渋沢栄一「論語と算盤」要約 | ejiratsu-blog

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渋沢栄一と財閥

近世の開物思想と近代の文明開化1~6

福沢諭吉「文明論之概略」要約

福沢諭吉「学問のすすめ」要約

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 渋沢栄一は、アヘン戦争開戦と同年の1840年に、埼玉県深谷市の豪農に生まれ、17歳で武士を志し、当初は尊皇攘夷に傾倒、そこから一転して、25歳で一橋家の家臣、28歳で一橋慶喜の将軍就任で幕臣になり、訪欧しましたが(パリ万博のため)、29歳が明治維新で、留学を中断して帰国しました。

 帰国後は、さらに一転して、30歳で大蔵省に入省しましたが、34歳で退官し、これ以降は、実業界や教育・慈善事業等で活躍しています。

 36歳で第一国立銀行の頭取就任し、50歳が帝国憲法公布、55歳が日清戦争開戦、63歳に初訪米し(計4度)、65歳が日露戦争開戦、72歳が不平等条約改正、75歳に訪中し、第1次世界大戦開戦、77歳で実業界引退、90歳が世界恐慌で、満州事変と同年の1931年に、92歳で死去しました。

 『論語と算盤』は、儒教(孔子の「論語」での道徳)を理論とし、経済(商売での利得)を実践してきた、大正前期までの渋沢の訓話で、1916年(77歳)に刊行され、当時は、軽工業だけでなく、重工業も発達し、日本が大国の一員として、欧米に公認された時期です。

 渋沢は、日本の教育において、科学技術の知育は、充分になってきた一方、公共性・社会性の徳育が、不充分だという危機感から、本にまとめたようです。

 鎖国下の日本でも、江戸中期以降、産業奨励のため、中国由来・東洋文明の漢学と欧米由来・西洋文明の蘭学が移入され、藩校・私塾等では、東西の文明が並存するとともに、日本化もし、様々な思想が等価に勉学・習得できたので、そこから都合のいい思想を選択・利用する環境にありました。

 渋沢が儒教を持ち出した理由は、資本主義において、最初に金・物・人等の資本(元手)を提供する際には、何らかの儒教道徳(仁・義・礼・智・信)の働き掛けがないと、経済活動が成り立たないからではないでしょうか。

 また、渋沢が儒教の中で、「論語」を選び取った理由は、朱子学・先王の道(荻生徂徠)等が、上の者の仁・徳・愛よりも、下の者の忠・孝のほうが、過剰に要求されがちだった一方、孔子・孟子の道(伊藤仁斎)が、双方(上下・対等)の相互関係性を大切にしていたからではないでしょうか。

 近世日本の社会・組織では、上下(主従)関係がほとんどで、戦乱の終息により、上の者は、世襲で固定し、下の者は、現状維持か失態による降格かなので、下の者が上の者に振る舞う際に必要な、一方向の日本的儒教が発展しました。

 しかし、近代日本の社会・組織では、四民平等になり、対等関係が拡大していったので、渋沢は、儒教の徳目のうち、仁(仁愛・仁徳)・義(正義・徳義・道義)とともに、信(朋友の信、信用)を強調することで、双方向を確保しています(5章1項、8章8項、10章3項)。

 その一例として渋沢は、組織からの規則的・受動的・強制的な仕事だけに偏重していたのではなく、個人からの自主的・能動的・自発的な趣味・感興(興味)にも着目し、自由な発想も大切にしました(5章1・2項、10章1項)。

 そして、世俗的な社会や組織の人間関係は、相互関連性で成り立っており、渋沢が官から民へ転身した前後は、日本にまだ、組織の「法」(規律・契約・権利義務)がなかったので、西洋の先例をもとに、東洋の「徳」(儒教道徳)で日本化した、組織運営のフォーマット(型式)を整備したと推測できます。

