時代劇で柳沢吉保が大抵悪人なのは、幕末の黄門様のせい! | えいいちのはなしANNEX

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時代劇の世界では、柳沢吉保はなぜいつも悪役なのか?って話をします。ついでに田沼意次は? 大岡越前は?
ここに挙げたのは、みんな「己の才覚で、出世した男」です。
だったらなんで、柳沢と田沼は大抵悪玉で、大岡は善玉なのか?
意外かも知れませんけどね、時代劇の世界では、「努力と才能で出世した人間」というのは、嫌われるんですよ。
なんでかっていうと、時代劇に出てくる江戸時代は「永遠に変わらないユートピア」だからです。
60分一話完結、毎回悪が滅んで江戸は「元通り」平和になるという円環構造を、人気がある限りいつまでも永遠に繰り返す。
だから主人公も周りの登場人物も歳を取らないし出世も昇進もしない、これが「時代劇」の基本構造です(大河ドラマみたいに主人公が成長して最終回に死ぬのは「歴史劇」という別のジャンルです)。
だから時代劇は必ず江戸時代、「士農工商」の世界です。
殿様の子は殿様、商人の子は商人、百姓の子は百姓、それでいいじゃないか、それが平和じゃないか。
つまり、人が「わきまえている」のが、時代劇の世界のスタンダードです。
ところがここに、生まれた身分をわきまえずに、他人を押しのけて踏みつけて、自分だけ出世していい目を見よう、という人間が出てきます。
そういうズルイ人間がいるから、江戸の秩序が乱され、みんなが迷惑するんです。
だから、殿様階級のひと(生まれながらにその地位にいるから、他人を押しのけてない)がそういう「迷惑な成り上がりモノ」をやっつけて、江戸に平和を取り戻してくれないといけないんです。
「側用人 柳沢吉保」というのは、典型的な成り上がり者です。捨てゴマから運良く将軍になった綱吉の、腰巾着として出世した、正当な資格(家柄)なしに側近をやっている男です。
「親のあとを普通に継いだヒト」ではなく、「低い身分から出世してその地位についたやつ」は、必ず、ズルい方法で出世したに決まってるんです。
「その人物に能力があって努力したから、出世したんだ」とは、時代劇の世界では決して考えられない。「なんか、依怙贔屓とか賄賂とか陰謀とか、汚いことをやって成り上がったに違いない」
って考えられてしまうんです。
歌舞伎のストーリーをみると、悪役というのは、必ず「もとは卑しい身分のヤツが、実力で成り上がった」というのに決まっています。
そういうヤツは、毒殺とか謀殺とか、ときには魔術(忍術)とか、あらゆる汚い手を使って政敵を抹殺しますが、最後には「正しい血筋の、正義の人物」にやっつけられて、平和が戻ります。
将軍様や、殿様や、殿様の息子が悪役になることは、基本ありません。
そういう物語構造に、日本人は慣れています。「時代劇」というジャンルは、基本的に、そうした歌舞伎的なパターンを引き継いでいます。
 
「水戸黄門」の世界でも、将軍綱吉は悪役にはなりません(できません)。
だから、側用人から大老格に「成り上がった」柳沢吉保に、悪役が振られることになるわけです。
歴史の話をしますと。
江戸幕府の仕組みって、「将軍以外は世襲できない」んです。
つまり奉行の子は(自動的には)奉行になれないし、老中の子は(自動的には)老中になれない、家柄があってもそれなりの能力が認められないと職には付けない、ってことになってて。
だから「時代劇では、老中も(町奉行以外の)奉行も、成り上がり者として悪役になり得る」という素地があります。「賄賂を使って成り上がった、悪い老中」というのも、時代劇にはしょっちょう出てくるわけです。たとえば田沼意次です。
但し、「町奉行」だけは別扱いです。
江戸の庶民にとって、民政を担当する、つまり「庶民に向き合って貰わなくてはならない」、それが悪玉だったら、世の中真っ暗です。
だから、大岡越前は低い身分から、運良く将軍になった吉宗に取り立てられて側近になった、柳沢とよく似た立場だけど、決して悪役にはなりません。
 
時代劇の世界では、努力や能力というものを認めてしまえば、身分社会は崩壊します。
側近が悪役されやすいのは、それはもちろん、「将軍さまや殿様は悪役にはできない」からです。
世襲の殿様が悪党だったら、世の中は永久に真っ暗ですから、殿様の傍らにいる側近が、必ず悪者にされます。
ところで、柳沢悪役イメージの源泉は、なんと言っても、水戸黄門ですが。
黄門というのは、中納言のことです。歴代の水戸藩主は現役時代は参議(宰相)で、引退すると中納言になるケースが多かったので、歴代の水戸のご隠居はみんな水戸黄門です。
なので、幕末にも「水戸黄門」はいました。水戸のご隠居(前藩主)徳川斉昭、ご存知、尊王攘夷を振り回して幕府を混乱の極に落としいれた人物です。
 斉昭が目の敵にした不倶戴天の敵が、大老、井伊直弼です。
 
