福沢諭吉「学問のすすめ」要約 | ejiratsu-blog

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福沢諭吉の本意

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渋沢栄一と財閥

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 福沢諭吉は、1834(天保4)年に、豊前国中津藩の下級藩士のもとに誕生し、20 歳代後半~30歳代前半に訪米・訪欧、帰国しても、維新政府からの出仕要請を辞退し、35歳(1868年)から、慶応義塾で教育活動に専念するようになりました。

 39~43歳(1872/明治5~1876/明治9年)で、『学問のすすめ』17編を刊行、42歳(1875/明治8年)で、『文明論之概略』を刊行し、47歳(1880/明治13年)で、全17編を1冊にまとめた『合本学問之勧』を刊行、1901(明治34)年に、68歳で死去しました。

 

 『学問のすすめ』は当初、福沢と同郷の旧友が、地元の大分県中津に英学校を開講する際に、学問の目的を寄稿したのが初編で、これが好評だったため、慶応義塾で刊行し、これも好評だったので、続編を2編として刊行しました。

 2編で、3・4編を予告したうえ、それらを刊行しましたが、3編までは、一般人向けだった一方、4・5編と9・10編は、知識人向けで、6・7編は、福沢への世論の非難が激化したので、新聞への投稿(『学問ノススメ之評』)で弁明しています。

 まず、『学問のすすめ』の目次と見出しは、次のように、章立てられています。

 

・初編 ~ 一般人向け

・2編:端書、人は同等なる事 ~ 一般人向け

・3編:国は同等なる事、一身独立して一国独立する事 ~ 一般人向け

・4編:学者の職分を論ず、附録 ~ 知識人向け

・5編:明治七年一月一日の詞 ~ 知識人向け(慶応義塾の新年会の挨拶を文章化)

・6編:国法の貴きを論ず

・7編:国民の職分を論ず

・8編:我心を以て他人の身を制すべからず

・9編:学問の旨を二様に記して中津の旧友に贈る文 ~ 知識人向け

・10編:前編の続・中津の旧友に贈る ~ 知識人向け

・11編:名分を以て偽君子を生ずるの論

・12編:演説の法を勧るの説、人の品行は高尚ならざるべからざるの論

・13編:怨望の人間に害あるを論ず

・14編:心事の棚卸、世話の字の義

・15編:事物を疑て取捨を断ずるの事

・16編:手近く独立を守る事、心事と働と相当すべきの論

・17編:人望論

 

 つぎに、『学問のすすめ』の全文を、次のように、要約してみました。

 

 

○初編:出自(血筋・家柄)より智徳(智恵・道徳)重視の文明社会では、学問が必要

・人は皆、生まれた時は平等だが、学びと働きの差が、賢愚・貧富・貴賤の違いとなる

・非実用的な文学等の学問より、事実から道理を追求した、日常生活の役に立つ実学を学ぶべき

・学問をする際には、他人に迷惑を掛けずに自分が自由に振る舞える限界(分限)を知ることが大事

・皆平等だと地位は才徳(才能・人徳)で決まり、国法は貴いので、国民は政府に訴え出て議論すべき

・自由独立には学んで物事の道理を知り、才徳を身につける必要があるので、学問の普及が急務

・国民が無学無知なら、法も過酷になるので、国民全員の学問で、法を寛大にし、文明発展・快適生活

 

○2編:実学で物事の道理を知れば、本来の政府と人民は、法・税等をめぐる職務役割分担だとわかる

・文字を読むだけの文学は学問でなく、物事の道理を知る実学が学問

・人が生まれるのは天の配剤で、同じ人類として造り出されるので、本来は仲よしだが、人の力で妨害

・人が皆、生まれ持って同等なのは、生活状況でなく、権理通義(生命・財産・人格・名誉の尊重)

・政府は人民を保護し、その運営費用をまかなうのは人民

・徳川幕府は、相談で取り決めた以外に、臨時の税を勝手に取り立て

・政府は、人が皆、常に同位同等だとの趣旨から逸脱し、権力で人民の権理通義を妨害してはならない

・国民の無知無学が暴政・過酷な法につながるので、国民が政府と向き合うために、才徳が必要

 

○3編:世界の文明国は、貧富・強弱に関係なく、権理通義(権利・道理、以下は権義)が平等

・国も皆、本来は平等のはずなので、富強の西洋諸国が、貧弱な日本等の権義を妨害する道理はない

・国民に独立の気力がなければ、愛国希薄、他力に頼って悪事を働きかねず、権義を世界に主張できず

・愛国心で、自分の独立を実行、他人の独立を支援し、自由な人民が、政府と苦楽ともにして国を保守

 