 しかも、組織は、複数人の有力者の協力で設立されたので、渋沢が関与したとされる、約500の企業・約600の教育・医療・慈善団体等の大半は、その組織運営のフォーマットを普及したとみられます(計1100を1日1つずつ行っても、すべて回るのに3年かかる計算です)。

 そのうえ、そもそも株式会社の制度自体が、複数人の出資によるリスク分散が目的なので、会社の人間関係が、孔子・孟子の道での双方の相互関係性と、呼応しやすかったようにもみえ、渋沢関与の膨大な組織数よりも、現代の組織運営にも通用する、「論語」を選択・基軸にしたのを評価すべきでしょう。

 渋沢が、約500の企業と、約600の教育・医療・慈善団体等を、関与の両輪としたのは、個人が富むために、事業経営で日夜勉励し、それで国家も富む一方、貧富の格差が拡大するのが、自然の成り行きなので、それを打ち棄てずに、貧富を円満・調和しようとするのが、社会還元だからです(7章4項)。

 

 さて、『論語と算盤』の10章・90項の要約を列挙すると、次のようです。

 

 

○1章:処世と信条(11項)

・論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの:孔子の論語の仁義道徳をもとに、大きな欲望をもって利殖を図り(算盤)、国を富ませ、正しい道理と事実と利益が一致することを生涯で証明

・士魂商才:欧米の新研究とともに、孔子の時代と現在を考慮し、士魂と商才を論語の熟読で養成せよ

・天は人を罰せず:無理な真似や不自然な行動は苦痛(天罰)なので、自信のあること(天命)をせよ

・人物の観察法:視(外形・行為)・観(その動機)・察(その満足)の3つで、人物を正当に識別せよ

・論語は万人共通の実用的教訓:論語の教訓を標準とし、一生商売で利殖、国富を増進させ、農工商も学問が必要なことを証明

・時期を待つの要あり:形勢を観望し、忍耐で争いを強いて避け、時期の到来を気長に待つのも必要で、農工商も、士と同様、論語で国富を増進させ、いつか官尊民卑を払拭したい

・人は平等なるべし:人は自由・平等のもと、国家社会貢献のため、相互納得で、才能の適・不適を察し、適材を適所に置くべき

・争いの可否:自己が健全に発達・進歩するため、時に他者と争って勝つ意気込み・奮発心を持つべき

・大丈夫の試金石:自然的逆境は、天命を覚悟して撓(たゆ)まず屈せず勉強し、人為的逆境は、自分を省みて悪い点を改めよ

・蟹穴主義が肝要:カニが入れる大きさの穴を掘るように、自分を知り、本分を守って安じつつ進み、何事も誠意・誠心をもって律せよ

・得意時代と失意時代:大事・小事を区別せず、同一の態度・思慮で処理し、大事では、自己のためより、道理と国家社会の利益を優先せよ

 

○2章:立志と学問(10項)

・精神老衰の予防法:日本人は事実よりは形式を重視し、感情が急激で健忘と指摘されたので、大国民たる襟度・堪忍を修養すべき、文明の老人は身体が衰弱しても、精神が老衰しないように学問せよ

・現在に働け:物質的文明は進んだが、精神の進歩を害したので、富とともに、精神を向上させよ

・大正維新の覚悟:青年時代は失敗しても、正義をもとに、元気と精力・勇気猛進で活動・競争せよ

・秀吉の長所と短所:秀吉の短所は、家道・計略がなかったこと、長所は、勉強と勇気・機智

・自ら箸を取れ:小仕事を粗末にすると、大仕事で成功できず、与えられた小仕事を勤勉・忠実・誠意で完全に遂げて、大仕事を掴み取れ

・大立志と小立志との調和:まず自己の長所・短所を冷静・精細に比較・考察し、最長所をもとに人生根幹の大志を打ち立て、つぎに大立志と調和・一致する小立志で工夫せよ

・君子の争いたれ:正義が実行されない際には、不円満になれ

・社会と学問との関係:今日の社会は複雑多岐なので、大体・大局を観て、自他を相対的に見よ

・勇猛心の養成法:肉体を鍛錬、内省を修養し、勇猛心を向上させ、姑息にならず、正義を断行せよ

・一生涯に歩むべき道:自分の素質・才能に相応な真の立志をせよ

 

