荻生徂徠「弁道」読解3~(7)-(8) | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

(7)

・孔子之教、仁為至大。何也、能挙先王之道而体之者仁也。先王之道、安天下之道也。其道雖多端、要帰於安天下焉。其本在敬天命。天命我為天子為諸侯為大夫、則有臣民在焉。為士則有宗族妻子在焉。皆待我而後安者也。且也士大夫皆与其君共天職者也。故君子之道、唯仁為大焉。且也相親相愛相生相成相輔相養相匡相救者、人之性為然。故孟子曰、仁也者人也。合而言之道也。荀子称、君者群也。故人之道、非以一人言也。必合億万人而為言者也。今試観天下、孰能孤立不群者。士農工商、相助而食者也。不若是則不能存矣。雖盗賊必有党類。不若是則亦不能存矣。故能合億万人者君也。能合億万人、而使遂其親愛生養之性者、先王之道也。学先王之道而成徳於我者、仁人也。雖然、士欲学先王之道以成徳於我。而先王之道亦多端矣。人之性亦多類矣。苟能識先王之道要帰於安天下、而用力於仁、則人各随其性所近、以得道一端。如由之勇、賜之達、求之芸、皆能成一材、足以為仁人之徒、共諸安天下之用焉。而其徳之成、如夷斉之清、恵之和、尹之任、皆不必変其性、亦不害為仁人焉。若或不識用力於仁、則其材与徳、皆不能成。而諸子百家由此興焉。此孔門所以教仁也。

 

[孔子の教えは、仁を至大となす。何となれば、よく先王の道を挙げて、これを体する者に仁なればなり。先王の道は、天下を安んずるの道なり。その道は多端なりといえども、要は天下を安んずるに帰す。その本は天命を敬するに在(あ)り。天、我に命じて、天子と為(な)り、諸侯と為り、大夫と為れば、すなわち臣民の在ることなり。士となれば、すなわち宗族(そうぞく)・妻子の在ることあり。皆、我を待ちて、しかる後に安んずる者なり。かつや士大夫は皆、その君と天職を共にする者なり。ゆえに君子の道は、ただ仁を大なりと為す。かつや相親しみ相愛し相生じ相成し相輔(たす)け相養い相匡(ただ)し相救う者は、人の性しかりとなす。ゆえに孟子いわく、「仁なる者は人なり。合してこれをいえば道なり」と。荀子、称すらく、「君なる者は、群するなり」と。ゆえに人の道は、一人をもっていうにあらざるなり。必ず億万人を合して言(げん)を為す者なり。今試みに天下を観るに、孰(たれ)かよく孤立して群せざる者ぞ。士農工商は、相助けて食(くら)う者なり。かくのごとくならずんば、すなわち存すること能(あた)わず。盗賊といえども必ず党類あり。かくのごとくならずんば、すなわちまた存すること能わず。ゆえによく億万人の合する者は君なり。よく億万人を合して、その親愛・生養の性を遂(と)げしむる者は、先王の道なり。先王の道を学びて、もって徳を我に成す者は、仁人なり。しかりといえども、士、先王の道を学びて、もって徳を我に成さんと欲する。しかして先王の道もまた多端なり。人の性もまた多類なり。いやしくも、よく先王の道、要は天下を安んずるに帰すことを識(し)りて、力を仁に用いば、すなわち人(ひとびと)各おのその性の近き所に随いて、もって道の一端を得ん。由の勇、賜の達、求の芸ごときは、皆よく一材を成し、もって仁人の徒と為り、これを天下を安んずるの用に共(きょう)するに足れり。しかしてその徳の成るや、夷・斉の清、恵の和、尹(いん)の任ごときは皆、必ずしもその性に変ぜざるも、また仁人為(た)るを害せず。もし、あるいは力を仁に用うることを識らずんば、すなわちその材と徳とは皆、成すこと能わず。しかして諸子百家これに由(よ)りて興る。これ孔門の、仁を教うる所以(ゆえん)なり。]

 

