一つの軍に「大将」は一人なのか、何人もいていいのか? 征夷大将軍は一人だけど近衛大将は左右二人だ | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「秀吉はさいしょ将軍になりたかったんだけど、前の将軍の足利義昭がまだ鞆の浦で頑張っていたので、将軍は諦めて関白になった」
とは、よく言われる話です。そのとおり、征夷大将軍は、日本に同時に二人いることはできません。
でも、どこの国の軍隊でも、大将って何人もいるじゃあない。昔の陸軍だってそうでしょう? 
いやいや、大将って普通、一人しかいないものじゃないの?

「大将」という日本語には、
1.その集団のトップ
2.軍人の階級
の2つの意味があります。
普通の日本人が普通に大将と言う場合は基本、1.の意味です。
このチームの大将はオマエだ、みたいに「リーダー」「トップ」「棟梁」「頭目」のことを、一般名詞として「大将」と呼びます。この意味ならば当然、大将はひとつのグループ(軍)に一人です。
これと2.の意味を混同するから、混乱するんです。


2.の意味の大将は「大将、中将、少将、大佐、中佐…」と並ぶランクのなかの呼び名です。
この意味での大将は、必ずしもひとつのグループ(軍)を率いているとは限りません。
「軍」という日本語も曖昧で、日本軍全体をひとつの軍というなら、大将の階級を持つ軍人は当然、複数います。
しかし、日本語で「一軍を率いる」と言った場合は、「方面軍」か、それを分けた「第一軍、第二軍…」、くらいの意味です。


ひとつの国にはいくつも軍(方面軍)があるし、それぞれにトップの指揮官がいるものです。そのトップのことを、普通の日本人は(1.の意味で)「大将」とイメージします。
しかし、その指揮官、「○○軍司令官」という肩書の軍人は、必ずしも大将の階級ではなく、中将や少将である場合もあります。

日本史の得意な人に「大将って何ですか」と聞けば、必ず「2.」の意味の大将について詳細に説明してくれます。
「どうして、ひとつの軍隊に何人も大将がいるの?それって変じゃないの?」という(1.だと思っている、普通の)日本人の素朴な疑問には、応えてくれません。

日本軍の階級である「大将、中将…」という名称は、律令制の官職名に由来します。いま「光る君へ」でやってる世界ですね。
朝廷での大将というのは「近衛府のトップ」の意味です。右近衛大将、左近衛大将、の二人の大将がいます、ひとつの役所に必ず二人のトップがいるってのが日本の律令制の特徴で、この基本マインドは江戸時代まで続いてます(北町奉行と南町奉行、みたいに)。
但し実際には、近衛大将が兵隊を率いて戦うという機会はほとんどなく、この「大将」は事実上は貴族のランクを示すだけの称号です。つまり「2.」の意味での大将です。
しかし、たとえば辺境地域で叛乱が起きた場合、臨時の討伐軍が編成され、「征夷大将軍」が任命されます。これは実際に一軍を率いて戦うトップですから、当然、一人です。つまり「1.」の意味の、日本人が普通にイメージする「大将」です。
鎌倉幕府から江戸幕府まで続く「征夷大将軍」は、こちらの1.の意味を継ぐ存在で、当然、日本に一人です。

明治維新で幕府がなくなり、律令制もなくなり、新しい国のシステムができます。このとき、西郷隆盛が日本初の「陸軍大将」になります。新しくできた日本陸軍のトップですから、当然、大将は西郷隆盛一人でした。つまり、いちばん最初の大将は「1.」の意味の肩書だった、ということなんです。
しかし、西郷隆盛が政府と対立して辞職して叛乱を起こして…のあとは、「やっぱ、大将が日本にただ一人ってのは、良くなかったよね」ってことになって。次第に、日本軍の大将という称号は「2.」の意味の、律令制時代と同じ。単なる階級名を表すだけのものに変わっていきます。