○4編:文明の進歩・国の独立には、政府と国民の両方の努力が必要

・政府と国民が助け合い、日本国全体の独立を維持すべき

・日本の独立維持のために、政府と国民の力の均衡が大切

・現在の日本文明で外国より遅れたのは、学術・経済・法律で、この3つが盛んでないと独立が不可能

・文明の遅れは、専制の政府と、無気力による無知無学で、学問・技術に劣った人民が原因

・個人は善・明だが、個性が発揮できず、集団は悪・暗なので、文明進歩には、政府が人民を抑圧せず

・文明の進歩には、民間事業で活躍し、人民の卑屈な気風を一掃してくれる、目標となる人物が必要

・私福沢が人民の先駆者として、私立の事業を展開し、独立の実例を明示

・日本国の独立を、政府内の役人としてでなく、政府外の個人として独立して支援

・質疑応答:事業は政府に依存せず、政府は役人過多で削減すべき、公私・官民で協力すべき

 

○5編:文明は、上(官)・外(有形)からより、下(民)・内(精神)からで、中間階層が奮起せよ

・明治は日本独立の年号、慶応義塾は私立(仲間)独立の塾で、独立を、得れば喜び、失えば悲しむ

・日本は国内だけの戦争と平和の推移なので、政府が変化しつつ独立維持されたが、国外戦がなく薄弱

・日本が外国と交際するうえで、文明は西洋諸国から遠く遅れて追い付けず、独立が薄弱だと実感

・国の文明は、外なる有形でなく、内なる精神で、文明の精神とは、人民の独立の気力

・政府は文明の外観を整備したが、人民に独立の気力がなく、外国文明への恐怖心から無用の長物化

・有形の文明は、政府が進歩させたが、文明の精神は、人民の政府依存で独立の気力がなく萎縮・退歩

・国の文明は、政府と人民の中間の階層が主導し、その事業を、政府が援助・保護、人民が発展に参加

・私立独立の慶応義塾で、学問という手段を習得した者は、各分野で文明構築という目的を達成すべき

 

○6編:徳治は、政府の権力が強くて私的裁量あり(私裁も)、法治は、政府の権力が弱くて公平

・政府は、国民の代理人で、善人を悪人から保護し、国民は、政府の諸経費を税金で負担すると約束

・国民は、法律実施の権力を政府に委任したので、政務・訴訟等の処理に関与すれば、法律違反

・被害者が犯罪者を取り押さえても、処罰するのは政府

・敵(かたき)討ちは、政府との約束に背く行為で、法律違反

・赤穂の47士は、国法の貴さを知り、政府に訴え出るべきだった

・国の法律は政府のみが施行するが、法律が整備されれば、法が貴く、政府の権力が弱くなる

・政府に訴え出ないでの私裁(私的制裁)の最悪が政敵の暗殺

・人民は、法律が現実に合わなければ訴えるべきで、取り締まりの警官を恐れるのは嘆かわしい

・国法は貴く重いので、些細な事でも謹んで守るべき

 

○7編:国民の役目は、客観的な発言(客人の立場)と主体的な行動(主人の立場)

・国民には、政府に意見を述べる客人の立場と、皆で国を運営する主人の立場の、2つの務めあり

①国民は、皆平等なので、権義を守り、客人の立場から、不正不便な国法でも守り、改正を意見すべき

②国民は、主人の立場から、代理人として政府に事務・国の経営を取り扱わせることを依頼・約束

・国民は、政府が権義・法律の運用を公正に守り続けているか、監視・議論すべき

・国民は、税金を払い、政府の保護・安全を買う

・政府が暴政すれば、人民は、政府に従うか、政府に敵対するか、正しい道理で身を棄てるかの3つ

①人民が自分の主張を曲げ、政府に恐れて黙って従うのは、よくない

②人民が力で政府に敵対すれば、道理の正否より力の強弱になり、敗戦濃厚、戦勝も暴政で、悪事拡大

③人民が正しい道理を説いて政府に迫るのが、最上の策で、善い政策・良い法律を温存できる

・忠臣・義士が命を棄てても、文明の役に立たず、命を棄てる覚悟での人民の権義主張なら、役に立つ

 

