日本人の美意識 | ejiratsu-blog

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人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

 日本文学・文化研究者のドナルド・キーンは、『日本人の美意識』で日本特有の美的概念として、暗示・余情、いびつさ・不規則性、簡潔、滅び易さの4つ取り上げ、各々説明していますが、それぞれの反対概念である、誇張、規則性、豊饒、持続性もけっしてなくはないといっています。
 このように、外国人や日本人が、日本美の印象を書き連ねているのを様々散見しますが、これらのほとんどは、表層の事実や現象を把握したにすぎず、その深層の本質までは辿り着いていません。
 かれらは、欧米由来の二項対立で、現象を把握する傾向にあり、世界の多数の国々では、唯一絶対的なのは神しかいないので、人間は神以外のすべてを相対化する必要があり、二元的に思考するのが最も単純で理解しやすいため、そうしますが、そのうちに善悪・優劣・美醜等をつけて一元化したがります。
 これは、人が神へと接近する行為といえますが、キーン氏も、暗示・余情‐誇張、いびつさ・不規則性‐規則性、簡潔‐豊饒、滅び易さ‐持続性と対比する概念を列挙しつつも、結局は暗示・余情、いびつさ・不規則性、簡潔、滅び易さの4つを日本美として選び取っています。
 
 ここで結論を先にいうと、これら4つだけでなく、様々な現象の根源にある日本美の本質は、不変・不動=「死」、変化・変動=「生」という美意識であり、自然は永久不死不滅なので、自然の摂理と一体化すれば、人間も永久不死不滅になれるとされ、自然の摂理とは常時変化しながら循環することです。
 人間をはじめ、すべての生物は、誕生→増進→最盛→減退→死滅と一連の道筋を必ず辿りますが、一日の太陽の運行で、…→朝方→日中→夕方→夜間→朝方→…、一年の季節の変化で、…→春→夏→秋→冬→春→…と永遠に繰り返すように、人間も減退→死滅から再生→増進へとつなげれば循環できます。
 もちろん、それは論理的・科学的・物的には不可能ですが、感情的・宗教的・心的には可能で、日本人は様々な場面で、常時変化しながら循環することにより、自然の摂理と一体化しようとしました。
 この循環は、電気の交流等にみられる周波数の正弦曲線(サインカーブ、y=sinx)をイメージするとわかりやすくなります。
一日の太陽の運行だと、…→0(日の出)→上昇(午前)→最大(正午)→下降(午後)→0(日の入)→下降(午後)→最小(真夜中・正子/しょうし)→上昇(午前)→0(日の出)→上昇(午前)→…を永遠に繰り返します。
 一年の季節の変化だと、…→0(春分)→上昇→最大(夏至)→下降→0(秋分)→下降→最小(冬至)→上昇→0(春分)→上昇→…を永遠に繰り返します。
 ここで注意すべきは、自然が一日間でも一年間でも循環し、そのうえ生態系での生産者・消費者・分解者での物質循環や、地球規模での氷河期と間氷期の循環等、様々な期間での循環が重層しているように、人間の循環も短期・中期・長期と様々な期間で重層させることが大切で、その周期は個人によります。
 日本では古来より生活上、祝祭的(非日常的)なハレ(晴)と日常的なケ(褻)を使い分けてきましたが、これを自然の循環にあてはめると、ハレは上昇の期間、ケは下降の期間といえます(日常生活しているだけで、生気・精気がしだいに減衰するとされています)。
 そして、ケガレ(穢れ)は気が枯れることなので(日本文化では、冷えると木が枯れるので、「冷え枯れる」と表現されています)、0付近で再び気が生(は)え茂るための準備をするのが祝祭の儀式で(暖かいと木が生え茂るので)、下降から上昇へと転換させようとします。
 これを神道でいえば、ハライ・ミソギの儀式であり、人々はできるだけ緩やかにケガレていきたいのが普通で、もしケガレれば、急いで生気・精気を回復するため、祝祭の儀式を執り行いました(ケの期間が長く、ハレの期間が短ければ、効率的といえます)。
 冠婚葬祭(成人式・結婚式・葬式等の人生の通過儀礼+先祖祭祀)・年中行事等は、すべてこの下降から上昇へと転換する行為であり、旅行・行楽や豪華な食事等もその一種で、人々は一般に、これらを気晴らしというので、ケガレの反対はキバラシです。
 神道でのケガレのハライ・ミソギ等は、不浄・不潔な状態を清浄・清潔な状態に転換する行為で(清め=キヨメ)、そこは本当の死ではなく、仮死と位置づけ(神道で死はケガレなので)、そこから新たに改まって生まれ変わり、再生・復活する道筋を用意してくれています(終わりの始まり)。
 