 大老を中心とする「幕閣」と、ご意見番の御三家とは、つねに微妙な対立関係がありましたが、それが幕末には頂点に達していました。
 現実に日本国の舵取りをしなきゃならない井伊大老にとって、好き勝手に自分の理想論を吐いて批判していればいい水戸斉昭は、目の上のタンコブ、許しがたい存在でした。
ちなみにこの井伊家が、「大老」職をほぼ世襲するのは江戸中期以降で、そのまえは土井、酒井、堀田などの実力者が大老を持ちまわりしていましたし、綱吉のときには柳沢吉保が「大老格」まで出世したことがありました。
本来、御三家は幕府の職には一切つけません。発言権はゼロです。
 水戸は参勤交代を免除され常時江戸にいるため、「副将軍」なんて自称していますが、本当はそんな役職はありません。
幕府というのは徳川家の家来である譜代大名だけで運営されるもので、将軍の親戚である親藩には、口出しをする権限は一切ないんです。何故って、お家騒動になるからですよ、将軍家の。
だから、御三家だろうが何だろうが、ご親戚筋の皆様は幕政への口出しは一切御無用。これが、江戸幕府の鉄板ルールです。もちろん相談をうければ答えはしますが、自分からしゃしゃり出てくるのはご法度です。
 水戸斉昭は、これを無視して、やいのやいの騒いだために、罰を食らって謹慎になります。それが安政の大獄です。ごく当然の帰結です。
 
しかし斉昭、憤懣やるかたない。大老だ老中だって、やつら徳川家の家来じゃないか、それがなんでご親戚であるワシに命令できるんだ。ああ腹が立つ腹が立つ。
そこで、「水戸黄門」こと光圀公が天下の副将軍として颯爽と活躍し、大老格とか言って威張っている柳沢吉保をギャフンと言わせる、という講談を作って世に流行らせたんです。つまり、水戸は偉い、水戸は正義、というイメージ戦略ですね。
 水戸黄門のお話は、幕末に水戸斉昭が作らせたものなんですよ。そういうフィクションを広めて溜飲を下げようとした。
てことはつまり、現実は逆ってことです。
御三家より大老のほうが、現実には権力を持っていた、ということです。
 
それが水戸の御老公・斉昭にしてみれば、たまらなく不満なんです。「紀尾井坂」という地名にまでイチャモンをつけて「おちょくり倒してやりたくなる」ほど、不満なんです。
 
「水戸黄門漫遊記」を講談で聞いた人々は、正義のヒーロー黄門様のモデルは斉昭、柳沢は井伊大老のメタファー、というのは、すぐに理解できたはずです。
 水戸黄門の話が幕末に急に有名になったのは事実ですし、その背景には、「光圀(黄門)vs柳沢(大老格)」という構図を広めようとした斉昭の、あるいはその意向を忖度する人々のメディア戦略があったんです。
ちなみに、水戸黄門(光圀)は日本で最初にラーメン(中華ソバ)を食べたと言われますが、それは「中国大陸で、明が清に滅ぼされたから」です。
多くの明人が日本に亡命してきました。
亡命者には、多くの儒学者も含まれていました。彼らは江戸幕府の要人たちに「我々が正当な中国人だ、明の皇帝こそ正統な支配者で、侵略者は絶対に排斥されなければならない」だから明再興に助力してくれ、と訴えました。
この思想が「尊王攘夷」であり、これにいたく感動してしまったのが水戸の光圀です。
 
 血気盛んな光圀は幕府に「中国大陸に兵を出すべきだ、尊王攘夷が正しいんだ!」と主張しますが、もちろん、幕府はそんな意見を容れるはずがありません。だってそもそも、秀吉の朝鮮出兵に懲りて「もう外国を攻めたりなんてバカなことはしないで、内政を充実させよう」ってできたのが徳川政権なんですから。
 水戸光圀というのは、つねにこういう「威勢のいい観念論」を押し付けてくる存在で、柳沢ら幕府の役人たち、現実に国家運営をしていかなければならない幕閣にとっては、うざったくて仕方がない存在だった、はずです。
 大陸出兵を却下された光圀は、せめて明の儒学者たちを保護したいと、水戸に連れて帰ります「本場中国人の精神を吸収したい」と、彼らから教わり中華料理?を再現して食べたりしました。これが「黄門サマが食べた元祖ラーメン」です。
光圀公は、彼ら中華からの亡命知識人たちをブレーンにして「大日本史」の編纂に取り掛かります。こうして「尊王攘夷」は水戸学のコアとなり、幕末に大きく花開くのです。
 水戸光圀が編纂した「大日本史」は、幕末水戸藩の尊王攘夷思想のバックボーンとなりました。
光圀は若いころ手がつけられない不良だったことは、よく知られています。水戸藩主になって一転人格者になったように言われますが、人の地金って終生変わりません。常に「血気盛ん」な方向に話を持っていく人で、綱吉の文治路線とは対照的な思想を生涯持ち続けた人です。
 彼はたぶん「武士のくせに刀を抜いたこともない小役人ども」にモノを言われるのが大嫌いだったんです、その小役人(官僚)の象徴として柳沢というキャラがドラマでは設定されているのだろうと思います。
 「悪いヤツは成敗しろ、文句を言ったら叩き切れ」というのがドラマの水戸黄門の基本ポリシーですから。