「禁門の変」、尊王攘夷のはずの長州が、何故天皇の御所を攻撃したのか? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

尊王攘夷というのは、中国語の四字熟語です。

もともとの意味は「異民族の侵略に抵抗するために、皇帝のもとに団結しよう!」という、南宋時代に流行った中華思想です。

つまり、「皇帝のために夷狄をはらう」のではなく「夷狄をはらうために皇帝の求心力を利用しよう」という思想なんです。

「尊王」は「攘夷」の手段であり、「王」は道具なんですよ。そもそもの意味からして。

目的はあくまて「日本国の独立を守ること」です。天皇を御神輿に担いで目的達成のためのシンボルにしよう、てのが、尊王攘夷の正しい解釈です。

「天皇という人間を大切にしよう」ということだと思ったら、大間違いです。

長州は、天皇を「玉(ぎょく)」と呼んでいました。要は将棋の駒と同じ感覚です。人間ではありません、旗です。
孝明天皇個人が誰を好きとか嫌いとか、異人が怖いとか嫌いとか、そういう話は、どーでもいいというか、関係ないんです。「玉を確保したほうが、勝ち」というのが、ゲームのルールなんです。
天皇という「玉」が、攘夷を真剣に実行しないような間違った者共に捕らわれている。それなら、救いだして、我々の正しい御神輿にのせてさしあげるのが、正義です。
純粋な「尊王攘夷」論者ならば、攘夷を実行できない連中(君側の奸)に捕らわれた天皇を助け出して(=拉致して?)、正しい真の攘夷のための「玉」になっていただく、そのために、御所を襲撃するのは、当然の正義なのです。