「大老」と「老中」は、どう違うか。江戸幕府は独裁者を出さない、老中の中は「なかま」の意味です。 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「大老」も「老中」も、言葉の意味としては「徳川家の御家老さま」という意味です。
江戸幕府の職制としては、最高意思決定機関が「老中」です。この「中」は大中小のうち第二位と言う意味ではなく「合議制」という意味です。「亀山社中」の中、と同じですね、グループです。つねに四~五名いて、世襲ではありません(つまり老中の息子が自動的に老中になれるわけではない)。常に入れ替わるので、独裁政治になる危険が低いわけです。

大老の大は「大中小」の大であり、老中メンバーよりエライという意味です。原則一人ですが、江戸初期に二人いたことが短期間あり、また大老がいない時期もあります。つまり江戸初期には「老中を勤めあげた者が、ご苦労様といって棚上げされて就任する、名誉職」だったんです。格は高いけれど特に仕事はありません。将軍が幼いときや病弱のときは変わりに儀式を担当する、くらいのことだったんです。
しかし、そうはいっても制度的には老中より上ですので、やがて、老中から実力で大老に昇進し、独裁的に政治をしようという者も出てきます。四代将軍のときの酒井忠清、五代将軍のときの堀田正俊、などです。しまいには堀田大老が部下の恨みを買って殿中で刺殺される、という事件が起きます。


そこで「やっぱり大老が単独で政治をやらせるのは宜しくない、大老はもともとの名誉職に戻そう」ということになり、これ以降幕末まで、井伊家が大老蜀を独占することになります。
井伊家の当主はそれなりの年齢になると、老中など他の職を経ずに(つまり政治経験なしに)、自動的に大老に就任します。仕事は将軍の代わりに、老中会議の上げて来た決定を承認するだけ、です。
江戸幕府で「単独」で「世襲」なのは、将軍と、後期の大老だけです。つまり権威はあるけど権限はないのが将軍と大老です。
じゃあ幕末の井伊直弼はどうなんだ、と言われそうですが、このひとは「非常時」の「突然変異種の大老」なんです。この件は長くなるので、またいずれ。