《孔子の教えは、仁を至極偉大とする。なぜならば、充分に先王の道を取り上げて、これを体現するものが仁だからだ。先王の道は、天下を安寧にする道なのだ。その道は、多端緒なのだといっても、要するに、天下を安寧にすることに帰着する。その根本は、天命を敬することにある。天は、我に命令して、天子(帝王)となり、諸侯(天子に仕える大領主)となり、大夫(諸侯に仕える小領主)となれば、つまり臣民が存在することなのだ。士(官吏)になれば、つまり父系一族・妻子が存在することになる。皆、(天命の受ける)我を待って、はじめて、安寧になるものなのだ。そのうえ、士・大夫は皆、その君主と天職を共にするものなのだ。よって、君子の道は、ただ仁を偉大とするだけだ。そのうえ、相互に親愛し、相互に生成し、助け合い・養い合い(輔養/ほよう)、正し合い・救い合う(匡救/きょうきゅう)ものは、人の本性にしたがってする。よって、『孟子』によると、「仁なるものは、人なのだ。合わせてこれをいえば、道なのだ。」(14-238)。『荀子』によると、「君主なるものは、群れなのだ」。よって、人の道は、一人をいうのではないのだ。必ず大勢の人々を合わせて、発言するものなのだ。今試(ため)しに天下を観察すれば、誰が充分に孤立して群れていないものなのか。士農工商は、助け合って食べるものなのだ。このようでなければ、つまり生存することができない。盗賊といっても、必ず仲間がいる。このようでなければ、つまり生存することができない。よって、充分に大勢の人々を合わせるものは、君主なのだ。充分に大勢の人々を合わせて、その親愛・生養の本性を遂行させるものは、先王の道なのだ。先王の道を学んで、それで徳を私になすものは、仁の人だ。そうはいっても、士は、先王の道を学んで、それで徳を私になそうとする。そうして、先王の道もまた多端緒なのだ。人の本性も、また、多種類なのだ。もしも、充分に先王の道が、要するに、天下を安寧にするのに帰着することを知っていて、力を仁に用いれば、つまり人々は、各々その本性が近いこと(『論語』17-436)にしたがって、それで道の一端緒を得る。子路(しろ、3人とも孔子の弟子)の勇(果、果敢)、子貢(しこう)の達(達観)、冉有(ぜんゆう)の芸(多芸、以上『論語』6-125)のようなものは、すべて、充分にひとつの人材をなし、それで仁の人の徒党となり、これで天下を安寧にする作用を共にするのに充分だ。そうして、その徳をなすのに、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい、殷末期の孤竹/こちく国の王子の兄弟)の清(清浄)、柳下恵(りゅうかけい、魯の裁判官)の和(調和)、伊尹(いいん、夏末期・殷初期の宰相)の任(責任、以上『孟子』10-132)のようなものは、すべて、必ずしもその本性が変わっていなくても、また、仁の人なのを害しない。もし、力を仁に用いることを知らなかったりすれば、つまりその人材と徳は、すべて、なすことができない。そうして、諸子百家(様々な学者・学派)は、これによって、おこった。これは、孔子の門徒が、仁を教える理由なのだ。》

 

※天人関係:君子=天命で職務を仮託

 ・孔子:仁=至大(至極偉大)、先王の道を挙げ(挙動し)て体(体現)する

 ・先王の道=天下を安らかにする道、本(根本)=天命を敬する

 ・君子の道:仁=大(偉大)、人の性にしたがい相互に親愛・生成・輔養・匡救

  ‐天子(君主)・諸侯(大領主)・大夫(小領主、君主と天職を共にする):臣民が存在

  ‐士(官吏、君主と天職を共にする):宗族(父系一族)・妻子が存在

※人間関係:人の道=生存のため、人が合わさって群れ、人の性にしたがって力を仁に用いる

 ・孟子:道=仁人の合

 ・荀子:君主=群

 ・先王(君主)の道=君主が億万人(大勢の人々)を合わせて、人に親愛・生養の性を遂行させる

  ‐仁人=先王の道を学んで私に徳を成す

  ‐人の性=多(種)類→互いに近いのに随って道の一端(一方面)を得る:仁人の一材(1人の逸材)

  ‐先王の道=多端(多方面)→一材の仁人の徒(徒党)が天下を安らかにする用(作用)を共にする

 

