「古代の日本では、首都が天皇の代替わりごとに、何十回も変わったと聞いているけれど。こんなに首都が変わった国って他にないのでは?」
さあ、どうだろう。
「首都」という以上は、政府機能を備えた「都市」でなければなりません。
「首都」は社会科学用語であって、キャピタルシティの訳語です。日本語の「ミヤコ」とイコールではありません。
オオキミ(ミカド)の住む宮殿の在るところが「ミヤコ(宮処)」ですが、政府組織、行政機構がついていなければ「首都」という社会科学用語では呼ばれません。
王や天皇が住んでいる屋敷に、豪族が集まってきて会議して、終われば解散する、そういうのを「首都」とは呼びません。
「平安京以前の日本」で首都と呼べるのは、平城京と藤原京だけです(長岡京は未完成のうち放棄されたのでノーカウント)。
ただ、最近は飛鳥京、難波京、大津京、という言い方をすることもありますが、これはリアルタイムの呼称ではない、一部の歴史学者によるカサ上げに過ぎません。まあ、これらを首都に準ずると認めるにしても、平安京以前で首都が移ったのは、精々七~八回と言えます。
「政府機能を備えた都市」は、そう簡単には移れません。何十回も移ったとしたら、それは首都ではない証拠です。
天皇がフラフラと転居して一部貴族がついて回った程度のことは「首都が移った」とは言えないんですよ。紫香楽も、福原も、吉野も、首都とは言えません。