琵琶湖の天気が変わりやすい理由。「琵琶湖」という名称はいつごろできたのか? 竹生島にも所縁が? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

祝、藤原為時越前守赴任、琵琶湖を船でいく、まひろは琵琶を弾く。

私、むかし滋賀県の仕事をしていたことがありまして、あちこち取材で、琵琶湖の周りを何周もしたものです。

そのとき聞いたのですが、滋賀県の南のほうは瀬戸内気候、北のほうは北陸気候で。

南からの暖気と北からの寒気がぶつかるのが、ちょうど琵琶湖の真ん中あたり、なんだそうです。

なので、琵琶湖はとっても天気が変わりやすいんです。おかげで虹が多く出る、県庁の人が「滋賀は虹の名所なんです」と自慢しておられました。

比叡山から吹きおろす風が強いこともあり、琵琶湖はけっこう波が立ちます。湖だからってナメてはいけないくらい、荒れるときは荒れます。

実際、湖北のほうでは、空の色、湖水の色が「ああ北国だなあ」ってかんじです。大津のあたりとは、空気が全然違います。

陸路を歩くより湖を船で行ったほうがずっと楽ですから、京都から越前まで行くのであれば勿論、琵琶湖をいくのが当然です。天候が不安定なので、風待ち、晴れ待ちも多かったはずですが、それでも荷物を抱えて陸路を行くより、圧倒的に楽です。

船の上で、琵琶を奏でたくもなるでしょう。

但し「琵琶湖」と呼ばれるようになったのは室町時代あたりからで、「上から見たら楽器の琵琶の形に見えるじゃん!」なんてことは、この時代にはまだみんな気がついてなかったでしょう。古代には「淡海」とか「鳰の海」とか言ってたそうですし。

「琵琶湖で琵琶」っていうのは、現代視聴者向けのサービスショットだと思います。

調べました。

鎌倉時代あたりの比叡山の僧が「琵琶の形に似てる」と書いたのが、文書に残る始めだそうで。「琵琶湖」という固有名詞として現れる初出は室町時代(というか、明応年間というからそろそろ戦国時代)です。

楽器の琵琶に似てるから琵琶湖ですが、湖の真ん中の「竹生島」には弁財天を祀る神社が古代からあり(役行者が開いた、とも言われる)、弁財天は琵琶を抱えているところから、琵琶湖と言う名前になった、という説もある、そうです(どっちの説が正解か、ではなく、合わせ技一本でいいと思いますが)。

あっそうか! このシーンのまひろは、弁天さまなんだ!