思うに、昔の時代には、道、これを文といい、そうして、その教えは養って、それで徳をなすこと(成徳)にあるのを知らないで、視座するからなのだ。》

 

※文・質の説

 ・文=外面の美:道、礼楽

 ・質=内面の実:学ぶ者の質、忠・信を貴ぶ者→教えを受ける質

※道の変遷

 ・先王の道:精粗(道=文)・本末の統一

 ・後世の儒者:意(意味)の郷(向)い・往き先を察(考察)

  →内を重視・外を軽視、精を貴し・粗を賤し、簡(簡素)・要(要点)・明白・斉整(整頓)を貴ぶ

 ・先王の道:衰颯(衰微)・枯槁(枯れ果て)→粛殺(冷え枯れ)の気で宇宙(世界)を塞ぐ(閉塞)

  →戎狄(野蛮)の道に馴致(徐々に到達)

 

 

(18)

・善悪皆以心言之者也。孟子曰、生於心而害於政。豈不至理乎。然心無形也。不可得而制之矣。故先王之道、以礼制心。外乎礼而語治心之道、皆私智妄作也。何也、治之者心也。所治者心也。以我心治我心、譬如狂者自治其狂焉。安能治之。故後世治心之説、皆不知道者也。

 

[善悪は皆、心をもってこれをいう者なり。孟子いわく、「心に生じて政に害あり」と。あに至理ならずや。しかれども心は形なきなり。得てこれを制すべからず。ゆえに先王の道は、礼をもって心を制す。礼を外にして心を治むるの道を語るは皆、私智妄作なり。何となれば、これを治むる者は心なり。治むる所の者は心なり。我が心をもって我が心を治むるは、譬(たと)えば狂者自(みずか)らその狂を治むるがごとし。いずくんぞ、よくこれを治めん。ゆえに後世の心を治むるの説は皆、道を知らざる者なり。]

 

《善悪は、すべて、心によって、これをいうものなのだ。孟子がいう、「(悪い)心が生じれば、政治に害がある」(『孟子』3-25)と。どうして至極の理でないのか(いや、そうだ)。しかし、心は形がないのだ。得て、これ(心)を制すことができない。よって、先王の道は、礼によって、心を制す。礼を外側にして、心を治める道を語るのは、すべて、個人の知恵の妄想だ。なぜならば、これ(心)を治めるものは、心だからだ。治められるもの(対象)は心だ。わが心によって、わが心を治めるのは、例えば、狂人が自然に、その狂いを治めるようなものだ。どうして、充分にこれ(心)を治めるのか(いや、治められない)。よって、後世の心を治める説は、すべて、道を知らないものなのだ。》

 

※至(至極の)理:善・悪の心→政(政治)に利・害

 ・先王の道:心に形なし → 何かを得て制せない → 礼で心を制す

  ‐礼心一体:君子の礼で民の心を制して治める

 ・後世の心を治めるの説 → 道を知らない(徂徠が批判)

  ‐礼=外、心=内:礼に君子の心なし→民の心で民の心を治められず:私智妄作(個人の知恵の妄想)

 

 

(19)

・理無形。故無準。如理学者流、以中庸為精微之極、其言誠然。然其人若先識先王之道、而後賛嘆之謂是中庸也、則可矣。若其人未嘗識先王之道、独以己意択中庸之理、而謂是与先王之道不殊、則不可矣。又如訓道為当行之理、亦以賛嘆先王之道也、則可矣。若独以己意求所謂当行之理於事物、而合先王之道也、則不可矣。是無它也。理無形。故無準。其以為中庸為当行之理者、逎其人所見耳。所見人人殊。人人各以其心謂是中庸也是当行也、若是而已矣。人間北看成南。亦何所準哉。又如天理人欲之説、可謂精微已。然亦無準也。辟如両郷人争地界。苟無官以聴之、将何所準哉。故先王孔子皆無是言。宋儒造之。無用之弁也。要之未免堅白之帰耳。

 

