「官打ち」「位打ち」とは何か? 源実朝は、右大臣になったから殺されたのか?そんなバカな?いやいや | えいいちのはなしANNEX

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源実朝は「位打ち」(官打ち、ともいう)されて死んだ、と言われるけど、そんなこと、本当にあるんですか?
位打ち?そんなの迷信だよ、というのは、あなたが現代人だからです。
位打ちなんてない、という人に対して、私は敢えて「ないことはない」と申し上げましょう。
「官打ち」というのは迷信ではありません。「朝廷」という食えない組織が、目障りな者を自滅させるために、分不相応な位を与えて、舞い上がらせようという、高等テクニックの「呪い」です。
鎌倉幕府の将軍とは、京都うまれの貴種であり、関東武士団と人種が違うのです。
源頼朝は、その貴族性を存分に活かして武士達を統率した、優れた政治家でした。しかし、その息子たちは、父のようなカリスマ性を持てず、空回りする宿命でした。
 
 
源実朝は、自分が御家人どもの傀儡にならない、実力ある将軍たらんとして、そのために京都朝廷の権威をバックにしようと考えました。後鳥羽上皇と親密な関係を築き、せっせと和歌なんぞ詠んで送って、京都の忠実な家来を標榜し、上皇の息のかかった京都からきた貴族を取り巻きに重用し、そうして高い官位を貰い、ついに右大臣に登ります。
実朝にしてみれば、これで御家人たちは自分を仰ぎ見るだろう、畏れ入ったか、と得意満面だったでしょう。
 
しかし、こういう実朝の姿に、御家人たちは寧ろ不安と反発を覚えます。
そもそも鎌倉幕府(と後世呼ばれる組織体)とは、京都貴族どもに隷属してきた関東武士たちが、自分たちの権利と利益を守るために作った協同組合です。
ところが、そのトップである鎌倉殿が、京都の忠犬になってしまったら、鎌倉の存在価値を危うくしかねない、わけです。
公暁(こうぎょう)を使嗾した(けしかけた)のは三浦だとも北条だとも言われますが、要するに鎌倉御家人全体が、あの鎌倉殿は有害だ、と判断したってことなんです。
かねて鎌倉幕府の存在を苦々しく思っていた後鳥羽上皇が、折角手懐けた子分が殺されてアテが外れたか、それともこれで小癪な幕府は崩壊だと喜んだか。
朝廷としては、実朝に分不相応な官位を与えて破滅させた、「位打ち」が成功した、という言い方ができます。
これで幕府が崩壊すれば大成功、だったのですが、逆に反京都で団結した関東武士団に戦争で完敗し(承久の乱)、後鳥羽上皇が流罪になるという前代未聞の事態になります。位打ち返しを見事に食らってしまった、と言って言えないことはありません。
「位打ち」が効くのは虚名に生きている京都の貴族(公家)にだけで、実際に農地を耕して生産している関東武士どもには、この魔法は通用しません。
実朝は、京都貴族に憧れ関東武士の心を忘れた、というよりは、そもそも関東武士ではなかったから「位打ち」が効いたんです。