近代日本の徴兵制と参政権 | ejiratsu-blog

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 王政復古の大号令(1868年)で樹立された明治維新政府が、江戸幕府の人材を一切排除したのに反発した旧幕府勢力は、新政府に抵抗・内戦になりましたが(戊辰戦争・1868~1869年)、両軍ともに、幕府・諸藩の武士・浪人等が動員され、この時点では、まだ新政府の兵士が組織されていませんでした。

 新政府が、旧幕府勢力を鎮圧すると、特に欧米列強からの国防のため、常備軍の兵士調達が必要になり、徴兵制か募兵制(志願兵)かの選択でしたが、志願兵は、職業になるため、給与・退職後の年金等が必要で、国家財政の負担になるので、国民への課税の一部とみなせる、徴兵制を採用しています。

 古代日本でも、徴兵制(兵役の義務化)が採用されていましたが、当時の男性には、兵役(軍団兵士・衛士・防人等)とともに、納税(中央政府への庸・調、地方政府への租・強制公出挙)・労役(中央政府での仕丁、地方政府での雑徭)等、様々な課税で過重負担でした(女性は、ほぼ租と強制公出挙のみ)。

 近代日本での徴兵制への大転換は、武士にとって、職務を廃業するので、士族反乱の一因となった一方(1874年・佐賀の乱~1877年・西南戦争)、農民等にとって、新規の強制負担になるので、兵役に反対したり(1873~1874年・血税一揆)、明治通期で徴兵逃れが多くみられました。

 なお、旧日本陸軍・海軍の将校・士官等は、明治初期から、軍学校で養成され、そののち、軍人全般を養成する軍学校も、次々設立され、学生から軍人に志願する方法も、併用されています。

 

 さて、ここからみていきたいのは、近代日本の徴兵制に関連する国家(天皇)への公的な義務と、国民(臣民)の私的な権利の相互関係ですが、徴兵制という兵役の義務化は、倒幕した新政府が、国民の負託なく、勝手に採用した制度で、だから日清戦争までは、兵役逃れが多かったともいえます。

 一方、国民の意見を国政に反映させようとする自由民権運動は、民選議院設立建白書の提出(1874年)以降、国会開設の詔(1881年)を経過し、衆議院議員選挙法での参政権の獲得(1889年、しかし有権者の制限付)・帝国議会の開設(1890年)が実現しました。

 つまり、それと引き替えの徴兵令大改正(1889年)での国民皆兵の本格導入にみえ、ここから参政権は、しだいに有権者の制限を緩和し、普通選挙法(1925年)と兵役法(1927年)が、ほぼ同時期に整備され、ここでようやく、兵役の義務と選挙の権利が、対等に接近しています(20歳と25歳の差あり)。

 ただし、参政権は、現役軍人・応召(召集に応じて軍務に付く)軍人にはなく、これは、帝国憲法での天皇主権のもと、政府・陸軍・海軍の3者を並存・相互独立させるためのようで、もし軍人に選挙権があれば、組織票で政治に関与できてしまいます。

 実際には、軍部が、内閣に陸軍大臣・海軍大臣を送り込み、国会が、陸海軍の予算編成・支出承認することで、相互介入することになります。

 

 以下では、近代日本(1945年まで)の徴兵制と参政権の変遷を、みていきます。

 

 

◎陸海軍の最初

*[政府の軍務機関] 1868(明治元)年:海陸軍科→1868年:軍防事務局→1868年:軍務官→1869(明治2)年:兵部省

*[陸軍の教育機関]1868(明治元)年:京都・兵学校→1869(明治2)年:大阪・兵学寮→1871(明治4)年:東京・陸軍兵学寮→1874(明治7)年:東京・陸軍士官学校

*[海軍の教育機関]1869(明治2)年:東京・海軍操練所→1870(明治3)年:東京・海軍兵学寮→1876(明治9)年:東京・海軍兵学校

 

●徴兵規則(1871/明治3年)

・府藩県ごとに、1万石につき、5人を徴兵

・薩摩・長州・土佐3藩の軍が、御親兵として編成し、国軍として機能→1872(明治5)年:御親兵を近衛局に改称→1891(明治24)年:陸軍の近衛師団に改称

 

●徴兵令(1873/明治6年):陸軍省

・戸籍をもとに、日本国民男性は、満20歳の徴兵検査で、身体能力別に甲・乙・丙・丁・戊の5種類に区分され、甲・乙・丙種は合格、丁種は不合格、戊種は病気療養中で翌年に再検査