・孟子惻隠以愛語仁。是其性善之説、必本諸人心、故不得不以愛言之耳。雖有愛人之心、而沢不及物、豈足以為仁哉。故雖孟子亦有仁政之説矣。後儒逎不識孟子実為勧世之言、而謂用力於仁、莫切於孟子也、則輒欲推其惻隠之心以成聖人之仁。可謂妄意不自揣之甚已。主張其学者、遂至謂仏有仁無義也。夫仏無安天下之道。豈足以為仁哉。墨子乃有見先王之道、仁莫以尚焉、遂謂仁足以尽一切矣。殊不知天地大徳曰生、仁亦聖人大徳也、雖然、亦一徳也。若天地一於生、則何以有夏秋冬乎。聖人一於仁、則何以有勇智信義乎。孟子挙義折之者是矣。然仁義並言、而仁由是小矣。安在其為大徳乎。宋儒又欲合二者之異、乃造専言偏言之目。専言足以尽一切、偏言足以与衆徳対立、庶足以孔孟之教並行而不相悖也。是其理学之説、欲瞭然於言語之間者已。安足以知先王孔子之道乎。

 

[孟子の惻隠は、愛をもって仁を語る。これその性善の説、必ずこれを人心に本づく、ゆえに愛をもってこれをいわざるを得ざるのみ。人を愛するの心ありといえども、沢(たく)、物に及ばずんば、あに、もって仁と為(な)すに足らんや。ゆえに孟子といえども、また仁政の説あり。後儒、逎(すなわち)孟子、実は世を勧むるの言(げん)を為したるを識(し)らずして、力を仁に用うるは、孟子より切なるはなしというや、則輒(すなわち)その惻隠の心を推(お)して、もって聖人の仁を成さんと欲す。妄意して自(みずか)ら揣(はか)らざるの甚(はなは)だしきというべきのみ。その学を主張する者、ついに「仏には仁ありて義なし」というに至るなり。それ仏には天下を安んずるの道なし。あに、もって仁となすに足らんや。墨子は、すなわち先王の道、仁もって、これに尚(くわ)うることなきを見ることあり、ついに仁はもって一切を尽くすに足るという。殊(た)えて知らず、天地の大徳を生といい、仁もまた聖人の大徳なり、しかりといえども、また一徳なることを。もし天地、生に一(いつ)ならば、すなわち何をもって夏・秋・冬あらんや。聖人、仁に一ならば、すなわち何をもって勇・智・信・義あらんや。孟子、義を挙げてこれを折(くじ)く者は是なり。しかれども仁・義、並べいいて、仁これに由(よ)りて小なり。安(いずく)にか在(あ)る、その大徳為(た)ることや。宋儒はまた二者の異を合せんと欲し、すなわち専言・偏言の目(もく)を造る。専言はもって一切を尽くすに足り、偏言はもって衆徳と対立するに足り、もって孔孟の教え並び行われて相悖(もと)らざるに足るに、庶(ちか)からんとなり。これその理学の説にして、言語の間に瞭然たらんことを欲する者のみ。安(いずく)んぞ、もって先王・孔子の道を知るに足らんや。]

 

《孟子の同情(の心)は、愛によって、仁を語る。これがその(孟子の)性善説で、必ずこれ(性善)を人の心に基づかせ、よって、愛によって、これ(性善)をいわざるをえないのだ。人を愛する心があるといっても、恩沢(恩恵)が人々に及ばなければ、どうして、それで仁とするのに充分なのか(いや、充分でない)。よって、孟子といっても、また、仁政の説(『孟子』7-62)がある。後世の儒学者は、つまり孟子が、実は世の中を勧告する発言をしているのを知らないで、力を仁に用いるのは、孟子より大切なのはないといい、つまりその(孟子の)同情の心を推察して、それで聖人の仁をなしたいとする。妄想して、自分で、推し測らないのが、ひどいというべきなのだ。その学問を主張する者は、結局、「仏教には仁があって義がない」というのに至るのだ。それで仏教には天下を安寧にする道はない。どうして、それで仁とするのに充分なのか(いや、充分でない)。墨子(中国・戦国時代の思想家、墨家の開祖)は、つまり先王の道が、仁によって、これに付け加えることがないのを見ることがあり、結局、仁は、それで一切をいい尽くすのに充分という。意外にも、天地の偉大な徳を生といい、仁も、また、聖人の偉大な徳なのだが、そうはいっても、やはりひとつの徳であるのを、知らない。もし、天地が、(春の)生に統一するならば、つまりどうして夏・秋・冬があるのか。聖人が、仁に統一するならば、つまりどうして勇・智・信・義があるのか。孟子が、義を取り上げて、これ(仁への統一)を阻止するのは、是な(正しい)のだ。しかし、仁と義を並べていえば、仁は、これによって卑小なのだ。どこに、それ(仁と義の並称)が偉大な徳なることが、存在するのか。宋代の儒学者は、また、2つの異なりを合わせようとし、つまり広義の言葉・狭義の言葉の名目を造った。広義の言葉は、それで一切をいい尽くすのに充分、狭義の言葉は、それで様々な徳と対立するのに充分で、それで孔子・孟子の教えが並び行われて、相互に背反しないのに充分で、近くなろうとするのだ。これは、その理学(朱子学)の説で、言葉の間で明瞭になってほしいものなのだ。どこに、それで先王・孔子の道を知るのに充分なのか(いや、充分でない)。》

