鴨長明「方丈記」読解6~元暦の大地震 | ejiratsu-blog

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(つづき)
 
 
 [6]元暦の大地震
 
・また、同じ頃かとよ。
《また、同じ頃であろうか。》
・夥(おびただ)しき大地震(おほなゐ)振ること侍(はべ)りき。
《ものすごい大地震がありました。》
・その様、世の常ならず。
《その様子は、普通ではない。》
・山は崩れて、川を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて、陸地(ろくぢ)を浸(ひた)せり。
《山は崩れて、川を埋め、海は傾いて、陸地を浸水させた。》
・土裂(さ)けて、水湧き出で、巖(いはほ)割れて、谷に転(まろ)び入る。
《地面は裂けて、水が湧き出し、岩は割れて、谷に転げ入る。》
・渚(なぎさ)漕ぐ船は、浪に漂(ただよ)ひ、道行く馬は、足の立ち処(ど)を惑(まど)はす。
《海岸付近を漕ぐ船は、波に漂い、道を行く馬は、足の踏み場を迷う。》
・都の辺(ほとり)には、在々所々、堂舍塔廟(たふめう)、一つとして全(また)からず。
《京都の周辺では、あちらでもこちらでも、仏寺・霊廟建築は、ひとつとして完全なものはない。》
・或(ある)は崩れ、或は倒れぬ。
《あるものは崩れ、あるものは倒れてしまった。》
・塵・灰立ち上りて、盛りなる煙の如し。
《塵や灰が立ち上って、勢い盛んな煙のようである。》
・地の動き、家の破るる音、雷(いかづち)に異ならず。
《地面が動き、家が破壊される音は、雷と変わらない。》
・家の内に居(を)れば、忽(たちま)ちに拉(ひし)げなんとす。
《家の中にいれば、すぐに押しつぶされそうになる。》
・走り出づれば、地割れ裂く。
《(家から)走り出れば、地面が割れて裂ける。》
・羽無ければ、空をも飛ぶべからず。
《羽がないので、空を飛ぶことができない。》
・龍ならばや、雲にも乗らむ。
《竜であるならば、雲にも乗るだろう。》
・恐れの中に、恐そるべかりけるは、ただ地震(なゐ)成りけりとこそ覚え侍りしか。
《恐ろしいことの中で、特に恐ろしいのは、はっきり地震なのだとわかました。》
 
・かく、夥(おびただ)しく振る事は、暫(しば)しにて、止みにしかども、その余波(なごり)しばしは絶えず。
《このように、(地面が)激しく揺れることは、しばらくして止んだが、その余震は当分絶えることがなかった。》
・世の常、驚く程の地震(なゐ)、ニ・三十度振らぬ日は無し。
《普通なら、驚く程度の地震が、20~30回揺れない日はない。》
・十日・二十日過ぎにしかば、漸(やうや)う間遠(まどほ)になりて、或は四・五度、ニ・三度、もしは一日交ぜ(ひとひまぜ)、ニ・三日に一度など、大方(おほかた)その余波、三月ばかりや侍りけむ。
《10~20日過ぎていくと、しだいに間隔があいて、ある時は1日に4・5回、2・3回、または1日おき、2・3日に1回等、だいたいその余震は3ヶ月ほどもあったでしょうか。》
・四大種(しだいしゅ)の中に、水・火・風は、常に害を成せど、大地に至りては、殊なる変を成さず。
《万物の4大元素の中で、水・火・風は、いつも被害を引き起こすが、大地については、特別な異変を引き起こさない。》
・昔、斉衡(さいかう)の頃とか、大地震振りて、東大寺の仏の御頭(みぐし)落ちなど、いみじき事ども侍りけれど、猶(なお)この度には如(し)かず、とぞ。
《昔、斉衡(854~857年の元号)の頃とかに、大地震が発生して、東大寺の大仏の御首が落ちる等、大変なことがありましたが、それでも今回(の地震)には及ばないという。》
・即(すなは)ち、人皆あぢきなき事を述べて、聊(いささ)か、心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり、年経にし後(のち)は、言葉に掛けて、言ひ出づる人だに無し。
《すぐに人々は皆、この世のはななさ・むなしさを吐き出して、少しは心のケガレも薄らぐと思われたが、月日が重なり、年が経った後は、言葉に出して言う人さえいない。》
 
 
□考察
 
 この大地震は、元暦2(1185)年7月9日の文治(ぶんじ、地震後に改元)地震(最大推定マグニチュード7.4)で、同年の大地震前に終結した、源平の争乱での平氏の怨霊と、結び付けられることが多々ありました。
 東大寺の大仏の頭部が落下した地震は、斉衡2(855)年で、文徳天皇(55代)の時代の851年から京都群発地震が再来しており、それ以前の淳和天皇(53代)の時代の827年前後にも、京都群発地震(最大推定マグニチュード6.5~7.0)があり、その両方で朝廷関係者の怨霊と地震が結び付けられています。
 
(つづく)