○3章:常識と習慣(10項)

・常識とは如何なるものか:常識には、智(智恵)・情(情愛)・意(意志)の3者の権衡・調和が必要

・口は禍福の門なり:口を閉じれば、禍は防げるが、福は招けないので、禍福を勘案して口を開け

・悪(にく)んでその美を知れ:道理のある人と面会・世話する際、悪人を憎まず、善人に導きたい

・習慣の感染性と伝播力:習慣は人格形成に関係し、他人に感染・伝播するので、良い習慣を養うべき

・偉き人と完(まった)き人:英雄豪傑の偉き人は智・情・意の3者が不権衡で超凡的、完き人は3者が円満で平凡・常識的、政治界・実業界なら、健全な常識を修養せよ

・親切らしき不親切:志が善で、その所作が悪だと信用されず、その逆は信用されやすいので注意せよ

・何をか真才真智という:公私に必要な真才・真智は、常識の発達にあり、常識を発達させるには、自己の境遇位地をよく知って、道理正しく活用せよ

・動機と結果:志(動機)とその所作(結果)の分量・性質を仔細に較量・参酌せよ

・人生は努力にあり:不断の努力の勉強を習慣化し、事物に対する平生の注意も怠らないようにせよ

・正につき邪に遠ざかるの道:まず先方の言葉(孝悌忠信)や常識に自問自答する、意志の鍛錬が必要

 

○4章:仁義と富貴(9項)

・真正の利殖法:実業永続・国家の健全な発達のため、真正の利殖は、仁義道徳の道理のもとで、自己の欲望を活動すべき

・効力の有無はその人にあり:金は所有者の人格いかんで善にも悪にもなるので、社会での金の効力をいかに視察すべきか考慮せよ

・孔夫子の貨殖富貴観:富貴・貧賤や功名に関わらず、正しい道理を大切にせよ

・防貧の第一要義:弱者救済と社会秩序・国家安寧保持のため、富豪は誠実に慈善事業へ資金投入せよ

・罪は金銭にあらず:国を治め、民を救うには、道徳が必要で、道徳と経済(利殖)を一致・調和せよ

・金力悪用の実例:仁義道徳と生産殖利を別々に取り扱えば、海軍収賄事件のような不正行為も発生

・義理合一の信念を確立せよ:極力仁義道徳によって利用厚生(貨殖功利)の道を進めて行く方針を取り、義理合一の信念確立に勉めよ

・富豪と徳義上の義務:富を造れば、社会的恩誼(おんぎ)があると思う賢者は、国家社会への徳義上の義務を完全に遂行するため、誰とも面会せよ

・よく集めよく散ぜよ:貨幣は所有者の人格により、貴くも賤しくもなるが、真に理財に長ずる人は、よく集めると同時によく散ずる

 

○5章:理想と迷信(11項)

・道理ある希望を持て:商業道徳(特に信)をもとに、趣味と理想・希望をもって道理から割り出し、活発に勉強せよ

・この熱誠を要す:命令された仕事だけだと、肉塊の存在にすぎず、精神がなくなるので、生命の存在となるため、理想・欲望・好み楽しむ趣味を持ち、仕事も趣味のように尽くせ

・道徳は進化すべきか:科学の進歩で事物が変化するようには、古聖賢の道徳(王者の道)は変化せず

・かくのごとき矛盾を根絶すべし:国際の道徳を帰一し、弱肉強食が国際間で通用させない工夫が必要

・人生観の両面:自己の本能を満足させた、自己利益・自己主張のみの主観的人生観を排斥し、自己が本分を充分に発揮して力の限りを尽くし、君父忠孝・社会救済しようとする客観的人生観に寄与せよ