 

※仁の意味範囲

 ・孟子:性善説=人の惻隠(同情)の心の仁愛 → 仁政の説=沢(政治的恩恵)が物(人々)に及ぶ

 ・後世の儒者:孟子の仁愛に特化・仁政を無視、聖人=仁の成就と解釈して力を仁に用いるのが最重要

   ~ 仏教への接近:仁(慈悲)あり・義なし → 天下を安らかにする道なしで仁が成就できず

 ・墨子:先王の道=仁のみ → 仁=聖人の大(偉大な)徳だが、徳の1つにすぎず(他の徳目を無視)

 ・孟子:仁と義の並言 → 仁が小(卑小)に

 ・朱子学:理学の説=孔子・孟子の教えとの並行(両立) → 先王・孔子の道でない(徂徠が批判)

  ‐専言(広義の言葉):1つの徳で一切をいい尽くす

  ‐偏言(狭義の言葉):多くの徳と対立する

 

・先王之道多端矣。且挙其尤者言之、政禁暴、兵刑殺人。謂之仁而可乎。然要帰於安天下已。先王之教多端矣。智自智、勇自勇、義自義、仁自仁、豈可混合乎。然必不与安天下之道相悖、而後謂之智勇与義已。如孔子曰、拠於徳、依於仁、人各拠其性之徳而不失之。性之徳雖多端、皆不害於仁。祇未能養而成之、故悖於道。養之道、在依於仁、遊於芸。依者、如声依永之依也。楽声必与詠歌相依、清濁以之、節奏以之。依之謂也。依於仁亦爾。人雖各拠其徳、亦必和順於先王安天下之道、不敢違之、然後足以各成其徳。此孔門之教也。大氐先王孔子之道、皆有所運用営為。而其要在養以成焉。然後人迫切之見、急欲以仁尽一切。是以不得不跳而之理。而究其説、乃不過浮屠法身徧一切之帰。悲哉。

 

[先王の道は、多端なり。且(しばら)くその尤(いう)なる者を挙げてこれをいわば、政は暴を禁じ、兵刑は人を殺す。これを仁といいて可ならんや。しかれども要は天下を安んずるに帰するのみ。先王の教えは多端なり。智は自(おの)ずから智、勇は自ずから勇、義は自ずから義、仁は自ずから仁にして、あに混合すべけんや。しかれども必ず天下を安んずるの道と相悖(もと)らずして、しかる後にこれを智・勇と義と、といわんのみ。孔子の「徳に拠(よ)り、仁に依(よ)る」というがごときは、人、各おのその性の徳に拠りてこれを失わず。性の徳は多端なりといえども皆、仁に害あらず。祇(ただ)いまだ養いて、これを成すこと能(あた)わず、ゆえに道に悖る。養うの道は、「仁に依り、芸に遊ぶ」に在(あ)り。「依る」は、「声(せい)は永(えい)に依る」の「依る」のごときなり。楽声は必ず詠歌と相依り、清濁これをもってし、節奏これをもってす。「依る」のいいなり。「仁に依る」もまたしかり。人、各おのその徳に拠るといえども、また必ず先王の天下を安んずるの道に和順し、敢(あ)えてこれに違(たが)わず、しかる後にもって、各おのその徳を成すに足る。これ孔門の教えなり。大氐(たいてい)、先王・孔子の道は皆、運用・営為する所あり。しかしてその要は、養いて、もって成すに在り。しかるに後人の迫切(はくせつ)の見は、急(しきり)に仁をもって一切を尽くさんと欲す。ここをもって、跳(と)びて理に之(ゆ)かざるを得ず。しかしてその説を究(きわ)むるに、すなわち浮屠(ふと)の法身(ほっしん)徧(へん)一切の帰に過ぎず。悲しいかな。]