 ところで、美についての日本特有の状況としては、まず、おおむね中央から地方まで、特権階級から庶民まで、美意識が古来より広範に浸透していたことがあげられ、海外では近代まで、文化・芸術のほとんどは特権階級に独占されていました。
 日本では、古代の『万葉集』には天皇から無名の庶民までの詩歌が収録され、中世には自治組織の村・町が発達し、貴族没落の中で宮廷文化の一部が流出して武士や庶民へ流入、近世には公家・武家と商人が一緒に茶の湯・連歌・俳句等で交流する習慣もあり、城下町等を中心に大衆文化も発達しました。
 つぎに、一連の循環での増進・最盛期の豪華美は世界共通にある一方、減退・死滅期の簡素美は日本特有で、欧米人は禅由来のワビ・サビを取り上げがちですが、それらは減退・死滅期の様態といえ、浄土教には現世と来世を行き来する発想があり(往還回向/おうかんえこう)、これが簡素美に影響しています。
 浄土教では、現世は欲望や執着(煩悩)があるので、不浄・不潔な穢土(えど、ケガレた世界)、来世は欲望や執着(煩悩)がないので、清浄・清潔な浄土とされ、そうなると最盛期は煩悩が最大なので穢土、死滅期は煩悩が皆無なので浄土となります。
 滅び尽きて無になれば、平穏で安定した心境になれ(これが悟りを開いた状態です)、その仮死が仏教の中間地点で、そこから再生して人々を救済することが仏教の最終地点です。
 すると、植栽の池泉庭‐枯山水、千利休の黄金の茶室‐草庵の茶室、大和絵‐水墨画、歌舞伎‐能等の対比は、それぞれ最盛‐死滅の様態を表現しているにすぎず、増進・最盛期の豪華美は世界共通なので、注目されず、減退・死滅期の簡素美は日本特有なので、注目されたと理解できます。
 さらに、日本建築は、組物(斗栱/ときょう、軒の出を支持する部分)あり・彩色の神仏用の建築(神社・仏寺等)と、組物なし・素地の人間用の建築(住宅・城郭・茶室等)に大別でき(ただし、伊勢神宮は倉庫、出雲大社は宮殿が起源なので組物なし)、用途が神仏側か人間側かで使い分けられています。
 中国では、組物が王宮だけでなく、民家にも使用され、欧米では、様式・装飾の有無は工事費しだいなので、海外で建主や用途によって建築の様式・装飾を使い分けることはありません。
 これは、住居形式が早々に中国・朝鮮から移入・確立され、ようやく6世紀の仏教公伝から仏寺が移入・建立されたからで、神社は仏寺に影響された施設とされない施設(伊勢神宮・出雲大社等)に分化しており、神仏には人間の俗なる物・心を聖なる物・心へと転換する力があるので、使い分けたのでしょう。
 それを外国人は(ブルーノ・タウト等)、神仏側の日光東照宮(豪華美)と、人間側の桂離宮・伊勢神宮(簡素美)を、混同して取り扱っているうえ、歴史的な寺社も、かつて極彩色の豪華美だったのが、塗装が剥落、木部が経年劣化しただけなのに、ワビ・サビや簡素美といって誤解しています。
 この過程で、豪華美は切り捨てられ、簡素美を持ち上げていますが(二元化→一元化)、本来は豪華美(=増進・最盛期)も簡素美(=減退・死滅期)も循環の様態のひとつにすぎないので、時代が移り変わっても並存され、それらの間を自然の摂理のように行き来(本当は循環)することが日本美の本質です。
 
 ここでは、キーン氏が取り上げた4つの現象から、日本美の本質である不変・不動=「死」、変化・変動=「生」という美意識と、自然の摂理である常時変化しながらの循環へと遡行していきます。
  
●暗示・余情
 文化・芸術とは人間の表現の成果で、それらをただ写実的・客観的で完璧・完全に再現すれば、誰でもわかりやすいですが、それはひたすら賞賛するしかないうえ、その意味や解釈が特定化・固定化され、不変・不動になれば、それ以上の発展性がなく、作品の死につながります。
 よって、短歌・俳句や枯山水・水墨画・能等では、作者が明示しすぎず説明しすぎず、そこに生き生きとした変化・変動を織り込めば、読者に多様な意味や解釈が導き出せるようになり、主観的な想像力が入り込め、面白味が出て来ます。
 日本語は、主語も省略でき、単数・複数や限定・非限定(定冠詞・不定冠詞)の区別がなく、短歌・俳句では、曖昧な表現が可能なので、想像を喚起でき、枯山水・水墨画では、単色や余白で想像の余地を生み出せ、能では、雰囲気と抽象化から神秘性・深奥性を醸し出すことができます(幽玄)。
 それとともに能は、人々の大半が理解不能になりますが、歌舞伎は、大衆に擦り寄ったものの(能は仮設的で、最少限の小道具のみですが、歌舞伎は常設化し、大小道具類も充実させました)、写実的でない誇張した様式美も温存されており、現実と虚構の混在がみられ、歌舞伎‐能は対比関係といえません。
 
