「古事記」読解1~要約 | ejiratsu-blog

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人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

 「古事記」は、便宜上121段に区分されており、各段を要約すると、次に示す通りです。

 

○上巻:34段

・神代段1:天地が、創成される際に、まず単独の7神が出現・消滅し、つぎに双対の10神が出現

・神代段2‐1:双対の10神のうち、イザナギ・イザナミが、結婚し、不満足なヒルコ・淡島が誕生

・神代段2‐2:イザナギ・イザナミが、主に西日本の国・島生み

・神代段2‐3:イザナギ・イザナミが、多くの神生み

・神代段2‐4:イザナミが、火の神・カヅグチ出産の際に、ヤケドで死去

・神代段2‐5:イザナギが、黄泉の国のイザナミを連れ戻そうとしたが、変質したので断念

・神代段2‐6:イザナギが、筑紫のミソギハラエで、アマテラス・ツクヨミ・スサノオが誕生

・神代段3‐1:スサノオが、乱暴し、イザナギが、スサノオを追放

・神代段3‐2:スサノオ・アマテラスが、誓約(うけい、自分で決めた占い)で5男神3女神が誕生

・神代段3‐3:アマテラスが、天の石屋戸に引き籠もったが、天上の神々の活躍で引き出し、スサノオを追放

・神代段3‐4:スサノオが、オオゲツヒメを殺害し、カイコ+五穀が誕生

・神代段3‐5:スサノオが、出雲国でヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメと結婚

・神代段3‐6:スサノオが、多くの神生み、子孫

・神代段4‐1:スサノオの6世孫・オオナムチが、彼の兄弟達に意地悪された、因幡の白ウサギを救出すると、白ウサギは、ヤガミヒメとの結婚を予言

・神代段4‐2:オオナムチが、ヤガミヒメに求婚したい兄弟達に、2度殺害されたが、母とカミムスヒの尽力で、2度蘇生

・神代段4‐3:オオナムチが、根の堅洲国で、スサノオの4度の試練を克服し、スサノオの娘・スセリヒメと結婚、ヤガミヒメとも結婚したが、正妻・スセリヒメの嫉妬で、ヤガミヒメは、因幡へ帰郷

・神代段4‐4:ヤチホコ(オオナムチ)が、越国のヌナカワヒメと結婚し、嫉妬したスセリヒメと関係修復

・神代段4‐5:オオクニヌシ(オオナムチ)が、多くの神生み、子孫

・神代段4‐6:オオクニヌシが、出雲で前半にはカミムスヒの息子・スクナヒコナと、後半には三輪山神(オオモノヌシ)と国作り

・神代段4‐7:スサノオの息子・オオトシが、多くの神生み、子孫

・神代段5‐1:アマテラス・タカミムスヒが、葦原の中つ国の平定者を派遣するが、4神が失敗

・神代段5‐2:オオクニヌシの息子・アジシキタカヒコネが、死去したアメノワカヒコと似通っていたので間違われ、それに激怒して美濃国で乱暴

・神代段5‐3:タケミカヅチが、葦原の中つ国へ派遣され、オオクニヌシの息子・コトシロヌシは、国譲りを了承

・神代段5‐4:タケミカヅチが、国譲りを拒絶した、オオクニヌシの息子・タケミナカタを、腕力で平定

・神代段5‐5:タケミカヅチが、オオクニヌシに宮殿建造を約束し、平定完了

・神代段6‐1:アマテラス・タカミムスヒが、アマテラスの孫・ニニギに、葦原の中つ国へ降臨するよう命令

・神代段6‐2:地上の神・サルタヒコが、ニニギ一行の降臨を先導

・神代段6‐3:ニニギ一行が、筑紫に降臨

・神代段6‐4:ニニギが、アメノウズメに、サルタヒコを送迎するよう命令

・神代段6‐5:ニニギが、オオヤマツミの娘で姉・イワナガヒメと結婚せず、妹・コノハナノサクヤヒメと結婚し、ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)が誕生

・神代段7‐1:ホデリの漁具とホオリの猟具を交換したが、ホオリが釣針紛失

・神代段7‐2:ホオリが、釣針捜索のため、海底を訪問し、ワタツミの娘・トヨタマヒメと結婚

・神代段7‐3:ホオリが、釣針を発見・返却し、ホデリを服従

・神代段7‐4:トヨタマヒメの出産で、ウガヤフキアエズが誕生、ウガヤフキアエズが、トヨタマヒメの妹・タマヨリヒメと結婚し、イツセ・イナヒ・ミケヌ・カンヤマトイワレヒコが誕生