 

《先王の道は、多端緒なのだ。しばらく、その特異なものを取り上げて、これをいえば、政治は暴力を禁止しているのに、兵隊・刑罰は、人を殺す。これを仁といって可な(よい)のか。しかし、要するに、天下を安寧にすることに帰着するだけだ。先王の教えは、多端緒だ。智は、自然に智、勇は、自然に勇、義は、自然に義、仁は、自然に仁で、どうして混合できるのか(いや、できない)。しかし、必ず天下を安寧にする道と相互に背反しないで、はじめて、これを智・勇・義というだけだ。孔子の「徳に依拠し、仁に依拠する」(『論語』7-153)というようなものは、人が各々その本性の徳に依拠して、これを消失しない。本性の徳は、多端緒といっても、すべて、仁に害はない。ただまだ養っても、これを成すことができず(養成)、よって、道に背反する。養いの道は、「仁に依拠し、芸に遊ぶ」(『論語』7-153)にある。「依拠する」は、「声を長く依る」の「依る」のようなものだ。声楽は、必ず詠歌と相互依存し、清音・濁音は、これ(声)によってし、音楽の調子は、これ(声)によってする。「依る」をいうのだ。「仁に依拠する」も、また、そのようだ。人が各々その徳に依拠するといっても、また、必ず先王が天下を安寧にする道に調和・順応し、あえて、これに食い違わずに、はじめて、それで各々その徳をなすの(成徳)に充分だ。これは、孔子の門徒の教えなのだ。たいてい、先王・孔子の道は、すべて、運用・営為することにがある。そうして、その要点は、養って、それで成すことにある。しかし、後世の人の切迫した見方は、何度も、仁によって一切を尽くそうとする。こういうわけで、飛躍して理にいかざるをえない。そうして、その説を究極するのに、つまり仏陀(ブッダ)の法身が、隅々まで行き渡る一切に帰着するにすぎない。悲しいな。》

 

※先王・孔子の道=運用・営為

 ・先王の道:多端(多方面)、目的=天下を安らかにする、手段=徳目:智・勇・義・仁

 ・孔子の道:人の性の徳:多端(多方面) → 性の徳に拠る(養う前は道に背くことあり)

  → 養いの道:仁に依る(先王天下を安らかにする道に和順) → 仁の成就

 ・後人:迫切の見(切迫した見方)=仁で一切をいい尽くす → 理に飛躍 ~ 仏教徒の法身偏一切

 

(8)

・多謂人有仁義、猶天有陰陽也。遂以仁義為道之総。是後世之言也。当先王孔子之時、豈求一言以尽乎道焉。求一言以尽乎道者、務標異聖人之道者也。先王孔子之時、豈有是哉。古者礼義対言焉耳矣。仁者聖人之大徳、豈礼儀之倫乎。故孔門之教、仁是為上。至於孟子並言仁義。以是而弁楊墨之非、可也。以教学者、不可也。如仁義礼智、亦孔子時所無、孟子始言之。亦備楊墨所不有者、以見吾道之備。其実礼儀人之大端、而仁於斯為大。知如者、人喜以才智自高。是其情也。故聖人未嘗以知為教矣。如曰知者仁者、成徳之名、各因其性所稟殊焉。若夫仁義礼智就一人之身言之者、未之嘗聞也。漢儒以属五行、或智為土、信為水、或智為火為水、未有定説。可見非古道已。論語屡以好仁好義好礼好徳好善好学好古為言、而未嘗以好知好信為教。故其非孔門之旧也。荀子識子思孟子造五行。豈誣乎哉。

 