[理は形なし。ゆえに準なし。理学者流、中庸をもって精微の極と為(な)すがごときは、その言(げん)は誠にしかり。しかれども、その人もし、まず先王の道を識(し)りて、しかる後にこれを賛嘆して、これ中庸なりといわば、すなわち可なり。もし、その人いまだかつて先王の道を識らずして、独り己(おの)が意をもって中庸の理を択(えら)びて、これ先王の道と殊(こと)ならずといわば、すなわち不可なり。また、道を訓じて当行の理と為すがごときも、またもって先王の道を賛嘆するときは、すなわち可なり。もし、独り己が意をもっていわゆる当行の理を事物に求めて、先王の道に合すとならば、すなわち不可なり。これ它(た)なきなり。理は形なし。ゆえに準なし。その、もって中庸となし当行の理と為す者は、すなわちその人の見る所のみ。見る所は人人殊なり。人人、各おのその心をもって「これ中庸なり」「これ当行なり」という、かくのごときのみ。人間(じんかん)、北より看(み)れば南と成る。また何の準とする所ぞや。また天理・人欲の説ごときは、精微というべきのみ。しかれどもまた準なきなり。辟(たと)えば両郷の人の地界を争うがごとし。いやしくも官のもってこれを聴(さば)くことなくんば、はた何の準とする所ぞや。ゆえに先王・孔子は、皆この言なし。宋儒これを造る。無用の弁なり。これを要するにいまだ堅白(けんぱく)の帰たるを免れざるのみ。]

 

《理は、形がない。よって、準拠がない。理学者の流派が、中庸を精緻の至極とするようなものは、その(理の)言葉が、本当にそのようだ。しかし、その人が、もし、まず先王の道を知っていて、はじめて、これ(先王の道)を感嘆・称賛して、これ(先王の道)が中庸だといえば、つまり可な(よい)のだ。もし、その人が、今まで一度も先王の道を知らないで、一人で自己が意思によって、中庸の理を選んで、これ(中庸の理)が先王の道と異ならないといえば、つまり不可(ダメ)なのだ。また、道を注釈して、当然の理とするようなものも、また、それで先王の道を感嘆・称賛すれば、つまり可な(よい)のだ。もし、一人で自己が意思によって、いわゆる当然の理を事物に探し求めて、先王の道に合うならば、つまり不可(ダメ)だ。この他にはないのだ。理は、形がない。よって、準拠がない。それが、それで中庸とし、当然の理とするものは、つまりその人が見ることなのだ。見ることは、誰も彼も異なる。誰も彼も各々その心を「これが中庸だ」「これが当然だ」という、このようなのだ。世の中は、北から見れば南となる。また、何の準拠とすることなのか。また、天の理・人の欲の説のようなものは、精緻ということができるのだ。しかし、また、準拠がないのだ。例えば、両方の村人が土地境界を争うようなものだ。もしも、官によって、これ(争い)を裁くことがなければ、やはり何の準拠とすることなのか。よって、先王・孔子は、すべて、この(理の)言葉がない。宋代の儒学者は、これ(理)を建造した。無用の弁別だ。これは、要するに、まだ堅白同異(堅くて白い1つの石の存在を、触れると堅く、見ると白いので、2つと認識する詭弁)に帰着するのを免除しないのだ。》

 

※理=形なし、準(準拠)なし、人が見る所が異なる → 心で中庸・当行(当然)を主張

 ・先王の道を識(知)る→先王の道を賛嘆(感嘆・称賛)、先王の道=中庸 ~ 可

 ・先王の道を識らず→己の意(自己の意思)で中庸の理を択(選)ぶ、中庸の理=先王の道 ~ 不可

 ・道先理後:道を訓じる(解釈)→当行の理とする、先王の道を賛嘆 ~ 可

 ・理先道後:己の意で当行の理を事物に求める→当行の理=先王の道 ~ 不可

※先王・孔子:理の言葉なし

※理学者流(流派):基準がないのに理の言葉を造った → 無用の弁(弁別):堅白同異(徂徠が批判)

 ・理の言葉:中庸=精微(精緻)の極、天理・人欲(人の欲望)の説=精微

 

 

(つづく)