○中巻:49段

・神武段1:カンヤマトイワレヒコ一行が、日向を出発し、大和西方から侵攻したが、反撃されて断念

・神武段2:イワレヒコ一行が、大和南方から侵攻

・神武段3:イワレヒコ一行が、宇陀でオトウカシを味方にし、エウカシを戦死

・神武段4:イワレヒコ一行が、大和でトミヒコ・エシキ・オトシキを戦死、ニギハヤヒを味方にして平定

・神武段5:妻子

・神武段6:神武の死後、息子・即位前の綏靖が、異母兄・タギシミミを殺害

・綏靖段:妻子、宮所、陵所

・安寧段:妻子、宮所、陵所

・懿徳段:妻子、宮所、陵所

・孝昭段:妻子、宮所、陵所

・孝安段:妻子、宮所、陵所

・孝霊段:妻子、宮所、陵所

・孝元段:妻子、子孫、宮所、陵所

・開化段:妻子、子孫、宮所、陵所

・崇神段1:妻子、宮所

・崇神段2:疫病が流行し、天皇への神託にしたがい、三輪山でオオモノヌシを祭祀すると、疫病退散

・崇神段3:孝元の息子・タケハニヤスヒコが、反乱し、天皇が、彼を殺害

・崇神段4:孝元の息子・オオヒコが、越国を、その息子・タケヌナカワワケが、関東を平定、陵所

・垂仁段1:妻子、宮所

・垂仁段2:開化の孫・サホヒコが、反乱し、彼の妹で皇后・サホヒメも追随、サホヒメが、ホムチワケを出産後に、兄妹を殺害

・垂仁段3:失語だった垂仁の息子・ホムチワケが、天皇への神託にしたがい、出雲に参拝させると、失語解消

・垂仁段4:妻

・垂仁段5:タジマモリが、常世の国から不老不死の木と実を持ち帰ったが、すでに天皇が死去、陵所

・景行段1:妻子、宮所

・景行段2:景行の息子・オオウスが、天皇の求婚した2人を妻に

・景行段3:景行の息子・ヤマトタケルが、熊襲を平定

・景行段4:ヤマトタケルが、出雲を平定

・景行段5:ヤマトタケルが、東国を平定

・景行段6:ヤマトタケルが、尾張のミヤズヒメと結婚

・景行段7:ヤマトタケルが、三重で死去

・景行段8:ヤマトタケルを鎮魂、墓所

・景行段9:ヤマトタケルの妻子、子孫

・成務段:妻子、宮所、陵所

・仲哀段1:妻子、宮所

・仲哀段2:神功皇后に新羅出陣の神託があったが、したがわず、天皇が急死

・仲哀段3:神功皇后が、朝鮮半島に出陣し、新羅・百済を平定、皇太子(即位前の応神)を出産

・仲哀段4:仲哀の息子・カゴサカ+オシクマ兄弟が、反乱したが、神功皇后が、兄弟を殺害

・仲哀段5:皇太子・即位前の応神が、建内(たけしうち)の宿禰と気比に滞在し、イザサワケの大神と名前を交換

・仲哀段6:神功皇后が、帰京した皇太子等と宴会、陵所

・応神段1:妻子、宮所

・応神段2:天皇が、息子達のうち、オオヤマモリに山海の管理、即位前の仁徳に政治の補佐、ウジノワキイラツコに皇太子を命令

・応神段3:天皇が、丸邇氏の娘・ヤカハエヒメと結婚し、ウジノワキイラツコが誕生

・応神段4:即位前の仁徳が、天皇の求婚したカミナガヒメと、了承のうえ結婚

・応神段5:天皇が、吉野で交流

・応神段6:百済が、朝貢し、技術者達が、渡来

・応神段7:オオヤマモリが、反乱し、ウジノワキイラツコが、彼を殺害したのに自死し、仁徳が即位

・応神段8:アメノヒホコが、渡来、子孫

・応神段9:兄が、弟に、イズシオトメとの結婚の賭けに負けたのに、品物を渡さなかったので、母と弟が、恨んで兄を呪詛で病気にし、賭けに勝った対価を獲得

・応神段10:子孫、陵所

○下巻:38段

・仁徳段1:妻子、宮所

・仁徳段2:天皇が、国見の際に、炊煙がなかった年には免税、炊煙が回復した年には課税