●いびつさ・不規則性
 詩歌での対句(中国の絶句=4句・律詩=8句、西洋の二行・四行連句)や建築の中心軸、茶の湯の真ん丸の茶碗・手本そっくりの書・幾何学的な庭園等、日本では完璧・完全・完結への嫌悪があり、不均斉・不整合が愛好されているといいますが、それらはけっして外国人がいう無秩序ではありません。
 中国や西洋では、静的な均斉・整合を追求し、2・4・6・8…と偶数に固執する一方、日本では、動的な均斉・整合を追求しており、3・5・7…と奇数に固執、5音と7音からなる俳句の17音・短歌の31音は素数、3は循環が成立する最小数で、静的は死、動的は生と結び付きます。
 中国由来の神仏側の建築は、中心性・対称性・正面性で権威・権力を誇張しますが、人間側の建築は、局所的にはそれらを取り入れつつも、それだけだと、不変・不動は死につながるので、総体的には脱中心性・脱対称性・脱正面性にこだわり、微細な変化・変動で生き生きとした表現を生み出そうとします。
 
●簡潔
 禅寺での天然自然の白木の建材や枯山水の石・砂、千利休由来の草庵風の茶室・茶道具・生花、新鮮な生魚と薄味等、過剰な細工・装飾を削ぎ落とした単純さ・質素さへの嗜好は、新興の特権階級の間で発達した美で、庶民の生活から乖離した贅沢だと認識すべきです。
 これらは、朱塗の寺社や植栽による池泉庭、足利義政由来の書院造の茶室・舶来品の茶道具、魚貝の干物・塩漬等の反動として生み出され、既成の特権階級による美を踏襲するだけだと、行き詰まってしまい、それ以上の発展性がなく、不変・不動は死につながってしまいます。
 新興の特権階級は、一方を選択するのではなく、双方を取り込み、そこを行き来(循環)して常時変化することで自分達を活性化し、この両方ができたことで、日本美は双方の2様態だけでなく、その中間も自由に選択・表現できるようになりました。
 
●滅び易さ
 木造での非記念碑的な建築、桜の盛り直後に訪れる散り際、武士の劇的な死、抹茶茶碗の割れ目の金継ぎ等、これらは死滅が前提ですが、建築は修理や建替で更新でき、桜は花が散るとすぐに葉が開き、武士は先代の戦功で次代の繁栄を希求、金継ぎでの変化を楽しむ等、再出発のきっかけでもあります。
 なので、はかなさ・いさぎよさを否定的にみるのではなく、下降から上昇へと変化・反転させて肯定的にみるべきで、そこでは終りゆく悲哀さの次に、始まりゆく活発さがあることを期待し、死滅からの復活の取り組みが必要になります。
  
 こうして、日本では、自然の摂理である常時変化しながらの循環で、感情的・宗教的・心的に永久不死不滅を追求しようとし、人間は0(生)→上昇→最大→下降→0(死)が自然の摂理なので、0付近で下降から上昇へと転換しようと、ミソギ・ハライ・キヨメ・キバラシ等を繰り返してきました。
 一方、欧米では、人間は神の次に上位なので、自然の克服・支配が正当化され、石造・レンガ造のような強固さと、中心性・対称性・正面性のような完結さですべてを構築し、論理的・科学的・物的に永久不死不滅を追求しようとしましたが、それは生から死への一方通行で、最後は廃墟の美学に行き着きます。
 西洋文化・芸術は、強固で完結した様式がいったん構築されれば、それが時代を席巻し、その批判・異議申し立てが登場・再構築されると、旧様式は新様式に取って代わる、創造と破壊が繰り返されてきました(古代ギリシャ→古代ローマ→ロマネスク→ゴシック→ルネサンス→バロック→新古典等→近代)。
 この創造と破壊の繰り返しは、日本のように多様なものが並存したうえでの循環ではなく(日本の仏教建築では、和様、天竺様=大仏様、唐様=禅宗様の3様式が、鎌倉期から江戸期まで並存・混在しました、ただし日本式・インド式・中国式は便宜上で、いずれも中国由来です)、中国の王朝交代を連想させます。
 欧米での日本文化・芸術の流行は、前近代(プレ・モダン)の新古典等と、後近代(ポスト・モダン)の現代の2回湧き起こっており、新古典等は、従来の様式・概念がすべてカタログ化され、現代は、近代の標準化が行き詰まりをみせ、いずれも強固で完結した様式・概念が揺れ動いた時期と一致します。
 つまり、欧米ではひとつの様式・概念が減退・死滅した時期に、再度増進・最盛するため、日本文化・芸術が一時的に受け入れられていることを認識すべきで、やがてこれまでと異なる新しい様式・概念が確立されれば、外交・交易がさかんな現在、今度は日本が多大に影響される時代が到来するでしょう。
 その意味でも、日本文化と外国文化の比較・関係は、大変重要です。