滅亡、というのは文学用語であって。歴史の話ではあんまり使わないほうがいい。子孫は誰かしら生きてる | えいいちのはなしANNEX

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「滅亡」というのは極めて情緒的というか、文学の表現であって、歴史の話をするときはあんまり使わないほうがいい、と私は常々思っています。

日本史って、一族すべてが死に絶えて子孫が一人もいない、などという家は一つもないです(たぶん)。

なんでって、天下が二つに割れるときは必ず兄弟が東と西に分かれるもんだから、です。

たとえば、壇之浦で平家は滅亡した、と言わないと雰囲気が出ないのは確かですが、平清盛の異母弟の頼盛は早くから頼朝について、子孫は鎌倉の御家人として続いている、とか。

平安時代の藤原氏だって、「他氏排斥」とか教科書には書いていますけど、実際のところは兄弟、叔父甥、従兄弟の間での席取り合戦がメインで、源だの菅原だの高階だのは、そのアオリを食って失脚してるだけだったりすのは、この「光君へ」のドラマを見ていても明らかですし。