・仁徳段3:仁徳の皇后・イワノヒメが、天皇の恋愛に嫉妬

・仁徳段4:天皇が、応神の娘・ヤタノワキイラツメと結婚したので、イワノヒメが、嫉妬・別居

・仁徳段5:天皇が、イワノヒメと関係修復しようとしつつ、ヤタノワキイラツメとも関係継続

・仁徳段6:天皇が、応神の娘・メドリにも恋愛したが、メドリは、応神の息子・ハヤブサワケと結婚したので、天皇が、嫉妬で将軍に2人を殺害させたが、メドリの玉釧を略奪した将軍を死刑に

・仁徳段7:建内の宿禰が、天皇に、大和国で雁が卵を生んだのは、長く統治したからだと返答

・仁徳段8:河内国の高木で造船すると、高速船になり、朝夕に淡路島の清水を運搬、破損した船材で塩焼、焼け残った材木で琴を製作、陵所

・履中段1:妻子、宮所

・履中段2:仁徳の息子(同母弟)・スミノエノナカツが、反乱・皇宮に放火したが、天皇は、石上神宮に脱出

・履中段3:天皇が、仁徳の息子(同母弟)・即位前の反正に、スミノエノナカツを殺害するよう命令し、スミノエの従者が、スミノエを殺害し、即位前の反正が、その従者を殺害、陵所

・反正段:妻子、宮所、陵所

・允恭段1:妻子、宮所

・允恭段2:天皇の病気が、新羅の使者の薬で治癒できたので即位、部の長の氏姓を整備、皇陵

・允恭段3:允恭の死後、即位前の安康が、允恭の息子(同母兄)で皇太子・キナシカルを拘束すると、その妹・カルノオオイラツメと自害に

・安康段1:宮所、天皇が、仁徳の息子・オオクサカを殺害し、彼の正妻・ナガタノオオイラツメを皇后に

・安康段2:オオクサカの息子・マヨワが、天皇を殺害し、即位前の雄略が、マヨワを自害に

・安康段3:安康の死後、即位前の雄略が、履中の息子・イチノベノオシハを殺害

・雄略段1:妻子、宮所

・雄略段2:天皇が、皇宮の外観をした大県主の家を、焼き払おうとしたが、犬の献上で免除

・雄略段3:かつて求婚した少女を老婆になるまで忘れ、贈り物で勘弁

・雄略段4:天皇が、吉野へ3回遠出

・雄略段5:天皇が、葛城でヒトコトヌシの大神に遭遇

・雄略段6:天皇が、丸邇の臣サツキの娘・オドヒメに求婚し、酒宴で采女の失敗を免責、陵所

・清寧段1:(妻子なし)、宮所、天皇が、潜伏していた即位前の仁賢・顕宗兄弟を発見

・清寧段2:即位前の仁賢・顕宗兄弟が、平群の臣シビを殺害し、兄より弟が、先に皇位継承

・顕宗段1:(子なし)・宮所、天皇が、父・イシノベノオシハの墓を改葬

・顕宗段2:天皇は、父を殺害した雄略に怨恨があるが、即位前の仁賢は、天皇陵を少し掘っただけで破壊せず、陵所

・仁賢段:妻子、宮所

・武烈段:(子なし)、宮所、陵所

・継体段:妻子、宮所、陵所

・安閑段:(子なし)、宮所、陵所

・宣化段:妻子、宮所

・欽明段:妻子、宮所

・敏達段:妻子、宮所、陵所

・用明段:妻子、宮所、陵所

・崇神段:宮所、陵所

・推古段:宮所、陵所

 

※宮所:皇宮の位置、陵所・墓所:陵墓の位置

 

 

 「古事記」「日本書紀」は、大和政権が中央集権化を推進する中で、天皇が世襲で永続的に日本を統治する正統性を主張するため、7世紀前半に編纂されたので、歴代天皇の血筋が何よりも大切な一方、功績は正統性にあまり影響しないので、善行・悪行の事績が織り交ぜられています。

 よって、記紀神話にとっての日本の繁栄は、天皇家と、天皇家に奉仕する豪族達の安定になり、まず、記紀神話の神代では、天皇家の祖先や、天皇家が祭祀する次のような神々が、多くの子供を生むことで、神々の世界が繁栄しているようにみせています。

 