○8編:人の分限(自分が自由に振る舞える限界)・権義(権利・道理)は皆同じで、違うなら差別

・人間の独立した性質は、身体・知恵・情欲・誠の心・意思の5つ

・人の分限を超えず権義を妨げずに、5つの性質を自由自在に取り扱えるのが、独立した人間

・他人への迷惑でなく、上下・貴賤・大小・強弱を分限とし、人の行動を支配してはいけない

・男性は強く、女性は弱いとし、体力を基準に男女を上下に差別した道徳は、不公平

・一夫多妻は、人間らしい道理・心情に反して、禽獣と同じ

・人間は、親から子への教育(出産・養育は禽獣もする)と、子から親への孝行の、双方向で成り立つ

・夫婦・親子での上下差別の悪習慣は、日本社会に浸透

 

○9編:人間の独立と交際・交流(社会)のために、文明を過去→現在→未来と継承せよ

・人の心身の働きは2つで、個人としての働きと、集団・社会としての働き

①個人としての働きは、自然の恩恵に頼りつつ、手を少し加えて、衣食住の安楽を求めること

・衣食住の生活安定は、禽獣でもできるので、人間の独立でない

・人間として生きた痕跡を残すことが、人間の独立

②集団・社会としての働きは、人間交際・交流(学問・工業・政治・法律)の役に立つこと

・文明の進歩を成し遂げた根本の原因は、古人の遺産・先人の恩恵

・日本の文明も、朝鮮・中国・西洋等の外国との交際を開始した、古人の遺産・先人の恩恵

・人の心の変動が続いている今が絶好の時季なので、社会のために学問に励むべき

 

○10編:学問は、簡単な一家の生計のためだけでなく、困難な一国の運営のためにある

・人間は一身一家の衣食だけに満足せず、学問して人間交際・社会のために尽力すべき

・学問には高尚・遠大な志が必要で、洋学者がもう3~5年勉強すれば、西洋諸国の文明と競争できる

・一家の独立・安住が個人の義務、一国の独立・国際的地位獲得(外国への依存なし)が国民の義務

・学問する者は、一家のための安楽だけに満足せず、一国のために苦労・倹約・大成せよ

 

○11編:擬似親子関係で専制しようとする偽君子を、学問で看破せよ

・強者が弱者を支配する形式は、人間交際をすべて、親子間・夫婦間のような上下関係で序列化(名分)

・大人同士・他人同士の間で、親子のような人間交際の方式は無理

・君主は、人民を子供の養育・家畜の飼育のように、仁政で支配し、政府は、人民と規則・約束で支配

・経営者と従業員の間にも、商売の利益配当の約束が必要

・武士が上下の名分を明確化・人民を抑圧したのは、君臣間の表で忠義・報国、裏で役得・賄賂で利益

・義士の数は、日本の国を守るのに足りない

・名分(身分に応じて守るべき務め)は虚飾で、実際は職分(職務役割分担に応じて守るべき務め)

 

○12編1:ひとり勉学に引き籠もらず、活発に談話・演説せよ

・大勢の人々に自分の意見を披露する演説は大切

・話し言葉は、書き言葉より、人を感動させることができる

・学問の本質は、読書でなく、生活にどう活用するかの実学

・学問は、各自で物事観察・道理推究+知識蓄積の読書、知識交換の談話・知識普及の演説は相手必要

・学問する者は、一人勉強して内向きで、学問の過程で大切な外向きの談話・演説を実行せず怠慢

 

○12編2:手本の文明国と比較のうえ努力し、見識・品行を高尚にせよ

・人の見識・品行は、実生活で活用できてこそ高尚だが、日本の人民の見識は、まだ高尚でない

・人間の見識・品行は、読書・交際で見聞を広めたり、深遠な真理を語るのでなく、実行で高尚になる

・見識・品行を高尚にするには、自分より上のレベルと短所長所を比較検討し、上を目標に妥協しない

・学校の評価は、風紀・規則よりも、学問の内容

・国の評価は、外国の文明国との長所短所を比較・考察すべき

・文化国家インドも、軍事国家トルコも、国内外の状況を比較し、文明国を手本に努力せず、国力低下

 

