歌劇「ロメオとジュリエット」は、シェイクスピアの原作とは、このへんが違う。 | えいいちのはなしANNEX

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「METライブビューイング  グノー作曲 ロメオとジュリエット」

ネイディーン・シエラ、このひと私、大好きですね。

オペラの歌姫というと、歌声や演技より前にビジュアル的に「どーんとしている」方が多い、それが歌劇ってものでしょーがない、ってところあるけど。このひとは、ちゃんと美人で、表情も豊かで歌手としても受有としても、観ていて楽しいんだ。
こないだの椿姫も、良かったな。

というわけで、ロメオとジュリエットは、フランス語のオペラ(だからロミオでなくロメオ)。物語はシェイクスピアの原作と同じなんだけど、オペラに編集されているので、場面数がたぶん半分くらいしかない。場面がカットされているのではなく、同じ場所のシーンは一気にやってしまおう、ということで、なるほど上手い編集だな、と思う。

ジュリエットは、最初の登場シーンで、この動画のとおり、舞踏会の花形みたいに歌いまくる、それがオペラってもんなんだろうけど、14歳少女のデビュタントには見えない、すでに椿姫級の「パーティーの女王」だ。

こういうジュリエットだから、芝居全体の雰囲気もかなり原作とは違うように思う、「爆走するジュリエット、必死についていくロメオ」ってところかな。

最初の舞踏会から出てくるパリス伯爵は、太った中年オヤジで。ジュリエットは付きまとってくる伯爵をあからさまに嫌っている。なんか、これが正しい、ような気もする。

ロレンス神父、マーキューシオとティボルトは、いずれもアフリカ系の歌手。

近年観る大抵のロミジュリでは、これらもみんな若い二枚目が演じていて「二枚目大会」みたいになるもんだけど、「ああ、このほうが正しいな」と思う。

原作にはない、ティボルトの友人と、ロミオの小姓がいる。

そのかわり、ロミオの父母と、ジュリエットの母親は、出てこない。ジュリエットの父だけが、一身に「旧世代」を背負っている。

終盤の展開もかなり違う、とにかく省略の嵐だけど、「みんな原作を知ってるよね、くどくど説明しなくていいよね」って感じに見て取れる。それはそれで、正しいようにも思う。

この台本で、謳わなければ(つまりストレートプレーならば)一時間で終わるな。

 

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