・最も健康優良な甲種の合格者の中から、抽選で現役兵が選出

・陸軍の兵役の期間は、常備軍での現役兵3年(入営全日勤務)→第1後備軍2年(平時に年1度の短期勤務・管区外の外出禁止、戦時に召集)→第2後備軍2年(勤務なしで・管区外の外出許可必要、通算7年)→国民軍

・それ以外の満17歳以上・40歳未満の男性は、国民軍に登録

・兵役免除は、身長5尺1寸(154.5cm)未満、戸主(世帯主)、嗣子(しし、家督後継者)、徴兵在役者の兄弟、徒刑以上の罪人、官吏(役人)、官公立学校の生徒、代人料(免役料)270円の納入者

 

※1875(明治8)年:人口3500万人、徴兵対象者29万8531人(人口比0.9%)、兵役免除者25万3033人(対象者比85%)

※1876(明治9)年:徴兵対象者29万6086人、兵役免除者24万2860人(対象者比82%)

※1877(明治10)年:徴兵対象者30万1259人、兵役免除者24万9773人(対象者比83%)

※1878(明治11)年:徴兵対象者32万7289人、兵役免除者29万785人(対象者比89%)

※1879(明治12)年:人口3600万人、徴兵対象者32万1594人(人口比0.9%)、兵役免除者28万7229人(対象者比89%)、そのうち世帯主か家督後継者が96%

 

●徴兵令改正(1879/明治12年)

・陸軍の兵役の期間は、常備軍での現役兵3年→予備軍3年→後備軍4年(通算10年)→国民軍

・免役料400円の納入者は、兵役免除

・50歳未満の男性で、家督後継者・養子は、兵役免除せず

 

※1880(明治13)年:人口3700万人、徴兵対象者26万586人(人口比0.7%)、兵役免除者23万6411人(対象者比91%)

※1881(明治14)年:徴兵対象者28万7077人、兵役免除者26万2408人(対象者比91%)

*1881年・国会開設の詔

※1882(明治15)年:徴兵対象者25万3663人、兵役免除者22万9533人(対象者比90%)

*1882年・軍人勅諭

※1883(明治16)年:徴兵対象者27万1875人、兵役免除者23万8186人(対象者比88%)

 

●徴兵令改正(1883/明治16年)

・免役料の納入者の兵役免除廃止

・免役制を平時の徴集猶予制に改変し、猶予対象者を60歳以上の男性で、家督後継者・養子に

・満17歳以上・27歳未満の男性で、官公立学校の卒業者は、志願で現役1年に

 

※1884(明治17)年:人口3800万人、徴兵対象者29万8685人(人口比0.8%)、兵役免除者25万2806人(対象者比85%)

※1885(明治18)年:人口3800万人、徴兵対象者34万1717人、兵役免除者16万8058人(対象者比49%)、現役兵2万2307人(対象者比7%、人口比0.06%)、補充兵14万5059人(対象者比42%)

※1886(明治19)年:徴兵対象者35万6981人、兵役免除者17万7213人(対象者比50%)、現役兵1万3257人(対象者比4%)、補充兵16万1390人(対象者比45%)

※1887(明治20)年:徴兵対象者32万6288人、兵役免除者25万4506人(対象者比78%)、現役兵1万8331人(対象者比6%)、補充兵8万7782人(対象者比27%)

※1888(明治21)年:人口4000万人、徴兵対象者36万2818人(人口比0.9%)、兵役免除者26万365人(対象者比72%)、現役兵1万7124人(対象者比5%、人口比0.04%)、補充兵8万1121人(対象者比22%)

*1889(明治22)年・帝国憲法の公布:20条に兵役の義務

 

○衆議院議員選挙法の公布(1889/明治22年)

・納税額15円以上・30歳以上の男性に被選挙権、納税額15円以上・25歳以上の男性に選挙権45万人(人口4100万人、人口比1.1%)

 

●徴兵令大改正(1889/明治22年)

・兵役の種類は、常備兵役・後備兵役・国民兵役の3区分で、常備兵役は、現役・予備役に二分

・兵役の期間

‐陸軍:常備兵役の現役(旧・常備軍)3年→常備兵役の予備役(旧・予備軍)4年→後備兵役(旧・後備軍)5年(通算12年)→国民兵役(旧・国民軍)

‐海軍:常備兵役の現役4年→常備兵役の予備役3年→後備兵役5年(通算12年)→国民兵役

・それ以外の満17歳以上・40歳未満の男性は、国民兵役に登録

・戸主も兵役免除の対象外になり、国民皆兵が本格導入

・中等学校以上の卒業後の志願は、現役期間1年、師範学校卒の教員は、現役期間6週間等の特例あり

・徴兵忌避者への罰則は、1ヶ月以上1年以下の重禁錮、3円以上30円以下の罰金

 