○13編:不善中の不善で極悪な、怨望・嫉妬を解消せよ

・人間交際で最も有害な不徳は怨望で、徳と不徳の境界の道理内なら美徳で、貪欲なケチも節約になる

・贅沢も身の程を超えるかで徳か不徳か決まり、道理にしたがって、分相応に欲求を満足させれば賞賛

・悪口と批判の間に差がなく、正誤・是非が決定困難であれば、徳と不徳の境界の公正な道理が必要

・傲慢と勇敢等も、場所・程度・方向で徳か不徳か左右するが、怨望だけは、陰湿・憎悪で不徳のみ

・怨望は、諸悪の根源で、公共の利益を犠牲にし、自分一人が得する行動

・怨望の原因は、人間の自然な行動の制限(窮)で、貧賤から富貴になるのを妨害されれば、怨望発生

・人間の感情は、活動に自由がなければ、他人を怨望し、昔は上下貴賤維持のため、庶民の人心を束縛

・日本の封建時代に、無知無学の御殿女中達は、無知無徳の大名をめぐって、怨望・嫉妬に明け暮れた

・政府は、民選議院の設立・出版の自由の進言や議論等、人民の仕事・活動を妨害してはならない

・政府だけでなく民間も、人民の発言・活動を妨害してはならない

・世間との交際を避けて隠者となり、勝手に怨望を抱く者もいて、世の中で大きな災い

・会話で真心が通じ合い、相手を思いやって自分は我慢する堪忍の心は、怨望・嫉妬を消してくれる

・人生の気力活発化のため、全国民が自由に発言・活動でき、富貴・貧賤も本人の選択しだいにすべき

 

○14編1:人生にも、仕入れた智徳を売り尽くせているのか、帳簿に記録・総点検する棚卸しが必要

・人間は思いの外、道徳面で悪いこと・知恵面で愚かなことをし、成功せず、後で恥じるので浅はか

・人間は思いの外、失敗・後悔が多く、世の中の出来事の動きを、予測して働くのは不可能

・人間は、事業の難易大小で時間の長短を計画するが、思い通りに進まず遅れる

・期間の長い事業の計画は、日数の計算が甘くなる

・普段から智徳事業の得失を帳簿に記録し、棚卸しが誤っていないか、帳簿で損益を総点検すべき

・自分自身の現状を総点検し、今後の見込みを明示してくれるのが、智徳事業の棚卸し

 

○14編2:世話は、保護と命令の意味で、両方の配分が大切

・政府は国民の生命・名誉・財産を保護し、人民は政府の命令に従い、命令可能範囲は保護の及ぶ範囲

・人民は政府の国家財政を税金で保護しているので、政府は人民が意見する場所をつくるべき

・世話は、経済論の最も大切な要項で、職業の種類・内容の軽重と無関係に、手当の厚薄に配慮すべき

・国家の経済では、損得勘定で決定するが、個人の道徳では、恵与の心での施しを最も貴く賞賛すべき

 

○15編:異論反論を積み重ね、物事の真理を探究せよ

・信の世界には偽が多く、疑の世界には真理が多い

・文明の進歩は、自然の有形も人間の無形も、働きの特徴(理)を真実とし、疑いを持つことから出発

・学問は、信疑を見分ける力を養うためにあるが、まず信じすぎず疑いすぎず適正な度合いを失わない

・西洋の風俗習慣を無闇に取り入れず、性質を熟慮のうえ、取捨選択を正確に判断すべき

・学問に志す者は、信疑取捨を誤らないために、学ぶ必要がある

 

○16編1:物質的にも精神的にも独立が必要

・不羈(ふき、束縛されない)独立の意味を正確に理解すべき

・物質的有形の独立は、他人から物の世話にならないことだが、精神的無形の独立は、誤解されやすい

・様々な物欲が、本心の独立を妨害・支配する

・自分の独立のために財産を形成・貯蓄したので、運営で財産に支配されず、精神を独立させるべき

 

○16編2:人間は思い(理論)の外、働き(実践)が悪く愚かなので、言行(志功)一致が必要

・理論は心事・志・言で自由だが、実践は実際の働き・功・行で制限され、両者食い違うと非難される

・理論(心事)と実践(働き)は、バランスの維持が大切

①人間の働きは大小軽重に区別でき、本心・志で重・大を選択し、高尚な働きには高尚な心事が必要

②人間の働きは有用無用に区別でき、心事が明確でないと、働きは徒労に終わり、有益な成果がない

③人間の働きは場所・時を考慮する規則が必要で、それを規制できる健全な心事がないと、有害になる

④心事が高尚遠大で働きが乏しいと、不平不満・憂いばかり、楽しさがないのも弊害で、嫌われて孤立

・自分の高尚な心事を基準に、他人の働きを評価すれば、不満が当然なので、自他の働きを比較すべき

 