[多くはおもえらく、人に仁義あるは、なお天に陰陽あるがごときなりと。ついに仁義をもって道の総(すべて)と為(な)す。これ後世の言(げん)なり。先王・孔子の時に当たりて、あに一言もって道を尽くすことを求めんや。一言もって道を尽くすことを求むる者は、務めて聖人の道を標異する者なり。先王・孔子の時、あにこれあらんや。古者(いにしえ)は礼・義、対言するのみ。仁なる者は聖人の大徳にして、あに礼・義の倫(たぐい)ならんや。ゆえに孔門の教えは、仁をこれ上なりと為(な)す。孟子に至りて、仁義を並べいう。これをもってして楊・墨の非を弁ずるは、可なり。もって学者に教うるは、不可なり。仁義礼智のごときも、また孔子の時のなき所にして、孟子始めてこれをいう。また楊・墨のあらざる所の者を備えて、もって吾(わ)が道の備えれるを見(あらわ)すのみ。その実は、礼・義は人の大端なれども、仁はこれよりも大なりと為す。知のごとき者は、人(ひとびと)喜びて才智をもって自ら高しとす。これその情なり。ゆえに聖人はいまだかつて知をもって教えと為さず。知者・仁者というがごときは、成徳の名にして、各おのその性の稟(う)くる所に因(よ)りて殊(こと)なり。夫(か)の仁義礼智、一人の身に就きてこれをいう者のごときは、いまだこれをかつて聞かざるなり。漢儒、もって五行に属し、あるいは智を土と為し、信を水と為し、あるいは智を火となし水と為し、いまだ定説あらず。古道にあらざるを見るべきのみ。論語しばしば「仁を好む」「義を好む」「礼を好む」「徳を好む」「善を好む」「学を好む」「古を好む」をもって言(げん)をなせども、いまだかつて「知を好む」「信を好む」をもって教えとなさず。ゆえにそれ孔門の旧にあらざるなり。荀子、子思・孟子の五行を造るを譏(そし)る。あに誣(ふ)ならんや。]

 

《多くが思うに、人に仁義があるのは、ちょうど天に陰陽があるようなものだ。結局、仁義を道のすべてとする。これは、後世の言葉なのだ。先王・孔子の時代にあたっては、どうして一言によって、道をいい尽くすことを探し求めるのか(いや、探し求めない)。一言が、それで道をいい尽くすことを探し求めるものは、務めて聖人の道を明確化するものなのだ。先王・孔子の時代に、どうして、これ(明確化)があるのか(いや、ない)。昔は、礼・義が対比する言葉だったのだ(『論語』1-13、13-306、15-396)。仁なるものは、聖人の偉大な徳で、どうして礼・義の仲間なのか(いや、仲間でない)。よって、孔子の門徒の教えは、仁、これを上位とする。孟子(の時代)に至って、仁・義を並べていう。こういうわけで、楊子(中国・戦国時代の思想家)・墨子(中国・戦国時代の思想家、墨家の開祖)の誤りを弁明するのは、可な(よい)のだ。それで学ぶ者に教えるのは、不可(ダメ)なのだ。仁義礼智のようなものも、また、孔子の時代にないことで、孟子がはじめてこれ(仁義礼智)をいった。また、楊子・墨子のないものを具備して、それでわが道が具備したのを現わしたのだ。その実は、礼・義が人の偉大な端緒でも、仁は、これ(礼・義)よりも偉大とする。知のようなものは、人々が喜んで才智を自ら高いとする。これは、その(知の)情なのだ。よって、聖人は、今まで一度も知を教えとしたことがない。智者・仁者というようなものは、完成した徳の名で、各々その本性を受けたことによって異なる。あの仁義礼智は、一人の身につきしたがって、これ(本性)をいうようなものは、今までこれを一度も聞いたことがない。漢代の儒学者は、それで5行(火・水・木・金・土)に属し、智を土とし、信を水としたり、智を火や水としたりするが、まだ定説がない。昔の道にないのを見ることができるのだ。『論語』には、しばしば「仁を好む」「義を好む」「礼を好む」「徳を好む」「善を好む」「学を好む」「古を好む」を、言葉としているが、今まで一度も「知を好む」「信を好む」を、教えとしていない。よって、それは、孔子の門徒の旧説ではないのだ。荀子は、子思・孟子が5行を建造したのを非難した。どうしてあざむくのか(いや、あざむかない)。》

 

※道の意味範囲:徳目の多極分散→一極集中

 ・先王・孔子=道を一言でいい尽くさない:仁が上(上位)・仁者=聖人の大(偉大な)徳、礼と義が対言

 ・孟子:仁と義を並言、仁義礼智を始言

 ・後世(朱子学)=道を一言でいい尽くす、聖人の道を標異(明確化):道=仁義

 

 

(つづく)