・これは果たして絶望か:真正の富の永久捕捉のための、仁義道徳と生産殖利の一致を、世界でも帰一させたい

・日新なるを要す:形式に流れると精神が乏しくなるので、利殖と仁義道徳を一致させ、日々新たにする信念を持つべき

・修験者の失敗:加持祈祷等の迷信は打破すべき

・真正なる文明:真正の文明は、富実(完全なる設備・制度、国民の人格・智能と上下一致・文武協力)と強力(文明の治具の財源安定)の2者の権衡が必要

・発展の一大要素:農法の改良で耕地の効用を増やし、海外に大和民族の世界的発展の途を開け

・廓清(悪の除去)の急務なる所以:国家的・個人的に正しい富を増進するため、商売繁昌に必要な智識の実業教育と、仁義道徳と生産殖利が一致する、根本道理を充分に考究する道徳教育が必要

 

○6章:人格と修養(11項)

・楽翁公の幼時:松平定信は、感情の強い性質だったが、精神修養に力を尽くし、人格を築き上げた

・人格の標準は如何:人への真の評論(真価)は、富貴・功名の成敗を第二に置き、人の世に尽くした精神と効果ですべき

・誤解されやすき元気:青年は、道理正しく、至誠が継続する本統の元気を、完全に養い蓄えるよう努めよ

・二宮尊徳と西郷隆盛:相馬藩が繁昌した二宮の興国安民法の存廃より、国家の安民法が必要と、西郷に主張

・修養は理論ではない:学理(学問・理論)と実際(事業・修養)を調和・接近・密着させ、このうち、今日の修養は、力行勤勉で精神的方面に力を注ぐとともに、智識の完全な発達に勉めよ

・平生の心掛けが大切:平素から慎重に再三再四・自省・熟慮・考察し、意志を鍛錬・精神修養し、自己の意志に反するなら、事の細大を問わず、断然跳ね付けよ

・すべからくその原因を究むべし:乃木大将は、殉死よりも、平生の心事・行状(明治天皇への忠誠・奉公や廉潔)のほうを、評価すべき

・東照公の修養:徳川家康は、神道・仏教・儒教に大層力を入れ、種々の調査をし、隆興を計った

・誤解されたる修養説を駁す:修養は、人の本然の性の発達を阻害せず、人を卑屈・愚昧にせず、練習・研究・克己・忍耐をすべて意味し、精神・智識・身体・行状を向上するよう練磨

・権威ある人格養成法:青年は、仁をもとにした忠信孝悌の孔孟の儒道と、智能・啓発の工夫による利用厚生の道を、一致させた正義正道で、高尚な人格を修養せよ

・商業に国境なし:米国が日本を嫌うようになったので、誤解を除却するため、感情の改善に努めた

 

○7章:算盤と権利(5項)

・仁に当たっては師に譲らず:論語は、キリスト教より権利観念が薄弱とされるが、師は尊敬すべき人だが、仁に対しては師に譲らなくてよいという、孔子の一句は、権利観念の躍如だと主張

・金門公園の掛札:サンフランシスコの水泳場の掛札に、日本の青年の不作法で、日本人の水泳禁止に

・ただ王道あるのみ:資本家も労働者も、王道で対し、事業の利害損失は、両者共通の所以を悟り、関係を相互に同情に終始して調和すべき

・競争の善意と悪意:世の中の人道で、善い工夫・智恵・勉強で他人に打ち克ち、品物を精選し、他の利益範囲に喰い込まない、善意なる競争に努め、世間の評判の善いのを真似して掠め、妨害的に他人の利益を奪う、悪意なる競争を避けよ

・合理的の経営:国家の多数社会に利益を与え、事業が堅固に発達・繁昌させるため、道徳を修養、道理に合し、誠心誠意事業に忠実になるべき

 

○8章:実業と士道(9項)