○17編:人望・栄誉は、智徳(智恵・徳行)・交際しだい

・人間社会で人望は大小軽重に区別でき、人望で大事な任務の当てにされないと、大任は果たせない

・人望・信用は、力量ではない、才知(才能・知恵)の活発な働き+正直な道義心で、徐々に得られる

・人望は、智徳があって得られるべきで、栄誉・名声を求めない立派な紳士を賞賛すべき

・人間の智徳は花樹、栄誉・人望は花のようなものなので、花・樹を切ったり隠す必要はない

・栄誉・人望は、心身の働きで努力し、分相応を求めるべきで、才徳(才能・人徳)の働きで計る

・引っ込み思案の悪習慣から脱却し、物と接触・人と交際の活発な活動で、備わった働きを発揮すべき

①話し言葉は、書き言葉より、自分の考えを伝えるのに有力なので、流暢活発な音声言語を習熟すべき

②交際には嫌われない快適な表情・容貌が大切で、人心の働きは、肉体の鍛錬と同様、努力すれば進歩

・交際に重要なのは、表面だけの虚飾でなく、和やかで飾らず正直に親睦する真心

③交際は古い友人を忘れず・新しい友人を求め、様々な方向の多くの人と接し、率直に付き合うべき

 

 

 福沢が学問をすすめた背景は、内外両面あり、第1に、対外的には、幕末に日本国が無知無学で、欧米列強と不平等条約を締結してしまった恥辱があり、条約改正・国の独立のためには、文明を進歩・発展させ、富国強兵化しなければならず、それには学問が必要だからです。

 日本は幕末まで永年、独立国を維持してきましたが、安政の5ヶ国条約(1858年)で、不平等条項の、領事裁判権の容認・関税自主権の欠如・片務的最恵国待遇を受け入れたのは、当時の幕府が国際社会に無知無学だったからで(押し付けでなく、不平等発覚は明治維新後)、独立国といえなくなりました。

 第2に、対内的には、農業中心社会から工業中心社会へと近代化する際に、これまでは、藩校・私塾・寺子屋等で、中国由来の道徳(儒学)の教育を中心にしてきましたが、これからは、学校で、欧米由来の智恵(実学)の教育を中心にすべきだからです。

 前近代の農業社会は、作物が有限なので、適切な配分が中心になり(支配者の搾取は、被支配者の貧困につながる)、そのために道徳が必要でしたが、近現代の工業社会は、商品が無限なので、利潤の追求が中心になり(私益・共益・公益・国益の両立が可能)、そのために智恵が必要になります。

 ただし、福沢は、智恵を重視し、道徳を軽視したのではなく、才徳(才能+人徳、初・2・3・17編)、智徳(智恵+道徳、初・4・7・10・14・17編)・無智無徳(13編)・智識道徳(15編)・上智上徳(17編)・才知+徳義(17編)というように、智恵と道徳を並置させており、儒教要素も温存しています。

 道徳は、世の中の弊害を少なくできる受動的な側面で、智恵は、世の中の利得を多くできる能動的な側面といえ、その両面が必要ですが、道徳には限界があるうえ、日本の人々は、多少すでに備え持っていた一方、智恵には限界がないので、肥大化させました。

 

 なお、6・7編では、政府と国民の相互関係が、言及されていますが、当時は先の大戦中まで(明治初期~昭和前期)、政府(内閣総理大臣)を、国民(有権者が限定的)や国会議員が選出しておらず、名目上は天皇が、実質上は天皇の代理人である元老等が、選出していました。

 つまり、政府は、国民の代理人ではなく、天皇の代理人で、自分が作った法律に従ったのではなく、天皇とその代理人が作った法律に、国民(臣民)が従っていたのです。

 福沢は、「人民唯政府の貴きを恐れてその法の貴きを知らざる者あり」(6編)といっていますが、当時の政府は、まだ戦後のような完全な民主制でなく、絶対君主制なので、国民にとって、君主が勝手に作った国法は貴くなく、武力(軍隊・警察)を備え持つ政府に恐れて、したがっていたのです。

 それを、欧米の共和制下のように主張するのは、全くの誤りで、たとえば、明治通期で、徴兵逃れが多く、小学校の就学率が(学制発布は1872/明治5年)、9割以上になったのが30年後(1902/明治35年)と遅く、絶対君主制や不正選挙が横行する共和制では、不平不満から政敵暗殺が多くありました。

 よって、内閣総理大臣を国会議員が選出し、その国会議員を国民(有権者)が選出する敗戦後に、ようやく政府と国民の相互関係が成り立つようになり、この表現に追い付きました。