*1890(明治23)年・教育勅語

*1890年・帝国憲法の施行

*1890年・帝国議会の開設

*1894(明治27)~1895年・日清戦争:人口4100万人、兵力24万人(人口比0.6%)、戦死者1万4000人

・徴兵対象者の約5%が徴集(1888年の現役兵と同数)

 

○選挙法改正(1900/明治33年)

・30歳以上の男性に被選挙権、納税額10円以上・25歳以上の男性に選挙権98万人(人口4400万人、人口比2.2%)

 

*1904(明治37)~1905年・日露戦争:人口4600万人、兵力109万人(人口比2.4%)、戦死者8万8000人

*1911(明治44)年・不平等条約改正

*1914(大正3)~1918年・第1次世界大戦

 

○選挙法改正(1919/大正8年)

・30歳以上の男性に被選挙権、納税額3円以上・25歳以上の男性に選挙権307万人(人口5500万人、人口比5.6%)

 

○普通選挙法(1925/大正14年)

・30歳以上の男性に被選挙権、25歳以上の男性に選挙権1241万人(人口5974万人、人口比20.8%)

 

※1926(昭和元)年:人口6100万人、徴兵対象者53万4355人(人口比0.9%)、現役兵9万2394人(対象者比17%、人口比0.2%)

※1927(昭和2)年:徴兵対象者59万7012人、現役兵9万5423人(対象者比16%)

 

●兵役法(1927/昭和2年、1945/昭和20年に廃止)

・兵役の種類は、常備兵役・後備兵役・補充兵役・国民兵役の4区分で、常備兵役は、現役・予備役に二分、補充兵役は、第1補充兵役・第2補充兵役に二分、国民兵役は、第1国民兵役・第2国民兵役に二分、合計7種類で、このうち入営は、常備兵役の現役のみ

・現役ルートの兵役の期間

‐陸軍:常備兵役の現役2年→常備兵役の予備役5年4ヶ月→後備兵役10年(通算17年4ヶ月)→第1国民兵役

‐海軍:常備兵役の現役3年→常備兵役の予備役4年→後備兵役5年(通算12年)→第1国民兵役

・補充兵ルートの兵役の期間

‐陸軍:第1補充兵役12年4ヶ月(第2補充兵役なし)→第1国民兵役→第1国民兵役

‐海軍:第1補充兵役1年→第2補充兵役11年4ヶ月(通算12年4ヶ月)→第1国民兵役

・現役兵・第1補充兵以外の合格者は、第2補充兵役17年4ヶ月→第1国民兵役

・それ以外の満17歳以上・40歳未満の男性は、第2国民兵役に登録

・中学校以上の学生は、最高満27歳まで徴兵検査の延期が可能

 

  ▽兵役法での服役期間

 

※1928(昭和3)年:徴兵対象者61万2444人、現役兵9万9764人(対象比16%)

※1929(昭和4)年:徴兵対象者62万6141人、現役兵10万782人(対象比16%)

※1930(昭和5)年:人口6445万人、徴兵対象者63万1882人(人口比1.0%)、現役兵10万771人(対象者比16%、人口比0.2%)、陸軍の兵員22万3000人、海軍の兵員8万8000人、計31万1000人(人口比0.5%)

※1931(昭和6)年:徴兵対象者64万9859人、現役兵10万774人(対象比16%)

*1931年~・満州事変:戦死者1万7000人

※1932(昭和7)年:徴兵対象者64万7110人、現役兵10万774人(対象比16%)

※1933(昭和8)年:徴兵対象者65万5771人、現役兵11万4224人(対象比17%)

※1934(昭和9)年:徴兵対象者66万8800人

※1935(昭和10)年:人口6925万人、徴兵対象者65万9522人(人口比1.0%)、現役兵13万4338人(対象比20%、人口比0.2%)

※1936(昭和11)年:徴兵対象者65万8433人

*1937(昭和12)年~・日中戦争:戦死者19万1000人

*1938(昭和13)年・国家総動員法

 

●兵役法改正(1939/昭和14年):国民男性の総動員を準備

・補充兵ルートの兵役の期間は、陸軍で、第1補充兵役17年4ヶ月に変更(5年延長)、海軍で、第2補充兵役16年4ヶ月(5年延長)

・政府の判断で、学生の徴兵検査の延期廃止が可能に(学徒出陣の前兆)

・日中戦争以降、兵員不足で、徴兵検査後の抽選での現役兵の選出が形骸化

 