・「記」神代段2‐3:イザナギ・イザナミが、多くの神生み

・「記」神代段3‐6:スサノオが、多くの神生み

・「記」神代段4‐5:オオクニヌシが、多くの神生み

・「記」神代段4‐7:オオトシが、多くの神生み

 

 つぎに、記紀神話の人代でも、皇位継承すると、各段の最初に天皇の妻子を明記しており、多くの子供を生むことで、天皇家が繁栄しているようにみせています。

 そして、天皇家に奉仕する豪族達の正当性は、豪族の祖先が神代か人代の天皇の家系から分岐したか、古来より天皇家に奉仕していたかの、いずれかで担保しようとしています。

 

 また、神代に、天皇家の祖先神は、天上(高天原)から地上(葦原の中つ国)へと勢力拡大し、人代に、天皇家は、奈良盆地から西日本・東日本等へと勢力拡大しましたが、このような対外的な征討・平定の様子は、比較的温和に潤色されています。

 一方、皇位継承をめぐっての対立は、正統性のある天皇経験者の近親者どうしが、ほとんどなので、このような対内的な抗争・戦闘の様子は、生々しく記述されており、次のようなものがあります。

 

・崇神段3:天皇が、反乱した孝元の息子・タケハニヤスヒコを殺害

・垂仁段2:天皇が、反乱した開化の孫・サホヒコを殺害

・仲哀段4:天皇の死後、神功皇后が、反乱した仲哀の息子・カゴサカ+オシクマ兄弟を殺害

・応神段7:天皇の死後、皇太子・ウジノワキイラツコが、反乱した応神の息子・オオヤマモリを殺害

・仁徳段6:天皇が、嫉妬から応神の息子・ハヤブサワケ+応神の娘・メドリ夫妻を殺害

・履中段2:天皇が、反乱した仁徳の息子(同母弟)・スミノエノナカツを殺害

・允恭段3:天皇の死後、即位前の安康が、允恭の息子(同母兄)で皇太子・キナシカルを拘束・自害に

・安康段1:天皇が、即位前の雄略とオオクサカの妹の結婚を拒絶した仁徳の息子・オオクサカを殺害

・安康段2:オオクサカの息子・マヨワが、天皇を殺害し、即位前の雄略が、マヨワを自害に

・安康段3:天皇の死後、即位前の雄略が、履中の息子・イチノベノオシハを殺害

 

 このように、記紀神話では、歴代天皇や天皇家の祖先神の、まず「血」(血筋の濃淡)、つぎに「徳」(道徳の善悪)が、正統性の根拠なので、それを充分認識しておくべきです。

 たとえば、仁徳段2での、仁徳天皇(16代)が国見の際に、炊煙がなかった年には免税、炊煙が回復した年には課税したとの逸話が、度々取り上げられますが、「古事記」で人民への「徳政」といえる事例は、これしかありません。

 記紀神話の編纂が開始された、天武・持統の2天皇(40・41代)の時代は、壬申の乱(672年)で、政権の中枢にいた有力豪族を一掃し、天皇中心の中央集権が推進できたので、これ以降、皇位継承を円滑にするため、譲位が多用されるようになり、「徳」よりも「血」を最重要視することに転換しました。

 「徳」は、しょせん各人の主観の寄せ集めにすぎず、気分で揺れ動く一方、「血」は、規定を明確化すれば、客観の判断が可能なので、現在の天皇制においても、「血」を差し置いて、「徳」を持ち出すのは、本末転倒なうえ、その都度混乱するだけで不毛です。

 

 「日本書紀」と「古事記」の相違点は、「紀」では、勢力拡大に勝利した者の視点のみで、これは、そののちの国史5書(「続日本紀」「日本後紀」「続日本後紀」「日本文徳天皇実録」「日本三代実録」、六国史)へと、つながっていきます。

 一方、「記」では、神代の出雲(国土)平定や、人代の皇位継承抗争等で、敗退した者の視点が、大切にされており、最終的な勝利者は、舒明・皇極(斉明)の2天皇(34・35/37代)夫婦の系統なので、それ以前の推古天皇(33代)の時代までを、「記」の範囲にしたと推測できます。

 それだから、歴代天皇は、自分の祖先や、勢力拡大に勝利した者の天上の神々(天つ神)だけでなく、敗退した者の地上の神々(国つ神)も、分け隔てなく、祭祀したのではないでしょうか(天神地祇)。

 

(つづく)