・武士道はすなわち実業道なり:商工業者も、殖産功利に、精華たる武士道での徳義心による正義・廉直・義侠・敢為・礼譲等の美風を加味し、実業道とせよ

・文明人の貪戻(たんれい、道理に背反):今回(第1次大戦)の戦乱で、欧州列強は、官民一致で自国の拡大・富強のみを企図する貪戻心がある一方、日本の商工業は不統一で多くは振るわず

・相愛忠恕(ちゅうじょ、真心)の道をもって交わるべし:日支間が、自他相利のため、相愛忠恕の道で相交わり、道徳を随伴した殖利生産事業で、真個の相提携の実を挙げよ

・天然の抵抗を征服せよ:人智で文明の進歩とともに、世界交通機関が発達し、特に海運の距離が短縮

・模倣時代に別れよ:内地品を卑下し、外国品を偏重・心酔する悪風を袂別せよ

・ここにも能率増進法あり:フィラデルフィアでの接待では、切り盛りに一つも無駄がなく、話も適切で敬服、能率を増進すべき

・果たして誰の責任ぞ:道徳観念が薄いか、自己本位に過ぎるか、当事者の相互で警戒せよ

・功利学の弊を芟除すべし:道徳的観念が欠乏し、利を増し、産を興すに、覿面(てきめん)の効果がある科学的智識・功利の学説をもつ、商工業者の悪風を放任せず、信の威力を闡揚(せんよう、表明)し、信は万事の本で、一信が万事によく敵する力のあるのを理解させよ

・かくのごとき誤解あり:武士は、人を治め、人を教うる、職分に反するので、生産利殖等に関係せず、仁義孝悌忠信の道を修め、すべて商業は罪悪なりと誤解

 

○9章:教育と情誼(じょうぎ、誠意)(7項)

・孝は強うべきものにあらず:親が子に孝を要求し、思う通りになるよう、孝を強いることは致すな

・現代教育の得失:青年は良師に接し、自己の品性を陶冶(とうや)するため、確然たる目的を定め、いつまでも漠然と分不相応の学問をせず、自己の資力に応じて、実際的技術を修めるべき

・偉人とその母:優秀な人材は、家庭の賢明な母親が撫育する例が非常に多いので、女子に対する旧来の侮蔑的観念を除却し、女子も男子と同様、国民としての才能智徳を与え、ともに相助けて事をなせ

・その罪果たしていずれにありや:師の人格・徳望に弟子が感化するほど、師弟間の関係に情愛をもて

・理論より実際:人格・常識・規律・自由等の修養のため、実業教育では、智育と徳育を併行せよ

・孝らしからぬ孝:孝の大本は、何事にも強いて無理をせず、自然のままに任せる所にあり、孝行をしようとしての孝行は、真実の孝行でなく、孝行ならぬ孝行が、真実の孝行

・人物過剰の一大原因:精神修養を閑却し、無暗な詰込主義の智識教育で、高尚の事業に従事したいと希望を持つ、高等教育を受けた人物が供給過多だが、充分なる常識が発達せず、人格ある人物でない

 

○10章:成敗と運命(7項)

・それただ忠恕のみ:大なる趣味・感興で事業を展開し、社会に公益を与え、窮民は、自業自得の者だが、仁愛の念・憐愍(れんみん、憐憫)の情で、忠恕・同情・親切に取り扱い、職務に忠実であるべき

・失敗らしき成功:聖賢で、先王は生前の成功者、孔子は生前に失敗・不遇だが、死後に永遠・真の成功者、物質上の事業は、眼前で成功すべき、精神上の事業は、効果を急がず、最後の成功を収めるべき

