幕末の流行思想「尊王攘夷」とは何か? 討幕とイコールなのか? 違います、全然違う。 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「尊王攘夷」という思想について、まずは正しく理解しましょう。
このコトバの真の意味が分かっているなら、
尊王攘夷イコール倒幕ではぜんぜんないこと、
日本人で尊王攘夷でない人間なんていなかったこと、
尊王と攘夷は必ずセットでなければ意味が通らないこと、
薩摩や長州は尊王攘夷という思想の「ために」動いていたのではなく、尊王攘夷と言う思想を「利用した」に過ぎないこと、
が分かるはずだからです。

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「尊王攘夷」は、幕末の志士が作った言葉ではありません。中国製の四字熟語、古典中の古典的スローガンです。
ここで「王」というのは漢民族の皇帝を、「夷」というのは異民族を指します。
中国の歴史は、農耕漢民族の国と、それを征服しようとする北方遊牧民族の、四千年にわたる抗争の歴史にほかなりません。
匈奴、鮮卑、蒙古、女真といった北方の覇者が、豊かな中華の地を侵略しようとして侵入してくる、それを撃退する、ということの繰り返しです。
これは宿命的なものであり、漢民族と北方民族が長期間にわたって仲良く共存するという状態だったことは、ほとんどありません。つねに「やるか、やられるか」という関係だったのです。
ですから、「攘夷」とは、外国と付き合わないとか開国しないという生易しいことではありません。四の五の言わずに夷を撃退しろ、殺される前に問答無用で殺せ、ということです。


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「王」というのは、天に認められた正当な支配者、というニュアンスが含まれています。これに対応する反対語は「覇」です。つまり、力づくで世界を支配しようとする者です。
「尊王」というのは、単に皇帝がエライということではなく、力づくの侵略者を退けるために正当な君主を中心に団結しよう、という意味になるのです。「尊王攘夷」が四字熟語で分解不能だというのは、そういう理屈です。
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この言葉が日本人に知られたのは、「朱子学」の基本概念のひとつだからです。
朱子(朱喜)はモンゴル帝国(元)に攻められ青息吐息だった漢民族国家「南宋」の人です.
「中原の正統な支配者である漢民族は、王(皇帝)を尊び一致団結して、夷(モンゴル)を排斥しなければならない」という意味で、朱子は「尊王攘夷」を繰り返し唱えたのです。
「尊王」は、漠然と「王様を尊敬しよう」なんていう甘っちょろい言葉ではなく、「祖国防衛戦争のシンボルとして王を担ぎ上げろ」という思想なんです。
朱子学は江戸時代の日本人の基礎教養とされましたから、「尊王攘夷」という言葉自体は、知識人はみんな知っていたわけです。「民族のプライドを忘れるな」という一般論として、ですね。
ところが幕末になって、「天皇は異国が大嫌いであらせられるというのに、幕府が異国に屈して開国してしまった!」という状況が起こります(「志士」たちはそう解釈した)。
ここにおいて、「天皇を担いで幕府を倒そう」と考える側の意図に、「尊王攘夷」というスローガンが、絶妙に上手くハマってしまったのです。

なにせ他ならぬ幕府が唯一の官学とした「朱子学」の言葉ですから、これはもう憲法みたいなもので、今でいえば「主権在民」とか「戦争放棄」とかいうのと一緒で、(それホントかよ)と内心思う者がいたとしても、誰もおおっぴらには逆らえない理念なのです。

こういうとき、あたまのいリアリストは、憲法自体を否定するのではなく、「拡大解釈」をしてみせます。龍馬あたりが「開国して外国と商売して、力を蓄えて、経済力で外国に勝てば、それがリッパな攘夷ぜよ」みたいなことを言うわけですが、そんなことを言えるのはかなり頭のいいやつだけです。

たいていの単純アタマの「志士」は「幕府をやっつけるのが尊皇攘夷である」と思い込んでしまいます(いつのまにか「王」が「皇」に摩り替わっています、概念ではなく即物的な解釈になってるんです)。

日本で「夷」といえば、平安時代まで奥羽で頑張っていた蝦夷のことだったのに、これがいつのまにか米英仏などの諸外国にスリかえられました。「尊王攘夷に決まってるだろ、中国人が昔からそう言ってるんだから、これはワールドスタンダードだ」と言われると、幕府も口をモゴモゴさせるしかなく、無理な攘夷を約束させられて、どんどん立場を悪くしていく、という結果になったわけです。

尊王の反対語は佐幕ではなく、攘夷の反対語は開国ではありません。
勤皇ー佐幕
鎖国ー開国
が、敢えていえば正しい反対語概念です。尊王(君主を尊ぶという思想)と勤皇(天皇に政治の実権を取り替えすために幕府を倒そうとする行動)は全然別物であり、攘夷(外国に負けるなという思想)と鎖国(外国と付き合わないという政策)は全然別物です。

中国の元々の意味からいけば、「攘夷」の反対語は「開国」ではなく「屈服」「隷属」です。中間はないのです。「尊王攘夷!」と唱えることは、外国と仲良く付き合う、という第三の選択肢を意図的に隠し、幕府を追い詰める有効な手段となったわけです。
薩長が本気で「攘夷したい」と思ってたわけないじゃん、というのは、当然です。