●兵役法改正(1941/昭和16年)

・現役ルートの兵役の期間:後備兵役を廃止し、予備役と統合

‐陸軍:常備兵役の現役2年→常備兵役の予備役15年4ヶ月(通算17年4ヶ月、延長なし)

‐海軍:常備兵役の現役3年→常備兵役の予備役12年(通算15年、3年延長)

 

*1941(昭和16)~1945(昭和20)年・アジア太平洋戦争:戦死者213万4000人

*1943(昭和18)年・学徒出陣:文科系の学生を在学途中で徴兵

※1945年:人口7200万人、陸軍の兵員547万2000人(15年前の25倍)、海軍の兵員241万7000人(15年前の27倍)、計788万9000人(人口比11%)

 

○1945(昭和20)年・公職選挙法の公布:25歳以上の男女に被選挙権、20歳以上の男女に選挙権3688万人(人口7200万人、人口比51.2%)

 

*1946(昭和21)年・現行憲法の公布:貴族院を廃止し、参議院を設立

 

*2019(令和元)年:人口1億2400万人、自衛官23万人(人口比0.2%)

 

 

 これらをまとめると、明治前期から昭和前期まで、日本の人口の約1%が、全国の20歳の徴兵検査の対象者(以下、徴兵対象者)で、まず、近代日本の徴兵制の変遷は、おおむね次のように3区分できます。

 

[1]徴兵令(1873/明治6年~):多い兵役逃れ

 世帯主・家督後継者は、兵役免除なので、次男以下は、その対象になろうと、分家・養子縁組・絶家再興・女戸主への入婿等に奔走し、兵役逃れが多くなりました。

 徴兵対象者の平均80%(49・50、72~91%)が、兵役免除で、徴兵対象者の平均6%(4~7%)が現役兵、徴兵対象者の平均34%(22~45%)が補充兵です。

 

[2]徴兵令大改正(1889/明治22年~):名目上の国民皆兵

 世帯主も徴兵対象者になったので、これをきっかけに、長男は、家督の相続で家を守り、次男以下は、兵役の義務で国を守る、という住み分けが崩れ去り、戦時中の家族死亡で、生業単位の家制度が成り立たなくなり、敗戦後の核家族化の一因とも推測できます。

 

[3]兵役法(1927/昭和2~1945/昭和20年):実質上の国民皆兵

 兵役の期間が長期化し、徴兵対象者の平均17%(16~20%)が現役兵で、徴兵令の時代([1])から、約3倍に上昇しています。

 余談ですが、1926年や1930年の現役兵数の人口比は、現在の自衛官数の人口比0.2%と同等で、2019年の世界の兵員数の人口比を比較すると、欧州先進国のフランス0.6%・イギリス0.4%・ドイツ0.3%・イタリア0.6%で、大国のアメリカ0.7%・ロシア2.5%・中国0.2%・インド0.3%となっています。

 

 つぎに、明治中期から昭和前期までの軍人数をみると、次に示す通りで、日露戦争時には、約100万人、日中戦争~アジア太平洋戦争時には、約100万人から約800万人へ急増しており、この2期間が、特別だったのがわかります。

 その他の時期は、日露戦争前には、約10人から20万人へ漸増し、日露戦争後には、約30~40万人のほぼ横ばいなので、前述の徴兵令大改正の時代([2])の現役兵は、兵役法の時代([3])の現役兵と、ほぼ同割合と推測できます。

 

  ▽陸海軍人数

 

 これらより、どうも日露戦争~不平等条約改正のあたりを境目に、明治期と大正~昭和前期で、時代状況を分けて考える必要があるようです。

 たとえば、軍人勅諭や教育勅語には、忠君愛国が提唱されていますが、明治中期までは、兵役逃れが多く、次のように、小学校の就学率が、明治後期にようやく、子供のほぼ全員を達成したので、日露戦争以前は、忠君愛国を軍隊・学校で国民に教化する機会が、そもそもあまりなかったといえるのです。

 

・1873(明治6)年:小学校の就学率28%(男子40%・女子15%)、子供の3人に1人

*1882(明治15)年:軍人勅諭

*1890(明治23)年:教育勅語

・1891(明治24)年:小学校の就学率50%(男子67%・女子32%)、子供の2人に1人

*1894-95(明治27-28)年:日清戦争

・1897(明治30)年:小学校の就学率67%(男子81%・女子51%)、子供の3人に2人

*1904-05(明治37-38)年:日露戦争

・1905(明治38)年:小学校の就学率96%(男子98%・女子93%)、子供のほぼ全員

*1911(明治44)年:不平等条約改正