・人事を尽くして天命を待て:天命には、四季が自然・順当に行われてゆくように、百事・百物の間に行われてゆくものを覚り、恭・敬・信の念をもって対せよ

・湖畔の感慨:人の成功・失敗は、蓋棺(がいかん、死亡)の後でなければ得て知ることができず

・順逆の二境はいずれより来るか:悪者は教うるとも仕方なく、善者は教えずとも自ら仕方を知っていて、自然とその運命・境遇を造り出すので、両者は順境だが、智能才幹・勤勉精励、何一つ欠点がなく、人の師表(手本)と仰ぐに足る人物でも、何事も蹉跌(さてつ、挫折)する者を、逆境といいたい

・細心にして大胆なれ:世界の競争は激甚なので、細心大胆に、溌溂(はつらつ、元気)たる進取の気力・勇気を生じ養い、それを発揮するには、真に独立独歩・独立不羈(ふき、自由)の精神の人になれ

・成敗は身に残る糟粕(そうはく、カス):成功・失敗は、丹精(誠意)した人の身に残る糟粕・泡沫だが、天地間の道理をもとに、誠実に努力黽勉(びんべん、勉励)し、自ら運命(好運)を開拓せよ

 

 

 ここまでみてきて、注意したいのは、時代背景で、孔子の「論語」の時代(中国・春秋時代)が農業社会で、渋沢の商売の時代(明治期・大正期)が工業社会と、全く違うことで、近世日本は農業社会、近代日本は工業社会と、区別すべきです。

 近世日本の農業社会は、耕地経営が基本単位で、生産は有限なので、武士が年貢を過剰に取り立てて利得があるだけ、百姓が損失して疲弊するため、近世の武士は、利益追求を軽視し、富貴を敬遠、貧賤に親近したのです。

 この思想は、近世の商人・職人も同様で、鎖国下でのほぼ国内市場のみだと、人口増加・新商品の登場等でしか、パイが拡大できないので、パイの奪い合いを防止しようと、徒弟制・暖簾分(のれんわけ)の制限等で、商品を生産調整しており、それが幕末からの開国で、市場が海外にも拡大しました。

 一方、近代日本の工業社会は、会社経営が基本単位で、海外市場もあり、生産は無限なので、パイが拡大でき、商売繁盛すれば、資本家も経営者も労働者も利得があるため、近代の商人は、利益追求を重視する反面、利己主義・拝金主義等も横行します。

 そこで、渋沢は、近代の商人も、近世の武士のような実学が必要だとし(士魂商才)、人格形成の仁義道徳と生産殖利・利用厚生との一致を主張(義利合一・先義後利)、個々の努力による利潤追求が、私益→共益→公益→国益へつながると(国家富強・忠君愛国)、商売の理念を打ち立てたのです。

 ところが、しだいにパイの拡大が限界で、パイの奪い合いになり、年貢のように、一方の利得が他方の損失になると、渋沢は、次の2つの方針を提示したといえます。

 1つは、主力産業(重工業)を、分権的・個体競争的な民間主導から、集権的・全体協働的な国家主導の巨大企業へ、転換・効率化することで、国外との競争に勝ち抜くためや(鉄鋼、1901年・官営八幡製鉄所開業)、国内の社会基盤を整備するためです(鉄道、1906~1907年・私鉄17社を買収して国有化)。

 もう1つは、それ以外の産業(軽工業)を、分権的・個体競争的な民間主導のままで、真似合戦の悪意なる競争ではなく、イノベーションの善意なる競争を推進することで、新規商品のパイを拡大するためです(7章4項)。

 これらは、会社外(全体)と競争するには、会社内(個体)で協働し、国家外(全体=世界)と競争するには、国家内(個体=日本)で協働するという論理で、個体の元気力(イノベーションには自由が必要)と全体の統合力(効率化にはスケールメリットが必要)の両立で、突破しようとしています。

 ところで、会社は、家庭・学校等と同様、個人と国家の中間組織のひとつですが、もし個人と国家が直結すれば、相互依存の国家主義か、離反欲求の個人主義かに、極端化されがちになるので、中間組織を充実させることで、個人を国家から自立させ、国家が個人を束縛しない、多様な社会ができるのです。