古代の日本ほど首都がクルクル変わった国は他にない? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「古代の日本では、首都が天皇の代替わりごとに、何十回も変わったと聞いているけれど。こんなに首都が変わった国って他にないのでは?」

さあ、どうだろう。

「首都」という以上は、政府機能を備えた「都市」でなければなりません。

「首都」は社会科学用語であって、キャピタルシティの訳語です。日本語の「ミヤコ」とイコールではありません。
オオキミ(ミカド)の住む宮殿の在るところが「ミヤコ(宮処)」ですが、政府組織、行政機構がついていなければ「首都」という社会科学用語では呼ばれません。
王や天皇が住んでいる屋敷に、豪族が集まってきて会議して、終われば解散する、そういうのを「首都」とは呼びません。

「平安京以前の日本」で首都と呼べるのは、平城京と藤原京だけです(長岡京は未完成のうち放棄されたのでノーカウント)。

ただ、最近は飛鳥京、難波京、大津京、という言い方をすることもありますが、これはリアルタイムの呼称ではない、一部の歴史学者によるカサ上げに過ぎません。まあ、これらを首都に準ずると認めるにしても、平安京以前で首都が移ったのは、精々七~八回と言えます。

「政府機能を備えた都市」は、そう簡単には移れません。何十回も移ったとしたら、それは首都ではない証拠です。

天皇がフラフラと転居して一部貴族がついて回った程度のことは「首都が移った」とは言えないんですよ。紫香楽も、福原も、吉野も、首都とは言えません。